第130話 望郷

「今朝はありがとう!」


 駆け寄って来た少女はそう言うと、大きく頭を下げた。

 あまりの勢いにぎょっとしたライカに構わず、少女はそのまま言葉を継いだ。


「おかげでなんか色々吹っ切れた。それでどうしてもお礼を言いたかったんだ」

「そうなんだ。よくはわからないけど、良かったね」

「うん、それでさ、奢られっぱなしは良くないから、今度は私の奢り。ちょっと待ってて」


 言うと、ライカの返事を待たずに踵を返し、先程いた屋台のほうへと駆けて行く。


「知り合いか?」


 女性には全般的に寛容なサッズはどこか微笑ましげにそれを見送ると、ライカに尋ねた。


「ええっと、今朝、知り合った……のかな?」

「知り合ってすぐに付き合うようになるとは、お前が羨ましいよ」


 どこかしみじみとサッズは語る。

 それへ呆れたような目を向けながら、ライカは呟くように言った。


「俺はサッズの思考の単純さ具合が凄く心配だよ」

「なんだ、その呆れたような言い方は」

「実際に呆れてるから安心して」

「なんだと!ちっちゃい頃はちょっとつついただけでコロコロ転がって可愛かったのに、ちょっとでかくなったらすっかり可愛げがなくなっちまったな」

「赤ん坊の頃の俺をおもちゃにして遊んでたんだね。それを可愛げとか言っちゃうサッズの思考が最悪」


 互いの弱点(頬と耳の裏)を掴み取ろうと、グルグルと牽制し合いながら隙を伺う二人に、少女の笑いをこらえた声が届く。


「何してるの?あんた達」


 二人がほぼ同時に振り向くと、何か包んだ物を持った少女がクスクスと笑いながら彼らを見ていた。

 更に、人通りが増え始めていた周辺からも、どこか生暖かい視線と意識がいくつか向けられている。

 ライカはこほんと軽い咳払いをすると、


「ちょっと、親愛の形について意見が分かれちゃってね」


 そう言いながら素早くサッズを小突いた。

 むっとしたサッズは、そのまま力押しでライカを組み伏せると、その頬を摘み上げる。


「あんたたち、おかしすぎ」


 とうとうたまらず、少女は噴き出し、笑い転げてしまった。


 あまりにも目立ったので、三人は場所を移し、店々の灯りが届くぎりぎりの所にある草が生えた小さな空き地に座り込む。

 春先に飛び回るふわふわの羽を持った羽虫が、ランプの光を受けて淡く輝きながら乱舞していた。


「ところで、お仕事は大丈夫なの?えーと」


 ライカは相手の名前を知らないことに気づいて、言葉を止めた。


「ヴィンデって言うの。結構この名前気に入ってるんだ」

「そっか、ヴィンデは仕事中じゃないの?」

「うん、お使いの途中なんだけど。お使いは時間に間に合えばある程度自由に時間を使っていいことになってるから大丈夫」

「そうなんだ。あ、俺はライカ。こっちはサックって言うんだ」


 ヴィンデはそこで初めてサッズの顔をまともに見た。

 だが、たちまち真っ赤になって顔を逸らすと、ライカに言う。


「最初はさ、そっちのえっと、サック欠け茶碗?……何かうそっぽい名前だね。っと、ああ、ゴメン、そのサックさんがさ、ライカのご主人なのかな?って思ってたんだけど。なんかちょっと違う感じがする。あんたたちって不思議」


