第163話 闇を裂くモノ

 の悪名高い海賊の首領がその気配に気づいたのは、討伐隊の三人目が船に取り付いた時だった。

 操舵に集中しながらも、意識の隅に異変を感じたのをさすがと言うべきか、或いはそこまで気づけなかったことを油断と呼ぶべきか。

 その評価はともかく、彼は激怒した。


「やろう、俺の船に乗り込むとはな。海の藻屑になりたいらしいな」


 暗闇に、吹き荒れる強風と雨である。突然の船長の命令に従い慣れている俊敏な海賊達ではあったが、船に乗り込んだ敵に応戦するのは難しかった。

 元々襲撃に向かっていたのであるからには既に武装はしていたものの、彼らとしてみれば、自分達こそが獲物の船に飛び乗って蹂躙する予定だったのだ。

 自分達のほうが襲撃されるという想定は頭から丸々抜けていた。


 その一瞬の戸惑いを突いて、先行していた二人の討伐隊員は、足場を確保しながらゆっくりと船の船首側へと歩を進めると、素早く抜刀した。

 といっても、彼らの抜いた得物は短柄のナイフであり、俗に解体ナイフと呼ばれている、見た目は凶悪な、しかし意外と日常的な武器だ。

 なにしろ市井では魚の解体に使われるのだ。

 このナイフには肉厚な頑丈さと、柄の石突に鉄を仕込んであるのでそれを打擲に使えるという特徴があった。

 薄刃のナイフや剣程度なら易易と折ってしまうような、無骨だが使い勝手の良い武器である。


 海賊船の甲板には様々な物が雑然と放置されていて、慣れた海賊たちですら足を取られるような場所だ。

 なにしろ暗闇で、敵味方どころか他人の位置すら掴めない状況であり、その上さらに障害物を避けるのは困難である。

 その判断の元での武器の選択だった。

 状況判断を瞬時にするように訓練されている軍人達は、身を低くしてほぼ四足で駆ける獣のような動きでもって周囲の気配を探って攻撃を仕掛ける。


「ひい!」


 仲間の悲鳴に、慌てて嵐に強いランタンを向け、海賊達は手に持った剣を闇雲に振るった。

 ガツリというほとんどの手応えは、残った帆柱の付け根だったり、打ち放られたロープの束だったりしたのだが、稀に仲間に突き当たり、また悲鳴が上がる。


 実は、討伐隊はその身に纏う隊服に夜光貝という貝の殻を用いた飾りを襟元に縫い込んでおり、このような暗闇での同士討ちを避けることが出来たのだ。

 その間にも次々と船上へと後続が侵入を果たし、海賊達は人数的にも劣勢になりつつあった。


「しゃらくせえ!暗いなら明かりがあればいいんだろう?」


 海賊船長であるハーバーはそう嘯くと、乾きを癒すために手元に置いていた酒瓶を持ち、勝手知ったる我が船の甲板を堂々と突っ切って帆柱の名残の残る場所に到着すると、酒瓶の中身をそこにぶちまける。

 途端に広がる酒臭さは、嵐の風が吹き散らかしてその事態に気づいた者は少なかった。

 ハーバーは次いで吊るされたランタンの火取り口を傾けると、その油ごと火をそこに移した。


 炎は最初躊躇うように柱の折れ口をなぞり、直ぐに自らを主張するかのように伸び上がる。


「馬鹿な!自分の船に火を放つなど!」


 間近まで接近していた兵士が思わず上げた声に、ハーバーはためらいもせずに蹴りを放つ。

 兵士はたまらず船の外、夜の海へと蹴り出された。


「ひるむことはない!むしろこれはこちらにとっての好都合。覚悟を決めろ!この魔物憑きの海賊共めが!」


 兵士の中の隊長らしき男がハーバーの策を言葉の上で切って捨てると、彼は確保された視界を活かすべく、短剣を納めて腰に履いた長剣を抜く。

 対するハーバーも、無造作に舵輪の下に置かれていた剣を持ち上げた。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「話は了解した。ともかくお前達は制圧が終わるまで安全な所に潜んでいるほうがいい。お前たちを陸に送ってこっちの戦力を削る程こちらも余裕がある訳でもないのでな」


 話の間にも乗り込んできた後続の兵達は、生ける屍のような状態の人間がずらりと居並ぶ中を平然と走り行き、上への階段を上って行く。やがて子供達に指示の終わったその男も後に続いた。


 その言葉自体には安堵を覚え緊張をほぐしながらも、その一方で子供達は考えていた。

 安全な所とはどこだろう?と。

 既に二つ、この船には大穴が開いている。

 放置して逃げてきた荷物室の煙も不安だ。

 甲板は最も危険な激戦地帯であることは間違いなく、今も嵐を突いて悲鳴じみた声が彼らの居場所にまで届いていた。


「どうするよ?」


 いつの間にかこの小集団の意思決定を担うようになっていたヴェント、ライカ、ハトリの三人の少年達は頭を付き合わせて相談に入る。


「ここ、は、早く離れたいよね」


 ライカはそう言って周囲を見回す。

 幽鬼のような男達は命令する者が居なくなり、枷が外されたにも関わらずまだ櫂を動かしていた。

 ただ、合図がなくなったせいかその動きに統一感は無い。

 どこからどう見ても悪夢のような光景だ。

 暗いからまだ良いが、ライカは明るくなった時に小さな子やロレッタがどう反応を示すか不安に感じていた。


「同感だ、目が腐る。どうせ死ぬならもっと美しい物を見て死にたい」


 ハトリが前向きなのか後ろ向きなのかわからない意見で同意した。

 ちなみにこの集団で一番年長に見えるのはサッズである。

 だが、この集団で一番信用を失くしているのもまたサッズであった。

 まあ本人からすれば他人の信用など貰っても嬉しくないと思うのだろうからそれ自体には問題はない。

 ただ、おかげでサッズは一人暇であり、壁に立っているのに飽きたサッズが穴から海面を覗き込んでいても、彼が危険に遭うと思う者もないため、あまり気にする者はいなかった。


