第123話 花の宿

 どこか密やかでありながら熱く、そんな毎夜の人々のざわめきが飛び交っていた入り間口が唐突に静まり返った。


 この店では、入り間口にしつらえられたゆったりとしたソファーでくつろぎながら、目当ての女性との繋ぎを頼み、小物を託された繋ぎが客にその小物を渡し、客が届け物の体を装って相手の待つ部屋へと向かうのが、しきたりというか決まりごとだった。

 手順が面倒なのは、それだけこの店に外聞を憚る大物が訪れることの証明であり、その客に対する安全上の都合があるからだ。

 そのような約束事を軽々と踏み越えて、店の奥、すなわち花の待ち部屋へと向かっているのは、一人はこの店の花の一人であり、それ自体は何の問題もなかった。が、もう一人、いや、二人が問題だ。


 周りに一瞥もくれることなく堂々とその花を追って奥へと進むのは、まだ年若く、このような場所で顔となるにはまだまだ時間が必要なはずの少年だ。

 そして、その小脇に抱えられ、最大の違和感を放っているのが、その少年と同じくらいの年頃の者だった。

 布から顔しか覗いておらず、生きているのか死んでいるのか全くわからない。

 ぴくりともしない上に、染めの無い布に荷物のように包まれていて、一見するとまるで死体のようでもあった。

 堂々と歩く少年一人だけなら、気の逸った子供が金にあかせて店に無理を通したな、という感想を周りの者は抱いただろうが、抱えられた子供のせいでこの推測は相応しくない。

 結局の所、彼らは好奇心を抑えてマナーを守り、それについて尋ねることは無かった。

 その代わり、この日王都の庭の不思議話に新しい話題が加わることとなったのである。


「エッダ、面倒事か?」


 奥へと踏み入った途端にいかつい、いかにも暴力事に慣れていそうな男がエッダの傍に寄って来た。

 一瞬、サッズはライカを抱え直すと緊張した面持ちになるが、相手はそれには全く構わず、先頭にいる女性にだけ声を掛ける。


「ううん、違うわ。客を拾ってきたの、こう見えて結構上客よ。とりあえず治療士を一人部屋に寄越して。頼むわね」


 その女性、エッダと呼ばれた彼女が落ち着いた声音でそう告げると、男は驚くことも慌てふためくようなことも無く、彼らに一礼して立ち去る。

 二人、いや、三人はそのままひたすら奥へと進み、突き当たりの手前にある階段を上り、上り切った場所の突き当りに、ただひとつ存在する扉を開いた。

 落ち着いた色合いの調度と、どこか場違いな広い寝台が鎮座する最初の部屋を通り抜け、もう一つ扉を潜ったその先に、今度はややこじんまりとした部屋が現れた。


「その坊やはここに」


 エッダはサッズにそう指示を出し、外着を脱ぐと、改めて彼と向き合う。


「さて、その子の容態はどんな感じなんだ?そもそも病気なの?」

「実は俺にもよくわからない。どうやら普通に寝てる訳じゃないことだけはわかる」


 説明不足も極まれりという言葉だったが、エッダは気にする風もなく軽くライカの額に手を当てた。


「熱くはない。いや、これはちょっと体温が低すぎるぐらいだ。君が気にするのも当然だね。ところでこの子、服はどうしたの?」

「破けてた」


 その短い返しに苦笑を漏らすと、エッダは改めてサッズに向きあう。


「君が金を払い、私が受け入れた以上は君は私の客だ。私たち『花』は、いかなる秘密も守るし、君達が快適に過ごせるように最善を尽くす。まぁそういう仕事だしね」


 サッズは首を傾げると、彼女の言葉を吟味するように考え、言った。


「お前の言葉は真実だと思うが、求められている物がよくわからない。説明してくれ」


 エッダは苦笑を純粋な笑みに変える。


「これはすまない。私は少し駆け引きに慣れすぎていたようだ。そうだね、これからはもっと率直に話そう。うん、まずは自己紹介から始めるのがいいだろう。私は、この店ではエッダと呼ばれている。元の名はフォムという。古い名は今は使っていないのでエッダと呼んでくれればいい」

「俺はサッズだ。こっちはライカ」

「じゃあサッズ、出来ればその子、ライカがこうなった経緯を知りたい。治療士に与える情報が必要だからだ。秘密にしたいことは出来る限り伏せて伝えるので、なるべくありのままを教えて欲しい。治療士から常々、治療を成功させるのは情報の多さが大事だと聞いているからだ」


 エッダの率直な問いに、サッズも納得して口を開く。


「実を言うと、俺にもよくわからないんだ。別々に行動していて、異常に気づいて駆け付けてみれば壊れた建物の中で倒れてるこいつと奪われていた荷物を見付けた」

「物盗りにやられたってこと?」

「盗賊だと思う。こんなふうに身ぐるみ剥いで荷物を奪うのは盗賊なんだろう?」


 サッズの言に、エッダは小さく吹き出した。


「あ、ごめんなさい。そっか、あんまり世間に詳しく無いのね。そんなことで王都のような場所に来るなんてとんだ危険な冒険をしたものだわ。保護者には一言言ってやりたいけど、今はとりあえずこっちが先ね。つまりは、この坊やは犯罪に巻き込まれてこんな風になったってことでいい?」


