第111話 斜陽の午後

 昼時というのはどこかのんびりした雰囲気を持っている。

 一日の内で一番気温の高い時間帯であり、余裕があれば昼食を、一般には軽く何かをつまむ頃ということもあって、人が一番仕事に熱心ではなくなる頃合いと言ってもいいだろう。

 ライカにとって幸いなことに、市場の人間の多くもその例に漏れず、おかげで激しい客引きに晒される事態は免れた。

 しかし、そうは言っても商人はどこまでも商人である。


「おいおい兄ちゃん、素通りってのはいただけないな、せめて見るふりぐらいはするのが礼儀ってもんだぜ」


 手にした小皿に盛った干した豆のような物を口に運びながら、通路並びの出店の男が声を掛けた。

 するとそれに呼応するかのように、その向かい側で商売をしている頭に布を被った女が、どこか枯れた声で同意するように言う。


「そうそう、うちの草編みのサンダルは丈夫で安いし、ここんとこに飾り布を使ってるから洒落者と思われて女の子にモテるよ」


 男は布地を扱い、女は草編みサンダルと丸く編んだ敷物を扱っているらしい。

 そんな感じの、ちょっと投げやりな呼び込みは通る店ごとにずっと続いていて、その気だるげな誘いに強制的な響きは無かったが、他人との距離感を上手く掴めないライカは、挨拶のように商品の出来を褒める羽目に陥っていた。


 この市場は食料品は食料品、雑貨は雑貨という感じで別れてはおらず、隣で肉を炙っていたかと思えばこちらでは宝石の加工品が売っているという雑然具合で、何かを買おうと思って探すには少し辛いが、漫然と見て回るには中々面白い。


 市場の最も多くを占めるのは食料品で間違い無いが、次に多いのが、意外なことに装飾品だった。

 服を仕立てるには少ない布地が、立てかけられた板を覆うように色とりどりに並べられているから何かと思えば、なんと男性のおしゃれに使う肩布だったり、輝石、宝石といわれる色合いの美しい石を並べた装身具、革製品に模様を焼き入れた加工品と、様々な物が揃っている。

 西の街で仲の良いホルスが扱っているようなガラス細工もあって、驚くほど透明度の高い物も見掛けた。

 また、ライカやサッズが、本人達からすれば切実な理由で身に付けている香り袋のような、ただ香りを楽しむ商品もあって、これにはライカも興味を示したが、小さな木片がやたら高いのに驚き、安価ではあるものの強すぎる香りの、固形の練り油には、やや気分を悪くした。

 小箱や小さな旅行棚のような木製細工などもあり、ライカはつい祖父の物と比べてしまったりもする。

 確かに面白いが、戸惑うことも多い。


 実を言うとライカは、自身が市場で何かを買うというつもりで覗いている訳ではなかった。

 街を出掛けに、領主札、正確に言うと下命鑑札を二人に渡した領主に依頼された要件の為の情報をここで得ようとしていたのである。

 領主曰く、「王都で何が流行っているか、わかり易く言うと王都の人たちが何を求めているかを見てきて欲しい」とのことだったので、生活に一番密着している市場を覗きに来たのだ。


「あ……」


 一画にハーブ屋が、これは他と違い、そればかりの店が寄り集まっている場所があった。

 組まれた木枠に束になって吊るされている物、刻まれて壺に入れられ、計り売られている物、油のような液体状の物、色々なハーブが、それぞれ独特の匂いを放ってその一画を他の通路から切り分けている。

