第156話 昏い目の男

「でもさ、それだと完全に切れる前に見つかっちゃうんじゃないか?」


 細い鋸刃で少しずつ削られる檻の枠木を見ながらライカは眉を潜めてそう言った。

 ヴェントはちょっと煩わしそうにしながらもライカを振り返って説明する。


「ちゃんと考えてあるんだよ。この檻の作りを見ろよ、二つに分けた枠木の半分ずつに棒の分だけ掘り込んでるのを合わせて鉄棒を挟み込んでるだろ?んでこの二枚の枠は横枠を上から被せて外れないように留めている。本来ならまず横枠を壊さないと棒は外れない仕組みだ」


 言われて全体の作りを見たライカはそれに頷く。

 祖父がよく家で木工細工を作っているのでこの手の物の作りにはライカもそこそこ詳しいのだ。


「だけど、実は二つに分かれた枠木の片方だけを棒を挟んだ二ヶ所切ってしまえば棒は外せるんだ。切る枠木を内側の方にすれば、檻の中に入らない限り気付かれない」

「ああそっか、なるほど」


 ライカはヴェントのやろうとしている事を理解して納得する。

 しかし、他の子供達はその説明だけでは良くわからなかったらしく、さらに詳しい説明を求める声が上がった。


「全然わかんないんですけど?わかるように説明してよ」


 特にロレッタの追求が激しい。


「うっさいな、聞いてわかんないなら黙って見てろ!見てりゃあわかるだろうが」


 そう邪険にロレッタを振り払ったヴェントだったが、ふと、その動きがピタリと止まった。

 じっと階段のあるだろうほうを見つめる。

 やがてその方向からギシリギシリといういびつな軋みが聞こえた。

 以前子供達を脅した男が去っていった時に聞こえた物と似た音なので、誰かがこちらに来ようとしているのだと気づいたライカも緊張する。

 ヴェントは無言で手早く鋸をズボンの裾に仕舞うと、僅かな木屑を払って痕跡を隠した。


「二人」


 ヴェントのその呟きにライカは問いを発しようとして慌てて口を閉じる。

 軋みの音が変わり、相手がこの場所に近づいていることに気づいたのだ。


 ぬうっと姿を表したのは、巨漢と言っていい男だった。

 ライカの知る誰よりも背が高く、太ってはいないのに全体的に厚みのある体をしている。

 そして、その人物のなによりの特徴はその目だった。

 一目見て、ぞっとするような濁りを帯びているのだ。


『ライカ、気を付けろ!そいつの意識、とんでもなく昏いぞ』


 サッズの警告に、ライカはもう一度相手を見直した。

 ボサボサの髪、伸びっぱなしの髭、口元はやや釣り上がり服装はだらしない。

 竜の言う所の昏いというのは、非生産的であるということだ。

 もっと砕いて言うならば破滅型の思考の持ち主だと思っていい。

 男は、何を考えているかわからない表情で子供達を見渡すと、自分の背後に向かって手招いた。


「おら、ガキ共飯だぞ!ありがたく食うんだな。ほれ、扉の前からどけ!妙なことをしたら痛い目に遭うぞ?ほら、どけ!」


 男の後ろから、トレーというにはやや大雑把すぎる板を運んで来たのは、先程子供達を脅していた男だ。

 彼は選任で子供達の世話を担当しているかもしれない。

 慣れた手つきで腰に下がった細い棒を檻の入り口の穴に差し込むと、鉄製の扉が嫌な音を立てて開いた。

 そのまま男の手にあった板が中に突き込まれる。

 板には底の浅い木の皿が乗っていて、そこにスープとパンのカケラらしき物が一緒くたに入れられていた。

 それは充分な量とは言えないが、少なくとも飢えさせるつもりではないと言ったハトリの話を裏付ける食事だった。


 だが、子供達は凍りついたように動かない。

 小さい子達の目は食べ物に行っているが、檻の外を怯えたように伺っているのだ。


「どおした?早く食べないと冷えちまうぞ?」


 その時、昏い目の男が声を発した。

 それは意外なことに優しい声に聞こえる。

 だが、その声に子供達はびくりと体を震わせて益々縮こまった。


「冷えたら不味いだろ?……さっさと食え!」


 突然、男の声が大きくなり、それを合図にするように子供達は慌てて皿を手にする。

 だが、あまりに慌てたのか、二人程が皿をひっくり返してしまった。

 ミーテと、彼女とさほど年の変わらないぐらいの少年である。


「あ……」


 小さな悲鳴じみた声を発して、二人は真っ青になるとガタガタと震え出した。


「おやおや、粗相かい?いけない子達だな。せっかくの食べ物を無駄にしちゃあいけないぞ」


 昏い目の男は鉄の棒の間から手を入れると、二人の子供達の頭を撫で、そのままの手で髪を鷲掴んだ。


「食え」


 そして淡々とした声でそう命じると二人の顔を床に零れたスープとパンに押し付ける。


「やめろ!」「いい加減にしやがれ!」


 たまらず声を上げたのは、ライカと、そして意外な事にヴェントだった。


「ん?なんだ?お前達、躾の邪魔をしちゃあならんだろう?俺はこう見えてもこの船の船長だぞ?船の船長ってのは言うなれば船に乗る全員の親のようなものだ。親には子供の躾に責任があるからなぁ」


