第136話 奥方様と話そう!其の一
「でも、俺、あんまりお城の中には入ったこと無いんです。城郭の中の治療所には通っていたんですけど」
ライカは、そういえばと、実際に領主と会ったのはほんの数回だということも思い出し、なんとなく申し訳なく思った。
ましてや城に入ったことなどサッズの換金騒動の時ぐらいだ。
この女性の親友という人のことは全くわからない可能性が高いのである。
「療法師をお抱えにしたのね、聞いているわ。あなたはそこに通って何をしているの?」
「治療のお手伝いとか、あんまり役に立てることも多くは無いんですけど、雑用なら俺でも出来ますから。実は先生に貴重な本を頂いて、その分働こうと思って」
「本を?そう、勉強熱心なのね。知るということは素晴らしいことです。全ての判断は知識の向こうにあるものだから知らないことは判断出来無いししてはいけない、というのが私の持論なの。だから知識は本当に大事」
ライカの話は彼女の知りたいことからはかなりずれていたはずなのだが、苛立つ様子もなく一つ一つ相槌を打って聞いてくれる相手に、ライカはついつい聞かれるままに答えてしまい、ハッと本来の用件を思い出して、慌てて軌道修正を試みた。
「あ、そうだ、領主様のお城でしたね。一度だけ中に入ったんですけど、凄く広くて驚きました。中に森みたいな庭があって」
「いただいた文に少しだけ書いてあったわ。手近で便利なので疲れた時はそこに隠れているとか」
「あ~、そういえば」
いつだったか領主からそういった話を聞いたような気がして、ライカは確認するようにその時一緒だったはずのサッズをちらりと窺ったが、サッズのほうは話に興味がないということを態度に表して暖炉の火を目で追っていた。
心中で溜息を吐きながら、ライカはそちらを当てにすることを諦め、自分の記憶を探る。
記憶の中のいたずらっぽい、温かみのある領主の顔を思い出すと、それだけでどこかホッとする気持ちが湧き上がるのをライカは感じた。
そして、よく考えなくても、その言動からして領主が色々な所でサボっていたのは確実そうだと納得もする。
それにしても、とライカは考えた。そんな砕けた話題を手紙として交換するような間柄なら、彼女はかなり領主と親しいのだろうかと。
「仕事がお忙しいんでしょうね、時々そうやって休んでいるみたいです。でもお仕事はちゃんとされているし、領主様は凄く気さくで優しい方なので街でも人気があるんですよ」
それでもどこまで踏み込んだ話をしていいかわからずに、ライカは自分の周囲でよく聞く評判を口にしてみた。
親しい間柄ならば、そういうこともきっと気になるはずだと思ったのだ。
「ええ、あの方は元々貴族でもなんでもない、それどころか戦争で故郷も家族も失った流民だったのは知っているでしょう?だから貴族よりも市井の人達と話がし易いの。実を言うと私もそう。元々は単なる商家の娘に過ぎなかったから、あの方の心情は理解出来る気がする。でも、私のほうは意地っ張りだからそんな風に素直に行動することは出来なかったけれど」
どこか自嘲するような笑みを浮かべると、リエスンは軽く頭を振って、ライカに先を促した。
「俺が知ってることと言ったら、でもそのぐらいですよ。時々うちの店に食事に来られることもありましたけど、ほんの数回ですし」
「うちの店?」
「はい。俺が働いてる店です。宿屋兼食堂のお店でバクサーの一枝亭っていうんです」
「まあ」と、リエスンは少し困ったような顔して見せる。
「もしかしてラケルド様はいつもお一人で行動していらっしゃるのかしら?」
「そうですね、他に人を連れていることはあんまりないみたいです。領主様はとんでもない抜け道とか使ってるし、さすがについて回るのは大変なんじゃないでしょうか?」
「抜け道?あなたはそれを知っているの?」
「ええっと、……実はそれ、ないしょです」
ライカの慌てた対応に、リエスンはクスクスと笑った。
「あの切れ者と恐れられた補佐殿と、油断ならない銀月の騎士殿がさんざん振り回されているかと思うとちょっと愉快だわ」
切れ者の補佐の人のことは知らないが、油断ならない騎士という表現には思い当たる相手があったライカは、警備隊、風の班の長を務めている飄々とした男を思い浮かべる。
確かにあの普段は剣呑な雰囲気のザイラックが、領主の前だとすっかり毒気を抜かれてしまう様子は、見ていて微笑ましいものだった。
「でも、私としてはあの方にお一人で出歩いて欲しくはない気持ちもあるわ。あの方はこの国にとってとても大事な方なのだから、もう少し御身を大事になさってくださったらいいのだけれど」
リエスンの口調にまた『威』の気配が混ざるのを感じて、ライカは心持ち身構える。
背後でサッズの気配も僅かに変わったのを感じて、ライカは慌てて言葉を継いだ。
「領主様は竜騎士でもあるのでしょう?お一人でもそんなに危険は無いのではないですか?」
