第135話 月の座を持つ者

 リエスンと名乗ったその女性は、扉の外まで同伴していたらしい相手を外に待たせると、静かな動作でライカとサッズに視線を落とした。

 同時にライカも彼女を観察する。

 その女性は、今までライカが出会った人間の女性の中でも年齢は上の方だと思われた。

 髪には斑に白と茶が混ざり、木漏れ日の落ちる枯葉の大地のような色合いとなっている。

 目の色は茶色に近い緑色で、この国では良く見かける色合いだ。

 それぞれの部分部分を見れば、どこにでもいるような初老の女性のように見えるのだが、その全身に纏った『威』は場を支配する力を秘めている。

 柔和さと果敢さが融け合って人の姿を取ったような、そんな侮り難い存在だった。


「そんなに構えないでください。そうね、でもそれはきっと私が悪いのでしょうけど。どうも私には他人を不安にさせる物があるみたいで、昔から初対面の人に警戒されてしまうの」


 口を開いた女性はそう言って、ライカと、その後ろで警戒心をむき出しにしたサッズに対して向けていた目線を引いた。


「奥方様、こんな小僧共にそんなお気を使わなくてもよろしいのでは?」

「ニアス、出来れば私にもお茶をいただけるかしら?」


 この部屋の主であるらしい男、ニアスの抗議の言葉を受け流して、リエスンはやんわりと命令と気づかせない強さで指示を出す。

 だが、ニアスはハッと体を硬直させると、慌てて部屋の隅へと向かい、金属茶器の中の出涸らしの茶葉を暖炉の中に投げ入れ、大きな金属缶に入った新しい茶葉をカップで大雑把に量って茶器に再投入し、湯を汲んで茶を淹れ始めた。

 そちらはもう一顧だにせずに、リエスンは二人に椅子を勧め、その着席を確認すると、自らもみすぼらしい椅子に腰を下ろした。

 彼女の服装は、細かい刺繍や縫い取りのある、一目でわかるぐらい高価なもので、この部屋にそぐわない事甚だしかったが、本人は全く気にした風もなく、真っ直ぐに背筋を伸ばして悠然とそこに在った。

 そのまま慌てる風もなく、彼女はお茶が運ばれるのを待ってそれを口にする。

 その間、しばし無言の時間が続いた訳だが、口を開く者は誰一人居なかった。

 ライカもサッズも相手の出方がわからないので主導を取る訳にもいかず、落ち着かないまま同じく茶を口にするしかなかったのである。


 竜族における『威』というのは、主にその個体の格に起因する存在感のようなものだ。

 彼ら竜族の内にあっては、それは実際の力と同等な物で、竜王クラスになると、威を発する威圧だけで、か弱き生き物はショック死をするという。

 竜王はさすがに実際にはやらないが、若い竜などはそれを利用して狩りをすることもあるのだ。

 相手の意識を一瞬奪い、いわゆる金縛り状態にして狩るというやり方である。


 そういう事情で、『威』という物に対して竜は本能的に構える傾向がある。

 群れをなし主格を欲する生き物にとっては、同族のそれは多くは尊敬に結びつくが、竜族のように個々がテリトリーを持ち、家族以外の群れを作らない種族においては、それは危険を意味するからだ。

 サッズは油断なく相手を伺いながらも、相手が女性であるという一点のために直接的な攻撃には出ていなかった。

 ライカのほうは気配でそれを悟って、二人の間で無用な緊張を強いられる羽目になっている。

 いざという時はサッズを止めなければならないし、相手の女性が何を考えているのかが読めずに自身の対応も決めかねているといった具合だ。


 ふっ、と茶を飲んだ女性が口元を綻ばせた。

 そうすると、先程まで場を覆っていた張り詰めた空気が解け、パチリと音を立てて燃える暖炉の暖かさが肌に感じられるようになる。


「本当に私は至らないわね。こんな若い方達を疲れさせるばかりで、言い訳を言わなければならないぐらい思いやりが出来無い女で」

「お、奥方様」


 慌てたように何かを言おうとしたニアスに、柔らかいまなざしを向け、奥方様と呼ばれる女性リエスンは、椅子からさらりと立ち上がる。


「ようこそ、月の座を持つ唯一無二のお方の使者様。エルデの心臓部たるエルダシリニ、その主人と食を共にする者として、このリエスン・ロホス・エルデがご挨拶を申し上げます」


