第187話 権利と報酬

 ラケルドはライカから体験した事の大まかな情報を聞き取ると、ハイライに目配せをして地図を片付けさせた。


「この件は私が預かった。お前達は心配しないでよろしい」


 領主の顔でそう宣言したラケルドに、ライカはうなずく。

 自分が提示した問題が、人が一人で解決出来るようなものではないことをライカは重々承知していた。

 だからこそ、この報告を一刻も早くラケルドに届けたかったのだ。

 そんな真剣な顔で頷いたライカを見て、ラケルドは親しみの篭った顔で微笑む。


「そうそう、二人共、食堂には言ってあるから、今後はいつでもここに食べに来ていいぞ」


 ラケルドの言葉にライカとサッズは首をかしげる。

 以前お城で食事をご馳走になったことはあったものの、城の食堂は基本的に城の兵士や下働きの者達のためのもので、部外者に開かれた場所ではないのだ。

 ラケルドは二人の戸惑いを理解しているように言葉を続けた。


「この旅では俺の仕事をしてくれただろう?厨房にはお前たちはうちの子達だから食べたい時に食べさせてやってくれと言ってあるんで遠慮しなくていい。あそこはいつも余分に何か作っているからな」


 それはつまり、領主様の家族同然として振舞えということなのだろうか?

 ライカはそう考えてみたが、どうしても何かを間違えている気がして仕方がなかった。

 だが、理解や納得が出来ないまでも、とりあえずその心遣いにお礼は言うべきだろうと結論付ける。


「ありがとうございます」

「ありがとう」


 意外なことにサッズも控え目ながら礼を言った。

 城の食堂では必ず肉が出る。

 この措置で一番助かるのは実はサッズなのだ。

 そのことを理解しているからこその礼なのだろう。


「うんうん、可愛い子ども達から礼を言われるとくすぐったいな。よし、そうだな、ここはもう一つぐらい良いことを足しておこう。我が半身、アルファルスに、いつでも会いに行ってもいいようにしておこう」


 これは思い掛けないラケルドからの提案であった。

 まさかライカの思いを読んでいたのではないだろうが、あまりにも要望に叶いすぎていて怖いぐらいだ。

 ライカは驚きの余りお礼のタイミングを失ってしまった。


「領主さま!」


 そこに鋭く制するように声を挟んだのは領主の補佐官であるハイライだった。

 その咎めるような声にラケルドは意外そうにその顔を見る。


「お前まさか、アルが子供を食らうとでも思っているのか?」

「いえ、まさか。そうではなく、彼の名を告げてしまっていいのですか?」


 どうやらハイライの懸念は竜に会わせることではなく、別の所にあったようだった。

 竜は親しくない者に名を呼ばれるのを極端に嫌う。

 その苛立ちのあまり人を襲う事など日常茶飯事だ。

 そういう常識的な判断でハイライは苦言を呈したのである。


「いいんだよ。あいつの方から頼まれているからな」

「そうですか、彼が言うならそれでいいのでしょうね」


 その言葉に簡単に納得をしたハイライに、今度はラケルドが引っ掛かる。


「なんだ、お前もアルのほうが信用出来る口か?なんてこった、自分の信用されなさ具合が情けないな」

「言ってらっしゃい。そもそも昔からしょっちゅう姿を消す貴方が居ない間、僕を見守っていてくれたのはアルですからね」

「うむ、ぐうの音も出ないな」


 どうやらハイライの信頼の置きどころには積年の事情もあるようだった。


「あの、お話が済んだのなら申し訳ないのですが、治療所のほうへ行きたいのですけど、いいですか?ユーゼイック先生や治療所のみんなに挨拶をして、街のほうも回らなきゃならないので」


 ライカはおずおずと二人の話の間に言葉を潜り込ませると、そう言って、尋ねるようにラケルドを見た。

 本当は手紙の件も伝えたいのだが、他人がいる場所で話題にしていいのかどうかわからない上にまさか城に面会を申し込んだその日の内にラケルドに会えるとは思っていなかったライカはこの日手紙を持って来ていない。

