第158話 破壊と後悔
甲板一面に散らばった様々な破片。
特に目を引くのは三分の二辺りから裂けた太い帆柱だ。
惨状はそれのみには留まらず、船同士の戦いの際に重要な舳先に、縦に大きく裂け目が入ってしまっている。
こんな状態でも海に落ちた乗組員が居ないらしいことが唯一の救いであろうか。
しかし、そのようなことに心慰められる者はその光景を眺めている人間の中には居なかった。
「はあ?何がどうすれば俺が下に降りたちょいとの時間でこうなる訳だ?ああ?」
顔のあちこちに白く変色した傷跡を持つこの船の船長は、むしろ穏やかなぐらいの声音で、捉えた船員の一人に尋ねる。
一方で、その捉えられた船員は、唇が青くなるほどに震え上がっていた。
「へ、へい、急に突風が吹きやがって、このありさまに」
「おいおい、『急に突風が吹きやがって』だと?風読みはどうしたよ」
「いえ、何も」
「ふ~ん」
船長は白けた顔になると、首根っこを掴んでいたその船員を軽く海へと放り投げた。
後引く悲鳴と水音を残して視界から消えた男を振り返ることもせず、船長は先へと進む。
「おい、コーデルはどこだ?」
怒号と喧騒に包まれていた甲板が、船長の姿を認めた周辺から静まり返った。
彼らは一様に顔を強ばらせると、直立不動の姿勢で船長を迎える。
「俺に二度同じことを言わせるのか?」
「船長、ここに」
まるで甲板にへばり付くような格好で一人の男が船長の足元に参じた。
「おう、コーデル、探してたんだよ。こりゃあ一体どういうこった?」
コーデルと呼ばれた男は、「は!」と一言応えた後、続く言葉を失って青ざめる。
「は?じゃ分かんねえよ、お前、風を読めるってんでここにいるんだろ?んで他の船員より仕事もせずに良い待遇をさせてもらってる訳だ。わかってるか?そこんとこ」
「は、はい、その、突然で、予兆もありやせんで」
真っ青な顔に脂汗を滲ませながら、オドオドと説明をしようとするその様子に、船長は口元を笑いの形に歪めた。
「なるほど、てめえは役立たずって訳だ。おいおい、てめえら、どうやら俺は役立たずに飯を食わせていたらしいぞ!こいつぁ傑作じゃねえか?」
見回す視線に、硬直したように立ち竦んでいた男達が一斉にうなり声を上げて床を踏み付けた。
自らにとばっちりが掛からない限りにおいて、彼らにとって他人の不幸は喜ぶべきことなのだ。
「まぁてめえでも櫂を動かす程度は出来るよな?おい、指定席に連れてってやれ」
短い悲鳴を上げて、屈強な男達に両腋を抱えられて引き摺られていくコーデルという男を楽しげに見守った船長は、だがしかし、すぐにその顔を歪める。
「ちっ、他はともかく帆柱がこのざまじゃどうにもなんねえな。おい、リマニの港に使えそうな船はあったか?」
呼ばれた側近らしき男が走り寄って頭を下げた。
「波止場にあんのはずんぐりむっくりの例ののろまばっかりですが、湾内に商船がありやす。ちょいと弄れば使えるでしょう」
「ふん、まあ他に選びようもねえか。今晩襲撃するぞ。そんでそのままとんずらだ」
「へい、承知」
― ◇ ◇ ◇ ―
上の喧騒に怯えながらも、檻の中はそれなりに平和だった。
明日をも知れぬ緊張を孕んではいても、そこにいるのは子供ばかり、特に年少の小さい子供達はすっかり疲れて眠ってしまっている。
「まあ眠れねえよりはいいけどよ、結構図太い連中ばっかりで感心するぜ」
「小さい内は寝て大きくなるもんだもん、仕方ないよ。それよりヴェント、あんた本当にどうにかなるんだろうね?」
なんとなくそれぞれに小さく固まって、狭いながらも檻の中でなんとか居場所を作った彼らは、今は誰が言ったでもなく小休止状態になっていた。
「何がだ?」
「漕手にされたら手足に枷を付けられて絶対外して貰えないって聞くよ。本当に当てがあんの?」
「ああ、それか。心配すんな、俺には女神の守りがあんのさ、絶対助かってのし上がってみせる」
「やっぱり当てなんかないんだ!それって運任せってことじゃない、無茶よ!」
「うっせえ、静かにしろ。ガキ共が起きちまうだろ」
「だって、あの小屋の子達はあんたがいるからなんとかなってんのよ、あんたがいなくなったら野垂れ死ぬしかないじゃない」
「そんぐらいなんとでもなるさ。お前は俺を高く買ってくれてるようだからまあそれは有り難いが、結局は誰でも自分でなんとかしてるもんなんだよ。それが出来ねえ奴はとっくに終わってる。仲間を作ったり、つええやつに従ったりするのもその手段の一つに過ぎねえよ。連中は結構したたかだぞ」
「そんな、あんた言ってたじゃない、偉くなって親がいなくても働けるようにしてやるって。あれは嘘な訳?」
