第153話 譲れない戦い

「やめろ!胸糞悪い!事が起こる前に諦めてどうする、そういうのは死んだ後にでもやれ!」


 ヴェントは唐突に振り返ると、ロレッタというその少女の胸ぐらを掴んで乱暴に揺すった。

 二人の間にはそれなりの年齢差があるのだろう、ヴェントの方がロレッタより一回り程体格が小さい。

 だが、その腕力はかなりのもので、自分より大きな少女をまるで軽々と引き摺っていた。


「待った、女の子に乱暴するのは無しだ!」


 ライカが慌てて止めようとその手を掴むが、軽く払った片手で軽々と弾き飛ばされてしまう。

 ライカと比べてもやや小柄な体格であるというのに、恐るべき膂力であった。


「男とか女とかそんなこと言ってるからこいつが甘ったれるんだ。甘ったれは死ぬ。それに男も女も大人も子供もねぇんだよ!」


 引き摺られた挙句投げ出されたロレッタは、座り込んでいた別の女の子を巻き込んで転がる。

 甲高い悲鳴が小さく響いた。


「いや、そういうのって乱暴していい理由にはならないだろ?人間には言葉があるんだから話せばいいだけじゃないか」

「へっ」


 ヴェントはせせら笑った。


「じゃあ、海賊連中と話せばいいんじゃねえの?そうすりゃわかり合って俺達を開放してくれんだろ?っは!バーカ、言葉なんかペテンの道具にしかならねえよ、この世じゃあ戦えるか戦えないかそれだけが全てだ」

「それは乱暴だろ?争い合うだけだったら人間はただの貧弱な生き物でしかなかったはずだよ。互いに補いあって生きているから他のどんな生き物より強くいられるんじゃないか?」


