第146話 自由の翼

 ゴオォと音を立てて風が過ぎていく。

 ライカは久々の風を切る感覚に思わず笑い声を上げた。


「また雨が降りそうだぞ」


 サッズの言葉に頭上に広がる空を振り仰いだが、まだ雲は僅かで色の薄い空に雨の気配は無い。


「どのくらい余裕がありそう?なんなら雲の上に出る?」


 雲の上に出る場合はサッズが周囲を大気の層で覆う為、風を感じる事は出来なくなるのでライカはあまり好きでは無かった。

 眺める物が雲しか無いというのもある。

 といっても、朝や夕暮れの太陽を浴びた雲や月の光に輝く雲はそれだけで十分美しい物だが、今はまだ昼前で雲は単なる雲でしかない。


「まだ夕方までは大丈夫そうだが、とりあえず飛べるとこまで行ってみるか。ところで、街には真っ直ぐ戻るか?」

「そうだね、出来れば来た道じゃない所を通ってみたいし、地上に何かあったら降りて調べてもいいし、そんなに慌てなくていいんじゃないかな?」


 言いながらふと地上を見たライカは、農作業中らしき人が彼らを驚いたような顔で見ているのに気づいた。

 もはやすっかり開き直ったライカは、それへにこやかに手を振ってみせる。そしてそのままサッズの滑らかな光沢のある背で寝転がった。


「こうしてると風に乗ってるみたいだな」

「何手を離してるんだ?飛ばされるぞ」

「肩の突起のとこに足を引っ掛けてるから平気」

「お前昔、飛んでる俺の足の上で寝てた事あるもんな、降りるに降りれなくなって困ったな、あの時は」

「いいだろ?サッズってずっと飛んでても平気じゃないか」

「昔は地に足を付けなかった飛竜も居たって話か?あれは大気にエールが満ちてた頃の話だろ」

「でも平気だろ?」

「腹が減るからやだ」

「あ、それだ。持たせて貰ったのって保存食だったろ?あれは取っておいて狩りをしよう」

「狩りか、そういや久々だな」


 サッズは言いながら地上を見渡し、眼下に黒々とした牛の群れがいるのに気が付いた。


「丁度良いからあれにするか?」


 そう言って示すのを、背中からズルズルと這って端に寄ったライカが確認する。

 じっと見て、何かに気づいて眉を寄せた。


「サッズ、あの獣の群れの周りに人が作った柵みたいなのがある。きっとあれは人間の飼ってる獣だよ。ほら、農園にも柵に囲まれた動物がいただろ?」

「それにしちゃえらく広い範囲を囲ってるな。あんなに捕まえて閉じ込めておく必要があんのか?」

「王都の人の多さを見ただろ?あの人達は自分では狩りとかしないからそういう人たちに売るんじゃないかな?」

「なるほど、群れ社会だからやれることを補い合う訳か。そうすっと自然に一人が大勢分を抱え込まなきゃならんことになるからな。ああ、畑作って作物育てたりするのも同じ話か」

「おお、サッズが賢い」

「一々うるさいぞ」


 そう言うと、サッズはいきなり我が身を錐揉みさせるように回転した。

 その背にいたライカは宙に放り出されたかと思うとサッズの羽に回収され、その繰り返しでお手玉をされているような状態になる。


「ちょ、目が、うおっ、サッズ、ちょっと」


 グルグル回されてすっかり目を回したライカは、やっと水平飛行に戻ったサッズの背でひっくり返った。


「いくらなんでも酷い」

「俺の偉大さを感じろ、愚か者め」


 ぐったりとへたり込んだライカを背に、サッズは思う存分に空を駆ける。


「う~、覚えてろ」


 それでも飛んでいる速度に比べて吹きつける風が急激に弱まったことで、ライカはサッズが自分のために風圧を弱めたことを悟って笑みを浮かべた。

 ただ風の勢いを遮断するだけだとライカがいい顔をしないので、どうやってか細かく調整しているらしい。

 それはライカと飛ぶようになって覚えたサッズの特技だった。

 そのそよとした風の中に、今度はライカもはっきりと水の匂いを感じた。

 雨独特のどこか尖った匂いが、自己を主張するように微かに漂っている。


「サッズ、とにかくどっか降りようよ。ここどこらへん?」

「王都から北極地寄りの西部、街道からはかなり離れたぞ」

「極地基準にすると凄い大雑把な感覚がする。人の気配はある?」

「いや、この辺には人間の気配は無いな。下は草原地帯から岩場への切り替わり箇所か。早駆け竜がいるぞあれでも狩るか?」

「いくら単純思考で意思疎通もままならない種族だからって、一応竜の後継種族なんだから、よほど他に何も居ない時にしようよ」


 ぐったりとしながらもようやく這い進んだライカが再び下を覗けば、大きな影を感じたらしい、ほっそりとした、どちらかというとトカゲ種にこそ近いように見える早駆け竜、草原竜がこちらを見上げている。

