第184話 登城

 大気が薄く水気を纏い、木々の発する甘辛いような香りを、森にも街にも平等に振り撒いていく。


「朝の匂いだ」


 目覚めたライカは天窓に体を引き上げて屋根に出ると、うっすらと白んでいる世界を見渡した。

 まだ陽の昇らぬ薄暗さが、木々の生み出す霧と相まって、夜とも違う昏さの中に人々を閉じ込めようとしている。

 お隣のまだ若い奥さんであるリエラが、からい紐で一人息子のマウを背に負って、水桶を両手に持って道を突っ切って行くのが見えた。


「あ、水汲みしなくちゃ」


 ライカは屋根から降りると、足元の枯れ草を敷き詰めたベッドに丸まっているサッズをチラリと見たが、まだまだ目覚めそうにないと見当をつけ、放置して階下に降りる。

 どうやら祖父もまだ起きてはいないようだった。

 ライカが帰ってきた事で安心したのか、眠りは深く、ライカの足音程度では目覚める気配はない。


 裏に回って水瓶を覗くと、その中身はほとんど空であった。

 少し内側に緑色が見えるので、枯れ草を束ねたタワシを使って残った水で甁を洗って綺麗にすると、水桶を二個、担ぎ棒で肩に担ぐ。

 共用井戸の周りは既に賑やかで、おばさん達や子供等が順番を待ちながらゲームをしたり軽い物を摘んだり、うわさ話をして笑い合ったりしていた。


「おや、ライカ坊じゃないか、いつ帰ってきたんだい」

「昨日よね、ライカちゃん」


 目敏く見つかって輪の中に連れ込まれると、旅をした場所や人の話を散々ねだられ、お返しとばかりに洗った野菜を貰う。

 もうお兄ちゃんのつもりのお隣のマウ坊は、母親の背中から逃れると、母とライカの桶を持って手伝いをしたがり、小さい桶を貸し出されてうんうん唸りながら井戸と家を往復して見せた。

 何も変わらないように見えて、実は何もかもが変化している。


 昇る陽が、白亜の城の尖塔にチラリと見えるステンドグラスを煌めかせる頃にやっと水汲みが終わり、既に起き出していたサッズがライカの祖父のロウスと何かを話していた。


「おはよう二人共、どうしたの?」

「おお、おはようライカ。ごくろうさまじゃったな。なに、ずっとサボっていた山の手入れに数日篭ることになりそうじゃと話しておったのよ」

「おはよう、なんだ水汲みか。俺を連れてけばよかったのに」

「サッズを連れてったらおばさん達に弄り回されてたよ。それよりジィジィ、山ってあの樵小屋のあるとこ?」

「そうじゃ、随分さぼっとったから荒れとるじゃろうし、しばらくこっちには帰れんかもしれんの」

「そうなんだ」


 せっかく帰ってきたのにまた離れると思うと寂しいが、祖父がずっと山に入らなかったのは自分を待っていたからだろうと思えばライカも強く引き止められない。


「じゃあ、野菜もいっぱい貰ったし、朝は少し豪華にしようか?」

「朝も、じゃろ?昨夜ご馳走じゃったから朝はそんなに入らんぞ」

「俺はいつでもご馳走歓迎だ」

「あはは、じゃあ、ジィジィには昼頃お腹すいたら食べれるように残った分を包むよ。なんと!新鮮なお魚があります!」

「おー!」

「ほお、珍しいの」

「子供達が水路で捕まえたんだって。あそこもけっこう魚がいるね」

「城のいけすから逃げたんじゃなかろうな?」

「案外城からかっぱらった魚だったり」

「まさか、あはは」


 朝にそんな会話をしてその魚を焼いて美味しくいただいたからか、ライカは久々の城門前で少しドキドキしながら守衛の者達を眺めた。

 城の守衛は主に貴族からなる守備隊が務めているので、街を警護する警備隊と比べると、いかにも武人っぽく目つきが鋭い。


(とりあえず領主様に面会の言伝と、治療所のみんなに帰ってきた挨拶と分けてもらったお薬のお礼と、少しだけ持ち帰った薬草の干したのを届けて、帰りに言伝の返事で面会予定を貰って帰ればいいよね)


 出来れば竜のアルファルスに会いたいが、周囲にいる世話係がすんなり会わせてくれるはずもなく、それも領主様経由で話を通したほうが間違いないので、面会出来たらその時一緒に頼むのが一番いいだろう。

 問題は王都で預かった手紙の件だが、領主には面会の時に渡すとして、もう一人のほうはどうやって探せばいいのかわからないライカだった。

 そんなことを考えながら眺めていたライカと、守衛の一人との目が合う。


「お?坊主、もしかして大工のじいさんとこの孫か?」


 思いもかけずあちらから話し掛けられて、ライカは少々焦った。


「え、あ、はい。最近水路でお魚が捕れるみたいですね」

「お、おう?そうみたいだな」


 いきなりの話題転換にその相手は戸惑ったようだが、ちゃんと返事を返す。


「馬鹿か、お前」


 サッズがすかさずツッコミを入れた。


「とにかく、ちょっと来い」


 守衛の兵士に呼ばれて、仕方なくライカはそちらへ近づいた。

 城門守衛の男は、もう一人の仲間へ目配せをすると、伝言管へ合図を送る。

 いきなりの流れに戸惑い、やっぱり魚が悪かったのか、捕まって牢屋に入れられてしまうのかな?と小さく呟いているライカをサッズは呆れた目つきで見つつ、広い前庭の奥にある城の玄関口ををちらりと見た。


