第157話 信頼の形
「いいか、ゆっくりと息を吸い込むんだ。んでその吸い込んだ空気で胸を押し上げる感じ。慎重にやれよ、うっかりすると折れた骨が刺さってお終いだからな」
以前胸の骨を折ったことがあるというヴェントからその対処方法を教わったライカは、脂汗を浮かべながら言われた通りに内部から肺を膨らませて骨を押し上げていく。
痛みで全身に震えが走るが、なんとか元の位置に戻さないと綺麗に治らないのだ。
「俺らみたいに外から骨の位置がはっきり見えるとわかり易いんだが、お前はそこそこ肉が付いてるからな、まあその分衝撃を殺してくれるから、自前の防具があると思えば羨ましい話だけどさ」
ライカは地元の他の子供達と比べて太っている訳では無い。
ヴェント達が痩せすぎているのだ。
ミリアムより幾分年下であるだろうロレッタなど、女性らしさが出てくる年頃であるにも関わらず体に丸みが少なく、髪を切れば少年で通ってしまいそうな程である。
ライカの内部でパキリという、どこか乾いた音が聞こえ、胸の痛みがやや軽減した。
「う、上手くいったかな?」
ライカは倒れ伏してしまいたいのを堪えると、自分で胸を触ってみる。
骨の並びにまだ若干のいびつさはあるが、先程までの凹みはかなり軽減されているようだった。
「ん、大体そんなもんだろ、後は食って治すしかない。お前らの分は取ってあるからちゃんと食っとけ」
皿を差し出され、ライカは先程中身を零した二人のことを思い出した。
「さっきの、子達の分は?」
「ああ、全員の分から取り分けた。お前らのからも無断で分けさせて貰ったけどいいよな?食いもんの等分は揉め事の一番根深い原因になるんだ。特例は作れないんだよ」
「あ、うん、大丈夫」
ライカは言ってサッズを見る。
どうやらサッズも今まで食事に手を付けていなかったようだった。
暴走した後なのだから僅かでも回復手段が欲しかったはずだが、ライカが心配だったのだろう。
「俺はさっき構わないと言った」
サッズは自分とライカを一緒くたにしたヴェントの言葉に抗議するかのように一言ぼそりと告げた。
冷えきった僅かなスープをすっかりふやけてボロボロになったパンのカケラで掬いながら掻き込む。
味はともかく弱った体には食べ物の存在は重要だ。
先に済ませたはずの小さい子供達から物欲しそうな視線が向けられて食べにくいながらも、二人はあっという間に食事を済ませる。
元々量など知れているのだ。
「んで、一息ついた所で頼みごとなんだが」
ヴェントがライカに改まって向きあった。
ライカは何事かわからないまでも背筋を伸ばして座り直す。
「あ、いや、そんなにきちんとかしこまられると何かやりにくいんだけどな。ん~、どうやら今は上で騒ぎが起こってるみたいだが、あれが収まれば俺は漕手として連れて行かれるだろう。そうなればこっからの脱出は俺の力じゃどうにもならなくなる。そこでお前らに後のことを頼みたいんだ。この鋸を渡すからどうにかして逃げ出す機会を伺ってこいつらを、特にこのお嬢さんを助け出してくれ」
ライカはヴェントの言葉に意外な思いを感じた。
彼がお嬢さんと呼んだのはいかにも身なりの良い少女、セニアであり、ヴェントの仲間ではなさそうだったからだ。
どう見ても特別好意を抱いてる風でも無い。
「どういうこと?」
「うちの国の偉いさんから依頼を受けてるんだよ、そのお嬢さんの捜索のな。仕事ってのは信頼が第一だ。だから俺としちゃ他はともかくそのお嬢さんには無事でいて貰いたい。もちろんついでに他の連中を助けて貰っても構わないけどな。正直そんな余裕はねえと思うが」
ライカの疑問を浮かべた表情が変化しないのを見て、ヴェントは更に続けた。
「悔しいが漕手になれば俺は何も出来なくなる。あいつら漕手に枷を付けて縛り付けたまま死ぬまで櫂を漕がせるんだ。身動きが取れねえのさ」
「あのさ」
ライカが口を開く。
「漕手って何?」
「そっからなんだ」
どこか乾いた声で突っ込みを入れたのはロレッタだった。
「お前、船がどうやって動くかわかるか?」
「う~ん?」
「櫂っていう先の方が平べったくなってる棒で水を掻くんだよ、これを漕ぐって言うんだ。後は帆だな、船上に布を張って風の力を利用するんだ」
「それで聞くと帆の方が楽そうなのになんで櫂が必要なの?」
「風が無い時とか思ったのと違う方向から吹いてる時とかどうするんだよ」
「ああ、なるほど」