 恐らく、この匂いのせいで隅に押し込められているのだろうそこには、用事の無い者は寄り付けない独特の雰囲気があった。


 しかし、冷やかしそのものの客であるはずのライカは、全く恐れ気なくそこへ踏み込むと、その、どこか陰鬱な空間の中に見覚えのある物が紛れ込んでいるのを発見した。


「これは、蜂の巣?」


 皿に並んでいるのは白っぽく乾いた蜂の巣の欠片であろう物だった。

 蜂蜜が養蜂により豊富にあるライカ達の街では、むしろこの形の物はあまり見ない。

 蜂の巣を圧縮して絞った、琥珀色の液体の姿として見ることが多いのだ。


「なんだ坊主、お使いか?ご主人の頼まれ物か?」


 どこか迷惑そうにも聞こえる低い声でしゃべる店主は、手に白い煙を上げるパイプ草を持っていた。

 正確に言うとパイプ草を加工したパイプだが、その辺りはライカにはわからない。

 パイプを使うタバコはこの国ではごく珍しい嗜好品で、この国でタバコと言えば噛みタバコが普通だったので、ライカが知らなくても当たり前の話なのだ。

 そのタバコの煙を気にしながらも、ライカは目的の物について聞くことにした。


「おじさん、これは蜂の巣ですよね?」

「そうだ、ここの白い所に蜂蜜が入ってる」

「これは薬なんですか?」

「ああ、色々使い道があるぞ、酒酔いの毒を落としたり、傷を早く治したり、口の中に腫れ物が出来た時に使えば効果抜群だし滋養にも良いしな」

「値段はどのくらいするものなんですか?」

「この重さで三十カラン(銅貨)だ」


 と、男は秤に小さな重りを乗せて見せた。


「え?」


 ライカはさすがに言葉を飲み込むと、その小さな重りを見詰める。

 一回の食事は大体三カラン、高くても六カランあれば満足出来る程度食べられる。

 三十カランと言えばその5回から10回分だ。

 蜂の巣は軽いとはいえ、男の示した重り程なら量としては一掴み無いぐらいだろう、中に入っている蜂蜜など知れている。

 ライカは彼の街で気軽に食されている蜂蜜を絡めた菓子類を思い浮かべ、ここで作ったらいったいいくらになるのだろうと考えて、想像が及ばずに止めた。


「この蜂の巣はどこから来た物なんですか?」

「最近はほとんど西から入ってくるな。良質で安い物が定期的にそこそこの量入るが、逆に言えばそのおかげでここ最近は値段が下がり気味だ。買い時さ」


 どうやら彼等の街、ニデシスから来た物に間違い無いようだった。

 それにどうやらこの値段でも安くはなっているらしい。


「そうですか、色々ありがとうございました」

「おいおい、何も買わないつもりか?そりゃあまた酷い話だな、坊主」

「ああ、いえ、ええっと、ああそうだ、肉桂はありますか?」

「ああ、これだ。これは重り一個で四十カランだ」


 更に高い。

 肉桂は乾いた樹皮だけが剥がされた状態で壺に入っていた。


「三カラン分いただけますか?」


 男は呆れたようにライカを見たが、小さなさじのような物でひと掬いすると、「入れ物はあるのか?」と聞く。

 ライカは懐から物入れを出すと、その中から飴を入れていたが今は空になった木の実を繰り抜いた容器を差し出した。


 市場を後にしたライカは、途中で買わされた戦利品というか、敗北の印というか、野菜や果物などのちょっとした荷物を抱えていた。

 人混みから開放されたライカは、思わず邪魔なそれを足下に置いて一度伸びをする。

 と、凄い勢いで飛び出して来た人影が、あっという間もなく荷物を攫って駆け抜けて行った。

 持って行かれたのは赤茎と果物、それに後から卵も他で売り付けられて加わっていた最初に買わされたカゴである。


「え?」


 まず驚きがあって、人影を見送り、直後に追いかけることを考え付いた。

 しかし相手は既に建物の角を曲がり、影すら見えない。

 ライカは盗った相手のその顔さえ見ることが出来なかった。


「と、とにかく追わなくちゃ」


 周囲に大勢人はいても、誰も一連の出来事に見向きもしない。

 頼りになるのは自分だけのようだ。

 ライカは思いもかけず慣れない王都の入り組んだ路地に飛び込むこととなったのだった。

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