第185話 補佐官ハイライ

「旅はどうだった?」


 ラケルドは椅子に少し斜めに腰掛ける。

 体の骨が歪んでいるのでその方が楽なのだ。


「あ、はい。人や場所が全部こっちと違っていて、不思議な感じでした。色々な人と出会えて良かったです」


 ライカはそう答えてサッズをちらりと見る。

 サッズは、我関せずと、壁掛けや天井を見渡していた。


「サックは、どう感じたのかな?」


 仮の名で呼ばれて、サッズはそれに気づかずに聞き流そうとしたが、ライカが耳の後ろを突いて話に加わらせる。


「俺は関係ないだろ?あんたの民じゃないんだし」


 渋々と、いかにも迷惑そうなサッズのにべもない返答に、だが、ラケルドは笑んでみせた。


「俺の民など存在しないよ。どちらかというと逆に民のために在るのが領主なのではないかとも思うのだがな?それはともかく、これは単に話を聞かせてもらいたかっただけなんだが、それほど嫌なら仕方ないな」

「嫌って訳じゃないが、あんたとくっちゃべる意味があんの?あんたの得たい情報とか俺が持っているとは思えないけどな」


 サッズの言葉に、ラケルドは「ああ」と頷いた。


「そうか、仕事の話だと思っていてくれたんだな。いや、ライカに依頼した話はハイライが来てからの話になる。旅の話は単に俺が聞きたいだけだよ」

「あんたが聞きたいんだ?」

「そう、俺は人の話を聞くのが好きなんだ。実を言うと、俺が正気を保ったままこうやってデカくなれたのも、沢山の人が俺に話を聞かせてくれたからだと思っている。もっと正直に言うと、俺は常に他人の話に飢えているんだ。だから話してくれると嬉しい」


 静かに語られた心情は、だが確かに熱の篭ったものだった。

 あまりにもあけすけすぎて、言われたほうが困惑する類の情熱だ。


「領主様も旅をしたことがあるんですよね?」

「ああ、というか、むしろ半生を旅で過ごしたと言っても過言ではないぐらいだな。あまり穏やかな物ではなかったが、沢山の出会いがあったよ」

「俺もいろんな人と出会いましたよ。まだ理解出来ていないことも沢山あるんですけど、きっとみんなに大事なことを教えてもらったんだと思います」


 ラケルドとライカの想いに、サッズはどこか賛同できない風に目を眇める。


「人間は、自分の心すら自分でわかっていない連中が大半だった。他人を傷つけることを楽しむ者もいれば、他人が傷つくことが自分自身の痛みより苦痛に感じる者もいる。おかしな奴らばっかりだ」


 サッズの言葉は攻撃的で、旅の間の鬱憤を晴らそうとしているかのようだった。

 そんなサッズに、ラケルドは小さく頷いてみせる。


「人の心が混乱を伴っていることが多いのは、ほとんどの人が希望への道筋を見失っているからかもしれないな」

「希望、ですか?」


 ラケルドの言葉に応えたのはライカだ。


「ああ、人間は自分の未来を夢見る生き物だ。胸に描いた沢山の夢の中から、人は己が望みを選ぶ。だが、それを今と繋げようとする時、人は迷走する」

「迷走」


 ライカは、どこかすとんと胸に落ちた言葉に、出会った人々の顔を思い描いた。

 今を迷いなく生きる者、現在からも未来からも目を逸らした者、まだ見ぬいつかのために力を尽くす者、そういう風に思えば、彼らはそれぞれの何かを胸に秘めていたのだろうと思える。


「そもそも、なんで人間は、実際に起こるかどうかもわからない未来を現実のように受け止めるんだ。俺はまずそこが理解出来ない」


 サッズが呆れたように言った。

 サッズからすれば、起こっていないことは存在しないものであり、それに意識を向けて生きる人間の在り方は、不思議という以前に馬鹿馬鹿しいと感じる。


「さあ?なんでなんだろうな。俺にもわからないし、わかった所で人が変わる訳でもないしな。ただ、そうだな、俺はそういう人の未来への夢、希望というやつがとても好きなんだ。例えば腹を空かせて身動きが取れなくなったとする。そんな時に思い浮かぶのは食べ物のことばかりだ。ただただ食べ物を口に入れることだけを考えながら、弱って死んで行くのがこの世の摂理というものなのだろう。だが、そんな時、食欲よりも強い望みがあると、少しだけ飢えから開放されて力を振り絞ることが出来る。その僅かな力が、人を生かす場合もあるのだ」

