第148話 港町国家リマニ

 その港町は大きさこそそこそこの規模の町だったが、全体的にみすぼらしい建物が多かった。

 なにしろ戦争中は何度も他国の襲撃を受け、更には戦後にも規模の大きい兵隊崩れの盗賊団の襲撃に晒され、家屋が何度も燒失するという被害を受け続けたのだ。

 さすがに町の再建に疲弊した多くの住人が立派な建物を建てるのを諦めるに至ったのは責められるべきことではあるまい。

 だが、人々の活気自体は盛んで、町に響く声は、皆それぞれが太く、張りもあった。

 彼らの港には巨大な船が幾艘か繋がれているのだが、前述した全ての戦いにおいて、彼らは町を捨てて一時船へと退避し、然る後に反撃するという方法で不敗を誇っていたのである。

 何度町を焼かれようと船と海がある限り自分達は誰にも負けないという自負が、彼らを大らかで威勢良くさせていたのだ。


 そもそもこの大陸には港となる海岸は少ない。

 多くの海に面する場所は、断崖絶壁となっているか、逆に遠浅で港に適さない地形なのだ。

 なので大陸中で漁師の使う小規模な物を除く大きな港はたった二つしかない。

 そして位置的に、この港こそ、海外へと通じる、唯一の玄関口となっていた。

 外国航路を行く船の損失率が恐ろしいことに六割を超えていようと、いや、だからこそ、海外の品は高値を呼び、見掛けはともかくこの地には巨万の富が集まっている。

 富の理由はまだあった。

 この町は河口に作られているのだが、この河の遙か上流には肥沃な大地を誇り、戦乱を免れた唯一の中堅国家であるエルデという国があり、その国の豊かな物品が集まるストマクという街が河沿いに存在している。

 船を操り河を容易く行き来するこの町の船乗りは、その街の物品を河沿いの町に運搬する足となっており、現在の大陸中央部の交通の要でもあった。


 そのような立ち位置から、様々な思惑で狙われ続けたこの町は、戦時、全くあてにならない盟主国の支援を見限って、どさくさに紛れて独立し、単体の都市国家となっていた。

 つまり、一見みすぼらしい港町はこれ自体が一つの国でもあったのである。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「え?お金がいるんですか?」


 そびえ立つ防壁に囲まれたその町は、出入りに厳重な警備体制を敷いていた。

 その警備の兵から告げられた、一人二リアン(銀貨で二枚)もの通行符の購入義務にライカは困惑する。

 その通行符が無いと町には入れないと告げられたのだ。

 空から見えた海沿いの町へと訪れたライカとサッズであったが、そういう訳で、その入口で早速行き詰ってしまっていた。


「そうだ、それにお前たちは問題なさそうだが、持ち込みの荷物がある場合、本人の背負える量を超えている時には、その物品にも通行符が必要だ。もちろん入る時だけではなく出る時にもな」

