第168話 打ち棄てられた小さな場所で

 薄汚れた場所。

 その一帯は、言葉にしてしまえばたったそれだけで済むような場所ではあったが、そこに住まう者からすれば、通りごとに、ひと角ごとに全てに違いがあるのだろう。

 表が華やかな商売の街であればこそ、その裏にひっそりと佇む貧民街の暗さは際立っていた。

 様々な戦いの敗者、全てに疲れた者、だが、そしてそんな場所だからこそ諦めないで逞しく生きる者もまた、意外な程に存在するものだ。

 沈む太陽の残光の中、これらの貧しい家々ではほとんどの場合既に夕餉は終わっている。

 彼らにとっては、これから暗くなるまでの僅かな時間のみが唯一心休まる時間でもあった。


「あ、ヴェントだ!ロレッタ姉も!」


 ずっと漂っていた腐った魚の臭いが、ここに来て何か更に複雑な異臭に覆われ、むしろ個々の臭いが気にならなくなるという驚くべき変化を起こし、下手に敏感だからこそ臭気によってダメージを受けていたライカを不思議がらせた。

 サッズはと言えば、最近すっかり得意になった間に空気の層を重ねて臭気を濾すという技能を使って耐えている。

 といっても元々細かいことの苦手な竜族なので、例の海賊船の漕ぎ手がいたような、臭いが澱み過ぎて毒よりもむしろ酷いという状態になるとほぼ意味がなくなる工夫ではあった。


 彼らの目的地には、そこまでの道程にあった寄せ集めの家々よりも、むしろ頑丈さで見れば上ではないかと思われる小屋がぽつんと建っている。

 周辺には色々な廃材や廃棄物等が積み上げられているらしいのだが、暗さもあってそれぞれの形はわかり辛かった。

 ただ、船らしき形が影として浮かび上がっていて、港街らしいというか、こんな物も捨ててあるのかという軽い驚きを感じさせる。

 廃棄小屋には四方の内一方の壁が丸々無く、外から中が丸見えであったが、ガラクタやボロ布やらで仕切りをして、そこに人が住んでいるという生活感を見せていた。

 中と外、その両方に見える子供の数は、驚くぐらい多い。

 下手をすると海賊の檻に捕まっていた数よりずっと多いだろう。

 それはこの小さな小屋に入りきるのかと心配になるぐらいだ。


「ただいま、みんなちゃんとお仕事やってた?」


 ロレッタが、駆け寄ってきた子供達を抱き締めたり撫でたりしながらそれぞれに自分達の居なかった間のことを尋ねる。

 伝言で先に無事を知らせてはいても、色々と調べられたせいですぐにここには戻れなかったのだ。


「ヴェント、聞いてくれよ!昨日、ズアクの野郎が大量の腐り魚を投棄して行きやがったんだぜ!俺達みんなで一日掛かりでやっと埋めたよ!」


 いかにも憤った声で、他の子よりも大きい男の子が、ロレッタの元ではなくヴェントのほうへとやって来てまくし立てた。


「そりゃあ勘弁してやれよ、それだけ売れ残ったってことだ。やっこさん今頃酒が飲めずにのたうち回ってるはずだ」

「違いねぇや!」


 憤りが笑いに変わり、少年はヴェントを引っ張って誘導する。

 そのついでとばかりにライカとサッズを見て、特にぎょっとしたようにサッズを眺めたが、あえて何かを言及したりはしなかった。

 ライカとサッズの存在に全員気づいていて、それぞれに二人を覗っている雰囲気はあるのだが、誰もが積極的に意識を向けようともしない。

 そんな中、一番に声を掛けて来たのは、本当に小さな女の子だった。

 ミーテよりも更に下、やっと歩いているという感じの小ささだ。


「おにいちゃん達、しんいりさんなの?」


 細い体でよろよろと、しかししっかりと近づいて、ライカに触れ、それから恥ずかしそうにサッズを覗き見る。


「お前もう色気づいたのか?残念ながらお客だよ。海賊船の檻の中で一緒に過ごしたよしみで泊めてやることにした宿なし野郎達だ」


 ヴェントの説明に、子供たちのどこか遠慮がちだった注目が一気に堰を切り、口々に喋り出した言葉が鳥のさえずりのように響き渡った。


「海賊すげえ!」

「兄貴かいぞくやっつけたのかよ!」

「おにいちゃんとおねえちゃんがお世話になりました」

「寂しかったよおおおお!」

「お前、いつもえばってるのにかいぞくごときに捕まるとはどういう了見だ?」

「アンタ達つよいの?」

「にいちゃん!その髪触っていい?うおおお!さらさらだぜ!」


 元々の住人の二人は慣れたものだが、ライカとサッズにはこの一斉攻撃は対処不能だった。

 ライカはセヌの所で子供達と過ごしたことはあるものの、あの場ではセヌの統率力がずば抜けていたため、一定以上の負担をライカに掛けないように子供達をコントロールしてくれていたので、ライカが必要以上に疲れるような事態は無かったのである。