 そして、早々に顔を見せて回らないと怒られそうな相手も何人かいるのでその心配もあった。


「ああ、済まない。予定を狂わせてしまったな」

「いえ、それは元々、ここにも来るつもりでしたし、お菓子もお茶も凄く美味しかったですし。あ、そうだ!ご馳走様でした」


 ライカはお菓子やお茶のお礼を忘れていたことに気づき、慌てて二人に礼をする。


「それはこちらこそありがとう。お褒めにいただいて妻も飛び回る仔馬のように喜ぶでしょう」

「ああ、美味かった、ありがとう」


 サッズも気に入った食べ物には素直に礼を言うことを覚えていた。


「本当に、ありがとうございました」


 二人はぺこりと頭を下げると、椅子を引いて退室しようとし掛ける。が、そこに待ったが掛かる。


「待ってください。こちらが依頼達成の報酬です。お急ぎの所悪いですが、サインだけいただけますか?」


 ハイライは二人を引き止めると、それぞれに綺麗な革細工の品物を手渡した。

 それは革で作られた、平たく細長い肩掛け式の飾りを兼ねた物入れで、上から入れた貨幣をフックの開け閉めで端から取り出せるような作りになっている。


「綺麗ですね。これはベルトですか?」


 そう言って受け取ったライカは、それに中身が入って固いことに気づいた。

 弄り回してフックを開けると、中から銀貨が出て来る。

 驚いているライカの耳にハイライの説明が届いた。


「それは首から回してベストの襟飾りとして使うとおしゃれですよ。着けてあげましょう」


 確認するとサッズの物にも同様に銀貨が入っている。

 そしてその革の面に刻まれた意匠は、ライカが金陽花、サッズが青い星だった。


「え?これ、お金が入ってますよ?」


 そのライカの疑問に答えたのはラケルドである。


「お前達は私の依頼を正式に受けて下命鑑札を所持して視察を行った。ということで、これに報酬を出さなければ王国の法規上、俺は決まり事を破る犯罪者となってしまう。それは正規の報酬なので俺を犯罪者にしたくなければ遠慮せずに受け取るように」


 領主の顔でそう言うラケルドは、心声にも表情にも出さずに、してやったりという雰囲気を醸し出していた。


「お金もそうですけど、この飾り帯?ええっと、物入れ?凄く手の込んだ作りですよね?」


 ライカはそのラケルドを胡散臭そうに見ながら重ねて尋ねる。


「うむ、大事な物をそこに入れておけ、ほぼ気づかれずに済むぞ」

「え?ええっ?」


 ライカは何と言っていいかわからずに頭の中が混乱してしまった。

 ライカ達は自分達の勝手で旅をしたのである。

 どう考えてもこれ程の報酬を貰うのは可笑しいのだ。

 しかし、それを断ると領主が犯罪を犯したことになるという。

 まだ人の世界のことがよく理解出来ないライカが混乱するのは当然だろう。

 サッズはそんなライカに呆れたような顔を向け、次にラケルドを見て溜め息を吐いた。


「あんた、本当に予想が付かない奴だな。飽きない」

「それはありがとう」


 礼を言う声を肉声と心声とで二重に聞いて、サッズは更に呆れた。


「なんでここで礼を言うのかが更に理解出来ない」

「やめておきなさい」


 横からの声に、サッズは驚いて振り向く。


「この方を理解しようとするのは徒労でしかありません。悩まずにありのままを受け入れるのが一番です」


 領主の補佐官であるハイライだった。


「あんたさ、領主様と長い付き合いなの?」

「そうですね、もう十年にはなるでしょうね。あの人に拾われてから」

「ああ、なるほど、俺の育ての親も理解し難い奴だからな、なんとなく同情出来る」

「それは、話が合いそうですね」


 そんな本人達のどうしようもない話題とは別に、そうやってサッズとハイライが含み笑う様は、見る物が見れば感動するか、逆にこの世のものとは思わずに恐ろしく思うかという光景だった。

 サッズはいわば人間離れした、精霊と例えられるような美貌の持ち主だが、ハイライもまた、まだ人間の範疇ではあるものの、夜に月を仰ぐようなどこか神秘的な容貌の持ち主だ。

 二人が並んでいるだけで、そこだけ世界すら違って見えるのである。


「ふむ、一見眼福だが、どちらも男だからな、はっきりいって無用な美というやつだな。まだ花を愛でるほうが心が安らぐ」

「領主様は時々変なことをおっしゃいますよね」


 混乱から立ち直ったライカは、ラケルドの言葉にそう端的な感想を述べる。


「……時々か?」

「時々なんですね。中々に豪傑ですね、ライカくんも」


 サッズとハイライが感心したようにそう言った。


「だって、綺麗な物は綺麗でいいだろ?見れば楽しい気分になるんだし、花だって人だって竜だって、綺麗なことに無用な物なんか無いと思うよ」

「はぁ、変というのはそういうことですか」


 ハイライの乾いた笑いが微かに大気を震わせる。

 一方、堂々と言い放ったライカに、ラケルドは豪快に笑った。


「確かにそうだ。これは俺が間違っていた。うん、やはり他人の話を聞くというのは素晴らしいことだな。こんな俺でも少しは賢くなれる気がする」

 

 そんなことを言ってのけるこの街の領主であるラケルドに、呆れたような誰かの溜め息が部屋にそっと零れたのであった。

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