第151話 檻の中
ギイギイという何かが擦れるような音と、強烈な潮の香り。
ライカが最初に感じたのはそれらの音と匂いだった。
「大丈夫か?何処か具合が悪いようならお前が何と言っても連中を消し飛ばすからな」
いきなりの物騒な言葉に、ライカのぼんやりとしていた意識は一気に覚醒し、傍らに膝立ちしているサッズを見い出す。
「いや、大丈夫だから。って、ええっと、ここはどこ?」
言葉の最後が尻すぼみになったのは周囲に自分達以外の存在があることに気づいたからだった。
ライカの感覚からすれば幼年期を抜けて成体になる以前の年頃、人間的に言えば大雑把に十代半ばと思われる年頃の人間と、もっと幼い個体が、何人か膝を抱えて座っている。
大半は座ったまま微動だにせずに顔を伏せていたが、数人は二人を興味深そうに見つめていた。
「って!」
ライカはなんとか体を起こそうとして、天井に頭をぶつけてしまう。
その天井はライカの身長よりもかなり低く、サッズが膝立ちでいたのもこのせいだった。
「う~ん、柵を取り付けた箱の中?」
ライカは改めて自分の居場所を確認してそう呟く。
「そこは普通檻って言わないか?それにしてもなまりが酷いな、どこの人間だ?ここいらじゃあついぞ見ない顔だし」
その場の子供達の中で最も元気な様子の少年がライカに話し掛けて来た。
赤毛に緑の目、外見からも強い印象を他人に与える少年だ。
ライカはその目付きから誰かを連想させられたようで、ふと考え、思い至った。
「ああ、ノウスンに雰囲気が似てるんだ。元気かなあいつ。……セヌ達も今頃どうしてるだろう」
レンガ地区の少年達のリーダーでいつもライカに突っ掛かって来ていた少年を思い出すと、それに釣られるようにあの街の知人達を次々と思い出し、ライカはしばし彼らに思いを馳せた。
「何一人でブツブツ言ってるんだよ、俺は無視か?おめえ薬で頭やられたんじゃねえの?」
自分の言葉を無視された形となった少年は、苛立ちを露わに乱暴に言い放つ。
「ごめん、つい友達を思い出しちゃってさ。ええと、俺はライカって言うんだけど、君の名前は?」
「お前、なんかやりにくい奴だな。ぼうっとしてるのか大物なのか、まあいいか。俺はヴェントっていうんだ。よろしくな、ライカ。んでそっちのお貴族様は何?」
ヴェントと名乗った少年はライカに向かって顎を引いて了承して見せると、ライカの傍らのサッズを指して問い掛けた。
その間、彼はサッズとは全く目を合わせないようにしているし、どうやら何か思う所があるようなので、ライカは自分の起きる前に何らかのやり取りがあったのかもしれないと、サッズに聞いてみた。
『この人になんかした?』
『別に、なんか言ってたようだが放っておいた』
どうやら話し掛けて来たのを無視していたらしい。
「サックって言うんだ。よく言われるけど貴族じゃないよ」
「ふん、どうだか。ま、どっちにしろ海の向こうじゃこっちの身分も無いしな。ましてや海の底なら尚更だ」
ヴェントの言葉に、会話に加わっていない子供たちの幾人かがびくりと体を竦ませた。
「海の向こうとか海の底とかってどういうこと?」
「鈍いな、俺達の売られて行く先と、船が沈んだら死んで横たわる場所さ。とりあえず今の状態だと遠からずどっちかに行き着くって訳だ」
それは自分の運命をも含めて笑いとばすような口調だった。
だが、
「おうちに帰るう!」
彼の言葉がきっかけになったのか、その場にいる中でも年少の子供達が次々と泣きだした。
子供の泣き声というものには生物としての本能に訴え、無理やり意識を掴む特性がある。
つまり聞き流すことが出来ないように出来ているのだ。
「うるせ!もう帰れるか!ばあか!」
ヴェントという少年は、それに庇護の心を刺激されるのではなく、逆に苛立って燃料を投下するタイプだったようである。
怒鳴り声に泣き声は更に連鎖して、少し大きい子供達も同じく泣き出してしまった。
あまりの惨状に、ライカは硬直し、サッズは心声で毒づいてみせる。
『子供を泣かせる者のエールは凍るという言い回しがあってだな、要するに人間の言葉で言う所のクソ喰らえみたいな』
『下品な言葉をいつの間にか覚えてるし、俺も知らない知識をどこで仕入れたんだか』
『ケツにキスしろ!ってのもあるぞ』
『そういうこと言ってるサッズとは口を利かないよ』
『えっ!俺は知ってる言葉を言ってみただけだろ?なんで怒るんだよ』
困惑はしてもその状態をどうにか打開する方法も浮かばず、ライカとサッズは心声で悪態を吐き合って気を紛らわせていた。
そんな泣き声が延々と耳に響く中、ふと、それに紛れて金属の音がすることに気づき、ライカは顔をそちらに向ける。
「うるせえぞ!ガキ共!」
ジャリン、という音を引き連れて現れたのは、ひげもじゃで、磯の強い香りをも退けるような酷い異臭を放つ男だった。
しかし、一度泣き出した子供達はなかなか泣き止まない。
「ち」
と、舌打ちした男は思いっきり檻の枠木を蹴りつけた。
ドカンという大きな音に、びっくりしたのか泣き声が一時的にしろ止まる。
