第171話 旅芸人ハトリ
細長く作られた船は、船頭船尾の漕ぎ手によって滑らかな動きで川を遡る。
元々短い春はそうと感じる前に過ぎ、もはや時節は乾季前の初夏だ。
眩しい陽の光とぎゅう詰めの人々のせいで、この船は川風に晒されてもやや暑いぐらいだった。
もう少しランクが上になると屋根の付いた幅広の船や、人数を制限した優雅な船旅用の船もあるのだが、通常便であるこの船ではそんな贅沢は望むべくもない話である。
しかし定期船は定期船ならではの味わいもあった。
「坊や達子供だけで行商か何かかい?」
近隣の村から手作りの小物を卸しに来て戻る所という小柄なおじさんがライカ達に声を掛けて来た。
「いえ、僕達一家のみんなとはぐれちゃって、待ち合わせ場所に向かっている所なんです」
ハトリがはにかむようにそう言って心細げな顔でそのおじさんを見上げる。
「なんとまあ、そりゃあ大変だな。そうだ、おじさんの村で作っている干し果の売れ残りがあるから持って行くといい」
「え?でも売り物でしょう?そんな、いただけません」
親切な申し出に、ハトリはその繊細な造りの綺麗な顔立ちを効果的に傾けて遠慮をしてみせた。
行商のおじさんの目元に優しげな皺が寄る。
「いいってことよ。どうせ売れ残りだ。俺らで食うよりは坊や達が食べて味を宣伝してくれたほうがこっちも助かるからな」
「そうですか?なら、遠慮なくいただきますね。ありがとう、おじさん」
「おうおう、道中気をつけてな」
そう言った行商人の顔は少し曇った。
まだまだこの辺りは到底治安がいいとは言えない状態だ。
隣接する統治者同士の綱引きの場となってしまって、統治する国がはっきりしていない箇所も多く、物盗りや盗賊集団も大手を振って闊歩しているのが現状なのである。
どう考えても彼らのような年若い、いかにも無力な者達が旅をしていいような状態では無かった。
「それならこれも持っておいき。水気の多い野菜だからかじりながら歩けば喉も渇かないよ」
話を聞いていたらしい更に奥に座ったおばさんが束ねられた野菜を回して来た。
「どうせ今日中に食べないと駄目になっちまうから、あんたらで食べちゃって」
「ありがとうございます、おばさま」
きらりと光を反射でもしそうな笑顔をその中年の女性に向け、ハトリは遠慮なくそれを戴く。
中年の女性は頬を赤く染めると、まんざらでもない流し目をハトリに送った。
それを、まるで深い意味など全くわからない純真な子供の顔で受け流し、ハトリは手にした品々をライカに渡す。
「これ、お前たちが持ってよ。僕はか弱いからこんなに荷物持てないし」
特に抵抗もなくそれを受け取ったライカは、しかし、全く別の所で驚いていた。
「凄いね、ハトリ。みんな親切な人ばっかりだね」
「そりゃお前、ガキ共だけで旅をするって言えば、せめてもの手向けに何かやっとこうって思うぐらいはするだろ。どうせ大半は野垂れ死にするのがオチなんだからさ。だからといって自分ちで面倒みるだけの余裕は無いから、ま、お手軽な罪悪感解消なんだよ」
ハトリがそう言ってライカ達に向ける表情と声はやたらドライだ。
狭い船内で注目を集めているのに、さらりと他人には気づかれないようにそういう使い分けが出来てしまうハトリの恐るべき変わり身に、ライカは驚きと尊敬を隠せない。
「なんか色々ねじ曲げてものを考えてるんだな、お前。物事はストレートに受け取ればいいだろ」
だが、サッズは心底呆れたようにハトリに向かってそう言った。
そういうサッズは船に乗ってからずっと川面と空ばかり見ていてほとんど船内には顔を向けていない。
窮屈な現状を視覚的に感じるのと、人間の様々な感情に触れるのが嫌なのだ。
「ハッ」
ハトリはそれを鼻で笑うと、惚れ惚れするような笑顔を見せる。
「覚えておけよ、正直者の異邦人は殺されて土に埋められるだけだってな」
そんな具合に、船ではごくのんびりと彼らは過ごしたのだった。