 ヴィンデの率直さに思わず笑いながら、ライカは何故か少し下がって眉根を寄せてライカと彼女を見ているサッズをちらりと振り向いて答えた。


「俺達は一緒に育ったんだ。兄弟なんだよ」

「あ!それ知ってる!確か乳飲み子じゃなかった、う~んと、乳なんとか兄弟って言うんだよね」


 ポンと手を叩いて、ヴィンデは嬉しそうに言ってみせる。


「ああ、乳兄弟のこと?あ~確かにそんな感じかも。うん、ヴィンデは物知りだね」


 ライカはヴィンデの言いたかったであろう言葉を思い浮かべて補足すると、感心したようにそう言った。

 レンガ地区で子供達の相手をしていたせいか、どうみても年上のような少女に対してライカは年下の子供にするような対応をしてしまっている。

 しかし、それでも褒められたのが嬉しいらしく、たちまちヴィンデの頬が紅潮した。


「え?ホント?私って物知り?そんな風に褒められたの初めて。なんかすっごい嬉しいな」

「なぁ、俺、邪魔じゃね?」


 サッズが草をちぎりながらぼそっと呟いた。


「なんでふててるのさ?」


 訝しげに尋ねるライカを他所に、サッズは小さく「弟のくせに」とか「手が早い奴」とか何やらぶつぶつ言っている。


「いつもはノロマとかグズとか、膨れても可愛くない、とか悪口しか言われたこと無いんだ、あたし。でも全部本当のことだし、仕方ないかもって思うんだけど」


 そんな少年たちの様子に気づかないらしく、褒め言葉に一人盛り上がっていたヴィンデだったが、喋っているうちに言われ慣れた罵り言葉を思い出したのか少し凹んでしまった。


「あ、そうだ。ヴィンデ、どうして俺たちを誘ってくれたの?今朝ちょっと話してお団子をあげただけだったよね」


 サッズとヴィンデをそのままにしておくと収集が付かなくなりそうだと悟ったライカは、慌てて話を当初のものに戻す。


「あ、うん。あたしね、今朝までドツボに嵌ってたんだ。でもお陰でなんとか頑張れそうになったから、その御礼と、それでもやっぱりちょっと、ね。もやもやしてることもまだまだあるし、外の人に話を聞いて欲しかったってのも。……えっと、その、ちょっと愚痴になるかもしれないけど、いいかな?これ、お返しだけど、その、迷惑料も込みってことで」