「そうね、竜騎士であるというのは確かに大きな示威ではあるわ。でもしょせんは獣は獣に過ぎない。獣に人の謀略や悪意がわかるはずもないのですから、あの方には優秀な人間の補佐が必要なの。だから、あなたも是非、あの方のお力になってさし上げてね」
あの思慮深いアルファルスを獣呼ばわりされて、少しムッとしたライカだったが、竜と話すことの出来無い普通の人に彼の知性がわかる訳もない。そう思い直して抗議をするのは控えた。
『ふん、獣といえば人間種族のほうがよほどそれに近いだろうに、よくも言うものだ』
サッズのほうはアルファルスのことはどうでもいいが、地上種とは言え、竜族に対する表現には文句があるようだったが、流石に暴れだす程のことはなかったらしい。
『サッズも大人になって来たよね』
その事実にライカが微かな感動をしていると、横から飛んできた足に膝小僧を蹴られてしまった。
「あっつ!」
「どうしました?」
「あ、いえ、机の脚に足の指をぶっつけてしまって」
苦しい言い訳である。
『酷いだろ?俺が素直に褒めたのに!』
ライカは心声で自分を蹴ったサッズに抗議した。
『お前の褒めるってのはああいうのか!そんな褒め言葉いらん!』
『じゃあ、訂正するよ。サッズってまだまだお子様だよね』
『喧嘩したいならそう言うんだな』
『サッズはわがまま過ぎるね』
『お前、今すぐ空の果てでグルグル回してやるからちょっと外へ出ようか』
ガシガシと椅子の足を鳴らし始めたサッズに、ライカが文句を言おうとした所で、
「ごめんなさい、お友達には退屈な話だったみたいね。お話を聞かせて貰うのにおもてなしもしないで申し訳なかったわ。ニアス、侍従にお菓子とお茶を、いえ、乳茶をお持ちするように伝えてちょうだい」
「乳茶?」
初めて聞く言葉にライカは首を傾げる。
「お湯ではなくて温めたミルクでお茶を淹れた物なの、ハチミツとほんのり肉桂の粉を入れるととても美味しいのよ」
「肉桂?」
まさかここでその名を聞くとは思わなかったライカは思わず聞き返していた。
サッズもいつの間にかきちんと大人しく椅子に座っている。
「ええ、あまり馴染みのない薬味でしょう?我が家付きの薬師が、私のような年寄りには最適だと言って薦めてくれたのだけど、ちょっとだけぴりっとしてとても美味しいのよ」
「そうなんですか、肉桂はお城の中の森にもありましたよ」
「それは素敵ね、あの木は本当はもっと温かい地方に生えているということだからこの国に自生していたりはしないと思っていたわ」
「あそこは壁に囲まれていて風が入らないから温かいんです。だからじゃないでしょうか?」
『まぁそんなに気を使ってもてなそうというならもう暫く我慢してやっても良いな』
サッズが何やらぼそっと呟いたが、ライカはそれを無視することにした。
リエスンは、お茶が運ばれて来るまで自身の聞きたいことはひとまず置いておくことにしたらしく、ライカを相手に珍しい菓子や動物の話を披露してくれた。
ライカもそれに応えて自分の経験を話す。
「そういえばストマクの市場で大きな鳥の肉を食べましたよ、確かモアとか言う鳥でした」
「それは珍しい物を食べたわね。ストマクはこの国の流通の中心だから色々な珍しい物が集まるわ。私が子供の頃は今よりもっと小さな街だったけれどやっぱり活気があったのよ」
「流通って何ですか?」
「商人の用語で物の流れのことね。例えばあなたの街から木材やハチミツを商人が運ぶでしょう?それは小さい商人ならそのまま旅先で売ってしまうけれど、大きな商人は一旦倉に保管するの」
「保管してどうするんですか?」
「それをどこが一番欲しがっているかを調べて注文を取ってそこへ届けるのよ。そのほうが高く売れるでしょう?」
「でも、それだと時間が掛かりますよね?」
「そう、だから商品を良い状態で保管する倉が必要なの。あの街に倉が沢山あったのを見なかった?」
「あ、そうか、集めた商品を一旦あの倉に全部置いておくんですね。だから物がそこに流れ込んで、そこから流れる。つまり流通の中心なんだ」
ライカの理解の言葉にリエスンはふわりと笑うと、言った。
「あなたは誰か先生について勉強を教わったりしている?」
「え?治療所の先生に少しだけど教わっています」
「そう。もしあなたがもっと勉強がしたいと思ったら、ラケルド様にご相談してみるといいわ。あの方なら必ず良い道を示してくださるわ」
彼女の、どこか底知れないまなざしに、ライカはやや押されつつ尋ねる。
「リエスンさんは領主様をとても尊敬しているんですね」
「ええ」
リエスンは少し力を抜くと、椅子の背もたれに体を寄せた。
「ええとても。そして少しだけ憎らしくもあるの。いいえ、羨ましいのかしら。あの方は、私が自分の全てを投げ打ってでもやろうとしたことの、更にその先を軽々と成してしまわれた。私の愚かな浅知恵などどれ程つまらないものか思い知らされたわ」
その言葉はどこか重く。そして、少しだけ熱を孕んでいるように聞こえたのだった。
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