『おい、ここにてめえらの花嫁はいないぞ。迷惑だから帰れ』


 低い唸るような竜の言葉は、本来はありとあらゆる生物を震え上がらせる。

 しかし、時には例外もあった。

 このメロウ族の男達のように恋の衝動に突き動かされている場合もそうだ。

 彼らは相手に対して本能的な恐怖を感じながらも、果敢にも花嫁を守るべく行動を起こす。


 ざぱん!と、静まっていたはずの波が穴から押し寄せて来る。


「きゃあ!」


 油断してへたり込んでいたロレッタがもろにその余波を浴びて悲鳴を上げた。


「なんだ?」

「波が戻った。人魚が去ったってこと?」


 疑問と驚きでヴェントとライカが周囲の様子を伺う。

 もし波が戻ったならこの船はたちまち沈むに違いないのだ。

 その場合、即時脱出を考える必要があった。


 そこへサッズがひょっこりと姿を表わすと、


「話の通じない連中だ。なあいっそ食っちまった方がよくないか?後腐れないし」


 そう言ってのけたのである。


「何かしたんだね?」


 ライカのその判断は当然といえば当然だった。


「ここに花嫁が居ないってことを親切にも教えてやろうとしただけだろ」

「あんまり細かいニュアンスが伝わるような相手じゃないのは知ってるだろ?まして求愛の時期に話が通じるはずがないよ」

「何事もやってみないとわからないだろ?」

「そういう姿勢は悪くないと思うけど、今は止めてほしかったな」


 サッズとライカがそんなやり取りをしている間にも、船内にどんどんと海水が入って来る。


「お前ら!馬鹿みたいに落ち着いてないで上に上がるぞ!」


 ヴェントが手早くロレッタを先頭に子供達を上に送り出し、その後にハトリが続くと、ライカとサッズに声を掛けた。


「馬鹿とか、人間ごときが」

「サッズ!」


 一方のサッズはサッズでちまちまとしてまともに運ばないことの成り行きに苛立ちが激しい。

 その上に、生来プライドが高いので、ライカ以外の人間に自分のことをあれこれ言われるという事態に我慢がならないのだ。


「わかってる、全部終わりにしてやるから見てろよ!」


 言うなり、サッズは穴の開いているほうへと走り出す。


「お、おい!」


 慌ててそれを追うヴェントと、頭を抱えるライカ。

 彼らを、ただ吹き過ぎる嵐の風とは違い、ずっしりと、重さを感じるような風の塊が包んだ。

 船内に入り込んでいた海水が半分程弾き出され、その直後、まるで巨人の手で揺さぶられたかのように船が揺れる。


「サッズ、終わりじゃなくて、片づけてやるって言って欲しかったな」


 どこか諦め気味のライカがため息混じりに呟くが、ヴェントの耳には届かない。

 今、彼の眼前には、嵐の黒雲を丸く抉り抜いたような狭い夜空に浮かぶ月と、その月に照らされて闇色に碧い光を纏う巨大なシルエットがあったのだ。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 やや時は遡る。

 甲板では海賊の頭と討伐隊の隊長との変則的な一騎打ちが始まっていた。


「さあ、いいぜ、俺を楽しませてくれるんだろう?」


 ハーバーは炎の照り返しを受けた顔で獰猛な笑みを浮かべる。

 対する隊長はそれに答えることなく、剣をやや斜め下向きに構えると、じりじりと動いて足場を探る。

 ハーバーはそれを小馬鹿にするように、そばにあった小箱にひょいと飛び乗ると、すぐさまその背後に飛び降り、その箱を相手に向かって蹴り出した。

 中身の知れないその箱は、恐るべき膂力でもって蹴り上げられ、隊長の立ち位置目がけ正確に飛んで行った。


 一瞬、隊長がその箱に意識を向け、目で追ったその間にハーバーは走った。

 ガン!という激しい音を立てて転がった箱を避けた隊長は、「隊長!」という切羽詰まった部下の声に考える前に体を転がした。

 その今まで立っていた箇所の空間を剣が横薙ぎに通り過ぎる。


「なかなか踊りが上手いなぁ」


 ハーバーはおどけてパチパチと両手を叩いた。


「おのれ、ふざけおって!」


 隊長は転がった勢いにまかせて起き上がると、足元にあった放置されたままだったカンテラを、お返しとばかりに蹴る。

 ハーバーはそれを余裕を持ってひょいと避ける。

 いや、避けようとした。

 が、その刹那、船が大きく傾いた。

 さすがの船乗りたちも戦闘に意識を向けていたせいで大きくよろける。

 ハーバーはよろけこそしなかったが、飛来物を避ける動作が一拍遅れた。

 ガチリ、と硬い音と共にハーバーの額に当たったカンテラがその箇所を切り裂き、たちまち傷口から血が流れる。


 その流れ滴る血を己の舌でぺろりと舐めて、ハーバーは獣のような雄叫びを上げたのだった。

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