第165話 穏やかな朝

「ヘマをしたな、大幅な失点だ。取り返すのは難しいぞ」


 磨き抜かれた分厚く幅広な机の向こうで椅子に背を預けてふんぞり返って座る男。

 その口元に浮かぶ笑みは冷淡にも暖かくも見えるという捉え難さを他人に与える。

 一言で言えば、『得体のしれない男』だった。


「失敗しない奴に真の成功は無いって言ってたのはあんただろ?まあ見てなって、いずれ俺が居なきゃ何も回らないって言われるようにしてみせるさ」


 年齢で言えば二十も上の相手、身分で言えば本来口を利くにも許可がいる相手だ。

 下手な言葉一つで少年の取るに足りない存在など消し飛ばしてしまえるだろう相手に、しかしヴェントは全く悪びれる様子も無く堂々と相対していた。

 それはまるで対等な交渉相手にするような、不遜という言葉の見本のような態度である。


「そういう態度がまだまだなんだよお前は。まあ、ガキに腹芸をしろってのが無理なのかもしれないがな」

「偉くなったら覚えるさ」

「せいぜい期待しているぞ、早く偉くなって俺を自由にしてくれると有り難い」

「バカ言え!俺が国主になっても死ぬまでこき使ってやるからな!」


 ヴェントの言葉に、この国の現国主ジラソーレは、今度こそひやりとするような笑みを浮かべた。


「おいおい、商会頭のじいさま連中と似たようなことを言うんじゃないぞ?俺はこう見えて、けっこう気が短いんだからな」

「けっ、気が短い奴に国主なんか務まるもんか、寝言は寝てる時に言いやがれ!」


 いわば脅迫じみた言葉に堂々と反抗して、ヴェントは上等の長椅子にふんぞり返った。


「いや、ヴェント。心からの忠告だがな、いい加減態度を改めないと、うちの姫君がお前を夜の海にばら撒くことになるかもしれないぞ」


 ヴェントは一瞬、ジラソーレの机の横に存在感を消して佇む補佐官のサーリチェをちらりと見て、表情を強ばらせ、凍りついたような動きできちんと座り直し、改めてジラソーレに対する。


「我が主、数々の無礼をお許しください」

「やめろ、今ちょっと悲しくなったから」


 そんな二人のやり取りに、話題に出されたからか、それともいい加減我慢が出来なくなったのか、サーリチェが口を挟んだ。


「お二方、このままいたずらに予定を狂わせるおつもりなら、戯言ではなく、真実の意味で痛い目を見ていただくことになりますよ」


 ひゅっと、男二人が息を飲む音が滑稽な程大きく響き、彼らは顔を見合わせてニヤリと笑う。


「さて、場を和ませる心温まる会話もいいが、そろそろ本題に入ろう。討伐隊、海賊共に主張している例の件だが、真実か?」

「でけぇ竜が出てきて船ごと吹き飛ばされたって話か?こんな場所で口にすると途端にいかがわしくなる内容だけどな、まあ本当だよ」

「そうか」


 言葉と共に、場の空気が引き締められる。

 ジラソーレの目に、どこか硬く冷たい、戦う者の色合いが浮かんだ。


「ソレは、この国に仇なすモノだと思うか?」


 ヴェントは、彼には珍しく、少し困惑したようにため息を吐くと、答える。


「う~ん、なんていうか、それはさ、沖に見える鯨を指して、『あれは船にぶつかるか?』って聞かれるようなもんだぜ」


 ジラソーレはその答えに目を丸くした。


「それは、相手は明確な意志を持って人間を攻撃しないという意味と取っていいのかな?」

「ていうかさ、『だからどうした?わかってたってどうにもなんねぇだろうし、俺にわかる訳が無いだろう!』ってこと」


 つまりはお手上げという意味だ。

 それを聞いて、ジラソーレは軽く笑うと、頷いて立ち上がる。

 窓を覆う覆い布を端に巻き取り、外の光を室内に取り入れた。


「確かに、人の手に余る存在は嵐と同じだ。その心、計れようはずもなし。か」


 一方のヴェントは、ジラソーレ程に突き放して考えることは無理だった。


(まさか人間と同じ姿をした竜がいるなんて言えねぇしな。そんな話、口に出しただけで俺の将来が終わっちまうよ)


 超然として、結局直接彼らに関わらなかった、現実離れした美貌の少年の姿を思い浮かべる。

 そのひやりとしたまなざしで一瞥された時のことを思い出すだけで、冷たい汗がどっと噴き出るのをヴェントは感じた。


「あいつら、何なんだろうな、ほんと」

 

 ― ◇ ◇ ◇ ―


 深夜に保護された子供達は、当たり前だが海賊達と一緒にしておくことは出来ないという理由で、捜索依頼を出していたスーシャハニレア、愛称セニアの父の店であるデッサン商会に一時預かりとなった。

 国を跨いだ商売をしているこの商会は、そこそこ大きな店舗と倉庫を持っていて、子供の十人程度を収容することぐらい容易かったし、何より、そのセニアが父に強くお願いしたからでもある。


