間話 新たな時代への足音

「王と、商組合の長に手紙を書く。使いを立ててくれ」

「はい。ならば領主印の指輪を引っ張りだして来ます」

「そういえばしまったな、……どこかに」

「管理しています」

「ありがたい」


 ハイライはラケルドの用件を引き受けると場を辞した。

 それを見送って、ラケルドは侍従に伝言を頼む。


「ザイラック班長とセッツアーナ女官長を四半刻の間を開けて呼び出してくれ」

「承りました」


 だが、そう応じた使いが廊下に消える前に、当のザイラックが姿を現した。

 必要な時には必ずいるという評判通りではあるが、侍従の心境は哀れな程である。

 彼はザイラックを見、後ろの領主をチラと見て、思い切ったようにその場で声を掛けた。


「ザイラック班長、領主様がお召しです」


 そう堂々と言い切った度胸はいっそ見事と言うべきだろう。


「応」


 それに対するザイラックの返事は酷いものだったが、それには慣れているのか、侍従は丁寧に頭を下げると、次の伝言先へと向かった。


「相変わらずだな」


 それを見ていたラケルドは、開けたままの執務室に風の班班長であるザイラックを招き入れた。


「呼ばれている時は空気でわかりますから」


 ザイラックはラケルドをどこか眩しげに見つめると、ふと膝を付き、頭を垂れる。


「ご下命を」

「そういうのはもうやめたのではなかったのか?」


 挨拶のような気軽さでラケルドはザイラックにそう語りかけた。


「自分にけじめをつけたいのですよ」

「顔を見られずに済むからか?さすがにやましい所のある奴は違うな」


 言われてザイラックは顔を上げる。


「やましいとは?」

「班の訓練を班員だけに任せて参加しない。見回りの順路を守らない。塀を飛び越えて出入りしている。隊服の留め具を無くしたが申告していない、それから……」

「ちょ、ヤメヤメ!そんな赤裸々に言い募られると恥ずかしいでしょうが」

「そうか、恥ずかしいとは思うのか」

「まあ、少しは」

「少しか」


 ラケルドはニヤリとザイラックを見た。


「とりあえず、だ、今更畏まっても意味がないので膝を付くな、馬鹿者」

「は、ご命とあらば、いかようにも。それで、どうかしましたか?」


 一瞬で弛緩したザイラックは、執務用の大きな机にもたれるようにして用件を尋ねる。


「お前、今、闇の道の何本を辿れる?」

「こっちに来てからは切れてますからね、まあ切り裂いてもよろしければどのようにでも」

「そういう物騒な話ではない。北の、特に領民が足りない地の領主への注意を喚起しておいて欲しいのと、情報を繋げて欲しいだけだ」

「その程度なら金をいくつか転がすのと剣の素振りでそこそこ通ると思います」

「わかった。それじゃ、概要を説明するんで、まずは座ってくれ」


 ラケルドはザイラックを無理矢理応接用の椅子に座らせると、説明をした。


「領主達に餓狼化の兆候がある。北東の地で疫病を利用した人狩りがあったらしい」


 ザイラックはぴくりと眉を動かすと、一呼吸で立ち上がる。


「了解しました。しかし、良いんですか?こういうはかりごとの分野はあのお綺麗な補佐官殿がやるべきなんじゃ?」

「あれは純粋だからな」


 ラケルドはそう言って笑った。


「隠し事が苦手だし、闇を覗けば影響を受ける」


 その言葉にザイラックはこの場にいない相手に表面上は気の毒そうな顔をする。


「本人は汚泥を被ったつもりでいるんですよ、あれでも」

「考えすぎなのだよ、あの子も」

「育て親の影響を受けたんじゃないですか?」

「俺とは違う方向を向いてると思うんだがな」

「背中合わせですか?羨ましいことで」


 皮肉な笑みを見せたザイラックにラケルドは溜め息をこぼした。


「お前はさらっとそういうことを言うよな」

「俺も隠し事が苦手なんですよ。是非領主様に思いやっていただきたいです」

「わかった、今度酒場に付き合うから」


 ザイラックは子供のような顔でにっこりと笑ってみせる。


「何よりの報酬、ご下命この一命を持って承りました」


 鮮やかな、礼法に則った礼をしてみせると、ザイラックはそのまま執務室を後にした。


「仕方のない奴だ」


 苦笑してその後ろ姿を見送ると、ラケルドは机に戻り、正式な公文用の用紙を厳重に仕舞った物入れから引っ張り出し、ペン先をランプの火で少し炙ってインクを馴染ませる。

 しばし書き綴った分を吸い取りでインクを落ち着かせ、更に書く。

 一枚目が出来上がった所で扉が叩かれた。

 了承の言葉を投げると、音も無く扉が開かれる。


「主様、お召しにより参上いたしました、セッツアーナです」


 入室したのは厳格という言葉を人の形にしたような女性だった。

 完璧な所作で領主に挨拶をすると、膝を屈め、顔を伏せたまま言葉を待つ。


「セッツアーナ女史、あの方に言伝を『民を削る嵐の前触れがある』と。私は王に謁見を求めて王城に飛ぶが、あの方にお会いする機会はあるまいから」

「確かに承りました。一つ願いを」

「どうぞ」

「足の早い馬をいただけないでしょうか?」

「野生に近いものがいるが」

「それで。むしろ裸馬ぐらいのほうが目的に適うと思います」

「わかった、明け前に裏門の前に繋いでおく」


 セッツアーナは一度も頭を上げないまま、執務室を後にした。


 そして、部屋の中にペンの走る音のみの静寂が続く。


 この日より十日の後、エルデの国の西端、ニデシスの領主ラケルド・ナ・サクルは、その愛騎である竜と共に単騎王都へと向かった。

 更に過ぎる半バクス季さんねんの後、エルデの提唱によって、国家間の通商における協定がおよそ大国三、小国五、独立、非独立諸侯三十余、それらの国々の間で交わされることとなる。

 そしてそれは、協定法という、国を超えて適用される法規が初めて誕生した瞬間でもあった。

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