 自分に食い下がるライカを、ヴェントは何か変な物を見るかのように眺める。


「聞きしに勝る脳天気振りだな。エルデって国はよっぽど呑気なお国柄なんだな」

「国とか関係ないだろ?老若男女関係無いって言ってたくせに住んでいる場所では区別するんだね」

「ちっ、面倒くせえな。来いよ、白黒付けるつもりなら相手するぜ。俺のほうがどうやら年下のようだし、まさか逃げたりしねえよな?」

「ちょっと、ヴェント!」

「うるせえ!羽なし鳥(臆病者)は引っ込んでろ!」

「分かったよ」


 ライカは静かな声で応えた。


「どうしても乱暴したければ殴ればいいだろ?それで俺に謝らせる事が出来たら君の勝ちだ。だけどそれが出来ないなら俺の勝ちだ。どうだ?」


「ライカ」


 呼び掛けにライカが振り向くと、サッズが何かの期待に満ちた目で自分を見ているのに気づいた。


「俺の戦いだから手を出しちゃ駄目だからね」


 ライカに冷たく拒絶されて、サッズはショックを受けたように床に沈む。


「へっ、良い覚悟だ」


 言うなり、ヴェントは体を思い切り沈ませて、ほぼ飛び込むように足を踏み出すと、無防備なライカの顔に一撃を入れた。

 この、常に中腰以上になれない低い牢の中では、むしろ小さいヴェントのほうが有利だ。

 しかも、彼の動きには戦いに対する慣れがあり、一撃目に躊躇わず顔を狙って来るのはいかにも実践的なやり方だった。

 バランスを崩したライカはよろめきながらもなんとか踏ん張り、膝を付いただけで転がるのは踏み留まる。


 それまで無気力に彼らを眺めていた周囲の子供達が大慌てで逃げ出し、牢の隅に寄った。

 どうやら完全に気力が無い訳でもなさそうだ。

 巻き添えで酷い目に遭うのを避けたということは、痛みに対する恐怖が大きいのだろう。


「ほら、どうした?今度はお前の番だぞ?俺は親切だからそっちの手を待ってやるぜ」


 ライカを殴りつけてニヤッと笑ったヴェントは手をぶらぶらさせて中腰で待っている。

 ライカは肩を竦めてそれを拒否した。


「俺は殴らないよ。君が好きなだけ殴ればいい。それで俺が謝ったら君の勝ちだ」

「はあ?何言ってんの?お前あれか?殴られるのが好きな変態?気持ちわりぃんだよ!」


 咄嗟に顔を庇ったライカを見透かして、今度は腹の斜め上に拳が叩き込まれる。

 明らかに痛みを強く感じる箇所を狙ったのだ。

 一瞬ぐっと息が詰まり、ライカは蹲る。

 そこへ顎を狙った蹴りが入った。

 とは言え、身を屈めた状態からの蹴りなので、それは本来の強さには程遠かったが、それでも意識を僅かな間飛ばすには充分な威力があった。

 そこへフック気味にパンチが入り、文字通りライカは吹っ飛んだ。


「けっ、よええ奴がいきがるからこういう目に遭うんだよ。おい、お前は相方の助けに来ないのか?」


 そう言って、ヴェントは今度はサッズのほうに顔を向け、挑発するように笑う。


「ライカはまだ負けてないぞ?」


 サッズは涼しい顔で笑い飛ばすようにそう答えた。


「そうだ、まだ俺は謝ってないぞ」


 ライカは身を起こすとそう言ってヴェントをまっすぐ見据える。


「そうかよ!」


 ヴェントはライカの服を掴んで引き寄せると、今度はその額に頭突きを食らわした。

 ガチン!という、他人が聞いても痛みを想像出来るような音が響き、ライカはふらりと膝を付く。

 そこへまた脇腹狙いの拳。


「グッ」


 声というより空気が吐き出された音がライカの口から漏れ、たまらず転がる。


「っ、こっちの手が痛くなってきたぜ、バカバカしい」

「止めるんなら俺の勝ちだから謝ってもらうよ」


 床に転がったまま、少し歪んだ顔でライカが笑った。


「うっとおしいんだよ!」


 だが、その顔へ踏み降ろされようとした足を、横から細い手が掴む。


「いい加減にして!いい加減にしなさいよお!」


 ヴェントの足を掴んだ少女、ロレッタは、そう言うと堰を切ったように泣き出した。

 彼女の喉も裂けよとばかりの泣き声は次々と伝播して行き、その場の子供達が声を張り上げて一斉に泣き出す。


 それは想像を絶する有様だった。


 サッズなど、この時の様子を後々まで、『この世で最悪の光景だった』と語った程だ。

 ヴェントは、最初真っ赤になって怒り、しかし誰もが全く泣き止む気配を見せないとなると、やがて真っ青になって彼女に謝り倒した。


「おい、俺が悪かったから泣き止めよ、これ、どうにかしろよ!」


 なんだかんだ言ってもヴェントにとってロレッタは家族のような存在だった。その相手が手放しで泣きじゃくり、その上年下の子どもたちが大声でそれに倣って泣いているという状況は、例え彼が大人の男であっても耐えられるような事態ではなかっただろう。

 全面降伏。

 もはやヴェントにはそれしか道は残されていなかったのだ。


「てめぇ、自分が勝ったと思うなよ」


 少女を宥めるのに疲れ果てながらも、ヴェントは精一杯の虚勢を張ってライカに凄んでみせた。


「俺の勝ちだろ、俺は謝らなかったし、謝ったの君の方だし」


 しかしライカは全く譲らずに対峙してみせる。


「俺が謝ったのはお前にじゃねぇよ!」

「往生際が悪いな、カッコ悪い」

「カッコワルイ」


 ライカの言葉を真似するように言ったのは、ムチを恐れて泣いていた少女だった。

 この少女はミーテと言って六歳らしい。

 最近ヴェント達の仲間入りした子供なのだそうだ。

 両親を相次いで病で亡くし、叔父の一家に養われていたのだが、この叔父は兄妹を厄介者としか思っていなかった。

 ミーテの兄は酷い体罰をする叔父から妹をかばってうっかり叔父を傷付けてしまい、半殺しの折檻を受けた挙句兄妹揃って着の身着のまま外に放り出されてしまった。

 そのまま息も絶え絶えになりながらもなんとかヴェント達の小屋に辿り着き、兄は彼らに妹を託して息を引き取ったとのことだった。


「ミーテ」


 養っている身内から嫌われてはたまらないヴェントは、少女を叱るような口調で近づくが、


「や、ヴェント、や!」


 ミーテは逆にライカを庇うように彼を睨みつけた。


「すっかり嫌われたね、そりゃあそうさ、この子は暴力を振るう人間が大嫌いだもんね、あたしもだいっきらい!」

「くそ」


 吐き出すようにそう言って、ヴェントは拗ねたように横たわった。


「まあでも、そいつの言うこともそれはそれで間違ってもいない。死ぬ前に生きることを諦めるなんてどんな獣にも劣る馬鹿な考えだしな」


 サッズがそう言うと、ロレッタは惹きつけられるようにその顔を見つめ、


「そうだね、うん、それは私が悪かったわ」


 と、赤くなりながら言った。


「馬鹿か、何色気出してやがんだ」

「なに?ほんとの馬鹿のあんたなんかに言われたくないわよ」

「『私』、とか」


 ヴェントはロレッタの声真似をすると、プッと吹き出してみせる。

 ガツン!と、重く痛そうな音が、ヴェントの頭とロレッタの拳のぶつかった部分から響いたのだった。


「あんちゃ、痛くない?」


 ミーテは、そう言ってライカの顔を撫でる。

 ライカは触れられた痛みに思わず身を退く所を耐えて踏み止まった。


「そんなに酷い?」


 ライカはサッズに確認してみる。


「ん、ちょっと凹凸が増えたかな?まぁのっぺりしてるよりは良いんじゃないか?」

「段々痛くなって来たんだけど」


 サッズの言いようにライカは溜め息まじりに弱音を吐いた。


「それ、冷やしたほうがいいよ」


 恐る恐るといった感じに、ライカより少し小さい少年が近づいて来た。


「水は充分あるんだ。あいつら僕達を飢え渇かせて死なせる気は無いみたいで、手に届く所に水瓶が置いてあるからそれ使うと良いよ。でないと明日酷いことになる」

「君は?ヴェントの仲間?」


 ライカはその少年をしげしげと見て、先刻、一番隅でずっと丸まっていた少年だと気づく。


「違う、僕は旅芸人なんだ。あんなのと一緒にしないで」


 少年はヴェントを見て顔をしかめると、どこかそれもおざなりな様子ですぐに目線を床に落とした。


「あまり希望を持たないほうがいいよ。希望を持つとそれを失った時に立ち直れなくなる。風に流されるように、何も考えないのが一番いいんだ」


 ライカはその少年をじっと見つめる。


「俺はライカ、君は?」

「え?ああ、僕はハトリ」

「よろしく、ハトリ、それと水のこと、教えてくれてありがとう」

「あ、ああ」


 ハトリは顔を上げると、まるで酷く珍しい物を見たかのように、しげしげとライカを見つめ返したのだった。

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