第121話 災禍

 竜は痛みを知らない。

 それは事実だ。

 だが、時に彼らは痛みに近い、いや、それ以上の苦しみを感じることがある。

 それが自らの感情に依る苦しみ。激情の災いだ。


 前時代の生き物も後代の生き物と同じく、ほぼ全ての種族が肉体アダマエールという二つの異なる力の組み合わせで形作られていはしたが、後代の生物のようにその二つが分かち難く混ざり合ってはいなかった。

 その為、彼等は感情という、魂の内部で起こる嵐を肉体で制御するという後代の生物では当たり前のすべを持たず、魂の力がより強い者程この嵐によって自滅する傾向にあった。

 そして、竜はその最たる者だ。

 それゆえ、彼等は感情を制御する法規を魂に刻み、年を経るごとにその封を深くする。

 だが、それは成体以前の幼い者には適用されない。

 なぜなら、一方で感情は魂を育てる為の研磨であり鍛錬であるからだ。

 魂が育たなければ、それは生物として未完成な存在に成り果てる。

 そもそも幼い者の柔軟な魂は、年老いた者より感情を柔らかく受け止める力を持っているものだ。

 そのような理由で、未だ雛の竜である彼、サッズは、己の内に生じた灼熱をまともに浴びてしまい、静謐な明るい闇の中で、まるで人が酩酊した時のようにふらりとよろめいてしまったのだ。


「なんだ?これは?」


 突如として体内に噴火を始めた火口が生じたかのようだった。

 しばしの逡巡を越え、ソレが何であるかを理解すると、サッズは人の姿をした何か別のモノのように、その表情を凍らせる。

 灼熱の火のように、そこにあって身を灼く感情は『焦燥』だった。

 今、突然伝わって来た『力』の発現が、誰でもない弟の物であることを、意識に上るより先に真核の魂が感じ取ったのだ。


 彼の弟、ライカは人間である。

 だから竜の力の発現はあってはならないことだ。

 しかし、ライカはその身に竜の血を受け、それを自らの存在に取り込んでしまった。

 出来る出来ないで言えば、確かにライカは竜としての力を発現出来るだろう。

 だが、竜の力はエールの性質を変えて消費することで得られる物であり、体内でほぼ無限にエールを造り出す竜とは違い、人間のエールは肉体と共にあるのだ。

 だから、それはライカにとっては、正しく我が身を削る力なのである。

 そのような事実を、考えるより早くその魂で悟ったサッズは、そのせいで文字通り灼け付くような焦燥を感じて、人間的に言うと意識が遠退きかける程の衝撃を受けたのだ。


『ライカ?』


 それはまた、竜の力を発現させなければならない程の何かがあったということでもある。

 そう気づいた瞬間に、サッズは輪の繋がりを通してライカに呼び掛けた。 だが、それは虚しく空振るだけで返事は返って来ない。

 その事実によって、次にサッズの魂に吹き荒れた嵐は『恐怖』だった。

 恐怖は焦燥よりも激しく魂を揺さぶり、サッズを急き立てる。

 サッズは何かを考えるよりも早く、地上へと向かった。

 その恐怖の激しさを示すように、その行く手に満ちた大気は切り裂かれ、悲鳴を上げることとなる。


 ドン!と、まるで巨人が腕を無造作に払ったような衝撃が、王都の浅い夜を駆け抜けていくつかの建物をなぎ倒した。

 突然のこの現象に、その一画、王都の端近い一帯、俗に言う下層街には悲鳴と怒号と助けを呼ぶ声が満ち溢れる。

 後に宵闇の突風と呼ばれたこの突然の災害は、人々の肝を冷やし、多くの建物を瓦解させたが、幸いにも幾人かの怪我人を出しただけで死者を出さなかった。

 それは奇跡でもあったが、その場所柄のおかげもあっただろう。

 この地区には貧しい者が多く住み、立ち並ぶ家々は安物のレンガで建てられた物が殆どで、壊れ易くもあったが、軽々と砕けた分、重さが分散して人を押し潰すまでには至らなかったのだ。

