第170話 川辺の歌

 リマニは二つの港を持つと言われる。

 川側の船着場と海側の船着場の事だ。

 しかし、規模で言えば川の側の船着場は海側に遥かに劣る。

 だが一方で、その活発性から言えば、川は海を遥かに凌ぐ交通の要所であった。

 大陸中央部、不戦の国エルデの王都に源流を持つその川は、昔からその水量と、またぐ国の多さから、経済的交流の拠点となっていたのだ。


 その、リマニの川側の船着場は、広い中洲に設けられている。

 幾多の桟橋がひしめくその場所には、川岸から大きな橋が渡されていて、橋の前には門が掛けられ、検問があった。

 検問で行われるのは主に逗留符の発行と廃棄だ。

 つまりこの小さな国にちゃんと入ったこと、出たことを確認されるのだ。

 この符の発行のための料金はこの場では徴収されないが、その費用は船賃に掛けられている。


「これって船着場にハトリが居なかったら俺たち中洲から動けなくなるってことだよね?」


 ライカがふと思いついたように呟いた。

 検問で、処罰として頑張って作った逗留符が簡単に廃棄されるのをなんとなく恨めしげに眺めながら、なんとなく思考がそこへ至ったのである。


「ん?なんでだ?」


 サッズが不思議そうに聞く。


「だって、俺達穴貨一枚無い状態だよ?」


 ちなみに穴貨とは銅貨の庶民的通称で、主に手元に無い時に使われる呼び名だ。

 銅貨には大体の場合穴が空いていることからそう呼ばれる。

 穴の無い物もあるのだが、通称としてその呼び名が通っているのだ。

 ライカ達は海賊に捕まった時に持ち物は一度全て取り上げられたのだが、その後無事事件が終わってから、ライカにとって大事な、タルカスのくれた物と祖父のくれた物、二種類のナイフだけはなんとか戻って来た。

 以前ライカが攫われた時にも無事に取り返せたので、宿った想いに依る所もおおいにあるのだろうとライカは思っている。

 タルカスのナイフに関しては、相手に対する呪いのような効果もある可能性はあるのだが。

 ただし、当然ともいえるが、金銭(主にサッズが持っていた)や金目の物(こちらもサッズが持っていた装飾品)は返って来なかったのだ。

 多分、海賊たちの酒にでも化けたのだろう。


 つまり、ライカとサッズは、今や何の誇張も無く、一銅貨カランたりともお金が無いのだ。


「なんで金が無いと動けなくなるんだ?」

「聞いただろ?次に逗留符を発行してもらうには船で貰う割符が必要で、それには船に乗らなきゃいけない。つまり行くにも戻るにも船に乗らなきゃならないってことさ」

「自力で泳いで行ったり、空を飛べばいいだけだろ?」

「それやって怒られたんじゃないか。もう忘れたの?」


 サッズはふむ、としばし考え。


「ああやって荷物を積んだ影に潜り込むとか」

「同じことだろ?そういうのは決まりを守らなきゃ色んな人が困るんだよ」


 川をゆったりと遡る大型の細葉船にはそれこそ山と荷物が積まれている。

 元々喫水のごく浅い船なので、重さで船縁と水面がほぼ同じぐらいにまで下がっていて、見ている側としては少し怖いぐらいだが、二人の船頭は気にする様子もなく船を進めていた。


「面倒だな」


 理屈を飲み込んだのか否か、サッズはぽつりと零す。


「人間の世界は、それぞれ考えの違う人達が一緒に暮らすために決まりが必要なんだよ。みんなそれぞれ価値観なんて違うだろうし」

「一緒に暮らさなきゃいいだろ?」

「群れを作る習性なんだから仕方ないだろ?」

「面倒だ」


 ライカの言い分に、サッズはまたも同じ言葉を口にしたのだった。


 どこの検問所の前でも同じだが、検問待ちや逗留符の出来上がるのを待つための人々が思い思いに過ごす広場のような場所があり、そこでは物売りがここぞとばかりに食べ物飲み物を売り歩いている。

 空腹の人間にはなかなかに誘惑が多い場所ではあった。

 そしてそれは、金無しの二人には少々酷ですらある。


 昨夜はヴェント達の廃材小屋に泊まらせて貰った二人だったが、流石に朝食まで誰かの分を奪う気にはならず、勧められるのを固辞して別れて来た。

 逞しい彼らには元気を貰ったが、だからといって腹が膨れる訳でもない。

 正直に言うと、ライカはかなり空腹だったし、サッズも元気が無さそうだった。


「お腹空いたね」

「普通は川が流れていれば大量のエールがあるはずなんだが、ここの川は少ないな」


 サッズはどちらかというと人間の食物からよりも、そういう場所で生命の元を直接吸収するほうが効率良くエネルギーを補給出来るのだが、そこに滔々と流れる大川の水は、赤茶に濁っていて命の元たるエールの含有量が少ない。

