第三部 死衣の魔女

第1話 バクサーの一枝亭

「遅い!」


 久しぶりでもはや懐かしい入り口を潜ったライカとサッズを迎えたのは、叱咤のようなその言葉だった。

 艶やかな赤い髪を綺麗に結い上げている若い女性、ミリアムが、腕を組み、やや足を開いて背筋を真っ直ぐに伸ばして立っている。


「ミリアム、ただいま」

「よお」


 初春に咲いた花々が結実して実を付ける時も既に過ぎ、以前に別れの挨拶をしてからすっかり季節が変わっていた。

 しかし、ライカとサッズの挨拶は、昨日別れたかのように気軽である。


「何がただいまよ、色んな人に昨日帰って来てるって聞いてたから今朝にはうちに来ると思っていたのに、どうして夕刻になるのよ」

「先に治療所に行って来たんだ。色々な薬草を採ってきたんだけど、旅の途中で雑な処理しかしてないし、使えなくなったら勿体無いから急ごうと思って。うん、でも、つい今までまだ旅をしていた感じから感覚が戻って来てなかったんだけど、ミリアムの顔を見たら帰って来たんだなって感じがするな」


 ライカの言い逃れという訳でもない素直な気持ちを受けて、ミリアムは更に胸を反らして笑みを浮かべた。


「ん、そう?そんなに私が恋しかったの?罪な乙女ね、私」

「ミリアム、ノリがおかしい」


 なんだか高笑いでもしそうな雰囲気のミリアムに若干引きながら、ライカは指摘した。


「ずっと心配してたからね、その反動なんだろうさ。お帰り、ライカ」

「よう、ちっとは男っぽくなったか?」


 そんな事を言いながら店の奥から顔を出したのは、ミリアムの両親のシアーラとボイズだ。

 油とスス、それに焼け焦げの跡が残る仕事着に二人共に大柄な体格がみっちりと包まれている。

 ほっそりとしたミリアムの両親とは思えない体格だが、その髪と目の色は間違いなくそれぞれから受け継いでいた。


「ただいま戻りました」


 ライカはその二人にぺこりと頭を下げて、笑顔を向ける。

 笑顔を返したミリアムの両親は、そのままライカ達を誘って店の一番奥でもある調理場に程近い席に座らせた。


「おい、間が持たないようなら茶でも運んで来てくれないか?」


 店の入り口近くで突っ立ったまま、収まりがつかなくなって真っ赤になっているミリアムに、サッズがぶっきらぼうだが気を使って声を掛ける。

 そっけないようだが、他人を思いやることがそれなりに出来るようになった、急成長中のサッズなのであった。

 ミリアムは母から心情を暴露された恥ずかしさゆえの硬直から立ち直ると、声を掛けて来たサッズを一瞥し、再び顔を真っ赤にする。

 常に無く柔らかい笑みを浮かべているその顔を間近で見てしまったのだ。


「あ、お茶ね、お待ちください」

「大丈夫か、おい」


 相手の混乱は感じ取れるものの、細かい心の機微などは未ださっぱりのサッズが女心を理解するのはまだ遠いだろう。


「今仕事は大丈夫なの?」


 他のテーブルから椅子を引っ張って来てテーブル脇に腰を落ち着けたミリアムに、ライカは心配そうに聞いた。


「もう閉めちゃった」


 なんでもないようににこりと笑うミリアムに、ライカは慌てて調理場の二人に視線を投げる。

 二人共笑顔で頷いていた。


「だって、ゆっくり話を聞きたいし、二人だって疲れているでしょう?夕餉を食べに来る人や軽くお酒を飲む人でバタバタしてる中で話したくないじゃない?あなた達はもう家族みたいなものなんだからそういう特別はあってもいいんじゃないかなと思うの。……ところでお爺ちゃんはお家?ご飯、こっちで一緒に食べてもらったら?」

