第154話 叱咤と詩歌

 ライカが顔を冷やすための布をどうしようかと思っていると、一人の少女が小さく折り畳まれた布地を差し出した。


「これを使ってください」


 見ればセヌと然程変わらないぐらいの大きさの少女だ。

 その少女の身なりは、ライカからすればあまり見掛けない仕立ての服装だったが、何枚も布を重ね、細かく縫製された、見るからに上等の服である。

 そして少女は、ライカが今まで見た子供の中では一番血色が良く、髪も元々は綺麗に手入れされていたのだろうと窺わせる亜麻色の髪に、淡紅色の細い布状の物を絡ませて複雑に結ったらしい物だった。

 しかし、既にそれなりの時間が経過したためだろう、あちこちが解けて台なしになってしまっている。

 少し目が赤い所を見ると、先程大泣きした子供達の一人だったようだ。


「ありがとう、これ、濡らしていいの?」


 ライカが念押しして確認したのは、その生地があまりにも柔らかく、細かい刺繍が入った上質な物だったからだ。


「はい。手が汚れた時や、怪我をした時にお使いなさいとマイネがもたせたのです。お兄さんはとても痛そうなので使っていいと思うのです」


 少女ははきとした言葉で応えを返す。

 マイネというのが誰かはわからないが、かなりしつけの行き届いた家の子供なのだろうことは窺えた。


「それじゃあ遠慮なく使わせて貰うね。えっと」

「わたしはスーシャハニレア、七歳です。お母様やお父様やマイネはセニアと呼ぶので、お兄さんもそう呼んでくださってかまいません」

「あ、俺はライカ。ありがとう、セニア」

「どういたしまして」


 優雅に腰をかがめて礼をするセニアに、ライカはどう返していいかわからなかったので、つい、警備隊の人たちが時々やる、胸に腕を上げる答礼をしてしまう。

 ここに大人がいればそのちぐはぐさに微笑ましい思いをしたのだろうが、生憎とそこには礼儀など習ったことの無い子供達が大半だったので、何か変なしぐさをやっている二人という目で見られただけだった。


「おい、お前、冬季明けにやって来た大商隊のお嬢様じゃねえか?」


 そこへヴェントが声を掛ける。

 ついさっき自分が暴力を振るって傷つけた相手と一緒にいる人間に平気で声を掛けるというその臆面の無さは、ふてぶてしいというか単に配慮の出来ない性格なのかもしれないと思わせた。