 言って、ヴィンデは手にした小さな包みを開けた。

 熱の篭った香りがふわりと広がり、彼らの鼻をくすぐる。


「お、美味そう」


 最初に反応したのは、何故かふてくされていたはずのサッズだった。

 まだ暖かそうなそれに手を伸ばし、ぱくりと口に入れる。


「うん、美味い」

「俺は今、家族としてすごく居たたまれない思いです」


 ライカはあまりのことに顔を覆った。


「あはは、うん、あのぐらい遠慮しないで食べて。冷えちゃうと美味しくなくなるんだよ、これ」


 ヴィンデがそんなライカを促すように、開いた包みに入っていた今朝の団子より一回り大きく柔らかそうな焼きものを差し出す。


「じゃあ、頂きます」


 ふわりとした触感の外側はホカホカとしていて、中からは肉を焼いた香りがしていた。

 ただ、その香りは独特で、普通に肉を焼いた物より香りが高いようだった。サッズが食いついたのはこれのせいだろう。

 口に入れると、外側の柔らかさと中の熱い肉の味がひと塊になって、どっしりとした食べごたえのある仕上がりになっている。

 肉は刻んであり、他に何かのハーブらしき物も一緒に刻んで混ぜ込んであって、少しだけ辛味も感じる。香りはそこに使われている独特の油のものだと思われた。


「凄い美味しい。これ、色々知らない味がするな」

「でしょ?あたしも最初食べさせて貰った時に驚いたんだ。えっとね、乳脂とか言うの使ってるんだよ」

「また乳か」


 ぼそっとサッズが少しひんやりとした口調でつっこむ。

 ライカの、組んだ状態から素早く蹴り出された足が、うまい具合にサッズの膝裏に入り、サッズはころりと転がった。


「おのれ、不覚」

「へぇ、乳脂って言うんだ。不思議な香りの脂だね」

「なんでも牛の乳から採れるらしいよ。あたしも詳しくは知らないけど」

「牛?」

「うん、牛、知らない?」

「そう言えば来る途中で寄った農園に、何か知らない動物が何種類かいた気がする」

「もともとこの辺にいた動物じゃないらしいから、結構知らない人もいるみたい。実はうちの村でも飼ってた人がいたからあたしは見たことあるんだ」

「へぇ」


 しばらく三人は無口になってもぐもぐとその肉包みのようなものを食べ続けた。

 ライカは、そういえばこの食べ物の名前と作り方を知らないのに気付き、自分の分を手早く口の中で始末すると、ヴィンデに尋ねる。


「これ、なんて食べ物?作り方知ってる?」

「え、ちょっと待って」


 ヴィンデは自分の指に付いた脂を舐めとると、ライカの問いに答えた。


「えっとね、名前はそのまんま、肉包み焼きって言うんだ。作り方はあたしも大体しか知らないよ?確か麦粉を練って焼いた上に細かく刻んだ羊肉と香草を牛脂で炒めたのを乗っけて包んでもう一回焼いて仕上げるんだったと思う」

「ありがとう。うん、でも材料のほとんどがうちの街には無かったり高かったりする物だし、帰ってから作るのは無理な料理だな。みんなに食べさせたかったけど」

「街?故郷?そっか、帰るのか。……いいな」


 どこか憧れるような想いと共に言葉が吐き出される。

 その自分の言葉にヴィンデの顔が少し曇った。


「帰りたいの?」

「うーん、どうかな?改めて考えると帰りたくないかも。だってあたしもう帰れないもん。飛び出して来たしさ。でも、故郷とか、帰るって言葉を聞くと、いいなぁって思っちゃうんだ。おっかしいよね」

「そっか」

「うん、そう。でさ、さっきも言った通り、ほとんどはこうやって愚痴を聞いてもらうだけなんだけど。いいかな?」

「代価はもうお腹の中だから俺はもう断る資格は無いね」

「あはは、うん。よし、じゃあ食べた分聞いてもらうよ」

「よし、どんと来てください」

「なにそれ?そんなこと言うとほんとにどっさり行くよ?うんとね、あたしさ、もうお上りさんのお定まりコースで、家出して王都に来たはいいけど、騙されて売り飛ばされてさ。もうね、すっごい何もかも信じられないって気持ちで落ち込んでたの、今朝まで」


 ヴィンデの語る内容に、ライカははっとする。


「俺もなんか売られ掛かったよ。ヴィンデは売られちゃったんだね。そっか、噂通り王都って怖い所だね」

「そうなのよ!あたしもさ、噂は聞いてた訳。田舎者は食い物にされるだけだの。死体まで売られてしまうから誰にもわからないまま死んじゃうとか。でもそういうのって若者が田舎を出て行かないようにするための脅しで大げさに言ってるだけだと思ってたんだ」


 ライカの実体験を交えた実感のある言葉に勢い付いたのか、ヴィンデは畳み掛けるようにぶちまけた。


「それ、俺が聞いた噂よりなんか怖いよ」

「実際こうやって売られちゃってさ、あたしってもう何やっても駄目なんだみたいにね、すっごい落ち込んでた。今朝あんたが塀飛び越えてお団子をくれた時、ふと思い出したの。ばっちゃまがさ、言ってたんだ」

「うん」


 悲喜こもごもで語る少女の顔を横から眺めながら、ライカは頷いて先を促した。


「ばっちゃまはさ、釣り合いの取れないことをしちゃいけないっていつも言ってた。釣り合いが取れないことをすると、後で必ずしっぺ返しがあるって。そういえばあたし、自分がどれだけのことが出来るのかを真剣に考えたことも無かったなって思っちゃったらさ、あの腐れ人売り連中の言ってたことも確かにそうかもなって思えて」

「う、ん」


『腐れ人売り』の所でその辺りの草を根ごと引きぬいて投げ飛ばしたヴィンデにたじろぎながら、ライカは頷く。


「あたしさ、確かにこの仕事しかやれないのよ、手に技術もない。女だから肉体労働も男には敵わないとなったらもう女の武器しかないじゃない?最初からちゃんと考えてたら自分からここに来るべきだったのよ」

「なるほど」


 ライカは一瞬エッダのことを思い浮かべた。

 聞いた所では彼女は自分からあの店に売り込んだらしい。

 確かに仕事をさせる側からしても、嫌々働かれるよりは進んで働いてくれる相手の方を大事にするかもしれないなとライカは思った。


「でも、自分の価値を測れなかったばっかりに、あの腐れ人売り連中に仲介料を取られちゃってさ。その分大損よ、稼ぐにしたって、その分を返してから稼がないといけないから凄く大変になっちゃった。なんか馬鹿みたいだけど。そっかそういうのが釣り合いなんだと思ったらすっきりした」

