第166話 次への一歩

 子供達が落ち着いた所で一人一人に事情の確認が行われた。

 といっても、相手はほとんどが五歳前後の子供、その上しばらく監禁されていたとなれば、その内容も基本的な確認だけに終始することとなる。

 それも、場所が当の被害者の家族の所有する家であり、しかもその家族は立場的にある程度行政に影響を及ぼせる力を持っているというのだから、下手に刺激も出来ない。

 聞き取りが少しでも子供達の負担になると思われれば即、中断されることが前もって約束されていた。


「どちらかというと身元を調べて家族に引き渡すための下準備といったほうがいいでしょうな」


 派遣されて来たのは兵隊ではなく、ごく一般的な装いの役人で、しかも柔和な顔の人当たりのよさそうな男だ。

 その人選だけでも国側の気の使いようが見て取れる。


 なにしろこの国は領地は僅かで人口も中規模の街程度、水上交通の要所であり、商業的な利便性の元に大きな利益を上げて無ければたちまち立ち行かなくなるのは、誰の目にも明らかな小国なのだ。

 とうてい大手の商家を敵に回す訳にはいかない事情がある。


「それでは子供達は親元にちゃんと引き取られるのですね?私達が届け出た時には正式な捜索依頼を出しているのは我が家だけと聞きましたが」


 子供達の世話を見ている内にある程度の情が移ったのか、セニアの母であるソワニェイアは気遣わしげに眉を寄せた。

 明らかにこの近隣に住む者達と造りの違う顔立ちと、この辺りではほとんど見ない紫の透き通るような色合いの瞳が、昔話の中の妖精ダァーナを思わせて、対する人間に僅かな畏怖を抱かせる。

 この役人もその例に漏れず、少し上ずったような声での返答となった。


「正式な届けには謝礼金の供出が必須ですから、一般以下の家庭にはなかなかに難しいのです。ですが、そういう者達のために自警団要望というものがありまして。行方不明の者はこちらに届けておくと発見された時に申請者に連絡が行くようになっております」


 その代わり積極的な探索はされない。

 財産を大して持たない庶民は、国を頼るという思考自体を持たないものだ。

 彼らは頼りになるのは自分自身とそのつてだけであると承知していて、その手の届く範囲で解決を図るのが主だった。

 その中において、自警団という組織は、地域で起こる暴力沙汰や火災、自然災害などに、近隣住人で寄り合って対処するための組織であり、国もそれを奨励して僅かながら援助も行なっている。

 大々的な事件の時には官民がお互いに情報交換することも多々あった。

 そんな風に官民の間にわずかながらだが繋がりを作って活動している組織なのだ。


「まあ、そういう仕組みがあったのですね。それなら安心ですね」


 セニアの母は、ある程度以上の生活水準の女性の多くがそうであるようにごく若くで嫁入りし子を成していたので、まだ若く美しく、そして、正しく世間知らずでもあった。


「そうですね、中には孤児もいますが、彼らには彼らの場所があります。開放すればそこへと帰るでしょう。今回の出来事を仲間に武勇譚として語るかもしれませんな」


 そう語られる言葉を疑うことも無かったし、孤児というものの実態を実際には知らずにいたのだ。


「本当に皆様にはどう感謝していいかわかりません。娘が攫われたと知った時には、もはや生きている甲斐もないと思ったものですが、皆様のご尽力にて無事に戻って来てくれたのですから。夫とも語らって、規定の費用以外にもそれなりの御礼を出させていただきたいと思っています」

「身に余る賞賛です。現場の者に伝えれば彼らも喜ぶでしょう。それでは、不躾な訪問にも快く応じていただき、まことにありがとうございました」


 礼を交わし、彼が去ると、程なく子供達のほとんどに迎えが現れた。

 その手配の早さにセニアの父たるデッサン商会の主は商人としての感嘆を禁じ得ない。

 何しろ商売とは情報と行動の早さに重きを置くものだからだ。


 そのような大人達の事情の一方で、子供達のほうにはまた違う事情が存在した。

 親に連れられて去っていく者達を、どこか隠し切れない憧憬のまなざしを持って見送りながら、そんな心情は互いにおくびにも出さず、迎えの当てのない同士での会話が進む。


「うちの一座はとっくにここを出た後だった。まあ仕方ないわな、稼ぎ場所を回り終わったら早々に街を出ないと滞在費用がかさむし、生きてるか死んでるかわからない場合はその相手の運に任せるのがうちの流儀だ」