 案の定、少女、セニアは震え上がってライカの背に隠れてしまう。


「おい、なんで隠れんだよ!」

「怖いんじゃないか?他人を殴る相手を怖がるのは普通の反応だと思うよ」


 ライカは溜め息を我慢して冷静に説明した。


「は?俺が殴ったのはお前だろ?なんでそいつが逃げるんだよ」


 しかし残念ながら、ライカのややお節介気味な説明は理解されなかったようだ。

 ライカはこの相手にははっきりと言ってやったほうがいいと気づいた。


「君はさ、普段殴ったり殴られたりとか考えもしないような人が、そういうことを平気で出来る相手をどう思うかをちょっとは想像してみたらいいと思うよ」

「お前、訳わかんねえよ。俺はさ、他人に説教されんのすげえ嫌いなんだよね?やるってなら今度は手加減しねえぜ?」


 イライラしたように脅しつけて来るヴェントに反応したのは、ライカの後ろにいた少女のほうだった。

 ぶるぶる震えた挙句、たちまちしゃくりあげながら泣き出したのである。

 ライカは慌てて背中を摩って声を掛けた。


「大丈夫だよ、彼はああいう喋り方しか出来ないんだ。気にすることないよ」


 それは無意識の行為だったが、そうやって背中を摩るのはライカが幼い昔に動けない母にやっていたことだ。

 なのでライカはふとその時の気持ちを思い出してしまう。

 時々咳き込み、痛みに顔を顰める母の背をそうやって摩ると、彼女は少しだけ和らいだ表情をしたものだった。

 辛いとか苦しいとかを言葉にしない母であったが、幼いライカはその痛みを自分のことのように感じて、自分に出来る何かを一生懸命探していた。

 背を摩ってあげた時の母の感謝の言葉を聞いてほっとした気持ちこそが、ライカのその後の人付き合いの根っこの部分にあるのだろうと、ライカ自身なんとなくそう思うのだ。


「それはどういう意味だ?てめえ」


 ライカが自分を評した言葉が気に入らなかったのか、ヴェントはまたも吠えるように脅しの言葉を吐く。


「おいおい、いい加減女子供を泣かせるのは止めろよ、男として格好悪いとか思わないのか?ああ、馬鹿だから思わないのか?」


 しかし、今度はいい加減我慢の限界を迎えたサッズがヴェントの振り上げた拳を横から素早く掴むと、少しだけその手に力を入れてみせた。

 骨が軋むような音が聞こえたかと思うと、ヴェントは息が詰まったかのようなヒュウという声を上げる。


「てめえ、上等だ、やるってのか?」


 顔を歪ませながらも、サッズを睨みつける目付きはいささかも揺るがない。

 どれほどの痛みなのかは他人からは窺えないが、彼の顔が真っ赤に染まり始めた所を見ると、かなり痛いのだろう。やせ我慢でも大したものではあった。


「二人共!」

「いい加減にしなさい!」


 ライカとロレッタの声が重なって二人に叩き付けられ、一瞬、サッズとヴェントはきょとんとした表情になる。

 一方のライカとロレッタはちょっとだけ顔を見合わせると、何か通じ合う物があったのか、ほぼ同時に喋り出した。


「セニアが泣いてるのに二人共無神経すぎるよ!もうちょっと穏やかに話をするって考えは無いの?」


 そうライカが捲し立てると、


「本当に力がある奴ってのは見せびらかしたりしないもんさ、弱い狼ほどキャンキャンうるさいって言うだろ?あんた達、自分が実は弱虫だって言ってるようなもんだよ」


 そうロレッタが嗜める。

 二人の恐るべき理詰め攻撃に、さすがに血の気の多いヴェントも、今度は顔を青くして沈黙した。

 一方のサッズは「なんで俺が、大体止めようとしただけだろ?」等とぶつくさ言っていたが、ライカに睨まれてこちらも沈黙する。


「ゴメンネ、馬鹿な男共なんか気にしなくていいからね」

「顔が汚れちゃったから綺麗にしようね」


 ロレッタとライカが泣いているセニアに優しく話し掛け、ちょこちょこと近づいて来たミーテが小さな手でその頭をナデナデしてあげると、セニアの泣き声もだいぶ収まった。

 ライカは器に水を汲んで来ると、そこに先程借りた布を浸して絞り、涙や鼻水で汚れた彼女の顔を拭いてあげる。


「ありがとうございます」


 セニアは、ライカとロレッタにもだが、何より年の近そうなミーテが側に来てくれたのが嬉しいらしく、しっかりとしたお礼を言うと、にこりと微笑んだ。

 見ていると、ミーテと二人で自己紹介をし合ってさっそく仲良くなったようである。


「ったく、俺は別に喧嘩を売った訳じゃねえんだぞ?ただそいつが数日前から行方不明になってた大商人のガキじゃねえかと思って、確かめようとしただけだ」

「乱暴者は言動が既に暴力だな、呆れて物も言えないな」

「あ?なんだとてめえ?」


 顔を突き合わせたサッズとヴェントの上に、ザバリと水が掛けられた。

 先ほどセニアの涙と鼻水で汚れた顔を拭いた布を洗った水である。


「頭を冷やせ」


 狭い場所なので仁王立ちにこそなっていなかったが、水を二人にぶちまけたロレッタの冷ややかな目付きにその怒りの程を感じて、怒られていないはずのライカでさえちょっと体が逃げてしまったのだった。


