第122話 王都の庭

 人が集まり大きな街が出来ると、そこには様々な需要を満たすための商売も集まる。

 人の多さ、雑多さ、指導者の性格、様々な要因で街は独特の色合いを持つものだが、中にはさして変わらない物もあった。

 それは人の基本的な欲求を満足させるための商売だ。

 食欲、睡眠欲、そして性欲。

 それらに起因する商売は、多くの客を獲得出来る可能性を持っている為、『上手く行けば必ず儲かる』そう考える人間はどこにでもいて、そして実行する者も多い。

 当然ながら、この王都にもそんな店は数多くあった。

 食堂、宿、そして色情を売る店。


 周辺に敷地として最も広い建造物として兵士の宿泊施設を抱える、貴族地区と庶民区の狭間、そこには場所の性質上、酒場も、食堂も多いが、特筆すべきは囲い柵という独特の塀に囲まれた色遊びの区域が存在することだろう。

 王都では色事に関する商売をこの特殊な場所以外では行なってはならないという決まりがある。

 つまり女遊びがしたかったら、この囲い地、通称『王都の庭』に行くしかないのだ。

 ここに務める者達は通称『花』と呼ばれていて、この王都で「花を摘みに行く」と言えば女を買いに行くということになる。

『この場所では朝はゆっくりと明け、夜は終わらない』と、歌い手達がこぞって歌ったように、そこは、惜しげも無く道を照らす大ランプが置かれた店が立ち並び、昼のような、とは言えないまでも、空の星の煌きを映しとったような光が散らばり、夜の暗さをいっとき忘れさせる一種独特の熱気に満ちていた。


 薄物の長布を何枚も重ねて体の形を表す独特の服装の女性達が、道を行き交う男達を呼び込もうと、甘く耳に響く声を上げている。

 表に出て客引きをするのは、主にまだ若く初々しい少女で、彼女達は、これから本格的に客を取る前の己の売り込みも兼ねているので、出来るだけ上客を捕まえようと、熱意に染まった眼差しで物色をしていた。


 その、まるで狩場のような大通りの真ん中に、突然異物が舞い降りた。


「え?」


 人々はしばし唖然とし、その出現元であろう上空を見る者もいたが、大きいとはいえ、所詮はランプの光だ。

 照らし出される範囲は狭く、そこから少し外れると真っ暗な闇が広がっている。

 なんら情報が得られないまま、彼らは思考を巡らせ、そして、ほとんどの人間は、彼らが空から降って来たと考えるよりも、どこか暗い場所から突然飛び出して来たのだろうと自分を納得させて、驚きは緩やかに収束して、好奇心に移行した。


