第141話 黒の宗主

 時間軸からすれば全くのゼロ時間で、距離としては本来ならばいかに竜でも半日は掛かる移動を感覚が確認して、サッズの意識は『くらり』と歪んだ。

 人間的に言えば眩暈に相当する気持ちの悪さを覚えたのだ。

 竜の感覚は世界と自分の関係を常に明確に捉えている。

 その為、『有り得ない』移動に一瞬身体の感覚が追い付かずに混乱が生じたのだ。

 本来、いかに人間から見れば超常の存在である竜とはいえ、世界を構成する時間軸の存在しない空間など渡れるはずもない。

 そもそも時間が動かないということは全ての現象は停止したままという意味だ。

 それがこの次元世界のことわりであり、逸脱は有り得ない真理でもある。

 それなのにあろうことか時間の存在しない空間を創り出し、あまつさえそれを使って移動出来るエイムの能力は竜としてすら異常だった。

 だが、異常であっても実際にそれが存在している以上、使えばいいじゃないかというのが竜王達の考えだ。

 人間と違ってなぜそうなるのかは全くに気にならないのだ。

 というか、逆に実際に起こる現象にいちいち疑問を感じる人間という種族が他の生物から見れば変わっているのだろう。

 ともあれ、家族はエイムの能力を気にせずに使ってはいたが、一方でそれを使うのは決して好きではなかった。

 座標の移動がゼロ時間で出来るという異常が、下手に知覚が発達している分気持ち悪いのである。


「あ~、相変わらず嫌な感覚だな。これはあれだな、エイムが阿呆だから使えるんだろうなきっと」


 サッズは自分の気分の悪さを使用者であるエイムに文句を付けることで軽減すべく、堂々と罵った。


「ふ、自分がいつもライカから馬鹿だ馬鹿だと言われてるんでその八つ当たりか?残念ながらわっぱに雑言を吐かれたからといって腹を立てる俺じゃあないぞ?」


 言いながらエイムはサッズの頭を片手でがっしり掴んで力を込めた。

 サッズの頭部からはみしみしと危険な音が発せられている。


「ちょ、まて俺の頭が歪む!やめ!エイム、こら!言ってることとやってることが違うだろ、お前!」

「ん~?サッズ、言うべきことが違うんじゃないか?」

「てめ、王体にまでなってそのガキっぽさはどうよ?いいから離せ!」

「あ~、お兄さんにごめんなさいを言えないのかな?サッズは良い子だよね?ごめんなさいは?」

「誰が謝るか、阿呆!」


 途端、ぎりぎりと頭を締め上げられたまま、サッズの足は地面を離れた。要するに吊り上げられたのである。


「うんうん、そういう強情さはサッズらしくていいよな。なんか楽しくなって来たぞ」

「いい加減に!」


 ぶんと空を切る音が響いて、サッズの足が鋭くエイムの顔面を捉えた。


「しろや!」


 まるで岩と岩とがぶつかり合ったような重い音が周囲に響いたが、当事者達は意に介さず、やっと相手の手から逃れたサッズと顔面を思いっ切り蹴られたエイムはそのまま向かい合った。


「うん、なかなかいい蹴りだったな」


 だが、蹴られたはずのその顔面には全くその痕跡は無く、エイムは何か感慨深げに自分の顔を撫でると相好を崩してニコニコと笑った。


「やっぱり少しは成長したかな?サッズも」

「そりゃあ成長するだろ、成長期だし」


 胸を張って言うサッズも全く悪びれない。

 エイムはその言葉にふうと溜め息を吐いた。


「お前達が成長するのは嬉しいけど、そうすると巣立ってしまうかもしれないんだよな。それは嫌だな」

「いや、普通だろ?それ。むしろエイムこそいい加減親離れしろよ?巣立たない竜なんて俺が受け継いだ歴史の中にもいなかったぞ?おかしいだろ?自分でそう思わないのか?」

「いやいや、おかしくないだろ?家族とは離れたくないものじゃないか?むしろ平気で本能のまま巣立つほうが変だろ、サッズも家にいればいい。ライカもすぐに人間の群れなんかつまらないって帰ってくるさ」

「エイム、そろそろ諦めろよ?仕方ない奴だな」


 サッズは話の途中からしょんぼりと肩を落としてしまったエイムの肩に飛び乗ると、その目の下を撫でてやった。

 色々と面倒くさい相手だが、サッズはこの兄が嫌いではない。

 まだまだサッズが幼かった頃、歯がむず痒くて噛み付きまくっても、文句一つ言わずに遊んでくれた相手でもあるし、一見傍若無人でありながら、やたらと寂しがり屋の面があり、ライカが人間の中で暮らすと決めた時にしばらく立ち直れなかった経緯もサッズは見ていた(尤もその時はサッズ自身もライカに着いて行くと言ってさんざんごねていたのだが)。