 ハトリは自らのことであるのに投げやりにそう言い放って、肩を竦めた。


「早く合流場所に辿り着かないと、本格的にやべぇんでさっさとこの国出たいんだけどな」

「ならさっさと出てけよ。手癖の悪い流民のことだ、どうせ色々物色してるんじゃないのか?お前のいなくなった後で物が無くなったとかでこっちが疑われるのは勘弁してほしいからな。お前が出てくまで目を離すつもりはないからそう思え」


 そのハトリにヴェントは口元を歪めるようにそう言うと、近くの壁に寄り掛かるようにして睨みつける。


「ああ?なんかあるとお前らはすぐ流民のせいにするけどな!大半は地元の手癖の悪い連中のしわざさ。お前らこそ、子供だけで暮らしてるそうじゃないか?どうやって生活してるんだよ?盗みが大半なんじゃないか?」

「けっ、こんな狭い国で地元の目があるのにそんな真似をしたらすぐに掴まって袋叩きだ。てめえらみたいにすぐに他所へと逃げちまう訳にはいかないんでな!」


 まるで生来の仇同士ででもあるかのように睨み合う二人を、もはや処置なしと放っておいて、ロレッタはミーテと、ライカはサッズとそれぞれ並んで窓から手を振って子供達を見送った。


「ニニスだっけ、あの子の家結構この街から遠いんだろ?よく三日で迎えに来れたね」

「それだけ心配してたんだろ。遠いって言っても片道二刻ちょっとらしいけど。あたしは意外と連絡が早かった自警団の連中を見なおしたよ。郊外に住んでる農民なんか放っておくと思ってた」


 会話は主にライカとロレッタの間で成り立っており、ミーテはどこか所在なげにしていて、サッズは我関せずと押し黙っている。


「いいよな、家族に心配してもらえるのって」


 ロレッタはそう言うと窓枠に片肘を付いて手で頬を支えた。


「えっと、ロレッタの家族は?」

「う~ん、うちは親父が家を出てってさ、気づいたら母親も消えてて、なんかこう意味わかんないって感じだったけど、あたしもその時は十歳そこそこだったからなんとか働いて食い扶持稼ごうとしたんだよね、健気にも。でも結局家は他人に取られて、流れ流れてヴェントんとこの廃材小屋に辿り着いたんだ。まったくさ、あたしがちっちゃい頃はそこそこうちの家族も仲良かったと思ったんだけど、家族ってのは訳わかんないよね」


 あっさりと言ってはいるが、ロレッタの声は寂しげだった。

 しかし、捨てられたと言葉に出来ない彼女の心情を思い量ってやれる程、ライカに人生経験はない。


「そうなんだ、今はヴェント達がロレッタの家族なんだね」

「いや、仲間ってのがしっくりくるかな」

「仲間か」

「うん、身を寄せ合って頑張って生きてるんだよ」


 ちらりとヴェントを見て、ロレッタはため息を吐く。


「あんなんだけど、ヴェントは頭がいいからね。ちっこいガキ共にもなにかしら仕事を割り振ってるんだ。それでようやく生き延びてる。廃材小屋だって、実は管理の仕事の一環で住んでるんだ」