「どんなに本気で誓っても破られる誓いはゴロゴロあるさ。俺らの親だって死にたくて死んだ訳じゃねえし、まあ子供捨てて他所にいっちまった連中は下衆だとしても、この世には絶対を誓ってそれが叶う奇跡なんてありゃあしないんだよ。精一杯やって、後は運任せ。それでいいんじゃねえか?」
「そんな……」
ロレッタは、小さく呟くと膝を抱えた。
普段は姉貴肌で元気一杯な少女である彼女だったが、その実は他の孤児達と同じように大事な場所を失った哀しみを抱えている。
また何かを失うかもしれないと考えるだけで、彼女には凍えるような恐怖があるのだ。
「お前、もっとしゃんとしろよ、いつもの元気はどうしたよ?暗い顔には魔が寄ってくるって言うだろ?そういう顔してっと却って物事がまずいほうへ転がるもんなんだよ」
「だって、あたし、そんなに強くないよ。誰もいなくなったらどうしたらいいかわかんないよ」
ヴェントは溜め息を吐くと、寝転がってる子供達の間を移動してライカ達のほうへと近寄った。
ライカはサッズともう一人、ハトリという旅芸人の少年と一緒にいて、話し込んでいる。
「そうそう、この辺りで港として使える海岸で最も大きい船が停泊出来るのがここ、リマニなんだ。大川の河口でもあって内陸と沿岸部両方の交通の拠点になっているし、戦争で随分長く国同士の交流が止まっていたけど今後はむしろ爆発的に増えると、まともな頭がある連中は見ている。だからこの国の存在は今後もっと大きなものになるだろうね」
「ハトリは博識だね」
「旅をしているからだよ、世間の風向きを見極めないと僕達みたいな商売は命の危険すらあるんだ。命懸けとなれば誰だって学ぶさ。むしろそうでもないのに色々知りたがる君達のほうに感心するね、僕は」
「またこんな場所で小難しい話をしているもんだな」
彼らの間にヴェントが口を挟む。
途端に顔を顰めたハトリだったが、何も口に出しては言わず、大人しくヴェントの分の場所を開けた。
「また女を虐めてたのか?」
うんざりしたようなサッズの言葉に、ヴェントは鼻を鳴らすと肩を竦める。
「俺をどっかの遊び人みたいに言うなよ、女なんか面倒くさいだけで何かをする気にもならねえよ」
「何かあったの?」
わざわざやってきたヴェントの様子に、用事があるのだろうと思ったライカが促した。
「いや、どうも様子がきな臭いんで、お前らに忠告をしておこうと思ってな。まあこの国の人間なら物心付く頃には誰でも知ってるような話なんだが」
「どういうこと?」
ライカはその言葉に首を傾げる。
確かに先程から上の様子が慌ただしい。
しかし、だからといって檻の中の彼らに関係があるとも思えなかった。
もっと言ってしまえば、サッズが暴走した折の風の乱調で何かがあっただけだろうとライカには見当が付いている。
「船が沈んで海に放り出された時のことさ」
「船が沈むだって!」
素っ頓狂な声を上げたのはハトリだ。
ヴェントがそれをギロリと睨んで口を噤ませ、起きていた子供達の怯えた顔へ大丈夫だという風に頷く。
「あくまでも用心の話だ、無駄にみんなを不安にするな、馬鹿が」
「馬鹿とはなんだ」
「ほら、喧嘩しない。大事な話があるなら聞いておこうよ」
にらみ合いを始めたヴェントとハトリを引き離して、ライカはヴェントに頷いた。
「いいか、海に放り出されたら、無理に泳ごうとするな。まずは力を抜いて浮かび上がることだけを考えろ。服を着たまま泳ぐのは慣れてない奴には無理だ。だからといって服を脱げばたちまち体が冷えてオシマイだからな。浮かんだら周囲に浮いているなるべく大きい漂流物を捕まえろ。それから出来るだけ船から離れるんだ。いいかちゃんと覚えとけよ」
「その行動の意味を説明しないのか?」
噛み付くように言うハトリに、ヴェントが軽蔑したような顔を向ける。
「死にたいなら理由を考えながら沈めばいいだけだ」
「お前ってやつは」
なんだかんだと喧嘩腰になるヴェントとハトリに、ライカは困ったように眉を寄せた。
そこへ、
「それで大丈夫なら船を沈めてしまってもいいのか?」
などと思いっきりあさっての提案をするサッズ。
「ヴェントが教えてくれたのは必ず助かる方法じゃないからね、もしもの場合になるべく助かるための方法だから」
大丈夫と思ったら船を沈めかねないサッズにやや強めの口調で言い聞かせながら、ライカは自分も小さい子と一緒に寝ていれば良かったと、一瞬思ってしまったのだった。
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