 家族への愛情が強すぎるのが長所でもあり欠点でもあるのがエイムなのだ。

 ちなみに目の下を擦り合わせるのが竜の愛情を込めた挨拶であるのだが、こうやって相手だけの目の下を撫でるのは人間で言えば頭を撫でるのと似たような意味合いである。


「あなた達はいつまでも何をやってるんですか?ライカを一人で待たせているんでしょうに」


 そんな彼等を迎えに来たのか、いつの間にか傍まで来ていたセルヌイが呆れたように声を掛けたのだった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 居住空間の内、最も広い広間にタルカスが待っていた。

 漆黒の身体を覆うその鱗は研ぎ磨かれたように鋭く、仄かに光沢を帯びている。

 本来、年老いた竜の鱗は丸く角が取れ、一般的な爬虫類に近い姿になるものなのだが、タルカスの姿はまるで若々しい成体に成り立ての竜のようにすら見えるものだった。

 世界を創造し、維持するだけのエールを放出して尚余る力が、次々と新しい肉体を再生させるので劣化する暇が無いのである。

 王体となる竜は皆、その心臓に当たる竜珠から生成される力が生命を維持する分を超えた者ではあるのだが、その王の中に在っても、タルカスのその力は異色な程に強大だった。

 或いは、その混沌という族命が既にその有り様を表していたのかもしれない。

 何しろ竜的に言えば、混沌とは生命の根源を表す言葉なのだから。

 だが、そのような存在の重さを感じさせることもなく、タルカスはどこか面白がるように言った。


「大概お前も我が侭だな。いざとなれば外せるものを時を待たず約を果たさずに枷だけ外せと言うのか」

「単に必要が無くなったと言ってるだけだろ」


 対するサッズの言葉にはどこか甘えがある。

 セルヌイにはやたらと反発するサッズだが、タルカスに対する時にはそういう微妙な年頃ならではの余計な心の壁は取っ払われるようだった。

 竜には遠慮などという考え方はないので、相手に対する意識の違いを彼等は別段取り繕うこともなくそのまま態度に表すのである。


「約束は、その指輪を砕いて竜体にならねばならなくなった時にはライカの元を離れること、だったな」

「まだ砕いてないぞ」

「そうだな」


 タルカスは言ってニヤリと笑った。


「お前も悪知恵が働くようになったものだ。人の中で暮らした甲斐があるということか」


 サッズはムッと押し黙り、エイムはうんうんと頷いて、セルヌイは静かに微笑んでいる。


「別にそれが悪い訳ではないぞ?悪知恵も知恵の内、それは一つの力ではある」

「こんなのは悪知恵の内には入るかよ。人間の悪知恵は驚くばかりのものだからな」


 言い逃れにすらならない言い方でサッズは応えると、更に言葉を継いだ。


「この指輪が無くても人間の姿を保っていられるようになったから、制約ももう必要ないだろって言ってるんだよ」

「まあ確かに、本音が漏れすぎているな、お前は」


 今度は明らかに笑われて、サッズは苛立ったように声を荒げる。


「そういうはぐらかしはもういいからさ、どうするのか決めてくれよ。これを外してくれるのか駄目なのか」

「サッズは気が短すぎます。心配でなりません」


 傍らで嘆息するセルヌイをチラリと睨んで、サッズは腕を組むと踏ん反り返ってタルカスを見上げて目で催促をした。


「急くな、ライカとて一人で一夜ぐらいは過ごせるだろう。あの子はあれでお前達よりはしっかりしているよ」

「どういう意味だよ!」

「いや、お前がしっかりしてないって以外に意味はないだろ」


 すかさず突っ込むエイムを睨み上げて、サッズは指摘した。


「一人っきりで一夜とか正気か?エイムは心配じゃないのかよ」

「確かに心配だな」


 言われて、一転してエイムはサッズの憤りに納得する。


「あの子はお前達よりも成熟しているよ。さすがに成長が早いのだろうな。少し寂しくはあるが」


 タルカスは、しかし彼等を意に介さずにそう言ってのける。

 サッズの不満は更に募った。


「タルカスがどう思っていようと俺は急いで戻るつもりだ。で、外してくれるのかくれないのかどっちだ?」

「ふむ」


 タルカスは一言呟くと、ふわりと姿を変えて人の身になってサッズの前に立った。

 それは黒髪黒目の青年の姿だったが、相対するとその目に在る強い輝きがそれだけで他者を威圧してしまう。

 その姿で、タルカスはサッズに向かい合った。


「それでは聞くが、お前は完璧に人の姿を保つ自信があるのだな?寝ている時すらも」

「ああ、そうだ」


 サッズは気圧されながらもはっきりと応える。


「表面だけ、人という物がわかっているだけでは難しいことなのだぞ?例えば私はこうやって人の姿を取ることが出来るが、それは単に無理やりに象っているに過ぎない。寝れば解けて元に戻るだろう。これはエイムも同じだ。しかし一方で、セルヌイは人を理解している。だから寝ていてもそのままの姿で過ごせるのだ。それはわかるな?」

「ああ」

「ならばお前の理解を示せ」


 覗きこまれた眼差しの強さに、サッズはごくりと唾を飲み込む。

 だが、それでもその目を逸らさずに、しっかりとそれを受け止めて頷いたのだった。

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