大体の操船の仕組みを聞いてライカは納得した。
「でもさ、それでなんで漕手を縛り付けなきゃならないの?」
「それはこいつらだけだ。普通は漕手は正式に雇われるから縛られたりしない。まあ過酷な労働だがそこそこの実入りはある仕事だし、下層の連中には悪くない仕事でもある。命懸けだが、まあそれは船に乗ってるだれだって条件は一緒だしな。だけどこいつらは海賊だろ?他人に金を払ったりすると思うか?」
「仲間の誰かが漕げばいいんじゃない?」
「嫌な仕事は他人に押し付けたいもんだろ?それに長距離航行の場合食料の問題もある」
「どういうこと?」
ライカの問いにヴェントは思いっきり顔をしかめた。
「さっき奴が言ってたろ?あれは脅しとか冗談じゃないはずだ。船に積める荷物の量には限りがある、だから連中は漕手分の食料は積まないのさ、本当に自分たちの排泄物を食わせてやがるんだ」
「そんなことが」
ヴェントの真剣な顔にライカは目眩を感じる。
到底人が仲間である人に対して行う所業とは信じられない行為だ。
「でもそれじゃあヴェントのほうが危ないんじゃないか?」
「いや、当てがある。俺は自分の身ぐらいはどうとでも出来るさ。それより信頼を失うのが怖いんだ。やっと掴んだ這い上がれる
ヴェントのその言葉にロレッタが異議を表明した。
「ちょっと、あたしがいるだろ!」
「お前は考えが足りねえんだよ、今回のことだって、先に逃げて知らせろって言ったのにノコノコついてきやがるから一緒にとっ捕まって、自分の首だけならともかく俺の首までしめやがって」
「う……」
しょげ返ったロレッタの手を小さなミーテがぎゅっと握る。
それを見やってサッズが口を開いた。
「お前は女子供に厳しく接しすぎる。ちょっと状況が悪くなったぐらいで女子供に不満をぶちまけているような男に信頼も何もあるか」
「あ?てめえは黙ってろよお貴族様。俺らを見下してるのは結構だが、自分の手で何も出来ねえ奴はここでは足手まといでしかねえんだよ」
サッズは眉を上げると、ヴェントの顔をしばし注視し、やがてにぃっと笑ってみせる。
「何が出来るか見てみるか?」
サッズはおもむろに檻の下部の枠を掴むと軽く手前に引いた。
バリリ!という、とうてい軽くない音がして、ヴェントが苦労して少しずつ削っていた部分が一掴み分引き剥がされてしまう。
「へ?」
一言発して絶句するヴェントと、得意気なサッズを眺めながら、ライカは投げやりな気分になっている自分に気づいた。
「ええっと、君のご主人?凄い怪力だね」
ハトリがどこか感心したように話しかけて来るのへ答える気力も無い。
呆然とした状態から立ち直るのはヴェントのほうが早かった。
彼は素早く鉄棒の状態を確かめると、サッズに合図を送る。
「おい、上も頼む。下だけじゃ取れないみたいだ」
「お前大概図々しいな」
サッズは言いながらも別に否やは無かったのか、上の枠木の手前側を、まるで虫でも取るように軽く引き剥がした。
「おし、うん、このぐらい隙間があれば全員通れそうだな。っと、とりあえず今は戻してっと」
ヴェントは隙間を確かめると、また元のように棒を戻し、その上から千切れた板を再び嵌めこんで、一見何事も起きてない状態に戻す。
と言っても、内側から見れば一目瞭然の壊れっぷりだったが、確かに表からは見えないだろう。
「なんだ使えない優男だと思ってたが案外やれるじゃないか。これなら一人二人庇って逃がすぐらい造作もないだろ?頼んだぞ」
「なんで俺がお前なんかに頼まれなきゃならないんだ?知るか」
「ちっ、兄弟ぇ、甘いな。お前の従者だか友人だか知らねえが、あのお人好しは絶対俺の頼みを断らないぞ。お前らどんな関係か知らねえが、随分仲がいいのはわかってるんだ。お前が関わらないのは無理だね」
ヴェントの言葉に、ふとサッズの気配が冷淡になる。
「そうやってライカを嵌めるつもりなら、容赦はしないぞ」
「嵌めるとかないね、あの坊やは自分から首を突っ込む。賭けてもいいや」
「むう、否定出来ない所が悔しい」
目前で繰り広げられる自分への当て擦りのようなやりとりに、ライカはどこか遠い目をした。
「俺、ここは怒るところなんだと思うんだけど、不思議だな、気力が湧かないや」
ハトリやロレッタ、果ては小さな子供達までそんなライカを軽く叩いて励ますのだった。
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