「お父様、セニアはみなさんにとても助けていただいたのです。私が今度は助けてさしあげねばいけません」


 やっと手元に戻った小さく愛らしい一人娘から懇願されて頷かない親がいるとしたら、その親は子供を愛していないに違い無い。


 苦難を共にした少年少女達は、この夜、高価な寝具の柔らかさに包まれて眠ることとなった。

 全員が疲れ果てていたので、何も考えずにこの待遇を受け入れたが、目覚めた時にはすっかりそれを忘れていて、一様に驚き慌てることとなる。

 そして、自分の境遇を理解したほとんどの子供達は二度寝を選んだ。


 目覚めてすぐに、惜しげもなくこの待遇を後にしたのは、国主の『耳目』として報告義務を持つヴェントと、自らの一座がどうしているのかを一刻も早く知りたいハトリの二人。

 彼らは挨拶もそこそこに足早にその場を去っていた。


 残された組にも二度寝をしなかった者がいる。

 ライカとサッズの二人だ。

 元々そう疲れた訳でもなく、他人がいる所で寝るのに抵抗があるサッズと、その身に宿る竜血のせいで怪我や疲労の回復が早いライカは、睡眠より好奇心を満たすことを選んだ。


「ライカ、折れてた骨はどうだ?」


 痛みというものが理解出来ないなりに、いや、だからこそ、人間である弟の痛みに敏感なサッズは、気になっていたことを尋ねる。


「あ、うん、もう痛くは無いかな?ちょっとむず痒い感じ」


 ライカは胸の辺りをさすると、自分の調子を確認して、少し左右に体をひねってみる。


「そうか、でもまだあんまり無理するなよ」

「うん、ありがとう」


 ライカはそう言って笑ってみせると、足元の敷き布団に興味を移した。

 普通、寝具であるベッドは、枠に敷き藁等を敷き詰め、その上に敷き布を敷いて、端を枠木に嵌めこんで使う。

 貧しい者はベッドなどないので、地面にそのまま敷き布を敷いて横たわる。

 だが、今置かれている寝具は、ベッドでは無いのに厚みがある布の塊が敷かれていて、その内部は藁とは違う手触りで匂いも違った。

 包み込んでいる布の織り目が精緻で、隙間が少なく、中に詰められている物が何なのか直接見ることは出来ないが、ライカはそれを押したり叩いたりして感触を確かめてみる。


「柔らかいけど匂いが無い。動物の毛じゃないよね?」

「ああ、微かに植物っぽい匂いがするぞ」

「なんだろう?ふわふわするな」

「それは綿ですよ」


 二人の様子を見ていたのか、何かを手にした女性が少し笑いながらライカの疑問に答えた。


「綿?あ、聞いた事がある!糸を作るのに使う植物ですよね!」

「そうですよ、博識なのですね」

「いえ、あ、何か運ぶのなら手伝いましょうか?それともみんなを起こします?」


 女性が何か重量のある桶のような物を下げているのに気づき、ライカは食事かそれに類するものだろうと判断して申し出る。


「助かります。それではみなさんを起こしていただけますか?少し可哀想ですけど」


 微笑んで、傍らの長テーブルに手に持った荷物を置くと、女性は一人の子供の顔を見て、言葉で表現し難い表情をみせた。

 その子供はセニアである。

 まだ数えで七歳である少女は、子供特有の柔らかい髪を額に貼り付け、時折びくっと体を強ばらせていたが、女性の手が優しくその髪を退けてやると、どこか安心したように微笑みを浮かべた。

 本来、家に帰って来たのだから自分の家族の所で寝ればよかったのだが、セニアが皆と、というよりミーテと一緒に寝ることを譲らなかったのだ。


「あの、もしかしてセニアのお母さんですか?」


 亜麻色の髪と紫の瞳、色合いも雰囲気もなんとなく似ている。

 最近人間を見分けることに自信を持ってきたライカは、意を決して聞いてみた。


「ええ、うちの子がお世話になったみたいで、本当にありがとうございます」


 彼女の目の端には零れ落ちる寸前の涙がある。

 ライカは、治ったはずの胸に小さな痛みを覚えて戸惑った。


「いえ、俺は何も、どっちかというとお世話になったほうで、あ、これ、顔が腫れた時に水で濡らして冷やすようにって貸してくれたんです。汚しちゃったままですけど」

「まあ、この子がそんなことを?」

「ええ、本当に助かりました。ありがとうございます」


 ライカの手渡した布をギュッと握り締めると、女性はふわりと腰を沈めて片足を引く。

 見慣れない動作だが、どうやらそれは礼の一種だろうと、ライカは思った。

 そしてそれは自分ではなく、何か別の運命のようなものに対する礼なのではないか?と考える。


「さあ、朝の乳湯が冷めない内にみんなを起こしてしまいましょう」


 頷いたライカは、渋るサッズを伴って、疲れて寝ている子供達を寝具から引きずり出すという、想像以上に困難な仕事をこなしたのだった。

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