 突然現れたのは、異国風の衣装を纏った、恐ろしく整った容姿の少年だった。

 誰もがもしやこの相手は人間では無いのでは?と、まず疑った程に彼の姿は周囲の「人」から浮いている。

 更に異様だったのは、彼が片手に布に包まれた人間らしき物を抱えていた事だ。

 周囲からは「死体?」「おい、護衛士を呼べよ」という囁きが聞こえていたように、誰もがそれは死体だろうと考えた。

 彼らの思い描いた代表的な話の筋はこんな感じだ。


 なびいてくれない少女を思い余って殺してしまい、その死体を抱えて逃げている貴族の少年。


 この『王都の庭』では、実はそういった愛憎による殺し殺されは、さして珍しくもない話であり、彼らが真っ先にそう疑ったのも無理もないことだったのだ。

 そのどこか緊迫した空気を解きほぐしたのは、一人の『花』の女性だった。

 衣装の色合いと飾り襟から格の高い花だと見てとれる彼女は、どこか楽しそうな微笑みを浮かべながら少年に近づくと、無造作に声を掛けた。


「こんな所で迷子かい?坊や」


 それに対する返事は、野次馬の誰もが予想だにしなかった物だ。


「ゆっくり休める宿を探している。弟の具合が悪いんだ、どこか知らないか?」


 姿に相応しい涼やかな声だったが、あまりにも場違いな言葉に、周りの野次馬達も呆れてぽかんとただその少年を見詰める。

 この場所は囲い地であり、入る際に入り口で案内がある。

 宿屋区画と呼ばれる場所と間違うはずがなかったのだ。

 だが、相対している女性のほうは、それに驚くでもなく、首を傾け、さらりとした髪を肩に滑らせながら問いを重ねた。


「この辺りの宿は凄く高いよ?懐は大丈夫なの?」


 少年はしばし考えると、言われた懐から何かを取り出して彼女に示した。


「これで足りるか?」


 どうやら装身具の類らしいそれは、ランプからの光を受けて輝きを見せ、素人目にも高価な品だと伺えた。

 なにより、そういった高価な物を周囲の目がある場所で平気で晒せる警戒心の無さが、逆にこの少年の身分を語っているとも思われる。

 野次馬の中の処世に秀でた者は、関わり合いになるべき相手では無いと悟って、離脱した。

 それに気づいた他の者も、はらはらと落ちる落葉のように散じていく。


「そうね、うちだと数刻程度のお代だけど、私の好奇心を満たしてくれれば少し色を付けてもいいわ」


 全く動じずに言い放つ女性が、主に貴族を客にする高級な店の有名な花であることに、残った幾人かの者は気づき、流石は王をも客として受け入れると謳われる高位の花だと感心したのだった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 サッズは溜息を吐いて体内の空気を入れ替えた。

 降り立った場所に溜まっていた匂いは、油臭い甘ったるい様々な匂いが入り混じっていて、普通に息をするだけで気分が悪くなる程だった。

 しかし、一人近づいて来た女性から漂う淡い香りはそれらとは違い、ほっとする柔らかい甘さで、サッズはようやくまともに空気を吸い込むことが出来たのだ。


「弟ってその抱えてる子?」


 彼女は問いを続ける。


「ああ、出来れば療法士に診てもらいたいんだが」


 サッズの言葉に、女性は抱えられたライカの顔を覗き込むと一つ頷いた。


「顔色はそう悪い感じではないわね。そうね、ここには療法士みたいな立派な箔持ちの治癒者はいないの。でも、治療士は場所柄揃ってるし、優秀さは保証するわよ」


 サッズに人間の治療の違いがわかるはずも無く、この確認は彼にとってほとんど意味を成さない言葉の羅列でしかない。

 療法士と言ったのは単に彼が知っている治療を行う者がそれだけだったからだ。

 なので、そこはこの相手を信用して任せるしかないし、彼女の意識が伝えてくるのは彼女自身の言葉の反響ばかりで、そこに偽りを思わせる差異はない。

 サッズにとってはわからないことばかりでもどかしい話だが、自分の感情を優先させて癇癪を起している場合では無いのだ。


「治療が出来るならそれでいい。それじゃあ宿に案内してくれ」

「兄弟にしては似てないわね」

「そりゃあそうだ、血統は違う」

「そう」


 女性はにこやかに頷くと、それ以上特に尋ねることもなく、道に先立ってサッズを誘導する。

 彼女の髪飾りが風を受けてチリリと小さな音を立て、湿った土のような色のその髪に、灯火から届く光を弾いて飾った。

 混み合ったこの『庭』の真ん中を堂々と進み、だが、彼女の正面の人々は何を言われるでもなく道を譲る。

 周りから注がれる眼差しは、主にサッズに対するどこか奇異な者を見る目だが、彼女を見る目は憧憬と欲望が半々だ。


「誰もが貴女を知っているみたいだな」

「そうね、ここではそれなりに有名人だと思うわ。それに今回の件で更に知名度は上がったと思う」

「ふ~ん」


 元々知らない者同士だ、当然ながら話題は続かない。

 しかし、彼女の行動の一つ一つ、目線の配り一つ一つは、さり気ない気遣いを含んでいて、先行きのわからない不安をサッズに感じさせなかった。


「ここよ。改めて、いらっしゃいませ、我が『星のヴェール亭』へ」


 その店は周囲の店からやや距離を取り、その空いた空間に置き台をずらりと設置して丸い独特の形のランプを並べている。

 店の前の両脇には大きなランプを囲む房飾りがどうやってかクルクルと回って光をチラチラと遮り、それにより地面に踊る影を演出していた。

 大きくがっしりした作りに鮮やかな飾り彫刻、扉の無い入り口から伺える店内には、大勢の人間の立ち働く姿がある。

 そんないかにも高級店といったその様子にも、当然ながら何も感銘を受けることなく、サッズはさっさと店へと進み入った。

 そんなサッズに、女性は微かに笑みを零す。

 それは何かを懐かしむような、遠い情景を思うようなそんな微笑みだった。

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