「ええっと、纏めると、この街では最近子供が行方不明になってて、ヴェントはそれを調べてたってこと?」


 ライカは事態の収拾を着けるために子供達を集めると、話し合いをすることにした。

 一度泣いたせいなのか、子供達は最初の頃に比べると、怯えてはいるものの無気力さは薄れていて、話の流れに興味を持っているように見える。


「ああ、だけどこいつが連中に連れてかれそうになってさ、それを庇おうとした俺とロレッタも被害者の仲間入りをしたってえ訳だ」


 こいつと言って自分を指したヴェントの指に、ミーテはみるからにしょんぼりと元気を無くす。

 しかしそのミーテの手をセニアが横からきゅっと掴むとにこりと笑って見せていた。

 そのセニアが最初に自分がどうしてここにいるかを話す。


「わたしはマイネと露店を回っていました。そしたら誰かに抱え上げられて、何かに押し込まれて気が遠くなって、気が付いたらここでした」


 それは年に似合わないしっかりとした言動で、きちんと自分の誘拐の様子を説明してみせる。

 それに若干驚きながら、ヴェントは他の顔を眺めた。


「俺はブラブラしてた時に殴られた。しばらくコブになってたぜ」


 次に話したのはハトリという旅芸人の少年だ。

 彼はどこか異国風の顔立ちをしていて、金髪で濃い緑の瞳のその容姿はこの辺りでは珍しい物だ。


「こっちの、人間かどうかってとこすら突き抜けちゃってるお兄さんは置いておくとして、君は綺麗だね、まるで物語の王子様みたいだ」


 ロレッタが賞賛すると、置いておかれたサッズはどこか憮然としたが、ハトリの方は慣れているのか悪びれずに自信に満ちた笑みを浮かべて彼女に礼を言った。

 しかしそれを面白く思わなかったのか、ヴェントが鼻で笑う。


「けっ、顔の良い旅芸人なんか仕事が知れてるだろ、懐の緩い金持ちにしなだれ掛かって金をくすねるのに顔が良いのはそりゃあ便利だもんな」


 だが、ハトリも黙ってはいなかった。


「まったく、君みたいな人間はみんな同じことを言うな。芸がない一辺倒の悪口ばかりで本当にがっかりだよ。もうちょっと韻を踏むとか、せめて知性をみせてくれないか?大体、偉ぶっている割には語彙がなさすぎるね。ああそうか分かったよ、君って想像力が貧困なんだね」

「ああ?なんだと?」


 まさか真正面から罵倒を返されるとは思っていなかったヴェントはまたも血を昇らせかける。

 しかし、


「ふ・た・り・と・も?」


 にこりとロレッタが笑ってみせると、少年達は沈黙した。


「あ、あたしは」


 そばかすだらけの顔で色白な、人参のような髪の色の少女が声を上げる。

 彼女はセニアやミーテよりは幾分か大きく、ロレッタよりは幼い感じがした。


「ニニスっていうの。もうちょっと森寄りの平地の集落で暮らしてるんだ。畑で作った野菜をお父ちゃんと一緒にこの街に卸しに来てたんだけど、仕事を終えて水を汲みに行った時に大人の男の人たちに囲まれて、縛られて袋に詰め込まれてここまで運ばれたの」


 結局、捕まっているのは男四人、女六人、全部で十人の子供達だった。

 捕まった経緯はほぼ同じで、一人でいる所を単独、或いは複数の男に攫われたということらしい。

 一番年長がやはりロレッタで十六歳だった。

 実はサッズの実年齢は八十歳前後なので単純に年数計算でいけば一番年長なのだが、生き物としての成長度合いで見ればライカと大して変わらない。なので、人間としての年齢は二人で取り決めて十五ということにしてあったのだ。

 この、サッズの人間としての年齢決めに際しては、お互いに自分が上だと譲らなかったので、結局同じ年にしたという経緯があった。

 兄と弟という認識と、年上かどうかの認識はどうやら二人の中では違う物であり、譲れない物でもあったのである。

 それはともかくとして、この場の一番の年少は、僅か四歳の少女だった。この少女はあまり言葉が達者でなく、自分の名前と父親が漁師であることだけしかわからないし、すぐ泣き出すので、事情を聞き出すのにはかなり手を焼く羽目になった。

 他にも話そうとはするのだがうまく言葉が出ない様子の子もいて、今回のショックによって一時的にそうなってしまったらしいとはなんとなく皆察することが出来たが、だからと言って今の段階でどうにもならない。

 攫われた時の話をしたことで家族を思い出した子供がまた泣き出して、それを宥める一幕もあった。


「あと二人ぐらいやりそうだな。いや、三人か」


 一通り話を聞いたヴェントがそう呟いた。


「やるって人攫い?」

「ああ、海の連中ってのは大体において迷信深いもんだ。特にここの海賊連中は毎回生贄を捧げる程の熱心さだからな。それなら、おそらく安定神聖数である大バクスを取引数として狙ってくるんじゃないかって思うのは筋道が通ってるだろ?」

