第150話 海賊の噂

 調度品は豪華なれど薄暗いその部屋に、卓を囲んで座る幾人かの老人が在る。


「最近巷に広まっている噂を知っているか?」


 その一人が切った口火の矛先にいる青年は、一切の表情を消した顔を正面に向けたまま微動だにせず立っていた。


「さて?」


 返事を返す時も、彼は老人たちの誰とも顔を合わさずに正面を向いたまま答える。


「沈まずの船があるという他愛の無い噂よ。東大陸との行き来を既に単独で十回は無事に行なっているという密輸船、いや、海賊船のな」

「なるほど」

「良いか、船は鹵獲、航海地図、日誌の奪取、航海士の確保、これらは絶対の順守事項だ」

「お伺いいたしました」

「貴様は食えない男だが、仕事は出来ると評価している。我らを落胆させない事だな」

「はっ!」


 まるで干上がった陸地に吹く風のような乾いた会話であったが、当人たちには毎度の事で、誰も問題にすることはない。

 例え青年が内心うんざりしていたとしても、それは彼以外の誰にも関係の無い話ではあったのだ。


 リマニ国主ジラソーレは呼び出しから帰るなり執務室で札を切り出した。

 札というのはこの地でよく使われる賭け事遊びの道具で、仕事に使う訳ではない。

 これは彼が自身の苛立ちを収めるための一種の儀式であり、同時に、考えを纏める時の癖でもあった。


「主、またお祖父様方に嫌味を聞かされたのですか?」


 手配した茶を女給から受け取りながらその補佐官であるサーリチェが尋ねる。

 亜麻色の髪をきりりと束ね、ぴしりと軍服を着こなしたその姿は、禁欲的であるがゆえにどこか抑えた女の色が香るようでもあった。


「いつもの嫌味なら良かったんだがな。まあ、いい。どうせ連中をどうにかしなきゃならんのは最初から決まっていた。少々難易度が増しただけの話だ」

「例の海賊ですか?」

「そうだ。それで今夜の騒ぎの報告はどうなった?」

「犬を使っていますが、報告は芳しくないですね。陽が昇るまでなるべくなら現場を荒らしたくないので匂いが辿り難いというのもあるのでしょうが」

「太陽の加護なき時間は魔の時間というからな。だがもし連中ならむしろ歓迎するぞ。近く大きな動きがあればこちらとしても大助かりだ」

「その動きの内容を先に抑えておかなければ後手に回れば裏をかかれてしまいかねません」

「悪賢いネズミ共だからな。全く、信奉者があちこちに潜んでるってのは手に負えねぇな」

「沈まない船というのは船乗りにとって神に等しいですからね。なかなかに賊にしては智者のようです」

「何かこう、付け込むほつれ口が欲しい所だ」

「そういえば」


 サーリチェはそこで緩く微笑んで、注いだ茶をジラソーレに供した。


「主のお忍び用のコートの袖口と裾が酷くほつれていたようなので直しておきましたよ」


 茶を口元に寄せていたジラソーレは一瞬びくりと体を震わせる。


「そ、そうかありがとう」

「どちらにおいでだったのですか?」


 輸入物の繊細なカップとソーサーがカタカタと細かく打ち合う音を響かせた。

 それ以外の音が途絶えた部屋に、そのカタカタという小さな落ち着かない音が唯一時を刻む。

 しばし、目を合わさないこの国の国主とその補佐官の長い沈黙が執務室に横たわったのだった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 ライカ達が通りに出て半刻も経たない内だった。


「なあ坊や達。ここらは物騒だ。もちっと落ち着いた所で飯でも食わねぇか?おじさんが奢ってやっからよ?」


 力に満ち溢れた太い手足、いかにも頑丈そうな首と胸板。

 そんな、絵に描いたような暴力歓迎というなりの男が見せる柔和な表情は、その違和感の余り、逆に信じられそうな気持ちになってしまう。


「申し訳ありません、俺たちだけで大丈夫なのでお誘いはお断りさせていただきます」


 だが、王都で理由の無い親切に痛い目を見た経験を持つライカは、素早く誘いを蹴り、相手の手が届かない距離を取った。


「なるほど、用心深いのはいいことだ。だがな、本当にここいらは物騒なんだぜ。子供だけで歩いていい場所じゃねえぞ?これでも俺は子供好きなほうでな、まあなんだ、ちょっとしたおせっかいっていうか心配した訳だ」