出立してから二つ目の船着場で降りた一行は、そこの小さな村とも言えないような集落で水だけ求めると、獣道のような人気のない陸路を北西に向かった。
「ねえ、ハトリ」
「なんだ?」
ライカが首を傾げてハトリに尋ねる。
「もう陽が高いし、あの村の納屋かどっかを貸してもらって一泊してから早朝に出たほうがよかったんじゃないか?」
太陽の位置から見ればもうあと二刻も過ぎれば辺りは暗くなるだろう。
普通の人間に夜の移動は困難なので夜になれば野宿をすることになるが、野宿の準備を考えると後一刻程で寝場所を決める必要があった。
それならば屋内で泊まれる機会を逃さずに英気を養ってから悠々と旅をしたほうがいい。
荷運びの仕事の時に野営の大変さを実感していたライカはそう思ったのだ。
「いや、どうせこの先はほとんど人が住んでる所なんかないし、それならお互いに仲間としては不慣れな同士で野宿をするのは出来るだけ人里に近いほうがいいんだ。野盗連中もうかつに里近くには来ないしな」
「へえ、色々考えているんだね」
「当たり前だ。考えるのを止めた人間は生きるのを止めた人間さ。まあ大して惜しい人生でもないけど僕は阿呆として死にたくは無いんだ」
どこかさばさばと、ハトリは生死を軽く語る。
「ハトリは頭がいいんだな」
「そりゃあそうさ、僕は選ばれた人間なんだ。兄弟の中で生き残ってここまで育ったのは僕だけなんだからな。この世界の祝福を一身に受けているのさ」
堂々とそう言ってのけるその顔は、冗談とも本気とも取れた。
「俺にはすげえ馬鹿にしか思えないけどな」
当たり前のように自身が特別だと言い放つハトリに、サッズはいかにもうざったそうにそう言った。
「確かに君からすれば僕なんか木っ端にも劣る塵のような存在なんだろうけど、世界に選ばれてここに存在するって点では同格だと思ってもいいんじゃないか?」
「あ~なんだっけ、ガキ共が言ってたな。そうそう『こいつキモい』ってやつだ」
ぴくりと、ハトリの頬が引き攣る。
それを冷笑で迎え撃つサッズのほうは余裕しゃくしゃくだ。
「二人共、やめなよ。これからしばらく一緒に旅をする仲間なんだろ?そうだ。ハトリ、あのさ、船着場の広場で歌ってたのは何の詩だったの?竜がどうとかって聞こえたけど」
険悪な雰囲気などものともしないライカが、急降下し続ける不毛な会話を打ち切らせ、強引に話題を変えた。
「あ、あれか?あれはほら、あの海賊退治の話だよ。題してドラゴンの海賊退治。やっぱ地元の新鮮な話題はウケがいいよな。おひねりも多くて助かったよ。お前らの船賃ぐらいは余裕だった」
軽く話すその内容に、ライカはうっかり思いっきり息を吸い込んだまま吐くのを忘れてしまい、むせる。
サッズはイマイチぴんと来ないのか、「へ~物好きな竜もいたもんだな」などと感想を言っていた。
「え?でも、ハトリ。その、えっと、ハトリは竜を見ていないよね。船内にいたし」
気を失っていたとは言わないのはライカの心遣いだ。
「ああ、それは心残りなんだよな。一生ものの不覚ってやつだね。仕方ないから色々な人から証言を聞いて纏めた結果があの詩って訳」
「へえぇ」
歌っていた時の臨場感はまるでその場にいたかのような語り口だった。
やはりそれで生計の一部を支えている専門家ならではの匠の技なのだろう。
だが、ライカはそんな専門家の、己の生きる分野における貪欲さについては、全く知らずにいた。
だからこそ、ハトリがその言葉を直接口にすることを予測出来なかったのである。
「ああ、そうそう、その件でちょっと聞きたいことがあったんだ。なあ、サッズ。あんたもしかして竜?」
ハトリは、なんでもないことのようなさらりとした口調で、そんなとんでもない言葉をサッズに対して直接投げ掛けたのだった。
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