第162話 闇の中の戦い

 幾重にも襲っていた大波が、突然パタリと凪ぐ。

 巨大な外洋船、海賊達の船の周りだけ、まるで切り取られたでもしたかのように波が消失していた。

 その周囲に、カバーによって方向性を持たせられたカンテラの光が向けられると、海面に不自然に盛り上がった黒く丸い物がいくつも浮かんでいるのが見える。


「女神よ、穢れし者共から我らを守り給え」


 思わず唱えられる聖句を、船ごとの長が封じようとするが、肝の座った荒くれどものまとめ役でさえも、その人外のモノ達に対する怖気を完全に払うのは無理だった。

 闇に浮かぶぼやけた輪郭が、明らかに人と似た造形であることが、彼らの恐怖に拍車をかけている。

 だが、それらは彼らが近づいても、ただ見ているだけで何かをする様子は無かった。


「よし、いくぞ!」

「これをどうにかしなくてもいいんですか?」


 思わず命令に問いを返す隊員に、


「我らの目的は海賊船の拿捕だ。溺れている訳でもなく、攻撃を仕掛けても来ない相手に構っている暇はない。初手で躓くと取り返しがつかんぞ」


 苦労をして大回りで背後から近づいて来たおかげで、彼らはまだ海賊達に気取られてはいない。

 だが、船に乗り込む前に気づかれてしまえば、即彼らの敗北と言っても過言ではない状況なのだ。

 カンテラを二回振り、他の船との合図を行う。

 すべてのカンテラが振られると、唐突に光が消え去った。

 嵐の風に苦労しながら、手鉤にロープを結び付けられた物が甲板目掛けて放られる。

 だが、嵐も悪いことばかりでもなく、その手鉤の当たる飛来する礫のような音は、今度は嵐の音に混ざって甲板を走り回る海賊たちに届かずにすんだ。

 カチリと、一つの鈎が船の外枠を捕らえる。

 たちどころに一人がするするとロープを登り、船内の様子を伺いながら甲板に転がり込んだ。

 幸運が味方したのか海賊の誰一人としてそれに気づきはしなかったのである。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 狭い階段と通路を行きながら、ロレッタはまずはヴェントを助けることを提案した。

 ただでさえ女子供の集団だ、戦える人間が一人でも多く必要なのだと。

 そして、誰もそれに異議など唱えなかった。

 サッズはただ無関心なだけであっただろうが、ヴェント達と相性の悪いはずのハトリですら、むしろ積極的にそれを支持しさえした。


「抗うと決めたなら最後まで徹底的にやるべきだ。一番始末におえないのが中途半端に何かをやることだからな」


 それでもハトリは、言葉の端々で運命に多彩な悪態を吐くのを忘れることはなかったが。


「それで、ヴェントを探すにしろ、どうやって探せばいいのかな?」

「さっきの穴は海面よりずっと上になってたでしょ?漕ぎ手はもうちょっと下だと思うの」


 ライカの問いに、さすがは港町っ子らしくロレッタが明確に答えを返した。

 荷物置場を上がった通路沿いには船員室や食堂らしき扉が続く。

 気丈に泣くことを我慢している子供達を抱えたままの探索に神経を擦り減らしながらも、下への階段はなかなか見つからず、ようやく通路の行き止まりの床に開閉式の扉を発見出来た時には全員がその場にへたり込んだ。

 しかし、様子見に覗き込んだその階段は狭く、どう考えても一人ずつしか通れない。


「一番戦闘力のあるサッズが行くしか無いよ」


 ライカは、自分自身の「どう考えても上手くいかない予感」を押し殺しながらも、そんな風にサッズを説得した。


「俺には全く関係ない話だと思うんだがな。しかもそんな狭っくるしい穴とか。それになんか嫌な匂いがそっから漂ってるじゃないか」

「見張りを戦闘不能にしてくれたらすぐに戻ってきていいからさ」


 結局はライカの懇願に折れる形で、サッズは一人階下に潜る。

 サッズの性質を良く知るライカはもとより、出会ったばかりのロレッタやハトリすら嫌な予感しかしなかったが、彼らの内の他の誰が行っても助けるどころの話ではないのは考えるまでもないことだったのだ。