 船長と名乗った男はニィと笑ってみせる。


「そんな躾、よっぽど頭のおかしい親しかやんねぇよ、阿呆が!」


 誰が相手だろうと豪胆なのがヴェントの良い所であり欠点でもあった。

 そう言い放ったヴェントの首に、二人の子供達を放り出した男の腕が絡み、一瞬で手前に引き寄せられる。

 男は、にこやかな笑みを浮かべて両手でその首を締め始めた。


「残念だよ、お前のような二流品でもちゃんと大事に扱ってやっていたのに。やっぱり船底で俺らのしょんべんを食らって船を動かすほうが良かったか?」

「やめろ!死んでしまうだろ!」


 ライカは放り出された子供達をロレッタが助けるのを確認すると遮二無二ヴェントを拘束する男の手に飛び掛った。

 しかしその硬い指はライカの力ではびくともせず、ヴェントの顔は真っ赤に染まった状態からどんどんと色を失っていく。

 たまらずライカは男の手に噛み付いた。

 男はギロリとライカを見ると、噛み付かれた方の腕を水平に振るう。

 ライカはほとんど吹っ飛ぶような勢いで倒れこんだ。

 それと同時だった。

 ドン!という大きな音と共に、天地がひっくり返るような勢いで世界が揺れる。

 バキバキと生木が割れるような音と、一拍後にズシンという腹に響く音が続けざまに上がった。


「何事だあ!あいつら何やってる!」

「あ、あ、わっしが見て来ます!」


 最初の衝撃で無様に倒れ込んでいた世話係の男が慌ててそう言うと、体を揺るがせながらも倒れることの無かった船長は、その男を無表情で踏み付ける。

 動物の悲鳴のような声が踏まれた男から漏れた。


「馬鹿が、俺が行くからてめぇはガキ共の檻の鍵を掛けてから来い!」

「ひいっ!も、申し訳!」


 床板を踏み割らんばかりの勢いで船長が去ると、残った男は怯える子供達をギロリとひと睨みして食事を乗せていた板を回収すると扉を閉めた。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 ……風が渦巻いている。


 あれはいつのことだったろう。

 岩と巨木に囲まれた巨人の集落近くをライカは冒険していた。

 そこに行きあった一つ目の巨人が会話もすることなくライカを食べようと追いかけたのだ。


 そしてその巨人を風が襲った。


 ライカを追いかけていた一つ目の巨人はその風に巻かれて為す術も無く立ち尽くしていた。


 いや、それだけではない、巨人の体のあちこちが大きく裂けていく。


「サッズ!俺はもう大丈夫だよ!」


 ライカは小さい体で必死にサッズにそう訴えると、怒りに呑まれつつあるその精神に同調した。

 途端にその怒りが自分の物のように体内を荒れ狂ったが、ライカはぎゅうっと体を丸めてそれに耐える。


「俺は怒ってない、俺は怒ってない、大丈夫、大丈夫」


 少しずつ怒りが静まる。

 同時に風も凪いでいくのを感じ、ライカはほっとした。


「あんまり怒ったり悲しんだりするのは竜には毒なんだってセルヌイが言ってたじゃないか、もう、サッズは仕方ないな」


 小さな手が巨大な鱗に覆われた体表を優しく叩いた。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 ふと、目を開いたライカは、自分がどうしていたのかわからずに混乱した。

 直前まで幼い頃の記憶の中にいたせいでうまく前後が繋がらなかったのだ。


「大丈夫か?どこか痛むか?」


 見れば人の姿をしたサッズがいて、その反対側にいた小さい少年が自分の頭を撫でている。

 その途端、ライカは起こった出来事を思い出した。

 ライカの頭を撫でている少年は、ミーテと共にあの船長とやらに酷い目に遭わされていた子供だ。


「あ、ミーテは?ヴェントは大丈夫?」


 体を起こそうとしてあまりの痛みに再び倒れる。


「俺もガキ共も無事だ。一番無事じゃねぇのはお前だな」


 ヴェントがニヤリと笑ってライカを覗き込んだ。

 そのヴェントの首には紫に変色した指の痕がくっきりと残っていて、ライカは顔をしかめる。

 しかし次の瞬間、ライカは今度は自身の痛みに再び顔をしかめることとなった。


「う~、なんか息をするだけで痛いんだけど」

「胸の骨のどっかがイカれたんじゃねぇか?俺も前にやったことあるけどよ、しばらくたまんなくいてえぜ」

「さっきの、本当に船長?」

「ああ、てか、船長とか上等なもんじゃねぇよ、海賊の親玉だ。糞の中の糞だよ」


 ふうと息を吐いて、イテテと声を上げたライカは、そこでやっとほぼ呆然と自分を覗き込んでいるサッズに気づいた。


「おーい、大丈夫?」


 明らかに目の焦点が合ってない。

 ヴェントのほうを振り向くと、彼は肩を竦めて首を振った。


「そいつお前が気を失ってからしばらく真っ青になってこえー目付きになってたかと思ったら、そんな感じになって身動き一つしなくなった」


 ヴェントの説明に、何が起きたかを薄々察したライカは、改めて心声でサッズに呼び掛ける。


『サッズ、大丈夫?感情が暴走したんだろ?』

「ん?ああ!」


 突然に声を上げたサッズに、他の子供達が驚きに固まる。


「あ、ごめん、大丈夫。なんか色々ショックだったみたいで」


 その説明に、年長の者達はそれなりの理解を示していたわるような視線をよこし、小さい子供達は心配そうに見ていた。


『う、間違いじゃないのが苛立つ!くそ!人間に哀れまれるとか』

『サッズ、感情を爆発させてよくもまあこの船が無事だったね』

『意識してのことじゃないからちゃんと制御されてなかったからだろう。それにお前が言ってたことも頭の隅にはあったし』

『海に投げ出されたら他の子達が危ないって話だね。凄いな、サッズ、凄く立派になったね』

『くそ苛つく。しかし、お前が止めてくれたのも確かだし、一応礼は言っておくぞ』

『こちらこそ、俺の為に怒ってくれたんだろ?ありがとう』


 笑って、うっかりまた体を起こそうとしたライカは再び悶絶して床に伏せた。

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