第172話 詩のある夜
「いいかい、まず木の枝ぶりを見る。そして良い枝がある木を見付けたらロープを渡して枝を寄せて葉の多い他の枝を折って来て被せる。ちゃんと虫は払っておけよ。これで今夜の寝床の完成だ」
ハトリのてきぱきとした働きぶりにライカとサッズは感嘆の声を上げた。
「ロープは回収するんだから真縛りは駄目だぞ掛け縛りにしておくんだ」
「え?縛り方に違いがあるの?」
ライカの疑問に、ハトリは呆れたと言わんばかりの溜め息を吐いてみせる。
「おいおい、ロープの縛り方なんて基本中の基本だろ?まあいいや、やってみせるからすぐ覚えてくれよ」
ハトリは下のほうに突き出ている適当な枝にロープを巻きつけ、2つの端を結び合わせると、片方を丸く結び目に残してきゅっと絞った。
「これでこっちから引っ張ると解けないが、こっちから引っ張ると簡単に解ける結び目になるんだ。これが出来ないと荷物を結んだりとかこうやって野営場所を作ったりとか難しいんだぞ」
「ええっと、こっちがこうでこっちがこうだよね」
見よう見まねで結んだライカの結び目はやや歪ではあるものの、一応その役割を果たしていたようでハトリの合格ラインを超えた。
一方でサッズは最初からチャレンジすらしない。
「俺に出来る訳ねーだろ、ライカ頼む」
「仕方ないね」
ハトリは複雑な顔でそれを見たが、文句を言うことはなかった。
時を遡って少し前、ハトリはサッズに対して決定的な問いを発した。
「あんた、竜なんだろ?」
問われたサッズのほうはというと、完全にそれを無視する。
慌てたのはライカのほうで、ハトリとサッズを交互に見ると、困惑したようにハトリに聞いた。
「どうしてそう思ったの?」
消極的肯定のような言葉だが、ハトリはあえてそこを突かずに答える。
「聞き込みの過程で、現れた竜は船を陸に上げるのが目的だったと思えたこと。僕達の目の前でそいつ、サッズが異常な力を見せたこと、それと船に穴を開けた張本人でそれについてお前から船が沈むだの言われてイライラしてたこと、その辺を考えてみるとそいつが竜なら全てが納得できたからだ」
かなり大雑把な推測だが、別に聞くだけなら問題になるような話題でもない。
聞かれたほうも不快になるほどの言いがかりでもなかった。
「なるほど、それで竜だったとしたらどうしたいの?」
「どうって、そうだな竜になって欲しいし、乗せて飛んで貰いたい。そんで竜に乗った歌唄いとして生涯その詩だけで食っていけるようになれるのが理想かな」
ハトリの希望を聞いて、ライカは首を傾げた。
「最後がわからないんだけどなんで竜に乗ったらその詩で暮らせるの?」
「そんなの当然だろ、他に竜に乗ったことのある歌唄いが居ないからさ。他に歌える者が居ない詩を持つというのは大きなアドバンテージだ。上手くすれば竜の詩歌いとして名が残る可能性もある」
ライカはますます理解しかねるといった風に眉をしかめる。
「乗せねーぞ、家族以外を乗せるか、バカが」
それまで黙っていたサッズが、ボソリと言った。
ハトリは興奮したように一人頷く。
「そうか、竜はプライドが高くて家族以外には触れさせない孤高の生き物なんだな。うん、いいぞ。それなら竜の姿を見せて貰えないかな、やはり本物を目にしないと描写に迫力が出ないからね」
「知らん。お前の言うことを聞いてやる義理はないだろ」
「船賃」
ハトリが小さく言った。
「あと、旅に必要な道具の補充も僕がしたよね。食事も奢ったっけ?」
「む」と、サッズは言葉に詰まる。
村に付いた時、腹ペコだった彼は三人の中で一番食べ、ハトリに負担を掛けたのだ。
「ちょっと待って。俺としては詩でサッズのことを広められると困るんだけど」
なんとなく押し負けているサッズをフォローする訳ではないが、ライカはハトリの希望に難色を示した。
竜が人の姿をして人間の間で暮らしている。
そんな話を果たして何人の人間が真に受けるかはわからないが、それでも本気にして探しだそうとする人間が出て来たら困ったことになるだろう。
サッズは元より、度々人間の世界に降りて買い物を楽しんでいるセルヌイにも害が及ぶかもしれない。
それにライカとサッズの名前が出れば、いつかその詩が本人達の元へと辿り着いてしまった時に疑いを抱かれる可能性もある。
ライカはそう考えて不安を覚えたのだ。
「お前たちの名前は出さないさ。そうだな、容貌とかもある程度誤魔化せばいいし、まあそいつの容姿だけは代替えが難しいからそのまま歌わせてもらうけど。そうそう、お前の方を女の子に変えるのはどうだ?色合いそのままでも性別が変われば誰も同一人物とは思わないぞ。そうだそうしよう!愛しき少女を守るために人界に降りたドラゴンの詩。いいぞ!ウケる!」
それはもう全然本人達とは関係ない話じゃないか?とライカは思ったが、賢明にも口には出さなかった。