「大丈夫かな?」

「絶対大丈夫じゃないな、なんなら賭けてもいい」


 ロレッタの不安げな声にハトリが無情に決め付ける。

 ライカですら、せめていきなり船を沈めたりはしないように願うしかなかった。

 ここで更に心声で念押しでもしようものならたちまちへそを曲げて何処かへ行ってしまいかねないのでそれも出来ない。


 そんな風に全く信頼を得られない状況を知らぬまま、狭く長い階段に辟易しつつ、サッズは段々と濃くなってくる悪臭に苛立ちを募らせていた。

 下に見える扉が、そのまま汚泥の沼にすら見えて来る。


「もういっそ、全部吹き飛ばしたほうが楽なんだがな」


 しかし、そんなことをしようものなら、ライカから「やっぱり」と言わんばかりの冷たい眼差しと思いを向けられるのは必至である。

 色々考えて面倒になったサッズは、階段から足を離すと、それなりの距離を一気に飛んで、錐揉むように扉を吹き飛ばした。


「はあ?」


 見張りの男が発したのは、そんな間抜けた声だった。

 あまりにも意外すぎると人は思考が停止するものなのだろう。

 次の瞬間、分断された分厚い扉が彼の頭に命中して、彼は思考それ自体が出来なくなった。


「ぐぅ!」


 一方のサッズは、まるで瀕死の病人の如く真っ青になって顔を覆っていた。

 あまりの暴力的な臭いは、もはや臭いと認識される段階を過ぎて、濃密な腐った空気の澱と化している。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「扉が吹っ飛んだと思ったら、次は壁が吹っ飛んだ」


 後のヴェントによる状況説明は完結で、疑問の挟まれる余地もなかった。

 ついでに言えばそこに続いた誰もがそれ以上詳しいことを聞きたがりもしなかった。

 どうやら臭いに辟易したサッズがまたも船腹をぶち抜いたらしい。

 だが、彼らの間には、薄々予感していたことが現実になったという納得のような諦念じみた思いが共有されただけだった。

 倒れた見張りを手慣れた風に縛り上げたロレッタは、その男の腰から手枷の鍵らしき棒を取り出すと、ヴェントを開放する。

 他の漕ぎ手達も一応枷を外してはみたものの、まともな判断能力がありそうな者はいなかった。

 ここでのヴェント以上の戦力増強は諦めるしかない。


「苦くて舌がしびれるドロッとした物を飲まされた。頭に泥を詰め込んだみたいな感じだ。……くそが!」


 その漕ぎ手達の姿に、自身がやがてそうなったかもしれない姿を重ねて見て、眉をしかめながらヴェントが自分の状態を含めてその理由らしきものを説明する。


「それはもしかすると囚人の薬かもしれない」

「囚人の薬ですって!」


 説明を聞いたライカが、眉をしかめながらそう推測した途端、ロレッタは叫んでヴェントの口に指を突っ込んだ。


「吐いて!早く!」

「ゲ、ァ」


 弱っていた所にそんな攻撃を食らったヴェントは、たまらずその指を噛んだ。


「痛い!なにすんのよ!」

「お前こそ何するんだ、ボケ!」

「だ、だって、囚人の薬って言ったら魂を殺すって言われるあれでしょう?大変じゃない!」

「落ち着いてロレッタ。あの薬をいきなり中毒になるほど飲ませたらショック死してしまう。自分達の言う通りに働かせたいなら毎日少しずつ呑ませる必要があるんだよ。初めて飲まされたぐらいなら最悪の状態にはならないはずだ」


 囚人の薬というのは重罪人に対して使われる薬のことで、中毒が進行すると思考がままならなくなり、他者の命令に疑問を感じることなく従うようになってしまう、いわゆる毒薬だ。

 生涯の労役罪を言い渡された凶悪犯罪者に施されることでその名が知れ渡っていた。

 薬そのものも安価で、原料となる毒草もどこにでも生えているので、この大陸で最も色々な人間に利用されている毒薬でもある。


「ほんと、大丈夫なの?」

「次が無ければ、おそらく季節が変わる頃まで時々ぼんやりするぐらいだと思う」

「俺がそんなしけた薬にやられるかよ、もう全く平気だぜ」


 胸を張って宣言するヴェントに、ライカは首を振った。


「少なくとも今日一日ぐらいはあんまり動かないほうがいい。出来ればすぐに海水を飲んでお腹の中のを吐いたり、わざと腹を下して排出するぐらいの処置はしたほうがいいんだけど」