 エッダは眠るライカの顔に鼻を近付けると匂いを嗅いだ。


「ん~、甘い香りがする。何かのお菓子を貰って食べたのかしら、どうやらこっちの子もあまり危機感は持たないタイプのようね。うん、大体の流れは見えたわ。そんなに心配することは無いと思うけど、一応ちゃんと治療士の見解を聞きましょう」

「菓子が何か関係するのか?」


 サッズが彼女の話を不思議そうに確認した。


「子供を攫う時の人攫い連中の常套手段よ。菓子に薬を混ぜておけば子供に騒がれることなく浚えるでしょう?例の貴族の孤児養育所流行りのせいで、能力や見た目がいい子が狙われるようになったから、こういうことは増えているのよ」


 彼女は、ごまかしの無い態度で説明した。

 そのもたらされた情報の中には、サッズにはあまり理解出来ない部分があったが、その言葉は整然としていて、意識とブレが無く、信頼を置いても大丈夫そうに感じられた。

 サッズは、何割かの理解を元に、彼女に向かってなるほどと頷いて見せる。


「そんな回りくどいやり方があるのか」

「ちょっとした手間で楽にことが進むなら彼らにとっては有難いでしょうね。貴族には自分の我を通す為に金を惜しまない人が多いわ。お互いにちゃんとした信頼関係さえ築ければこれ程楽で確実な儲け話はないもの」

「なるほど」

「それにその建物が崩れていたのは先程の突風騒ぎね。運が良いのか悪いのか、とにかく弟さんを助けられて良かったわね」


 素の、優しい笑みでエッダは微笑み、ライカに巻かれている薄汚れた布を剥いで柔らかな生地で縫われた上掛けを掛けてやる。

 サッズはそれを不思議そうに眺めると、口を開いた。


「なんでそんな風に良くしてくれるんだ?家族でもなんでもないのに」

「男の人に優しくしてあげるのが私の仕事でもあるけど、そうやって攫われてこの仕事に連れてこられる子も多いの。あまり他人事じゃないのよ」

「お前もそうなのか?」


 サッズの明け透けな問いに、エッダは笑った。


「私はちょっと違うわ。だからそういう子には少し負い目を感じる部分があるのは確かね」


 やがて部屋の片隅で『りん』と金属の鳴る音がした。


「治療士の人が来たみたい。もし姿を見られたくないのならどこかに隠れていていいわよ。私がもう事情は聞いたから任せてもらっていいし」

「いや、別に隠れる必要はない」

「そう」


 さらりと、立ち上がった彼女の服の裾が微かな音を立て、最初に感じた香りがふわりと巻き上がる。

 となりの部屋に出ていったエッダは一人の初老の男と連れ立って戻って来た。


「先生、この子。どうも人さらいに薬を盛られたみたいなの」

「ふむ、連中の使う薬は多岐に渡っているから特定は難しいが、獲物の価値を下げるような真似はすまい。だが、うむ、脈が随分遅いな」


 その男が、横たわるライカの体のあちこちを調べる様子に、サッズは怒りと恐怖に近い不安を感じたが、先程のエッダの言葉を飲み込んでぐっと堪える。

 やがて男は「場所を借りるよ」と前置きして、その場でいくつかの小袋の中身を出し、持って来た小さな鉢のような物を使って混ぜ合わせているようだった。


「ええと、この子の保護者は、あー君か?」

「そうだ、兄だ」

「そうか、最初に結論を言うと、身体を損なうような異常は見当たらなかった。問題の身体機能の低下だが、おそらくはこの子自身の体が薬に対抗してこうなったのだろうと思われる。時に毒が体に入るとこうやって身体機能を下げて体全体にそれが回らないようにする生き物がいるからね。人間としては珍しいが、居ない訳でもない。毒と言ったが、薬自体は既に影響を無くしているようなので、いわゆる過剰反応の類だろう。起きた時にかなり体力を消耗していると思うので、この薬を食事と一緒に飲ませてあげるといい。食事は最初はなるべく柔らかい物を食べさせてあげるんだ。それと、なかなか目覚めなくても無理に起こそうとしないこと。自分の体のことは本人の体が一番わかっている。無理矢理それを中断させても良いことは無いからね」


 サッズは少し考えて、エッダを見やった。


「結局どういうことだ?」


 エッダと治療士は顔を合わせて笑い合う。


「大丈夫だから寝かせておいて、起きたらお薬と柔らかい食事を食べさせてあげなさいってことよ」

「そうか」


 その言葉に、サッズはホッとしたようにライカを見ると、その頬をつついた。


「まったく、心配させて、仕方のない奴だ」


 つつかれたライカは、眠ったままむっとしたように眉根を寄せたのだった。

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