第174話 星の導き

 その道、崖下の水涸れの沢は崖の上部がやや被さるように出っ張り、その上を更に緑が茂り覆っていて、上からは一見してそこに崖があるとは気付けないような地形になっていた。

 しかも上は足の取られやすい緑の下草が生い茂る森林で、馬に乗った人間が好んで通るような場所ではない。


「よくこんな所を見つけたね」

「随分と昔の話だが、旅芸人の一人が水場を探していて転落したらしい。片足を折りながらもなんとか脱出して、この場所を裏街道として記録したんだな」

「裏街道?」

「僕達の使う隠語で、いざって時の隠し道のことだ。本当にここのことは他言無用だぞ!」

「わかってるって、約束したじゃないか」


 ハトリのいつにない真剣さに、ライカは何度目かの肯定を返す。

 竜の常識で生きてきたライカからしてみれば一度約束したことを何度も確認するハトリの言動が不思議なのだが、ハトリからしてみれば人が決して約束を守る存在とは言えないことを知っているので不安なのだ。


「サッズ、周囲の状況はどうなってる?」


 ライカはハトリが周囲の状況がわからないので不安なのだろうと、サッズに気配を探ってもらう。


「山の北側に結構人の気配があるな。南側は少ないが、いなくもないって所か」


 サッズはサッズであまり細かいことを把握するのは苦手なので、大まかな情報になってしまうのだが、別に詳細に人数が知りたい訳でもないので、気にする者はいなかった。


「北が多くて南が少ないってことは、もしかしたら誰かその集落から逃げ出したのかもしれないな。くそっ、厄介なことになったぞ」

「南へ行けばいいんじゃないか?元からそのつもりだったんだし」

「そう都合よく行けばいいけどね、この道は北寄りルートなんだ。南へ抜けるためには一度道を逸れないと駄目だな、この先で……」


 ライカの提案にハトリが新たなルートを考えていた時、サッズが素早くそれを制した。


「待て、先のほうから人の気配が近づいて来るぞ。大体四体、少し弱ってるようだ。おかげで気づくのが遅れた」


 サッズの警告を聞いて、ハトリは口に手を当てて二人に話をしないように示してみせると、少し先の崖が崩れて斜面がなだらかになっている場所まで急いで移動した。

 そこを登って崖際に全員で伏せる。

 草に付いた夜露や踏み折った草の汁などで体中がぐっしょりと濡れて不快だが、そういうことを気にしている場合ではなかった。


 時刻としては夜明け前の空が白み始めた頃。

 騎馬の兵士を見た後はすぐになるべくその場所から遠くへと離れたかった一行だったが、その時はもうすぐ日が完全に落ちる頃合いだった。

 夜間に山中を移動するのはあまりにも無謀だということで、昨夜はこの隠し通路の一画で休み、うっすらと周囲が見え始めた頃に出立したのである。


 やがて、眼下の隠し通路を行く者達の姿が、うごめくぼんやりとした影として朝もやでうっすらと白い風景に浮かんだ。

 彼らの足取りはバラバラでどこか疲れているように見える。

 それを見やりながら、ハトリは判断に悩んでいた。

 この通路を使うのは恐らく旅芸人か放浪者だ。

 しかし、同胞だからと言って手放しで信用する訳にはいかない。

 むしろ、世間に擦れた同胞は、時と場合によっては危険な相手でもあるのだ。

 と、その一行から声が漏れ聞こえた。


「座長、大丈夫ですか?」

「おいおい、わしを年寄り扱いか?足腰の丈夫さではお前らごときには遅れは取らんぞ」

「老人が張り切ると碌なことはねえぞ」

「かっ!図体ばっかりデカイ脳なしは黙っとれ!」

「姉さん、お兄ちゃんはまだ帰って来ないの?あの怖いお役人に捕まったりしてないよね?」

「それ以前に外国のどっかに売り飛ばされてるかもしれないけどね。まあ金持ちに買われれば今よりはずっとマシな暮らしが出来るからかえってよかったかもね。あの子、顔だけはいいから」


 崖下で交わされるその会話を聞いて、ハトリはがばっとその場から立ち上がった。


「大猫のヒゲを引っ張るのは誰だ?」


 その突然の言葉に驚いたのはライカ達だけでは無かったが、崖下の人々はすぐに驚きから覚めたらしい。


「大猫の尾を踏む愚か者さ。……ね、もしかして、ハトリかい?」


 緊張していた両者が力を抜くのを感じる。

 ハトリは崖の緩やかな斜面を飛び降りると、その人影に駆け寄った。


「メレン姉、セツ、無事だったか」

「こりゃ、ハトリ、なぜわしを抜かした」

「俺も抜けてるんだけど」

「ケッ、ジジイにオッサンは引っ込んでな」

「お兄ちゃん!お帰りなさい!」

「ただいま、セツは可愛いな」

「よかった、きっと我ら流離いの民の守護精霊たる星の精霊様のお導きだね」


 大騒ぎである。

 ライカはどうやらその人々がハトリの家族なのだと理解してホッとした。

 ハトリは何も言わなかったが、彼らのことが心配でなかったはずがない。

 どんな場合であれ、無事に合流出来たのはいいことだった。


「上にいるのはだあれ?」


 ハトリにセツと呼ばれた少女がライカ達に気づいて指をさす。

 他の人間に緊張が走るのが見て取れた。


「ああ、あれは僕の連れだよ。ライカと、サックっていうんだ」

「あんた!この道に他人を!」

「仕方ないだろ?それにあいつらも秘密持ちだ。大丈夫、言いふらしたりしないよ」


 自分はさんざんライカ達を疑っていたくせに、ハトリはそんな風に家族に説明をした。

 ハトリの言葉に、他の者が探るように二人を見るので、ライカは居心地悪げに身じろぎし、サッズは苛立ったように腕を組んで彼らを睨む。


「ふ、ん、まあいいか。若い子みたいだし、魂の擦り切れた大人よりは信用出来るかもね」

「さ、お前さん達、再会の喜びはそのぐらいにして、さっさと先へ進むぞ。見つかったらどうなるかわからんからな」


 値踏みするような女性の言葉に、とりあえず二人のことは置いておくことにしたのか、座長と呼ばれていた老人が先を促した。


「それだけど。追われているってことはもしかして疫病の出てる集落を通ったのか?」

「いやいや、全く進路違いだわい。元々の合流予定場所を考えればわかるだろ?疫病騒ぎに便乗して、領主がやっかいなことを始めたのだよ」

「厄介なこと?」


 老人の言に、ハトリが問いを向ける。


「人狩りじゃよ」


 老人はふうと、疲れたように肩を落とした。


「疫病の村を始末して、どうやらご領主は何か良からぬ悪霊にでも取り憑かれたらしくての、周辺一帯で人狩りを始めたんじゃ」

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