「なんだやたら詳しいな。お前薬師かなんかか?」

「違うよ、ただ療法士の先生の手伝いをして、色々教わったんだ」

「へえ」


 ヴェントの声にどこか今までのからかいじみた調子とは違う色合いがあった。

 まじない師や薬師ですら一般の人間にとっては最後の救いのような存在だ。

 療法士ともなれば生きた奇跡にも近い。

 最下層の人間だからこそ、そういった相手には自然と敬意を抱いてしまうのだ。


「といっても動かないって訳にはいかないだろ?上には海賊、下は大穴、聞いた話じゃ海には女を食う人魚がいるそうじゃないか」

「いや、食べないから」


 ゴウゴウと吹き込む風に体を揺らしながらよだれを垂れ流すやせ細った男達。

 暗くてよく見えないのが救いというぐらい悲惨で絶望的な光景だ。

 だが、それを全て笑い飛ばして、ヴェントは凶悪な笑みを浮かべて宣言した。


「とにかく上の連中には肝を冷やしてもらわないとな」


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「船長やべえ!船に穴が開いた!」

「なんだと!馬鹿が!すぐに塞げ!もうちょっとで新しい船をぶんどるんだ。しばらく持てばいい!」


 進路を正確に導き出すため、リマニの櫓の火を確認しながら、斥候隊の報告を頼りに進む。

 航海士がいなくなったせいで船長の役割は格段に増えていた。

 さすがに航路を信用ならない船員に任せる訳にもいかず、船長自ら舵取りと航路確認をこなしているのだ。


「へい!おい、お前ら!穴を塞ぐぞ!手をかせ!」


 襲撃の準備で甲板に詰めていた半分ぐらいが声につられて船倉に降り、その途上で一発ずつもらって縛られる。

 もちろん誘い込んだのはヴェントである。

 彼は大人の太い声音を真似てまんまと海賊の戦力を削るのに成功したのだ。


「あと半分か」


 当然ながら彼らは子供の集団であり、たとえ大人一人減らし損ねても、いや、あの船長一人だけであっても勝ち目の薄い勝負になる。

 それでも出来るだけ勝ち目を上げる必要があったのだ。


「おい、この船、囲まれてるぞ」


 ふいにサッズがそう告げた。


「敵か味方かわかるか?」


 その言葉を疑うことなくヴェントが尋ねる。

 それまでの人間離れした力量を目にしたせいでサッズが何かおかしな言動を取ろうともその能力には信を置かれるようになっていた。


「とりあえずこの船を襲撃するつもりらしいことはわかる」

「ふ~ん、俺の当てのほうか、それとも別口か、とにかく敵の敵ってやつだな」


 カツンと、嵐の音に混じって、微かに船腹を叩く音がした。


「あの穴から誰か入ってくるぞ」


 サッズが端的に告げた内容はかなり重要な警告だった。


「おい、ライカ。ロレッタと子供達を階段の上のほうに待機させておいてくれ。ハトリはここにいて相手が敵なら俺と一緒に飛び掛れ」

「あ、うん。気をつけて」


 ライカはそのヴェントの指示に素直に従って子供達を集めた。

 しかしハトリはそんな素直さを発揮する謂れが無い。


「ああ?なんで僕がお前なんかの指示で動かなきゃいけないんだ?」

「うっせ、ごちゃごちゃやってる暇はねえようだぞ」


 言い合う二人を他所に、一人指示を出されなかったサッズは、汚物の無い場所の壁に寄り掛かってとりあえずの成り行きを見る構えだ。

 何かする度にライカに駄目出しされ続けたので少々ふてくされてもいた。


 穴から侵入した相手の動きは素早かった。

 闇の中でほぼ気配も無く動き、サッズの事前の知らせが無ければ侵入に気づけなかっただろう。


「おい、『リマニの海に太陽は沈まない』よな?」


 闇に向かって何気なく発したようなヴェントの言葉に、相手の気配が濃くなった。

 しばしの間を置いて小さな光が灯る。


「誰だ?」

「そっちこそ誰だよ」


 誰何の声に堂々と応じたヴェントに、相手はためらいを含んだ口調で言葉を綴った。


「ああ、『船は夜明けと共に行く』からな」


 相手の応えに、ヴェントは小さく息を吐いた。

 緊張で滲んでいた汗を服になすりつける。


「俺はヴェントという、閣下の耳目の一人だ」

「なるほど、聞いている。状況の説明を頼む」


 それはこの船に連れ込まれてから初めて、ヴェントが自分たちの勝利を確信した瞬間だった。

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