 おかげでサッズは、実はライカ以上に飢えていると言っていい状態だった。

 その気になれば何年も飲まず食わずで眠り続けることも出来る竜族ではあるが、サッズはまだ雛なので成長のためのエネルギーを大量に必要とするのだ。


「大丈夫?どうしようもない場合は狩りをしようか?狩りをして食事をしてからまた戻って来れば決まりを破ったことにはならないだろうし」


 ライカが気遣うが、サッズはふんとばかりに鼻息で一蹴する。


「そんな心配よりあの歌唄いを探す方が先じゃないのか?」

「うわ、サッズがまともなことを言ったよ。何か異常事態が起こらなければいいなあ」

「それはどんな心配だよ!俺がまともだと変ってことか!……ん?あっ!そういうことなんだな?ライカ、お前俺をどういう目で見てるんだ!」


 サッズは考えた挙句、あまりな結論に至ってライカに文句を言った。

 とは言え、ライカがそれで恐れ入る訳も遠慮する訳もない。


「日頃の行いだよ、サッズ。個々の持つ本質ってのはそう変わる物じゃないからね、日頃の行いの積み重ねで俺はサッズを判断しているだけさ」

「なんだそのセルヌイ譲りの理屈は?お前口調もあいつに似てきてるぞ、やめとけ!碌なことは無いからな」

「サッズ、酷い」


 親と本人を一緒くたに貶める発言に、ライカは文句を言う。

 しかし、ジトッとした目で見やるライカにサッズは言い放った。


「事実だろ、モテナイ病が感染るぞ」

「モテナイ病って、それは流石にセルヌイが可哀想だろ」


 言葉とは裏腹にクスクス笑い出すライカに、サッズもニヤリと笑ってみせる。


「日頃の行いだろ」


 この世界の隙間に在る近くて遠い場所で、一頭の白い竜がその時くしゃみをしたとかしなかったとかは、きっと誰も知らない。


 ハトリの居場所はすぐに知れた。

 橋を渡った所にある広場(対岸の広場と機能的には同じような場所)で、詩を歌っていたのだ。


「闇の中の闇、夜より暗いその竜はその翼を広げ、眼下の矮小な海賊共を睥睨した。


    『愚かなり、悪逆の徒。魔物を操り海を汚せしその汚物まみれの魂を消滅させるがよい!』


   その時、空に走った白銀の光は海賊の船を魔物ごと吹き飛ばし、憐れ空を錐揉みながら飛びし船は、軽々とリマニの森に投げ出される。


  かくして女神の御手は差し伸ばされ、幼き子らは母の胸へと帰郷したのだ」


 歌い終わった彼の元へ、少なくない銅貨や驚くべき事に銀貨が投げ出される。

 人々は歓声を上げ、女性の中には涙ぐむ者までいた。


「凄い、歌でお金を稼ぐのか。上手いはずだよね」


 ライカは感心したように言い。

 一方でサッズは胡散臭げにハトリを見た。


「あいつ、今何か変な歌を歌ってなかったか?人間の歌は相変わらずよくわからないが、何か有り得なさそうな話が語られていた気がするぞ。竜が銀色の光を放ってなんで船が飛ぶんだ?」


 そのハトリは、愛想良く微笑みながら足元に散らばった金を回収し、改めて優雅に腰を屈めて見せている。

 それを合図とするかのように人々が散っていくのを見計らって、ライカとサッズは彼に近づいた。


「ハトリ!」


 呼び掛けに振り向いたハトリは、それまでの柔らかな笑みを消すと、それに変えて、口元をくいっと上げたどこかふてぶてしい笑みを見せる。


「お、ライカ、それにえっとサッズだったかな?来たんだ」


 ぴくりとサッズの片眉が上がり、口元が吊り上がった。


「お前に名前を呼ぶ許しを出した覚えはないぞ」


 空気が実際にひやりと冷たくなり、ライカは慌てて二人を取り成した。


「あ、悪い、その名前は家族専用なんだ。良かったらサックって呼んであげて?」


 一瞬、ハトリは目を瞬かせると、ぷっと吹き出す。


「欠け茶碗サックね。うん、それはなんというか刺激的な組み合わせだな」

「てめえが何言ってるかさっぱりわからねえよ」


 威圧は止めたものの、サッズは不機嫌な口調で反応する。


(なんでいきなり空気が悪いの?)


 二人の間でライカは一人頭を抱えるのであった。

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