 しかし、ここの子供達は自由奔放であった。

 よじ登られて髪を引っ張られたサッズは、怒っていいかどうかわからずに、彼としては珍しいことに硬直してしまっている。

 しかも無言で突進を繰り返す子供がいたりして、下手に身動きが取れない。


 そんな中、突如、パンパンと手を叩く音が響いた。


「はいはい、アンタ達時間が無いんだからいい加減にしなよ!ところで食事はどうなってるの?」


 ロレッタが手を叩いて注目を集めて、子供達に仕事を割り振り始める。

 その間に、ヴェントは子供達の間をすり抜けると、小屋の奥へと入って行った。


「俺は食事はいらん。もう寝る。そいつらに何か食わせて適度に転がしておけ」

「もう、勝手なんだから!」


 そんなヴェントの態度にも、皆慣れているのか別に騒ぐことなくそれぞれの配置について動き出す。


「あんた達は水汲んで来てくれない?」


 突っ立っているのは許さないとばかりに、ロレッタはライカとサッズにも仕事を振った。


「いいけど、井戸の場所を知らないよ?」

「ここいらには井戸は無いよ。川の水を汲むか溜め瓶の水を使うのさ」

「溜め甁?」


 ロレッタの説明にライカが首を傾げると、ロレッタは軒下の地面を指して見せた。


「そこに口だけ出た甁に木蓋がしてあるだろ?あれに雨水を溜めてるのさ、それを使うんだ」


 ほら、と渡されたのは上半分にヒビが入った樽である。中に柄杓のような物も突っ込んであった。

 ライカはサッズに樽を持たせると、地面に埋まった甁の蓋を取る。

 口は小さめだが本体はそこそこ大きいらしい甁の中に、半分より少ないぐらい水が溜まっていた。

 汲み出した水は少し緑がかっていて、苔の匂いがする。

 樽のヒビに届かない程度に水を入れ、丁寧に蓋を戻した。


「あ~あ、水も随分悪くなって来たなあ、早く雨が降ってくれるといいんだけど」


 数日前の嵐が肩透かしだったため、あまり水が溜まらなかったらしい。

 迷惑な部分も多い嵐だが、雨の恵みというありがたさの一面もあるのだ。

 ぼやきながらサッズからその水樽を受け取ると、ロレッタはその水を布で濾して、何かの造形物の一部を剥いだような金属片で焼いていたいくつかの塊の上から注ぎ込む。

 じゅうという音を僅かに発して塊は解け、それをそのまましばし煮込んだ。

 出来上がる頃にはすっかり暗くなってしまったが、料理の残り火の回りでみんなで食事を摂りながら、子供達は賑やかに話を続ける。

 料理はどろりとした土臭いスープで、味はほとんどなかったが、少し粘り気があるので、思いの外喉越しがよかった。


「なーなー、かいぞく強かった?」

「ね、ヴェント泣いてなかった?こっそり教えて!」

「お前さ、ロレッタ姉ちゃんどう思う?いや、駄目だぞ、ヴェント兄ちゃんが泣くからな」


 賑やかという状態を通り越して騒々しいという段階だが、不思議とライカはそれをうるさいとは感じなかった。

 サッズは海賊相手だと全く見せなかった弱音を見せて、しきりにライカに目で合図を送ってくるが、ライカはそれを丸々無視する。

 なにしろサッズは小さい子達にに文字通りたかられていて、頭や肩や膝に張り付かれているのだ。

 ライカとしては『どうすることが出来る?無理だろ?』という意思を送ることしか出来なかったのである。

 サッズからは酷く絶望的な顔を向けられたが、無理なものは無理なのだ。


「酷い所だと思った?」


 ロレッタがちょっと恥ずかしそうにライカに聞いた。


「賑やかだなと思った」

「確かに、賑やかだよね」


 ロレッタはプフッと笑うと、サッズをちらりと見て、また笑う。


「寝るとこなんだけどさ、一応男女に分けてるんだけど、こう、頭と足を交互に並べる感じでぎゅうぎゅう詰めで寝るんだけど、平気?」

「初めての経験だからやってみないとわからないな」

「そうだよね」


 そしてまた笑う。


「よその人からみたらきっと酷いところなんだろうなってわかってるんだ。でもさ、あたし、やっと帰ってこれたってほっとしちゃった」

「うん、みんな嬉しそうだったね」


 暗い中、ロレッタが顔を伏せるのが見える。

 ライカは夜目が利くせいで、その目から零れた物まで見てしまい、少し慌てた。


「そうそう、ヴェントが先に寝てるからさ、みんなで上に乗ってぎゅうぎゅうの刑にしちゃってよ」


 だが、ロレッタは気づかれたとは思わずに、なんでもないように明るく言葉を継いだ。


「それって危なくない?」

「みんな慣れてるから加減がわかってるんで大丈夫だよ」

「じゃあ、俺はそれを眺める役でいいや」

「あ、いいな眺める役、あたしも混ざっちゃおうかな」

「真っ暗で見えないけどね」

「そうだね」


 二人は笑い声を上げる。


 ライカは少し考えて、ひっそりと小声で言った。


「ヴェント、俺達のためにご飯を譲ったんだよね」


 ロレッタは少し息を飲むと、くすっと笑った。


「バレバレ?」

「うん、バレバレ」


 楽しそうに笑い転げる二人に、周囲の子供達が何やらそれぞれ言いながら、群がるように集まって来る。


 狭く薄汚い廃棄小屋の夜は、そうやって賑やかに更けていったのだった。

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