 ライカは慌てて席を立つと、しどろもどろで礼を返した。

 人間のこのような格式ばった挨拶をライカは全く知らなかったので、仕方なく竜式にそれを受ける。


「名乗りを返します。俺はニデシスの街に守られし者の一人、ライカと言います。失礼ですが、月の座とは何のことでしょうか?」


 わからないことは率直に聞くようにしているライカは、名乗りの挨拶と共にリエスンの言った言葉を確認した。


「まぁ、ご存知ないのですね。あのお方は自ら語らぬお方ゆえにそれを告げる必要を感じなかったのでしょうけれど。月の座とはラケルド・ナ・サクル様がその功績に拠って下賜された位のことです。一代限り、位自体に何の財も付きませんが、月は献身の証であり、その印を持つ者は王への直言を許されるのです。とても偉大な位なのですよ」


 ― ◇ ◇ ◇ ―

 

 古来からこの辺りの国では月という物に特別の意味を見い出している者が多い。

 古代逸話として語り継がれる話の中に、月が我が身を挺して世界を守ったという話があり、事実満月の時に見せる月の全貌は端が大きく欠けた円形をしていた。

 世界を産んだという渡り鳥の神バクサーの逸話と並んで人気のある話で、それゆえか、この国にはその月に因んだ位がある。

 多くの平和な時代には空位であるその位は、ほとんど名誉職のような性質から、それを進んで欲する貴族も居ないという微妙な地位なのだ。

 ただ、月という名前には人を惹きつける強い力があり、いざその座に着く者が出ると惜しくなるという厄介な性質も持っていた。


 ただの流れ者の立場からその座を得たラケルドの立ち位置は実はかなり微妙なものなのだが、彼自身はそれをふれまわったりもしないので、一般の民の多くは彼が貴族として取り立てられたことは知っていても、よほど詳しい者でないと、彼が月の座を与えられたという事実を知る者は存外少ないのだ。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「あ、はい、知りませんでした。ということは、つまり俺達は領主様の使者として奥方様に迎えられているというわけですね?」

「その通りです、聡明なライカ。あなた方が鑑札を持つ以上、その立場はあのお方のお身内ということになるのです」


 ライカはしばし硬直し、頭の中で唸りを上げる思考に沈静化を命じた。


(うわぁ、なんだかややこしいことに)

『なんだ?なんならここら一帯を削り取って何も無かったことにしてしまおうか?段々面倒くさい話になってるようだし』


 事情が全くわからないながらライカが苦しそうだと理解したサッズが過激な提案に走る。


『やったら二度と口をきかないからね』


 ドンと音がして、テーブルが揺れたが、ライカはちらりとテーブルに突っ伏したサッズを横目で見ただけで、目前の女性から目を離さなかった。

 彼女からは敵意は感じられないが、何しろライカでは既に格負けしているのだ。何か起こったら全く対処が出来無い可能性が高い。

 と言っても、僅かな言動から相手を探ろうとするのは、人間に詳しくないライカにとってほとんど無駄に等しい行為ではあった。


「でも実は、そんな大げさなお話でもないのですよ。あの方とは個人的な親交もあって、なにより私のとても大事な親友があの方のお付きとして共に領地に入っていますの。ですからそちらの様子も伺いたくてこちらに参ったのです。本当にお騒がせしてしまって申し訳ありませんでした」

「えっと、あ、失礼しました。つまりは領主様と、そのどなたかの街でのご様子をお話すればいいのでしょうか?」

「そうですね。宜しかったらでいいので、お願いできますか?その代わりと言ってはなんですが、本来緊急時にしか使用することの出来ない避難通路を開けさせていただきましょう」


 開けるということは『今は開いてない』ということでもある。

 今更地上に上がって正規に表から王都を出るという選択はあまりしたくない心情のライカには有難い提案だったが、それでもなんとなくまだ警戒してしまう。

 ライカは普段ほぼ無意識に他者の意識に触れているせいで、それが全く通用せず、意識に一切触れることの出来無いこの女性と対すると、どうしても不安を感じてしまうのだ。

 だが、そんなライカの心を決めさせたのは、脱出路の話ではなく、領主と、彼女の親友という相手の話をした時の、掛け値なしの彼女の柔らかいまなざしを見たからである。


「じゃあ、お聞きになりたいことがあればおっしゃっていただければそこからお話します」

「ありがとうライカ。よろしくお願いいたします」


 ふわりと微笑んだその顔の輝かしさは、一瞬彼女の老いを払って少女のように見せたのだった。

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