第129話 善と悪
「そういえば、」
サッズがふと、何かを思い出したようにライカを見た。
「あの宿に六日分の宿代を払ってたんじゃなかったか?まだ一日しか泊まってないし、あっちに戻るか?」
「他に宿を取ってたんならそれがいい。ここに泊り続けるなんて、金が有り余ってる大貴族でも中々やらない快挙だけど」
クスクスと笑いながら、エッダがサッズの言葉を肯定するが、言われたライカは難しい顔をして唸る。
「どうした?」
その態度と、内面の軽い困惑に気づいて、サッズが問いただした。
「実は、俺がぼんやりしておかしくなったのは、あの宿でお茶を飲んでからだと思うんだよね。なんか、こう、記憶があいまいなんだけどさ」
「ん?えーっと、それはどういうことだ?」
推測するということが苦手なサッズは、考えることを放棄して、答えをライカに丸々依存する。
なので、ライカの言葉にすぐに反応したのは、エッダのほうだった。
「坊や、その宿の名前を覚えてるか?」
エッダの問いに、ライカはしばし考えて、答えを返す。
「確か、『我が家』だったと思います。それと、俺の名前はライカと言います」
「失礼ライカ。私はここではエッダと呼ばれてる。ここでは私たちは本名厳禁なんでそう呼んでくれるかな?一応フォムというのが本名だ」
「あ、はい。それと改めてですみませんけど、その、サッズが色々申し訳ありませんでした。それと、助けてくださってありがとうございます、エッダさん」
「謝罪は受けない。謝られるようなことは何もないから。それにさっきも言ったけど、お礼は、こちらこそ、だね」
笑う彼女に、それでも再び敬意を表すように軽く頭を下げて、ライカは先の話しを促した。
「それで、あの」
「うん、君たちの泊まった宿は、この都の裏で有名な、組織立った人攫いの拠点の一つだと思う」
軽く告げる彼女の言葉に、ライカは眉を寄せ、サッズは首を傾げる。
「それって、犯罪を行っているってことですよね。警備隊の人に言った方がいいんでしょうか?」
以前ライカは西の街で人狩りの男に絡まれたことがあった。
その時にライカを助けてその男を捕まえたのはあの街の警備隊の人間だ。
「警備隊って?ん、ああ、ライカの街で治安を担当する部隊のことかな。ここでは、そうだな、近衛の下部組織である巡回隊がそうなるかな?うん、言ってもいいけど、それは何にもならないと思うよ」
「どういうことですか?」
ライカは困惑を覚えて聞き返した。
二人の会話の内容が全く理解出来ず、話の把握を諦めたサッズは、あくびを噛み殺してお茶を啜る。
「巡回隊は住民個々の問題に口を出さない。王都の治安維持だけが目的だからだ」
「え?ええっと、よくわからないんですが」
これはさすがのライカも話がわからずにエッダに詳しい意味を尋ねた。
「つまり、そうだな。簡単に言うと、巡回隊はこの王都が破壊されるか、全体の治安が維持出来無くなるような大きな事件以外は放っておくんだ」
「えっ?」
それは最初に暮らした人間の社会がラケルドという領主の治める西の街であり、そこのあり方に慣れていたライカにとって驚くべきことだった。
「ええっと、王様にとって王都に住んでいる人って、自分が守るべき相手ですよね?」
「まぁ建前はそうだな」
「建前って、そんな」
エッダはそんなライカの様子に、微笑ましいものを見るような表情になりながら、告げた。
「王や貴族にとって、民は大事だ。なぜなら民から吸い上げる収穫や金で彼らの生活が成り立っているからね。でも、それは一人一人の個人ではないんだ。一定数の民が存在することが大事であり、個々人がどうなろうと、それはその人間の勝手という訳だな」
エッダの身も蓋もない説明に、ライカは憤りを感じて声を上げる。
「そんな、領主様はそんなこと決して言いません!」