 それに、暗くなっても灯りを灯す余裕がある者がおらず、火事が発生しなかったことも大きい。

 皮肉にも、彼等の貧しさが彼等の生命を救うこととなったのである。

 彼等はこの日突如として家を失ったものの、しばらくするとまるで雑草のような逞しさで、またそこに危なっかしい家を建てたのだった。


 だが、それは全て後の話。

 この時もその後も、そんな出来事はその災害の元であるサッズ自身にとっては預かり知らぬ話であった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


『ライカ!』


 恐怖に炙られたまま、サッズは心声こえを放った。

 音声の声は僅かな距離で拡散してしまうが、心声は目標に直接届く物だ。

 相手の居場所がわからない場合は絶対的に心声のほうが便利である。

 といっても、今のサッズは理論整然とものを考えて行動している訳ではなく、ただ衝動のままに動いているにすぎない。

 その証拠に、彼は、今この時まで肝心なことを忘れていた。


『そうだ、直接意識を拾えば』


 心の中で荒れ狂う嵐を必死で抑えながら、やっとサッズは自分が封じていた感覚を開放することに思い至った。

 途端に流れ込む雑多な意識。

 突然の災害に対する恐怖と疑問と驚きが付近を覆っていて、肝心のライカの意識を拾いにくい。

 イライラとしたサッズは、無意識にそれらの元である人間達を排除しようと動き掛けた。

 だが人間達にとって幸いなことに、その時、崩れた建物の中から覚えのある意識の閃きが僅かに漏れ出しているのにサッズは気づいた。

 直前の苛立ちを放り出してサッズはそちらへと慌てて駆け寄る。

 そうしてようやくライカの姿を発見したのである。


 倒れているライカの周囲は、まるでそこだけ何も起きなかったかのように、レンガのカケラ一つ落ちていなかった。

 しかし、よくよく見れば、ライカの横たわっている床は、腕を広げた程度の範囲で、熔けた物質が冷えた後のようにいびつに歪んで固まっている。


「ライカ!」


 ライカが生きているらしいことを感じ取ってその身を苛んでいた嵐も収まり、サッズもようやく冷静に物を考えられるようになっていた。

 落ち着いて見てみると、ライカの服はほとんどがボロボロに崩れていて、少し動かせば服としての役割を終えそうな有様で張り付いているだけである。

 いったいどんな現象がここで起こったのか、推測することすら不可能な有様だった。

 とりあえず血の跡や目立つ外傷は見えず、ひと安心しながらも、サッズはもう一度注意してライカの体に欠損が無いか確認する。

 サッズが感じたのはライカの竜の力の発現であり、ライカの場合、竜の力は肉体を消耗する。

 下手をすると肉体の一部が欠けている可能性もあるのだ。

 確認した限りでは異常は無く、ほっとしたサッズはようやく改めてその周りに目を向けた。

 少し先のほうには瓦礫に埋もれている人間が二人程いて、苦痛の呻きを上げていた。

 しかしサッズはそれへは虫の声に対する程の注意すら向けなかった。

 素通りした人間達の向こう側に、サッズの意識に働きかける物がある。

 近づくと、テーブルの残骸らしきものの上に、ライカがタルカスから贈られた短剣と人間の祖父から贈られた短剣、そして領主から預かった札、銅貨を紐で纏めた物を包んだ腰結びの銅貨入れ、更に色々と物入れがある帯と、見覚えのあるそれらが無造作に鎮座していた。


