第128話 風の舞う空の下で

「昨夜は状況がよく分からないまま流しちゃったけどさ、結局ここってどこなの?なんか凄く立派だし、とんでもなく高価な宿なんじゃないの?」


 サッズから一通り、本人からすればいわれの無いお叱りを受けたライカは、ムッとした顔のままサッズに聞いた。


「それにあのお姉さんも、」


 言いかけてライカはやや口ごもる。

 ライカとしては妙に気安げな様子のその女性とサッズにかなり驚いたのだが、変な風に言ってせっかく人と仲良くなったサッズの気持ちに水を差したくなかったのだ。


「ああ、高いんじゃないか?あのおっさんの相方に交換された飾り物じゃあ数刻しか泊まれないって言われたし。だけどセルヌイから貰った方を出したら数日泊めてくれる事になったから問題ないだろ」

「え?何、その数刻とか数日って?適当すぎるだろ。それにセルヌイのくれた方って凄く高価だって領主様が言ってなかった?」


 ライカは自分の知らない間になりゆきで留まることになったらしいこの宿の値段をおおよそ把握して、心の内で冷や汗を流した。

 実際に外に出てみて、ここが周りの建物と比べて飛び抜けて立派だということに気づいてはいたが、さすがにそこまでとは思ってなかったのである。


「あとな、エッダのことだが、エッダは良い女だぞ。本当は俺と交合したかったらしいが、俺はまだ成体じゃないだろ?ちょっと残念だったな」


 ゲホッと、ライカは咳き込んでサッズの顔をマジマジと見ると、本気であることを悟って、次に真っ赤になった。


「え?ええっ?どういうこと?何?サッズ、エッダさんに求愛したの?」

「違う、エッダによるとこの宿ではどうやら交合のやり方を学べるらしい。まぁエッダは良い女だから正式に求愛することも考えなくもないけどな」

「ちょっと、サッズ、こ、交合とか気軽に言わないでよ、そういうのって凄く大事なことなんじゃないか?軽々しく扱うような話じゃないだろ?」

「大事なことだから学ぶんじゃないか?俺も色々な女性と付き合って学ぼうと思ってたし、エッダは人間だが、その違いがあってもエッダから学べることは多いと思うぞ」

「いや、なんかよくわかんなくなったんでちょっと待って」


 ライカは軽い混乱をきたしながら考える。

 実際の話、ライカはそういう男女の話に全く疎い訳ではなかった。

 毎朝井戸に水を汲みに行くと、順番待ちの間、同じ順番待ちの女性達からやや擦れた世間話を聞かされる羽目になる。

 その中には男女の話も多々あって、戸惑うライカが面白いのか、むしろ積極的に彼女達はそういう話をする傾向があった。

 そしてその話の中に、お金を貰って男性を相手にする女性の仕事があることを思い出し、やっとこの宿の正体に気づいたのである。


「もしかして、ここって色街?」


 なんだか知らない間に未知の世界に飛び込んでしまったような唖然とした思いに囚われて、ライカは、飄々としているサッズを恨めしげに眺めたのだった。


 午後も遅くに起き出したエッダは、真っ赤になって話を切り出したライカを見てクスクスと笑った。


「そんなにオドオドしなくても獲って食ったりしないぞ」

「す、すみません。ええっと、でも、その、俺達お仕事の邪魔をしてるんじゃないんですか?」


 ライカは、本来の仕事ではないのに倒れた自分の面倒を見てくれたことへの礼を述べ、あらためて今後の滞在についてエッダと話すことにしたのである。


「大丈夫、サッズにはちゃんと料金を貰ってるし、私はちゃっかり別口で仕事もしてるから、儲かりはすれど迷惑じゃないよ」


 別口の仕事という言葉にまたライカは顔を赤くすると同時に、ライカはサッズが彼女に名を名乗ったことに気づいた。

 気に入っていたようだし、ある意味当然なのだが、何かライカは居たたまれない気分になる。

 なんとなく自分が邪魔者のような気がして来たのだ。


「俺、こういうお店での、えっと、作法のような物はよくわからなくて、あ、それに、服も、ありがとうございます。代金はどうしたらいいんでしょう?」


 少し大振りだが、男物の衣装を貰ったことを思い出して、更に礼を重ねる。

 しかもサイズが合わないからと、彼女が軽く手直しをしてくれていたのだ。


「だからお代は十分もらってるって。それにお代以上の物も貰ったし」


 そう言って、無意識なのか自分の手を撫でる。

 ライカもなんとなくそれにつられて目をやると、その手の指には綺麗な銀色の指輪が嵌っていた。


「お代以上のもの?」

「空の上の世界を見せて貰ったし、約束も貰った」

「空?」


 うん、と頷くと、エッダはライカを伴って隣の部屋へと移動する。

 広くて豪華な作りのその部屋に目を丸くしながら後に続いたライカは、張り出したテラスに驚いた。


「凄いですね、まるで空中に庭があるみたいだ」

「でしょ、自慢のテラスなんだ。ここでみんなでお茶しようか?」

「いいですね」


 ふふふと笑って目を輝かせるエッダに、ライカの心も急速にほぐれていく。

 この女性には何か相手を安心させる物があり、なんとなくライカもサッズの気持ちがわかる気がした。

 片方を流した髪がふわりと風に舞い、淡い蜂蜜色の肌を彩ると、どこか少女めいたこの女性が急に大人の色香を纏う。

 女性にそういう情動をほとんど感じたことのないライカであったが、彼女のその独特の有り様には魅力を感じないではいられなかった。


「あのね、ここから」


 と、手摺から身を乗り出してみせるエッダに、ライカは慌てる。


「危ないですよ!」

「飛んだんだ」


 ライカの忠告に構わずに、エッダはそのまま空を指さした。


「え?」

「サッズがね、私を抱えて飛んでくれたの」


 にこにこと笑ってそう言うエッダの言葉に、ライカは思わず後ろからついて来ているはずのサッズを振り向く。

 なぜかライカがエッダと話し始めてからずっと自らの気配を隠し気味だったサッズは、その視線にふと目を逸した。


「私、竜には初めて会ったんだ。世界にはまだまだ知らないことが沢山あるんだなって思って。ワクワクしたよ」


 はにかんだ少女の顔でそう言うエッダと、思い掛けないヘマをやってしまいそれが見つかった昔の様子そのままに、明らかな挙動不審になったサッズを眺めながら、ライカは怒るよりも脱力する。

 あまりにもあまりな展開に、もはや諦めの境地に至ったのである。


(それに……)


 これほど幸せそうでそれでいて恥ずかしそうなサッズをライカは初めて見たような気がして、急に笑いの発作を起こしそうになったのだ。


「えっと、せっかくだしお茶にしましょうか?良かったら俺が淹れますよ」


 結局、色々なことを纏めて放り投げて、ライカはそう言ったのだった。

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