ライカの憤りを受け止めて、エッダは一口お茶を飲むと、はっきりとした口調でそれに応じた。
「そうか、ライカの所の領主様はきっと素晴らしいお方なんだろうな。だけど覚えておくんだ。大抵の他人を支配するのに慣れてしまった人間は、自分の下にいる相手を同格とはみなさない。彼らにとって支配する相手は物と同じなんだ。従順で利益を産み、見栄えのする持ち物は大事にされる。だけどそうじゃない物はゴミと同じだ。私達は捨てられないように知恵を絞って、行動して、自らと大事に想う相手を守るしか無いんだ」
「エッダさんも、そうしたってことですか?」
エッダの説明は丁寧でわかり易い。そして、決してそれだけではない気持ちが込められていた。
彼女の言葉の中にそんな強い決意を込めた響きを感じ取って、ライカは思わず尋ねる。
尋ねられたエッダは、少し驚いたように笑った。
「私のことなんかどうでもいいだろうに。うん、でもそうだな。実の所、私がこの仕事をしているのも故郷の大事な人達が無事に暮らしていける助けになりたかったからだ」
「それは、エッダには敵がいるということなのか?」
エッダの言葉に、それまで話を聞き流していたサッズが口を挟む。
「いや、違うよ、敵はいない。そうだな、強いて言えば貧しさが敵なのかもしれないけど、生きるということはそういう困難に立ち向かうということでもあると思うんだ。だから私が貧しさに立ち向かっているのは当たり前で、別にそれが倒したい敵という訳じゃないんだ」
「なんだかよくわからん。どうも人間の言葉というやつは物事を複雑にしすぎる気がする」
「そうだね。だけどこうやって君たちが心配してくれるのが伝わるのも言葉があったからだし、それは大事なことだよ。確かに言葉は真実のみを伝えるものじゃないけど、真実だけが優しい訳じゃないし」
「むう」
何か煙に巻かれたような顔で黙り込むサッズを微笑んで見つめたエッダは、サッズに向かいうやうやしく胸に手を当てて最上礼をしてみせた。
サッズには、いや、ライカにさえその仕草の意味は知れなかったが、深く温かい気持ちが彼女から流れて来るのを感じて、それが彼女の感謝なのだと感じ取った。
「それで、話を戻すけれど、その宿は放っておいたほうがいい。もう関わらないことが一番だ」
「でも!」
ライカは衝動のまま口にして、続ける言葉を探すように押し黙った。
ライカのはっきりとしない記憶の隅には、誰かの、或いは誰か達の、激しい苦鳴が引っ掛かっている。
「放っておくとまだこの先酷い目に遭う人が出て来るんですよね。どうにか出来無いんですか?」
エッダはライカをじっと見て、それからそのカップに少し冷めたお茶を注ぐと、その問いに答えた。
「確かに酷い話だ。この王都の庭にも彼らから連れ込まれた花がたくさんいるよ。だけど、あの連中がいなくなれば良くなるかというとそれはきっと難しいだろうと思う」
「どうしてですか?」
「彼らが存在しない頃は、今よりもっと酷かったからだ」
ライカは飲みかけていたお茶から口を離すと、驚いたようにエッダを見る。
「王都という場所は余所者に厳しい場所だ。他国人、地方の民、豊かさを求めて沢山の人がここにやって来るが、王都の人間からしてみれば、彼らはまるで甘い蜜にむらがる害虫のように見えるらしい。だから、余所者がどうなろうと感心を持たない人が大部分だ。そんな場所だから、余所者は常に狙われ、奪われる者が絶えなかったし、そういう『奪う者達』は襲う相手に配慮などしないから、何もかも全てを奪う。そう、その相手の命をもだ」
エッダは、祈るような表情で、目を閉じ、話を続けた。