「なるほど、そう考えると、人の望みというものも理に適ってると言えるか」


 サッズはラケルドの言葉に理解を示して頷いた。


「サッズってさ、簡単なことは理解出来ないのに、難しいことは理解したりするよね」

「それは褒めているのか?それとも嫌味か?」

「嫌味じゃないよ、褒めてもいないけど」


 ライカの言葉に、サッズはどう反応していいか迷っているようだった。

 二人の様子に、ラケルドは楽しげに笑っていたが、ふと顔を上げて口の端を上げ、ライカへと視線を向けた。


「ところでライカ、今からは暫く意識してサックの名を間違えないようにしたほうがいいぞ。うちのハイライは耳がいい、いらぬ詮索をされるからな」

「え?」


 ライカは驚いてラケルドを見た。

 先刻から彼の前でサッズの本当の名を口にしていたことに自分では気づいていなかったのである。


「お前、こいつの前だと気を抜き過ぎなんだよ」

「サックも、人間がどうこうというのはよしたほうがいいぞ、人では無いのでは?と勘ぐられるからな」

「う……」

「人のこと言えないよね、サック」


 少年達が唸りながら睨み合う内に、扉がカンカンと高い音を立てる。


「入れ」


 応じるラケルドの声に、扉が小さく軋んで開かれた。


「失礼いたします」


 そこにいたのは、青年と言っていい年頃の男性だった。

 この辺りではあまり見ない黒髪の直毛が印象深く、すらりと背が高い。


「忙しい所呼びだてして悪かったな。お前には常に一番新しい情報に触れていてもらいたいのでな」

「非才の身に勿体ないご配慮です。しばしお待ちを」


 彼は主であるラケルドに頭を下げて礼を取ると、扉を片側だけ開け切り一度引っ込んだ。

 そして両手に大きめのトレイを掲げて入室する。

 布で包まれたポットと飾り彫りが美しい木杯、二つの大皿には焼き菓子とパイが乗っていた。


「お前が自分で持って来たのか」

「この部屋に他の誰が持って来るのですか?」


 領主とそんな軽い会話を交わしながら青年はテーブルにそのトレイを置き、開いたままの扉を閉じに戻る。

 それから全員の前に湯気を立てる飲み物と、取り皿、木製のフォークを配っていった。

 彼の全ての動作には不思議な美しさがある。パイを切り分ける手つきも優雅で上品だった。

 青年は、切り分けたパイの一切れずつをそれぞれの取り皿とは別の小皿に乗せてまた全員に配った。

 最後に積み重ねて塔を象っている焼き菓子の盛りを皆の中央に置くと、どこか満足したような表情で領主の隣に立った。


「初めましてお二方、お噂はかねがね伺っておりますが、お会いするのは初めてになりますね。私はハイライと申します。ご領主様の補佐の仕事をいただいておりますが、身分的には皆様と変わりない身ですので、お気軽に接していただけると嬉しいです」


 優美に腰を折る挨拶に、ライカは慌てて立ち上がり、同じようにしかしぎこちなく腰を屈めて自己紹介をする。


「あ、ライカです。ご領主様にはとてもお世話になっています。よろしくお願いします」


 一方でサッズは椅子に掛けたまま、だが、彼にしては丁寧に挨拶した。


「よろしく、サックと呼ばれている。まあ、俺も世話になったのは確かだな」


 ハイライと自己紹介をした青年は柔らかく微笑むと少年達に目を向ける。


「お二方共、丁寧なご挨拶いたみいります。そのお茶はハッカ茶と言って、最近王都のほうで流行りなのだそうですよ、お口に合うとよろしいのですが。そちらのパイは季節柄早採れのベリーを使っています。肉を詰めたどっしりとした物と迷ったのですが、若い方は甘い物を好まれるものということで、こちらにしてみました。もっと食べでがあるほうがよいのなら、次からは肉詰めにいたしますね。そして、こちらのお菓子は昨年採れの木の実を乾燥させた物を砕いて一緒に焼いてあります。少しだけお酒を使っていますが、味を馴染ませるためなのだそうですので、酔ってしまうようなことは無いと思います。どうぞ遠慮なく召し上がってください」


 先程から鼻をくすぐる香りにそわそわしていた二人は、その口上が終わるやいなや早速温かいそのハッカ茶を口にした。

 王都の地下で口にした物のようにハチミツや獣の乳が入っている訳では無いのでまろやかさや甘さは無かったが、その懐かしい香りは十分に二人を楽しませた。

 それに、初めて口にするパイという食べ物は、さっくりとしていながらまろやかで甘いので、両方を合わせることで、お茶にも甘みを感じ、パイには爽やかさを加味することが出来る。

 食事の時に味の組み合わせ等考えたこともないライカやサッズにも、これらは全体の味のバランスを考えて作られたのであろうと推測出来るような味わいだった。


 無言で食べることに集中し始めたライカとサッズを微笑ましげに見たハイライは、領主に目をやり頷いて隣に腰を下ろす。


「パイとはまた奮発したな」

「守備隊の方々がご実家から色々とお取り寄せになられて食環境を整えていらっしゃるので、大変重宝しております」

「なるほど、横取りをしたのか」

「人聞きの悪い。厨房の保管庫に入れてある物は城の管理管轄ですよ。城の物はご領主の物、その采配を任されているのは私ですから、何の問題も無いことです」

「うちの補佐官は有能で助かるな」

「お褒めいただいてもご領主様の分を特別に用意したりは致しませんよ?」

「そこを何とか」

「しょっちゅうお城を抜けだして買い食いして来る方にどうしてそんな気を使わなければならないのですか?」

「うぬう」


 ラケルドはしょんぼりとパイを口にした。


「美味い」

「当然です。妻が焼きました」

「油断していた、まさかここで惚気のろけか!」

「次に子供の話を致しましょうか?」

「その後に何が来るかわかっているからやめろ」

「そろそろ身を固めましょう?」

「全部飛ばしてそこに来たか」


 助けを求めて視線を彷徨わせたラケルドは、いつの間にかライカとサッズが興味深そうにこの主従のやり取りを窺っているのに気づいた。

 ゴホンと咳払いをすると、ラケルドは話を変える。


「どうやら場も落ち着いたようだし、食べながらでいいので、依頼の報告を頼む、ライカ」


 ライカは、そんなラケルドに応えるようににこりと笑うと、しっかりと頷いたのだった。

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