 互いに声を掛けあって身を寄せ合うと、警戒するようにピイピイと鳴き声を上げた。


「エイムじゃないが、ああやって弱いくせに挑発的に喚くのを見るとつい蹴散らしたくなるんだよな」

「それって弱い者虐めじゃないか?駄目だから、恥ずかしいことだからね、それ」

「ちっ、仕方ないな」


 行儀悪く舌打ちしてみせると、サッズはやや角度を取ってそこを離れる。

 しばらくすると、岩場のほうに毛の長い、牛に似ているが、それよりは俊敏そうな生き物が草を喰んでいるのを見付けた。


「あれにしよう、サッズ」

「了解、掴まっとけよ」


 頷いて、背の突起に両手で掴まったライカを感じ取ると、サッズは周りの風景も霞むような急降下を開始する。

 普通なら風を引き裂く甲高い音が霧のような白い軌跡と共に流れている速度だが、空気のベールを纏って抵抗を受け流して下降するサッズは音など無く、それまで圧倒的に周囲に放っていた存在感さえもどこかに消えた。

 それこそは他の竜種には不可能な、飛竜だからこその狩猟方法である。

 遠くからその様を見ると、空が白いベールを引いて降りてくるように見えるらしい。

 といってもそのベールが出来る頃にはとっくにその竜の本体はそこには無い。

 そこに模様が浮かぶ頃には既に狩りは終わっているのだ。


 獲物を解体するのをサッズに任せると、ライカは一人岩場の緑地を目指した。

 春先のまだ柔らかい蕾を守るように包み伸びた若芽をいくつか積んで、ふと、火を燃やすのに使えそうな物が無い事に思い至る。

 ライカは困ったようにううむと唸ると、周りを見渡した。

 巨岩の重なりあいによって出来たようなこの岩場には岩と岩との隙間が多い。

 そして、その隙間に這うように広がっている潅木がいくつかあった。

 触れて調べてみると、その潅木は乾燥はしているものの表皮が固く、あまり燃えそうな木では無い。しかし、枯れて表皮を守る成分が飛んでいれば使えるだろうと思えた。

 ライカはそのまま立ち枯れの物を探して歩き回り、目的の物と、ついでに雨を凌げそうな隙間を見付けた。

 そこは岩が自然に削れて張り出しのようになっていて、丁度どこかの大きな家の屋根の軒下にでもいる程度の空間がある。

 同じように思ってやって来たのか、先客に大きな蛇がいたが、物のついでにとナイフを取り出したライカを見て取ると素早く逃げ去った。

 なかなか賢い蛇だったようである。


「サッズ、いい所があったからこっちへ移動しよう」


 解体を終えて、ついでに既にいくつか味見を済ませたらしく、ライカは口にしないであろう内臓類が消え失せている。

 サッズの好みからすればそっちの方が本命だったのだろう。

 我慢ならずに食べてしまったという所が真相なのかもしれない。

 満足そうな笑顔を見せるサッズに、ライカは溜め息を吐くと、その日と翌日の分の肉と、いくらかは干してみようと思っている分を取り、ついでに骨の太い物を数本纏めた。

 それ以外は既に集まってきている大きな鳥たちに任せれば良いだろうということで、物珍しそうに竜であるサッズを眺めながらも、ちょっと寄って来ては味見に啄んで飛んで逃げるのを繰り返している彼らに背を向ける。

 途端にギャアギャアと騒ぎ始める鳥達の逞しさに二人は顔を見合わせて笑った。


「狭いから人間の姿になってよ」


 ライカがそう頼むと、サッズはぎゅっと絞ったように姿を変える。

 そのまま一向に服を着ようとしないサッズに、ライカは苦言を呈した。


「誰か来るかもしれないだろ、ちゃんと人間の姿の時は人間らしくしてよ」

「めんどい、後で考えるからとりあえず飯作って」


 ライカは顔を引き攣らせながらも、とりあえずは火を点けるのが先なので石を積んだ風囲いの後ろでほくちを解して火花を飛ばした。

 ほくちに火が移ると細い枯れ枝を寄せて火を育て、順繰りに火を大きくする。

 ここの潅木の枯れ木は、硬い藁のような質感で有難い事に燃えやすかった。

 パチパチと、ところどころでは火を弾くが、松の一部の種類のように、酷い匂いを発して煙ばかり出す物よりは遥かに癖が強くない。

 それなりに煙は多いが、開けた場所なので然程問題にはならなかった。


 大きめの石で作った足場に薄く軽くした旅用の鍋を置き、この手の便利な備品をを手際よく揃えてくれたエッダに感謝の言葉を呟く。


「エッダさんありがとう、おかげで二人だけでも人間らしい食事ができそうです」


 その名にびくりと一瞬反応したサッズだったが、鍋と、そこに放り込まれている肉といくつかの野草をつくづくと眺めて、やはりそれにならった。


「うむ、エッダありがとう。新鮮な獲物は生もいいが、やっぱり料理になった食い物を食べつけると癖になるな」


 後半は単なる食い物に対する感想になってしまう残念なサッズであった。

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