「そうなんですか」


 荷物の件はライカ達には関係ないことに思えたので聞き流したが、流石に二人で銀貨四枚は大きい。

 なにしろライカは持ち金のほとんどを失っていたし、残っているのはサッズの持つ、乏しくなってきた換金用の装飾品と、隊商で貰った手付かずの賃金のみ。

 この辺りでも自国の通貨が使えることがわかったのは良かったが、ここで四リアンを失うと、この先人里で食事や宿を賄う場合に心細いことになるのは目に見えていた。


「別にどうしてもここに入りたいって訳じゃないんだし、他へ行こうぜ」


 町の出入りを守る兵士の横柄な態度にイライラを募らせていたらしいサッズは、既に離脱体勢に入っている。

 ふうと息を吐いたライカは、仕方なく町に入るのを諦めてそこから離れることにしたのだった。


 海岸沿いを流して、邪険にされた港町近くの漁村を発見した二人は、とりあえずそこを訪れた。


「なんだ?坊や達二人で旅してんのか?まぁおかしくもないか。そうだよな、今時親亡くして若い内から放浪してるガキなんて一杯いるもんな」


 ガハハと笑うその男は、昼間から赤ら顔になるほどに酒を食らい、なまりとろれつのせいで全くわからない言語でしゃべり掛けている。

 表層意識を読み取ったサッズが伝え来る意味合いと男の言語とをライカが自身の頭の中で組み立てて聞きとるという面倒な方法で会話が成り立っていた。

 しかし、男を責めるのは間違っているのだろう。

 何しろ彼らのいるのはれっきとした酒場であり、酒場である以上は昼間だろうが酒を飲むのは当たり前のことなのだ。

 と、いうのもまぁ男の主張だったのだが。


 簡単に言うと、二人は酔っぱらいに絡まれていた。

 何しろこの村で食事を出せる店がこの酒場しか無かったのである。

 好むと好まざると無く、この結果しか無かったとも言えよう。

 サッズなどは、男のあまりの酒臭さに、彼自身が半分酔っ払ったような気分になったらしく、何かフラフラしながら食事を掻き込んでいた。


「お料理美味しいですね」


 店の店主はあまり愛想の良い男ではなさそうであったが、食事は驚く程美味しかったため、お世辞でもなんでもなくライカはそう話を向ける。

 正直に言って、酔っぱらい以外と話したいという気持ちがあった。


「漁村だからな、新鮮な魚介にゃ事欠かね」


 ぼそりとそう返答する様子からは怒っているかのようにも見えるが、サッズの見立てによると喜んでいるらしい。

 実にわかりにくい店主だった。

 食事は、ライカがそう言ったように、初めて食べる物だったが驚くほど美味しく、また値段も安い。

 ライカの見たことのない何か癖の少ない穀物の上に香味野菜を敷き、その上にたっぷりと魚介を盛って何かの乳で煮込んでいるらしい料理だった。

 乳といえばこの店では飲み物は山羊の乳と酒しか無く、仕方なく頼んだ山羊の乳は匂いが濃厚で、ライカやサッズはむせながら飲んでいた。

 それを見かねた店主がそれに何か手を加えて温め直してくれて、少し飲みやすくなったのである。

 見掛けによらず親切な男なのかもしれなかった。


「そういえばここに来る前に大きな町へ入ろうとしたら通行符とかが高くて入れませんでした。町へ入る人もあんまり居ないようでしたし、交流の少ない町なんでしょうか?」


 ライカの言葉に、店主と酔っ払いの男が揃って呆気にとられたようにライカの顔を見て、しばしして爆笑する。

 おかげでライカは訳も分からずに赤面した。


「ははっ、わりぃわりぃ坊主ら天下のリマニを知らんのか!こりゃあ傑作だ!ざまあさらせ!!」

「あの」


 酔っぱらいの男は尚もゲラゲラと腹を抱えて笑い転げ、そのまま椅子から落ちてしまう。


「あ」


 サッズが呆れたようにその姿を目で追っていたが、すぐに興味が失せたのか、山羊乳の攻略を再開した。

 男はそのままいびきをかいて寝てしまったようである。


「気にするな、陸に上がった漁師が無様なのは当然のことだ。放っておいても船に乗ればまともになる。問題ない」


 店主がそっけなく言うので、ライカは汚い床に転がって寝ている男から目を逸らした。


「あの、リマニというのはあの町のことですか?」

「そうだ。お前たちが遠くから来たなら無知なのは仕方のない話だ。あの町に陸路で入ろうという者など普通居ないからな」

「えっと、それはどういうことですか?」


 店主の言にライカは説明を求める。

 どうやら有名な町らしいと知って興味が湧いたのだ。


「あの町は陸路だと通行符を買わせるが、船で入れば乗船賃だけで済む。乗船用の半券が通行符の代わりになるんだ」

「船ですか!」


 ライカは船に乗ったことが無い。

 今の会話で俄然興味を持つこととなった。


「そういう船ってどこから乗れるんでしょうか?」


 その問いに、店主は肩を竦めて答える。


「定期船は河を往復している。だが海からなら漁師に頼むしかねえ。しかしそれだと乗船券が得られないので意味が無え」


 案外難しそうだ。

 ライカは思考を巡らせる。

 陸路が駄目、船が駄目なら海を直接泳いで入ったらどうだろうかと。


 入れなかった当初は別にそれ程固執していなかったのだが、話を聞いてみるとその町の特殊性が気になり、ライカはそのリマニの町への侵入を考え始めていた。


「ふーん、面白そうだな」


 ライカのプランを聞いたサッズは、開口一番そう答えた。

 サッズとしても別に反対する理由もない。

 けんもほろろに追い払われたことが面白いはずもなく、それに対する意趣返しの気分もある。

 海に潜るのは二人共得意だったし、サッズが一緒ならライカはほぼずっと水中にいることも可能だ。

 何しろサッズは空気を水中に誘導出来るのである。

 困ることがあるとすれば海水の冷たさと荷物のことだったが、それについても、空気の膜を全体に張ればいいだけの話だ。

 移動用に手足の先だけを水中に出せば、濡れることも無く移動出来るはずである。


 そんな訳で、二人は、全くの興味だけで違法の越境を試みることとなったのだった。

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