ハトリの言う通り、その詩が広まった所でライカとサッズに関係があると思う者がいるとは考えられないからだ。
「そういう訳だから一度本来の姿に、っと、竜が本来の姿でいいんだよな?古い血筋に掛けられた呪いでそうなったとか言わないだろうな?いや、待て、それもなかなか面白い設定かもしれないな。ともかく竜の姿を一度見せてくれ。どうせここは街道からも外れてるし猟師もこの辺で狩りをしたりしないしな。他人に憚ることは無いぞ」
何か既に決まったことのように要請するハトリの勢いに、サッズは思わず頷いた。
そうして頷いてしまってから確認するようにライカを窺い見る。
「まあいいんじゃないかな?仕方ないし」
ということで、サッズは周囲を見回して、それなりに開けた場所へ行くと、もったいぶることもなく唐突にその姿を本来のものへと戻した。
「お、おお……」
ハトリは、自分から言い出したにもかかわらず、サッズの姿にどこか怯えたように後退る。
陽光に照らされて輝いているという訳ではなく、自らほんのりと光を纏った、昏い青の色の硬質な姿。
人にその考えを読ませない藍色の奥深いまなざし。
折り畳まれた翼は、長い尾を覆う程で、広げた時の大きさを想像させられた。
ハトリの知るよしもないが、実のところ、サッズはまだ幼体なので鱗が丸く全体のシルエットも柔らかめで威圧感に欠ける。
なので、これでも竜としては人間に与える畏怖はそれ程ではないのである。
エイムなどは姿形だけで意識を失う人間すらいそうなぐらい、他を威圧する見た目をしていた。
実際、小動物などエイムを見掛けただけでショック死するので、その気配を感じたら地に伏せて決して身動きをしない程だ。
ライカ理論では、中身がお馬鹿な程見掛けが怖いということになっている。
ちなみに、ライカが以前エイムにそれを言った時に、なぜか彼は喜んでいた。
「凄い」
サッズの竜体を見たハトリは、そう一言だけ呟くと、短くサッズに礼を言って人の姿に戻ってもらい、「もうちょっと先まで進もう」と、彼らを促して野営地候補を探せる場所まで進んだのであった。
― ◇ ◇ ◇ ―
「どうもあれ以来ハトリってサッズの顔をまともに見ないよね」
「別に怯えているという訳じゃなさそうだぞ。あいつの感情は複雑で訳がわからんがそれだけは確かだ」
樹上に一時の寝床を作り終えると、草を抜いた小さな空き地に穴を掘ってそこに火を起こした。
「石がある場所では石組みの炉を作って火を起こすんだ。遠目で火が見えないようにね」
ハトリの説明に、ライカは問いを返す。
「火って動物を寄せないためにも燃やすんじゃないの?」
「そういうのは人間と遭遇することが多い動物の話だ。あまり人間を知らない動物は珍しい物には興味を示す。闇の中でなんか燃えてればむしろ寄ってくるさ。それに何より怖いのは人間だ。盗賊共は煙や火を見て獲物を探す。夜なら煙はほとんど問題にならないけど、火の明かりは致命的だ」
「盗賊?」
「ああ、人間は狡猾だからな。絶対に油断してはいけない相手なのさ。まあここらは前にも言った通り人里が近い上に盗賊的に実入りが少ない場所だ。滅多なことでは出くわさないけどな」
火の燃える穴の上に被せるように刺して焼いていた根野菜と柔らかい木の芽を夕食にした後、二股の二本の枝を火を挟んでしっかりと固定し、その間に渡した太めの枝に鍋を掛けて湯を沸かす。
良く揉んだ甘がらの葉をそこに加えて茶の代わりにした。
「ちぇ、モリスがあれば一曲弾くんだけどな」
「モリスって?」
ハトリの悪態にライカが反応して聞き返す。
ハトリは面倒くさそうに応えた。
「楽器だよ、弦楽器。食後には数曲歌って語って踊って寝るのが僕らの流儀なんだ」
「へえ、それって楽器がないと駄目なの?」
「駄目じゃないけど、興が乗らない。せっかく特別な客がいるのにしんみりした詩とかやってられないよ」
「しんみりしない詩は無いの?」
「ああん?それは僕に対する挑戦か?いいぞ、乗ってやる。楽しい詩だな!」
ハトリは転がっていた姿勢からガバリと跳ね起きると、トントンと足で拍子を取って歌い出した。
それはおどけた詩だった。
若い男女が恋の勘違いの末に小さな村に大騒動を巻き起こすという内容だ。
若い男が「白い羽根のような無垢な娘が良い」と言えば、娘は鳥の羽をむしって服を仕立て、娘が「力こぶのある逞しい男が良い」と言えば、男は岩に頭突きをして頭にこぶを作った。
結局村人達は彼らを放っておくととんでもないことをしでかすと気づいて、無理やり結婚させるという顛末だ。
ライカは涙を流して笑い、サッズですら苦笑を零して詩を聴いた。
彼ら三人が共に旅に出て、最初の夜はそうやって過ぎたのだった。
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