「なるほど、これが盗賊というものか」


 身包み剥いで売り飛ばすと言われている盗賊の評判を思い出し、ライカの身に起こった災いをなんとなく推察する。

 サッズはその荷物を一纏めに手にすると、少し考えてその下に敷いてあった大きめの布も取り上げた。

 人間は服を着ていないと異常だと思われると言われたことを思い出し、それをライカの服代わりにするつもりなのだ。

 布を被せて、サッズはもう一度ライカに声を掛ける。


「おい、ライカ、起きれるか?大丈夫なんだろうな?」


 呼び掛けに対するライカの反応は鈍く、一度落ち着いたサッズの心はまた波立ち始めた。

 そしてふと、そこの瓦礫の中に埋まっている人間が、もしかしてライカを襲った盗賊ではないか?という考えに至り、煮え立つ油のような感情がその矛先を見出すこととなる。

 冷え冷えとした笑みを浮かべ、いっそ瓦礫と共にもっとバラバラに切り裂いてやろうかと考え始めた時、ようやくわずかに囁くようなライカの心声が聞こえた。

 慌てて向き直ったサッズは、ライカに呼びかける。


「ライカ、何があった?竜化したんじゃないだろうな?おい!」


 サッズの呼び掛けに、うっすら瞼を開けたライカは、ぼーっとした口調でそれに答えた。


「ん、なんだか  助けて欲しいって だから壁を 壊した んだ ん、もう無理  だ」

「おい、何が無理なんだ?どっか苦しいのか?おい!」


 ぺしぺしとライカの頬を叩いて呼び掛けるが、ライカは再び覚醒する事なく、それどころか段々と呼吸も浅くなり、体を丸めて硬直したように眠り始めた。

 明らかに、それは普通の眠りではない。まるで冬眠する動物のそれである。


(どこか安心出来る場所が必要だ)


 布でぐるぐる巻きにしたままのライカを片手に抱え、もう片手に纏めた荷物を持ち、サッズは周囲を見渡す。

 人々は最初の興奮が収まったのか、既に狂騒に近い騒ぎは終わり、崩れた建物の瓦礫を退けて人や財産を探す者、興味を失って無事な我が家へと戻る者、騒ぎを収める為だけに出て来た警備兵、そういった者達のそれぞれの呟きのような意識が漂っている状態だ。

 怪我人を板に乗せたり荷車に乗せたりして運んでいる者も多く、今の状態でそこに紛れてもそうは目立たないと思われた。

 しかし、


「息苦しい」


 ただ一言呟くと、サッズはそこから飛び上がった。


「おい!今なんか白いもんが!」

「あ?こんな時にイカレるんじゃねぇよ」

「いや、俺も見たぞ、鬼火じゃないか?」

「魔物だ!魔物の仕業だったんだ!」

「バカか?そんなことよりはやくこれ退けろ!おい!そこ!勝手に家を掘ってるんじゃねぇよ!何か盗ってみろ、その指を切り刻んでやるぞ!」

「おい!誰かうちのかかぁを掘り出してくれよ!この壁の向こうで元気みたいなんだが瓦礫が囲んじまって」

「お前日頃からかみさんに呪いの言葉を呟いてたじゃないか、ほっとけよ」

「何言いやがるこの馬鹿が!うちのかかぁがこんぐらいでびくともするかよ、早く助けないと俺が絞め殺されるんだよ!」


 賑やかだが、切迫した感じのしない人々を置き去りに、サッズはすっかり闇に落ちた上空高くへとたちまちに達した。

 とはいえ、ライカを休ませるにはどうしても人間の住居が必要なことはさすがのサッズにもわかっている。

 人間の体を治療する療法師とやらに、肉体の状態をちゃんと確認させる必要があった。


 サッズは眼下の都を見渡す。

 街並みは闇に染まってほとんど光は見えない。

 城は流石に明々と火を掲げていたが、そこは彼の要望の叶う場所では無かった。

 宿の場所もこうなるとさっぱり解らない。


「くそっ、どいつもこいつも巣穴に篭りやがって」


 サッズは口汚く罵ると、広い王都の上空を移動しながらあちこちに目を向ける。

 すると、王都の一画、城と下層との中間程度の距離で、北東に延びた石造りの家々の途切れた場所に、まるで浮かび上がるように明るい場所があった。

 通りに灯りを煌々と灯し、その通りをそこそこの数の人間が歩き回っている。


「宿か?」


 そこにはいくつか同じような建物が並び、各々の建物からはどこかねっとりとした気配が立ち上っていた。

 だが、とりあえず危険は感じない。

 今大事なのはそれだけだ。


「他に選べもしないしな」


 サッズはそのままその灯りの方へと、夜に飛ぶという渡りの鳥のように降り立ったのだった。

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