「そうなんだ」


 心の置所は見付かったらしいが、まだ自分を売り飛ばした相手への怒りは満ち満ちているヴィンデの告白に、ライカは大きく頷いた。

 彼女の顔に陰りは無かったが、周辺の草は消え去っている。

 その時、どこかから高い鐘の音が聞こえてきた。


「あ、半刻の鐘だ。そろそろ帰らないと怒られちゃうな。うん、お話聞いてくれてありがとう。もし初めてのお客として来てくれたら歓迎するけどどうかな?」

「え?……ええっ!」


 ライカはしばし戸惑った後に、意味に気づいて真っ赤になって後退る。


「あはは、うそうそ、あたしまだ見習い期間でお客を取らせて貰えないんだ。粗相をしたら打たれるからちゃんと礼儀だっけ?ええっとしきたり?とかを習わないといけないんだって」

「あ、はは」


 力なく笑うライカに、ヴィンデはふと思い付いたように言葉を継いだ。


「そういえば、どうやってあの塀を上ったの?あれ、びっくりしちゃった」

「あ、ああ、俺、高い所得意だから。高い木のてっぺんとかよく上るし」

「へぇ、いいな、そういうのも才能だよね。あたしもこれだけじゃなくて色々情報仕入れてさ、他にもなにか取り柄を伸ばさなきゃね。女の魅力だけでやっていけるのは若い内だけだもん」


 立ち上がって、服の裾をバタバタ叩いたヴィンデは、笑顔で手を振って立ち去った。


「じゃあね!元気で!」

「うん、ヴィンデも元気で!」


 小柄で軽快な後ろ姿を見送っていると、すっかり忘れ去られたサッズが背後からライカの頭に顎を乗せた。


「終わったか?」

「頭が重い、どいて」

「うっさい、なんでお前ばっか女にウケがいいんだ?あの白い女王様もお前には寛容だったみたいだし」

「ん?サッズ、彼女と何かあったの?」

「ち」


 サッズは小さく舌打ちすると、ふいっと顔を背ける。


「あの程度じゃ腹は膨れないし、なんか食いに行くか?」


 即話題を逸らそうとするサッズに、ライカは疑惑の目を向けた。


「そういえば、サッズ、彼女に会いにお城に行ったんだよね?どうしたの?なんか失礼なことしてご機嫌を損ねたの?フィゼ、凄く綺麗な女性だったろ?」

「その名を俺の前で口にするな、いいから飯を食いに行くぞ!」

「サッズ……」


 ライカの呆れたような呟きが、深くなり始めた夜の中に消える。

 家にいる時ならとうに寝ているような夜なのに更に増える人混みは、サッズと再会した祭りの夜をライカに思い出させた。


 大きなランプの独特の揺らぐ光が、通りすがる人々の顔を半分だけ照らし出す。

(帰りたいな)

 あの場所の夜はもっと暗かったけど、見えなくても人々の顔を思い描く事は出来た。

 ライカはふと湧き上がった望郷の念に溜息を吐く。

 どうやらヴィンデの消しきれずに残った故郷への気持ちに当てられたようだった。

「帰ろっか?」

 ライカはサッズに何気なくそう言った。

 実の所、まだ領主様から頼まれた件はちゃんと果たしたとは言えない。

 色々と心残りはあるが、ここに居続けて何がどうなる訳でも無い事は確かだった。

「あ?帰るか?家(竜の里)に?」

 サッズが眉を上げてニヤリと笑う。

「家(西の街)にだよ」

「ふーん」

 サッズは鼻を鳴らすと、ライカにわざと肩を軽くぶつけた。

 ムッとしたライカは自分もサッズにぶつかっていく。


 王都の庭、美しき華咲き誇る歓楽地区で、場違いな少年達はお互いにぶつかり合いながら、興味深気に窺う人の視線をひらりと躱し、更に人混みの中へと奥深く消えて行ったのだった。

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