 男の言葉には情の響きがあり、人の心を揺れさせる力があった。しかし、


『獲物を捕らえる獣の意識と同じだ。やめとけ』


 さすがに相手の心の有り様を見ることの出来るサッズには通用しない。


『やっぱりそうなんだ、俺、なんだかちょっと人間不信になりそうな気がするな』

『俺から言わせてもらえば言葉と考えがほぼ常に違う連中がうようよいる種族をちょっとでも信じようとするほうがおかしいと思うぞ』

『それは種族的な話じゃなくて個々の人柄の話じゃないか?それよりなんか雰囲気がおかしくない?』

『ああ、囲まれてるぞ。こいつら慣れてるな、意識に乗せずに行動してるから事前に掴めなかった』


 ライカとサッズの目配せをどう取ったのか、男は優しげな笑みを更に深める。


「うちにも食べ盛りのガキが一杯いてな。子供には慣れてるんだ。かあちゃんも子供好きだしな。良かったら家で飯でも食っていけ、な?」


 この非日常的な場所でふいに出される日常的な話には、どこか聞く者の心を惹く響きがあった。

 だからこそ、その辺りを知り尽くした手管を見せるこの男は、いかにもこの手の場数を踏んでいるとも言える。

 ライカはふと、何かに思いを馳せるように瞳を揺らした。

 それを男は自分の話に心が揺れていると取ったらしい、一挙に距離を詰めてライカの腕を取ろうとする。


「さ、遠慮いらないからな」


「触るな!」


 サッズがその手を軽く跳ね除けた。

 そう、『軽く』打ったように見えたのだが、跳ね除けられた男は、後ろへと跳ね上がった自らの手に引き摺られるように後ろにもんどり打って転がってしまう。

 いっそ滑稽な程に簡単にゴロゴロと転がった男は、なんとか立ち上がろうとふらついた挙句に頭をひと振りすると、ライカとサッズを睨み付けた。


「人が優しくしてりゃあつけあがりやがって!てめーらこの国の人間じゃねぇだろ?旅行か?いいご身分だな?それなら俺達がもっと遠くまで連れて行ってやるぜ?珍しい物もたんとあるし、きっと満足出来るさ。なあ?」


 最後の呼び掛けは周囲を詰めていた男達へのものだ。

 いつの間にか周りから人通りが途切れ、どこか剣呑な雰囲気をまとった男達が緩く囲みを作っている。

 緩いと言っても、彼らの間合いは完璧で、逃がすつもりが無いのは一目で知れた。


「ちぃ、面倒だな。これはあれだ、こう全部ぱーぁっと吹き飛ばしてしまったらいいんじゃないか?楽だし」

「サッズ、それ、関係ない人も巻き込むから駄目。それに」


 ライカは心声で後の言葉を紡ぐ。


『ちょっと気になることがあるんだ。サッズ、さっきあの男が子供の話を出した時、何か感じなかった?』

『ああ、一瞬人間の子供が狭い所に固まってるのが見えたな』

『やっぱり。なんか言葉尻にそんな雰囲気を感じたからさ。あのさ、サッズ、俺行ってみるよ』

『ん?連中についてくのか?なんで?』

『前さ、俺が人さらいに捕まった時。そこに強い思いが焼き付いてたんだ。逃げたい、開放されたいって叫ぶような思いだった。だけどあれはもう終わった後のただの残滓でしかなかったから、俺に出来たのはそれをただ消してしまうことだけだったんだ。けど今なら、もしかしたら取り返しのつく場所にそういう思いをしている人がいるかもしれないだろ?』

『全く話がわからないぞ。その話とお前が連中について行くのと何の関係があるんだ?』

『簡単に言うと、前に出来なかったことをやってみたいんだ』


 サッズは呆れた目でライカを見たが、言葉にしては何も言わなかった。


『お前ほんと、訳のわからないことを言い出すし、やろうとするし、付き合ってると身が持たないよな』

『別に付き合わなくていいよ』

『なんだと?お前の遊びに俺が付き合わないと思ってるのか?俺ぐらいお前の無茶に付き合った兄は居ないぞ、きっと』

『普通ここはサッズにお礼を言うべきなんだろうけど、今、なんかちょっとむかついた』


 顔をしかめるライカに、男達は勘違いをしたらしくニヤリと笑ってみせる。


「そうそう、子供は物わかりがいいほうがいいぜ?怪我でもしたら大変だ、商品価値が下がるからな」


 最早自分たちの目的を隠そうともしない男に最初の男の拳が軽く振るわれた。


「いてえ!何すんだ」

「バカが、いくら人払いしてるからって通りで堂々と話すことか。お頭に知れたら刻んで鮫の餌にされちまうぞ」

「てめぇだってキレていらねぇ事口走ってただろうが?っと、仲間内でこんなことやってると本当に鮫の餌にされちまうぜ。さっさとガキ共捕まえて戻るぞ」


「坊や達」


 目前の男達のやりとりに気を取られていたライカとサッズの後ろから別の男が声を掛ける。

 他の男と違ってその姿はひょろりと細く、どこが病的な肌色をしていた。


「これを見てごらん、とても綺麗だろう?ほら、良い匂いだ」


 言う通り、彼の手には綺麗で小さな作り物があり、そこから青白い煙が上がり甘い香りが漂っている。

 ライカの脳裏でふいに閃く物があった。


(似た香りをどこかで)


 だが、それ以降の思考は途切れ、世界が揺らぐ。

 ライカが最後に感じたのは、自分の目に映った者の、顔半分に布を巻いた、その姿への違和感だけだった。

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