「余所者が正規の仕事を得ることはほとんどない。だから、なんとか生き延びた者も身を落として犯罪に関わって使い捨てられるか、女なら暗い路地で身を売って生活をして、やがて病気か暴力か飢えで死ぬ。ここのように、店に守られて仕事をしている花は、まだずっと幸運だと言えるような状態だったんだ。だから王都の外れの下町の方では、組織を作って秩序を築き上げた彼らを英雄視する者すらいるんだよ。私もちょっとだけその宿の女主人の噂を聞いたことがあるけど、彼女は家を持たず、貴族に救い上げられることもなかった子供達に、僅かながら食事を恵んだりもしているそうだ」
「じゃあ……」
ライカは衝撃を受けた表情で言葉を搾り出す。
「彼らは『良い』人達なんですか?」
「それは違うよ」
エッダは安心させるように微笑んだ。
「彼らのやっていることは決して善行じゃない。なぜならそこに被害者がいるからだ。彼らの行いは本人の意思を全く尊重しないし、可能性を奪う行為だ。決して許されることじゃない。それは間違ってはいけない。でも、彼らが居なくなれば良くなる話では無いのも確かなんだ」
エッダのその微笑みも慰めにならずに、ライカは消沈した面持ちで肩を落とす。
「じゃあ、どうしたら良いんでしょう?」
「そうだね、きっとね、人が一人で出来ることなんて大したことじゃないんだ。この場所に住むみんなの気持ちが変わらない限り、この場所は変わらない。だけど、人を変えるのもまた人なんじゃないかな?案外と誰かが始めた小さなことの積み重ねが、いつかきっとこの場所を変えるかもしれない。人はお互いに影響し合って世界をゆっくり変えて行くものだと思う。それでも、もし一人で何かを変えられる人がいるとしたら、それはきっと英雄と呼ばれる人だけなんだろうな」
『英雄』という言葉にライカはハッとした。
彼らの街の領主であるラケルドが、確かにそう呼ばれていたことを思い出したのである。
そしてあの学者という人が言っていたもう一人の『英雄』である先王のお妃様のことも。
さらにまた、この王都で出会ったもう一人の女性のことをも思い出した。
『私は英雄になりたかったんだ』
そう言って狭く暗い路地できらめく剣を振るった彼女なら、もしかして一人でこの場所を変えられるのかもしれない、と。
(でも俺は一人で世界を変えることなんて出来ない。どうすれば良いかなんて全然思いつかない)
ライカはこの時、どうにもならない気持ちを抱えて、無性に領主様に、そして沢山のことを教えてくれた祖父に会いたくなったのだった。
― ◇ ◇ ◇ ―
「で、どうするんだ?」
エッダの仕事が始まったので、部屋を追い出されたライカとサッズは、この辺りに遊びに来る主人の送り迎えで待ち時間を持て余す従者用に開いているという一般の店を巡ることにして外に出ていた。
サッズは先程の話の成り行きを細かくはわからないながら、ライカにとってはすっきりしないまま話が終わったのだと理解している。
サッズの問い掛けは、このままこの王都に留まるのか、それともすぐに帰るのか?ということだ。
「うん、どうしよう」
ライカは正直言って迷っていた。
本当ならすぐに帰りたい衝動に駆られていたのだが、それでは何かやり残しがあるような気持ちになってしまう。
このまま帰ったら、きっとずっともやもやしたままだろうと思うのだ。
その時、ふと、覚えのある甘い香りを感じて顔を上げると、すぐ近くに朝方ライカが無理を言って買い物をさせてもらった屋台があるのが目に入った。
「あ、いた」
思いもかけず、そこにいた少女がライカを見つけて声を掛けて来た。
その少女に、ライカもまた見覚えがある。
「あ、今朝の」
ライカは思い出して声を上げた。
それは、今朝方ライカが一人ウロウロしていた時に出会った、溜池か何かに嵌ってびしょ濡れになっていた少女だった。
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