第169話 相容れない者達の輪舞

 朝。

 といってもまだ日の出のかなり前、最も闇が深い頃にライカは目を覚ました。

 塗り潰されたような闇。一寸の光も無いその中では、いくら夜目の利くライカでも何一つ形の判別などつかない。

 だが、光に照らして存在を見る人の視力ではなく、存在そのものの発する『形』を見る第二の視覚ならば、物の判別には何の問題もなかった。


 ライカがこんな時間に目が覚めたのは、輪で繋がったサッズが移動したからであり、サッズがほとんど寝ていないのを察知していたからだ。

 こんな風に他人が密集している中で、排他的な性質のサッズに寝ろというほうが無理があったが、だからといって金銭を失った彼らに宿を選ぶことが出来るはずもなく、一息吐けるという意味ではヴェント達の好意は有り難かった。


 それに、と、ライカは思う。

 彼らの暮らしの一端を垣間見たのも、ライカにとっては意味のあることのような気がした。

 元は他人同士が家族のように過ごしている在り様はライカ達の育った環境を思い起こさせもして、どこか郷愁じみた想いも沸き起こる。

 サッズにしてもおそらくは似た想いがあるのだろう。

 文句があれば隠すことなどしないサッズが、嫌な顔もせずにここにいたのは、決して自分を休ませるためだけに無理をした結果では無いのだろうとライカは考えていた。


 第二の視界は物の存在する力を映す。

 固まって寝ている子供達は、生命力に溢れ輝いていたが、その一方でその色合いは少し濁っている。

 こういう環境で十全にとはいかないのは当然であるし、その辺りは仕方の無いことなのだろう。

 濁っているからどこかが悪いとも言えない。

 それは単にどのくらいの強さで存在しているか?というだけの話なのだ。


 諸々の人や物を避けてサッズを追って外に出たライカは空を仰いだ。

 月は既に空には無い。

 星は冴え冴えと光を夜空にちりばめていたが、その光が地上を照らすことはなく、立ち込める闇は相変わらずだった。

 ライカにとって第二の視界は集中力を必要とするもので、移動しながら維持するのは結構辛い。

 人としての通常の視界と瞬間的に切り替えながらならばそうでもないが、それだけに頼ると、世界がくらりと歪むような、目眩に似た違和感が時折あるのだ。


 キョキョキョと、夜に啼く鳥のような声がどこからともなく響く。

 ライカはほぼ反射的に同じように啼き返すと、その声を追って道を辿った。

 その啼き交わしの意味を人の言葉で言い表すのは困難だが、『ここにいるけど気にするな』と『何か用がある?』というような意味合いを混ぜたようなものとなる。

 人間にとっては相反するような意味が混ざるということが理解出来ないだろうが、竜にとっては様々な意味が二重三重に重なるのは普通のことだ。

 もちろん、離れた場所からライカの気配を察して最初にそれを発したのはサッズで、ライカはそれに応えたのだ。


 潮の香りと打ち付ける波の音が強くなり、ライカは自分が辿る道が海岸線に近づいていることを知る。

 実を言うと、海自体は第二の目で捉えるのは非常に困難だった。

 水と大気の存在は酷く似ていて、互いに溶け込むように巡っている。

 その胎内に無数の生命を乗せて絶えず同じ動きを繰り返すからこそ、ようやくそこが海だとわかるのだ。


『眠れなかった?』


 佇んでいるサッズに、ライカはそう心声こえで問い掛けた。

 海岸近くにはもう灯を掲げて作業する人の姿もあったので、ライカはあえて心声を使ったのである。


『休みはした。だが、とにかくここはどこもかしこも酷い臭いだらけで辟易してる』


 ライカは笑った。


『それは仕方ないね、沢山の人と海からの収穫、臭いっていうのは存在そのものでもあるし、それが混ざっちゃってもっと混沌になってるんだろう』

『とにかく人間ってのはどこでも多すぎるぐらい群れてるな。そういう生き物なんだろうけど』

『一人だと出来ることが少ないから、お互いに補い合って生きるほうが好きなんだよ、きっと』

『それはいいが、人間は在り方が雑多すぎる。だから集団になると臭いんだ』

『あはは』


 港の脇の少し小高くなっている大きな岩の上、ライカはサッズの傍らに座った。

 潮風がねっとりとした空気を運んで来る。

 しばしの無言の時間を過ごし、ライカはやや唐突に話を切り出した。


『あのさ、メロウ族と人とが関わって、そうして起こったのは結局酷いことだったね。昔、彼女と伴侶の誓いをしたいって言った俺にみんながそう言ったようにさ』


 今まで決して話題にするなと言われていたライカの初恋の話を本人自身から比喩的に出されて、サッズは困惑した。