「大バクスって世界の元になった数なんだよね?」


 重ねて尋ねたライカに、ヴェントは、「神聖数ってやつだな」と応じる。


「そういえばお金の計算の時にも三大バクスって良く言うよね。商人は縁起を担ぐ意味で使うらしいけど」

「通貨は国で色々あるが、大体は三大バクスがひと単位になってる事が多いもんな。品物を箱に詰める時は小バクスか大バクス単位。考えてみりゃ、商売も航海も天に運を任せる部分が多いから自然とそうなるんだろうな」

「んん?実は俺、これについてはあんまり詳しくないんだけど、そもそもなんで世界が六つの卵で始まったんだろう?卵ということは親がいると思うんだけど、その辺はどうなってるの?」

「知らん!」


 ヴェントは即乱暴にそう言って投げたが、横から旅芸人のハトリが答えた。


「バクサーって知ってる?」

「んー?偉大な精霊の名前だよね。俺が働いてた宿屋兼食堂がバクサーの一枝亭って名前だったよ」

「ああ、うん。バクサーは旅人の守り神でもあるしね。じゃ、ちょっと語るから聞いてくれる?」

「え?」


 語るという言葉に疑問を抱いて首を傾げるライカを置いて、ハトリは床を叩いて軽い節回しで調子を取ると口を開く。


「世界を渡る鳳あり、


     かの鳳の名をバクサーと言う


       バクサーは果ての知らぬ闇を飛び、ある時漂う枝を見付けそこへ安らいだ。


 バクサーはその枝に六つの卵を産み、再び果てのない旅へ出る。


     残されし卵、孵りて世界を創る。


       一つは地、一つは空、一つは水


         一つは命、一つは死、一つは時


                  かくして、生まれ出た世界によって我らここに在る」


 細く高い朗々とした声が吟じるウタは、誰もを惹きつける力があった。

 元気が無く、どことなく悲愴な雰囲気を漂わせていた子供達は、その声と物語に夢中で聞き入る。

 終わった時には誰ともなく拍手がおこり、みんな楽しそうな表情になっていた。


「『詠い』なんて祭りの時ぐらいしか聞けないし、儲けたわね」


 ロレッタがにこにこと笑顔で言った。


「今回は特別にお代はいただかないけど、街で聴いたらなんでもいいから心付けをお願いいたします」


 ハトリはまるで本当にどこかの王子か何かのように丁寧に礼をしてみせる。


「わかったかい?バクスってのはバクサーが産んだ卵の数なんだ。それが世界の元になったんで聖なる数って言われてる。実数の六で小バクス、それが二組で大バクスさ」


 数の縁起についてはなんとなく理解したライカだったが、今はそれよりもハトリの『詠い』が気になった。


「凄い声だね、ハトリって俺と同じぐらいの年だっけ?」

「十三だよ」

「うわあ、年下なんだ。尊敬するよ」


 ライカは思い浮かべる。

 レンガ地区のセヌの家で目を輝かせて本の物語を聞いている子供達のことを。

 あの時に、こんな風に物語を聞かせられたらどれだけ喜んだだろうか、と。


「俺の街で詠って貰えたらなぁ」


 ライカの言葉にハトリは笑顔を見せた。


「そんなに気に入ってくれて嬉しいよ。俺たちはどこでも行くから良かったらライカの街にも行くよ?戻れれば楽器もあるし、舞い手もいるからもっとちゃんとした座を出せるし」

「凄く遠いよ。この大陸の西の端なんだ」


 ライカの言葉にハトリは目を丸くする。


「それはまた遠いね。うん、面白そうだからうちのお頭は喜びそうだけど。船使うと中央部までは早いしね」

「そっか、来てもらえたら子供達が喜ぶよ」


 歌や仲間のことを語るハトリは、直前まで無気力な顔をしていた少年とは別人のようだった。

 希望を否定する彼だが、大切なものはやはりあるのだろう。


「おいおい、てめえらお気楽に先の話をやってないで、現実の話をしようぜ?」


 そんな二人を呆れたように見て、ヴェントが真剣な顔でこれからの方針についての話し合いを提案したのだった。

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