「いいか、これ以上うるさくすると見せしめに一人鞭打たなけりゃあならん。俺達にしてみれば商品の価値を下げることなんでやりたくないし、お前たちにしても痛いだけだ。わかるだろ?わかったら大人しくしてろ、いいな」
泣いていた子供の一人が可哀想なぐらい震え出した。
「ムチ、……嫌、怖い!あんちゃん、助けて!」
それを聞いてヴェントが「くそっ」と毒づくと、身を屈ませたままで素早く移動し、その幼い少女の背中をさする。
「ミーテ、しっかりしろ。ムチ打ちする主人はもう居ないだろ?それにお前の兄ちゃんももう居ないんだぞ。お前が自分でしっかりしなきゃ駄目だろうが」
「ヴェント!そんな言い方したらまた泣くだろ?あたしがするからあっち行ってな」
震える少女を庇うようにぎゅっと抱きしめ、ヴェントを半ば押しやったのはこの集団の中でも年齢が上の方に見える少女だった。
その様子をじっと見ていた男は口元にニヤニヤとどこかいやらしい笑いを浮かべると、またジャリンという音を立てて離れていく。
ライカが観察した所、音の出処は男の腰に下げられた何本かの短い金属棒であった。
― ◇ ◇ ◇ ―
「昨夜酒場で騒ぎがあったらしい」
独立国家ルマニの主として一応国主の肩書きを授けられているジラソーレはぽつりと言った。
「あそこで騒ぎがあるのは毎度のことですね」
それに対し、補佐官のサーリチェはさして興味が無さそうにおざなりに返事をする。
「んん、それはそうだが、なんだか目立つ子供が紛れ込んで、それを船乗りらしい連中が囲んでたとか」
続く言葉にサーリチェの目付きが鋭さを持った。
「子供、ですか。ここの所続いている子供狩りと関係がありそうですね」
「ああ、その目立つはずの子供達の目撃情報がそこからぷっつり途絶えているからな。そっちにも何か上がってきてるんじゃないのか?」
ジラソーレの言葉に、サーリチェは淡々と報告を上げる。
「深夜に
「偶には有り得る話だが、……いや、確かにおかしいな。今は大型の船の届けは来てない」
「ええ、普段なら見逃したでしょうけど、昨夜は厳重な警戒態勢が敷かれていましたから僅かな音に気づいた部下が追ったようです」
「まさか泳いでか?驚くべき胆力だな。その部下には報奨を出すべきだろうな」
夜の海の怖さを知り尽くしているジラソーレは、目を丸くして命知らずの見知らぬ部下を賞賛した。
「それは助かります、やはり金銭が絡むと士気が違いますからね」
報告についての話が一段落すると、この小さくて豊かな国の国主であるジラソーレは、一つ息を吐く。
「ヴェントを知ってるだろ?」
「あの小賢しい孤児の子供ですね」
サーリチェの評価に短く笑って、ジラソーレは表情を引き締める。
「あの坊やもここしばらく連絡が取れない。あいつにはその子供狩りについて探らせていたんだが、逆に釣り上げられたんじゃないかと心配してたんだ」
「国主、浮浪児達にあまり目を掛けるのはお立場的にどうかと、あの子達がいなくなれば逆にほっとする者も多いでしょう」
ギッっと椅子がきしみを上げ、自分を遮った影を仰いだサーリチェの息を呑む僅かな声が落ちる。
ジラソーレはつい感情に染めてしまった視線を自分の補佐官から逸らし、光に溢れた外に向けた。
「孤児であろうと彼らは我が国の民だし、それを救済出来ないのは国を司る者の責でもある。それに、彼らだからこそ出来ることもあるのだ」
深く息を吐いてジラソーレは続ける。
「仕事に対する正当な報酬があるとなれば、僅かな稼ぎでも彼らは誇りを持ち、糧を得ることが出来る。それを無くして、糧を得るために彼らがなりふり構わないようになれば、やがて大人になった彼らは油断の出来ない犯罪者に育つだろう。そうやって国は内側から腐っていくのだよ」
真摯な顔で自分を見ているサーリチェの視線に少し照れたような顔を返して、ジラソーレは更に言葉を継いだ。
「小さな国だからこそ、端の端まで腐らないように見ていなければならないのだよ。皆がこの国の民であることに誇りを持てるようにしなければ、たちまち大国に飲み込まれてしまうだろうからな」
「申し訳ありません。出すぎたことを申しました」
「いや、思ったことは言ってくれないと俺が困る。俺は良くうっかりするからな」
「そうですね、視察に出て靴を片方無くして来る国主はあなたぐらいでしょうし」
突然の過去の過ちの指摘に、ジラソーレは威厳を失ってあたふたと言い訳をした。
「う、いや、あの時はぬかるみがあってだな」
「別に言い訳をして欲しい訳じゃありません」
「ううっ、ともかく、連中を逃がさないように囲み込むまで気取られないようにしないとな」
「承知。あちらと我ら、どちらが海の女神のご寵愛をいただけるか、ある意味我が国の威信が掛かった戦いですからね」
サーリチェはそう言うと、女性らしいその容姿に似つかわしくない獰猛な笑みをその顔に浮かべたのだった。
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