「伝令いらないんじゃないかな?」


 別に誰に聞かせるつもりでもなく呟いたサッズの言葉を聞く者があるはずもなく、待機場所から現れた守備隊の兵士は守衛の兵士から何事かを耳打ちされて城へと向かおうとした。

 が、サッズの言った通り、伝令に出るための兵は城のほうを向いてすぐその足を止めて貴人に対する礼を取ることとなる。

 その視線の先、左右の足の長さが違い、足先の方向が歪んでいるせいで、ひょこひょこと飛んでいるような足取りで近づいて来るのはこの城の主だった。


「あ、領主様」


 周囲の兵が一斉に礼を取る中で、ライカの嬉しげな声が響く。


「おかえり、二人共」

「ただいま帰りました」

「おう、今帰った」


 ライカはともかく、サッズのあまりの挨拶に、兵の意識が少し尖るのを感じて、サッズは肩を竦めた。


「ご苦労であった。詳しい成果を聞かせてくれるかな?我が証を預けし若き使者達よ」


 領主、ラケルドの言葉に、周囲に僅かにあった敵意は消え、訝しむような感触に変化する。

 サッズは今度は呆れた目をラケルドに向けると、ラケルドの柔らかな土色の目がそれに応えるようにいたずらっぽくにぃっと笑った。

 ライカとサッズの若さゆえのいささか身勝手な旅を、自分からの命によるものと擦り替えた領主は、まるで信頼する臣下に対するような、軽いが温かい抱擁を二人と交わし城へと招いたのだった。


 本城の床は剥き出しの石材で、寒い季節には冷え冷えとするが、今の季節はそのひんやり具合が丁度いい。

 装飾はほとんど無いも同然だが、その代わりに壁を飾る生成りの大きな布が壁面の白さと相まって、どこか神聖さを感じさせるようではあった。

 ありとあらゆる出入り口が開け放たれているため、城の中は風が通り、時折布がバタバタとはためく。

 城内は薄暗いので、通路には昼間でも常にいくつかのランプが吊るされているが、それらが揺れて作る陰影が、追いかけっこをする影のようで、ライカは思わずクスリと笑ってしまった。


「こっちは初めてだったかな?」

「裏からなら塔に昇る時に入りましたけど、表からは確か初めてですね」

「そうか、この城は他の城とは違って、通路が広く光が入りやすくなっているのだが、それでも少し暗いから足元には気をつけるんだぞ」

「はい」

「なあ」


 事情がわからないまま連れ回されている状況に苛立ったサッズが、事情の説明を求めようと口を開きかけると、ラケルドは素早く自らの口を覆って見せ、サッズに向かって首を振る。


『もう少し待て、すぐに到着する』


 聞きなれない心声こえにサッズとライカはビクリとするが、すぐに相手を感じ取ってほっとする。


心声こえが使えるんだったらそっちで事情を説明しろよ』

『まあ待て焦るな、いと高き者よ。俺はこっちはそれ程得意ではない。変な言い方をして戸惑わせるだろうから、普通に話したいのだ』

『【いと高き者】ってサッズらしくて良い名ですね』

『ほお?そんな風に聞こえたか、普通に名を呼んだつもりだったが、やはりこっちは勝手が違うな』

『わかったから早くしろよ』

『サッズ、照れなくてもいいのに』


 心声は意志が直接乗る為、ある意味赤裸々な相手への認識が透けて見える。

 それをもってして敬意の念を向けられたサッズは、流石にラケルドに文句を付ける気分では無くなってしまった。


 通路を一つ曲がると、そこに扉があり、兵士が一人直立不動で待機していた。

 兵士の向ける礼に答礼を返しながら、ラケルドは言付けを頼む。


「ハイライをここへ。警備は通路口に移動するように」

「了解しました」


 キュと最初の噛み合わせが擦れる音を立て、重い扉がゆっくりと開かれる。


「この扉を工夫したのはお前のお爺さんだぞ」


 ふと微笑んで言うラケルドの言葉に、ライカは嬉しそうに目を輝かせて扉を見た。


「こんな仕事もしていたんですね」

「結構あちこち手を入れてもらっている」


 扉を抜けると、狭い通路の先にもう一枚扉があり、そこをまた潜る。

 その部屋は大きなテーブルとそれを囲む椅子があるだけの、どこか閑散とした部屋だった。

 ただ、壁には通路にはなかった色鮮やかな手織りの壁掛けが飾られていて、そのせいで他の場所よりも温かみがあるように感じられる。


「何も無い部屋だが、話し合いには最適なので重宝している。とりあえず掛けてくれ。おってハイライが来るし、あれが茶や菓子を手配してくれよう。まずは改めて、お帰り、二人共。元気そうで嬉しいよ」

「はい、ただいまです。領主様もお元気そうでなによりです」

「元気過ぎるだろ。なんで城門にいる時点で気がつくんだ?」


 ライカが真ん中近くの椅子に腰を下ろすと、サッズはその隣に着席する。

 挨拶を返すライカに習わずに悪態を吐くサッズに、ラケルドは先程と同じ子供が悪戯をしでかした時のような顔で笑った。


「なんとなくそんな気がしたのさ」


 にこにこと笑う邪気の無さそうなその顔を見ながら、サッズはふうと大仰に溜め息を吐いてみせたのだった。

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