「あ、今朝から仕事で山に入っちゃった。随分先延ばしにさせたみたいで」

「そうなんだ、いない間はあんなにライカがライカがって言ってたのに、ふふ、もしかして照れてるのかもしれないわね」


 ミリアムの言葉にライカは首をかしげる。


「照れるって?」

「ライカがなかなか帰らないってそれは大騒ぎをしたもの、それをライカが聞いて何か言われると思ったんじゃないかしら?」

「う、他でも聞いたけど、そんなに騒いだんだ」

「戻りの定期の商隊と一緒に帰って来なかったから、それは仕方ないんじゃないかな?私だって心配したし」


 じっと見つめるミリアムに、ライカは小さくなって謝った。


「ごめんなさい」

「無事に帰って来たんだからいいのよ。それより旅の話を聞かせて。ご馳走用意するからね」

「食べ物を探す時間を掛けずに待っていれば食べられるというのはかくも贅沢なことなんだな」


 出してもらった茶を啜り、薄く焼いたパンに、蜂蜜に砕いた木の実を和えた物を塗って黙々と食べていたサッズがポツリと呟く。


「旅の途中だと、食べ物を探す、歩く、食べ物を探す、寝るみたいな感じになるもんね」


 ライカもしみじみと同意した。


「あはは、美味しい物を食べるのは最高の贅沢よ。そういえばサルトーさんから釣った魚を貰っているから楽しみにしてね」

「サルトーさんのとこの赤ん坊大きくなった?」

「もうハイハイは出来るみたいよ」

「それって凄いことなんだ?」


 赤ん坊の成長過程など知るはずもないライカが問う。


「順調に育っているってことなのよ」


 お互いの知らない話を交わし合い、少しずつ日常を取り戻す。

 それは暖かく満ち足りた時間だった。


「そういえば、旅の途中で聞かなかった?」


 ミリアムがふと思い出したようにライカとサッズに尋ねる。


「なに?」

「最近、他所から来た人達が色々気持ち悪い噂をしているの。それもあって、あなた達を心配してもいたんだけど」

「噂っていうのはあれだろ、人間得意の、存在しない物を捏造して大げさに騒ぐ娯楽の一つだ」


 サッズは、ハーブと一緒に焼かれた大ぶりの魚を頭からバリバリと食べながらそう評した。


「う~ん、そうかもしれないわね。何か信じられないような怖い話ばっかりで」

「例えば?」

「戦場を見失った死者の軍勢が戦う場所を探していて、夜中にその蹄の音を聞いたら、その人は二度と目を覚まさないとか」

「音を聞いた奴が目を覚まさ無いなら誰がその話を伝えたんだ?」

「サッズにしては鋭い」


 ライカが感心してそう発言した途端、サッズに頬を摘まれる。


「痛い!褒めたのに!」

「あはは」


 ミリアムは笑いながら指を折って次の噂を語った。


「えっとね、戦場を彷徨って死者の魂を集めていた魔女が、人里で魂を集めはじめたとか」

「魂って何だよ、そもそも集めてどうするんだ?」

「魂は魂よ、魂が無いと喜びの野に行けないじゃないの。でも、そうね、魂を集めてどうするのかしら?」

「戦場がどうこうってのが多いな」

「うん、戦争してた所もそろそろ落ち着いてきて、戦場になった地を清めて回る余裕が出来たみたいなの。そこに駆り出された人足の人達が怖い目にあってその話を広めているみたい」

「そういう人達がこっちに回ってくるの?」

「ほら、街道整備で大々的に人足集めをしているでしょう?あれ、前に王様がいらした時に王都でここの分の人足募集の公募もしていただいたみたいで、そこから来た人達が噂の出処かな」


 街道整備の人足と聞いてライカは旅の往路で寄った場所を思い出す。


「ああ、そういえば街道整備の拠点の所に一度泊めて貰ったよ。結構大きい場所で、ちょっとした集落みたいになっていた」


 出発してそう経ってない頃だ。そこに泊まった時の男たちのびっしりと詰め込まれた現場の寝床と、汗と酒の匂いも同時に思い出して、ライカは少し顔を顰めた。

 そういえば、あそこがこの街と関係した相手との最後の接点だったなと、ライカはふいに思う。


「街道が整備されるとやって来る人が増えて忙しくなるね」


 ライカ達が踏破に苦労した溶岩大地。

 聞いた話だと、急がなければ山越えのルートが別にあるらしい。

 ただ、馬車は通れないぐらいの狭い山越え道が続くので、大荷物の運搬には向かないとのことだった。

 花祭りとかに来る見物客はそっちを通って来るのだろう。


「その噂はあれだな、夢中で戦のような馬鹿をやって暴れた後、はっと気づいて周りを見回したら、思った以上に酷い有様で、急に自分たちのやったことが怖くなったせいだろ。だからそこに化物を出して、そいつらに責任を押し付けて自分達のやらかしたことを誤魔化したいんだ」


 そのサッズの言葉は代々引き継いだ竜の記憶のどこかを読み上げたかのようだった。

 竜族は記憶を受け継ぐことで過ちを繰り返さないようにと戒めて来た種族である。

 その中には古い時代に多くの破壊をもたらした竜族ならではの後悔もあるのだろう。

 そして、そんな心の働きは決して竜族だけの話でもない。

 人間にも通じる話だとサッズは言いたいのだ。


「なんかなんとなくわかる感覚なのが嫌だな」


 サッズの言葉にライカはそう言った。

 うっかり間違いを犯してしまい、それを認めたくないから何かのせいにする。

 運命とか化物とか精霊とか、見えない物なら誰も責めることが出来ないから。

 それはきっと誰にでも有り得る心の動きなのだ。


 しかしミリアムはそっと首を振った。


「目を逸らすのは辛いからじゃないかしら。きっと、誰もが本当は殺し合いなんて望んでいないのよ。だから戦は辛いんだわ」


 ミリアムは優しい目で両親を見る。

 彼らはかつて傭兵として戦っていたという経歴を持っていた。

 自分が小さい頃、彼らが時々夜にうなされていたのをミリアムは知っている。

 だからこそ、ミリアムは辛い顔や暗い顔を両親には決して見せないようにしているのだ。

 大事な人達の辛い記憶を包み込むように、ミリアムは柔らかい微笑みを浮かべて二人を見つめていた。

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