 そんなどこか弛緩した部屋の中に、軽い足音と共に小さい体が飛び込んできた。


「ミーテ!」


 セニアである。

 一晩を過ごして以降は自宅に戻った少女だったが、毎日こうやってミーテに会いに来ていた。

 よほどウマが合ったのだろう、ミーテのほうも嬉しげである。

 年齢的にはセニアの方が一つ上らしいが、押しが弱いながらもミーテのほうが落ち着いていてどこかお姉さんのように少女の世話を焼いていた。


「セニア、またこちらにおじゃまして、みなさんにご迷惑でしょう?もうみんなお家に帰らないといけないのですよ」


 少女を追うように現れた彼女の母と、その後ろに控える女性。

 初日からずっと子供達の面倒を見てくれたセニアの母と、その次の日からそれを手伝うようになったセニアの乳母の女性だ。

 なんでも乳母のほうはセニアが攫われる寸前まで一緒にいたとのことで、セニアが攫われたショックで寝込んでいたらしい。


「私、ミーテと一緒がいいです」


 母の言葉を聞いたセニアが、いきなりすっくと立って宣言する。

 一瞬、その場には理解に至るまでの間が空いた。


「何を言っているの?その子にも帰る所があるのだから、無理を言ってはいけません」

「違うの、ミーテは家が無いの、だから私がミーテの家族になるの!」


 驚いて、言葉を失った母の代わりに、乳母のマイネが口を挟む。


「お嬢様、お母様やお父様はとてもご心配なさっておいでだったのですよ。そのようなわがままをおっしゃってこの上ご両親に心労をお掛けになるのは感心いたしません」

「でも、マイネ。私は賊に捕まって一人でとても心細かったの。それをずっと手を握って声を掛けて安心させてくれたのがミーテなのよ。そのミーテが一人ぼっちなのだから今度は私が安心させてあげるのが本当だと思うの」


 しっかりとした言葉で理由を述べる少女を大人の女性二人はじっと見詰めた。

 その顔には驚きと、戸惑いと、そして微かな喜びが浮かんでいる。


「スーシャハニレア、貴女は今、一人の人間の人生を引き受けると言っているのよ。まだ子供の貴女にそれがわかっているとは思えないわ」

「お母様、いえ、我が母、ソワニェイア。私は私の望むところが間違っているとは思いません。ミーテを家族に迎えてください、お願いします」


 腰を落とし片足を後ろに引く、それはいつかその母が思わず行った仕草だった。

 祖霊に自らを明らかにし、その全てを捧げるという、遠い国の祈りの動作でもある。


「喧嘩しないで、喧嘩、だめ!」


 その様子をまるで他人事のようにぼうっと眺めていたミーテだったが、母子の応酬に顔色を変えると、セニアの腕にしがみつくようにそう言った。


「ミーテ」


 セニアは彼女の手を取ると、安心させるように「喧嘩じゃないよ」と微笑む。

 セニアの母は、しばし目を閉じると、二人の少女へと近づき、ミーテに顔を寄せた。


「ミーテさん、娘を助けてくださってありがとう。それで、あなたにお願いがあるの。うちの娘が我儘を言って申し訳ないのだけれど、もし、貴女がよければうちで働きませんか?貴女ぐらいの年頃から仕事を仕込まれる子は少なくないわ。そして、そういう子はお店の子飼いといって、家族同然になるの。どうかしら?少しむずかしいかもしれないけど、考えてみてちょうだい?」

「えっ?」


 言われたことへの理解が及ばず、ミーテは驚きに固まった。

 彼女の耳には、『家族』という失ったはずの単語だけが意味のある言葉として残っている。


「行けよ」


 幼い者に決定を任せるという、どこか滑稽な成り行きを動かしたのはヴェントの声だった。


「這い上がれるチャンスがあるなら迷わず飛び付くんだ。お前の兄貴が命を張ったのは無駄じゃなかったんだって証明したいだろ?」

「お兄ちゃんが?」


 ミーテは幼いなりに真剣なまなざしでヴェントを見た。


「そうだ、お前の兄貴は最後まで諦めなかったぞ。怪我が酷くて治す手段もないってのにあいつは血を垂れ流しながらも一言も泣き言は言わなかった。『迷惑掛けるけど、よろしく頼む』ってお前のことを頼んで俺の手を握ったんだ。あいつの妹ならしがみついてでも生き延びる場所を掴み取れ、孤児なんて惜しむような身分じゃねえよ」

「お兄ちゃん」


 その言葉で亡き兄を思い出したのか、静かに泣き出したミーテをセニアの母はそっと抱きしめた。

 そして視線をヴェントに向けると小さく頷く。


「わかりました。ミーテさん、色々と未熟な娘だけれど、この子の力になってあげて欲しいの。同じ年頃で信頼出来る相手はとても貴重だわ。私は娘の人を見る目を信じて貴女にそのお仕事をお願いしたいと思います。よろしくね、ミーテさん」

「あい、あい、よろじくおねがいします」


 泣き声混じりで酷くたどたどしく、だがどこか力強く、ミーテは言葉を紡いだのだった。

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