『う~ん、まあアレとお前の話とはまた違うけどな』


 恐る恐る、サッズはライカの様子を窺う。


『そうかな、結局は生きる環境と生きる時間が違う者同士は相容れないってことだろ?』


 サッズは語るライカをちらりと見ると、困ったように言葉を濁した。


『上手く行く場合もあるかもしれないけどな』


 ライカは笑ってみせる。


『別に、あの時だって、俺は本当はわかってたんだと思うよ。彼女と一緒にいられるのはほんのひと時だけだってね。ただ、それでも、俺は子供だったし、無駄に過ぎてしまう年月を惜しむ気持ちは無かったんだ。でもだからこそ、きっと、あの時に思い知ったんだと思う』


 ライカは膝を抱えると、その上に顎を乗せ、見えない海を見据えた。


『俺はその時まで、全然疑ってすらいなかった。俺は人間でみんなは竜だけど、家族なんだから何も変わらないんだって』

『それはそうだろ、お前が何であろうと家族の一員であることとは全く関係ない話だし』


 サッズは戸惑ったように首を傾げる。

 ライカの第二の視界の中で、竜であるサッズの本質を表わす夜空に煌めく星よりも強い輝きの渦巻く光が、不思議そうに揺らいだ。


『それはきっと違うんだよ、サッズ。もし、俺があのままあの里でみんなと暮して、みんなにとってはほんのひと時の、俺が俺である時間を終えたら、みんなは思ったりしないかな?俺が人として生きられなかったのは自分達のせいだって』

『え?』


 意表を突かれたように声を上げ、サッズは言葉を続けられずに沈黙を返す。


『命はより高く巡ることを望む。だから輪の先端は必ず先を向いているのだ。って、タルカスは俺にそう教えてくれた。だから先へと進まなかった俺をみんなはきっと憐れむんじゃないかな』


 ライカの静かな視線を感じて、サッズはどこか落ち着かなげに身じろいだ。


『ま、待て、俺には難しいことはわからないが、憐れむってことは無いんじゃないか?先へ進んでないのはエイムも同じだろ、むしろあいつの方が酷い』


 サッズはついつい話を逸らしてしまった。


『エイム……早くお嫁さん見つけるといいのに』


 その心を知ってか知らずか、ライカはその流れに乗る。


『その前に巣立ちだろ、あいつの駄目っぷりは今更だけどな。あ、そういえば』

『どうしたの?』

『エイムのやつ、王都のお姫様に求愛するって言ってたぞ』

『フィゼ?彼女凄くプライドが高いけど大丈夫かな?最初は地面を転げまわるぐらい低姿勢でいかないと上手くいかなさそうな気がするけど、エイムって無駄にプライド高いよね』

『なるほど、最初は這いつくばるぐらいの覚悟でいかなきゃならんのか、女は難しいな』

『サッズ?』


 ライカは思いっきり怪しむようにサッズを窺う。

 その視線の先で、すっかり元々の話を忘れて自分の世界に入ったサッズは、片手をグッと握りしめて、次に訪れるであろう恋愛本戦への決意を新たにしていた。


『サッズ、わかってはいたけど、やっぱり振られたんだね。でも、怪我が無くてなによりだったよ』


 竜同士の求愛は通常命がけなのだ。


『ち、違うぞ!俺の場合は雛だったから相手にされなかっただけで、断じて振られてはいない』


 それはそれでどうだろう?というような言い訳をしたサッズに、ライカは彼のほうこそが憐れむような目を向ける。


『うん、そういうことにしておくよ』

『だから、違うって言ってるだろうが!聞けよ』


 少しずつ空を光が満たして行く。

 港はすっかり起き出して、多くの人が忙しげに働いていた。


「何もしないよりは何かをしたほうがずっといいんだよ、きっと」


 ライカは声に出してそう呟く。

 相容れないことを嘆くよりも、互いの存在を誇れるように生きるべきだという結論に至った自分の想いを、ライカは今も信じている。

 だが、同時に、あのメロウの少女との小さな恋から生じた一連の事柄に対する心の痛みは決して忘れることはないだろうとも思っていた。


「だからさ、次は上手くいくよ、サッズ」

「いやいや、こないだも失敗はしてないから、本当に」

「うん、大丈夫、大丈夫」

「ライカ、こら、お前、ちょっときけよ!」


 ライカは、普通に人の視覚で見えるようになった景色を、どこか新鮮な気持ちで眺めながら、一晩身を寄せさせてもらった廃棄小屋の子供達の元へと戻るべく、必死に言い募るサッズを引き連れて、光の下で初めて目にする元来た道を新鮮な気持ちで辿るのだった。 

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