第112話 窮地と出会い

 いつの間にか周囲を囲まれていたことに気づいたライカは、驚きに目を見張った。

 ライカは普通の人間に比べて遥かに気配に聡い。

 それなのに完全に囲まれるまで全くその気配に気づけなかったのである。

 盗人を追っていたせいでその追跡に意識が向いていて周囲への警戒が薄れていたからと言っても、尋常なことでは無い。

 それはつまり、今ライカを囲んでいる相手は、この手のことを行なう際に、殺気を放ったり気負ったりせず普段と変わらない自然体で臨める相手だということを示しているのだ。

 そう、彼らは犯罪を日常的に行なっている者達だった。


「よう、兄ちゃん。ガキに食いもんを恵んでやったそうじゃねえか。景気がいいねえ。俺達にも恵んでくれよ」


 男の一人がそう言うと、他の男達も同意して似たような動作をしてみせる。

 その一方で、話している男と対角に位置する男がひっそりと距離を詰めていた。

 囲む輪も、その描く円は歪で、相手に対処を迷わせる配置である。

 ライカもそれぞれに意識が散ってしまい、まごまごしている内に斜め後ろから寄って来た男に肩から腕を押さえられ、あっという間に身動きを封じられてしまった。


「離してください!」

「離してくださいだとよ!」


 ライカの言葉を繰り返して、何がおかしいのかいっせいにゲラゲラと笑い出す。

 ライカは咄嗟に体を反転させ、自分を抑えている相手の片足の踵側から掬い上げるように足を払い、仰向けにひっくり返した。

 そのままその男がいた方向へ向かって包囲を抜けようとしたが、さすがに相手は玄人である。そこには既にカバーが入っていた。


「おいおいまさかガキに手玉に取られるなんざ、てめえ鈍ったな」

「ちっ、こいつなんか変な技を使うぞ」


 と言っても、別にライカは人が研いた武術を会得している訳ではない。

 ライカが使ったのは竜の家族と過ごす内に、大きな力を受け流す必要に迫られて編み出した体捌きなのだ。

 そういう事情なのでそれは攻撃には全くと言っていい程向いてなかった。


「おらよ!」


 声と共にヒュッと風を切る音に、無意識にライカの体が反応する。

 太い杖のような物を手にした男がライカの死角から殴り掛かって来たのだ。

 避けるのは無理と見たライカは、僅かに体の力を抜き、殴られると同時に倒れこんで受けた衝撃を自らの体で受け流した。

 だがその課程で、すかさず足で腹を踏まれてしまう。さすがに相手も抜け目ない。

 しかしこれもライカは咄嗟に体に掛かる力を分散させて体内に圧力が行かないようにした。


「最初からおとなしく言うこと聞いてりゃ痛い目見ずに済んだのによお!」


 再び足を振り上げる男の顔は喜色に歪んでいる。

 ライカを無力な少年と見て、一方的な暴力に酔っているのだ。

 ある種の人間は絶対的優位に立って他者を傷付ける時に強い快感を覚えるという性質を持っている。

 だが、酔いは、どんなものであれ、平常心を奪う物だ。

 だからこそ彼らの注意力はこの瞬間普段より低下してしまっていた。


「てめえ、さっきはよくも!」


 ライカに思わぬ反撃を食らい、仲間内での地位を下げてしまった男が、腹いせとばかりに横から自分も足を振り上げる。

 しかし、この日はこの男にとってかなりの厄日だったようだった。

 シュンッと、軽すぎるぐらい軽い音を耳にした瞬間、男の振り上げた足に異物が出現したのである。

 

「う?」


 男は一瞬惚けたようにその自らの足を凝視すると、たまぎるような悲鳴を上げた。

 そこには一本の矢が刺さっていた。


「なんだあ?」


 男達の視線が道の片方の出口、狭い曲がり角に注がれた。

 いつの間にかそこに人影がある。


「害虫というのはいつだって暗がりでこそこそうごめいているものだな」


 やや高めだが、落ち着いた響きを持つ声が高圧的な調子で放たれた。


「て、てめえ!」


 その手にある弓を見て、近距離に持ち込めばいけると思ったのか、出口に近いほうの男達二人程が一気に弓の持ち主との距離を詰める。

 相手は落ち着いた仕草で手の弓を壁際に立て掛けると、腰に佩いた剣を抜き放ち、無造作に横に薙いだ。


「ひっ、」


 一人がその剣先に引っ掛けられ、軽く触れただけと見えたのに、宙に赤い線を引くように血を飛ばしながら壁に体を叩き付けられる。

 もう一人はその姿を見て、間合いに入る直前で足を止めた。


「ちっ、浅かったか。思ったより足が遅いな、お前たち」


 相手の声は平坦ながらどこか楽しんでいる感じがある。

 そこでやっと男達は自分達の相手が何者かに気づいた。

 他人を傷付けることにためらいがない相手、しかも完全武装で王都の中で剣を帯びることの出来る者となれば限られている。


 ふと、その人物の動きが止まった。


「おい、坊や。それを盗ると君は首を刎ねられることになるけどいいのかな?しかし、もしそんなつもりではなくて盗られないように見張っていてくれるつもりなら後でお駄賃をあげてもいいけど?」


 後ろに目でもあるのか、こっそりと忍び寄って立て掛けられた弓を盗ろうとしていた少年はその寸前に釘を刺され、ひっと息を飲んだ後、自分を見てもいない相手に向かって激しく頷いた。


「あ、あい、み、見張って……」


 ガタガタと震える少年はようやくそれだけ言ってぺたりと地面に座り込む。


「良い子だ」


 ニヤリと、剣を手にしたその人物の口角が上がる。

 面覆いから覗く口許が獰猛な笑みに歪んだ。

 それは正に獲物を前にした肉食の獣の笑みだった。


「そいつ、そのマントは王国兵のモンだぞ!」

「ひっ!正規兵か!」


 男達はたちまち震え上がると我先にと逃げをうった。

 ある意味驚くべき決断の早さだ。

 先程足を射抜かれてダメージを負った男ですら、いち早く逃走していた。


「ちっ、せっかく生きた人間相手に剣がふるえると思ったものを」


 ライカはその一連の出来事を、突っ立ったまま呆然と見ていただけだった。

 なにしろライカから見た場合、より危険に見えたのが助けてくれたはずの相手だったのだ。

 そのせいで、どう動くべきか迷うこととなったのだ。

 王国兵だと言われたその人物は、悪態と共に剣を納めた。

 放っていた殺気からすれば意外な諦めの良さだが、見ればその人物は重そうな装備を全身に纏っている。

 その装備では、あんな風に迷いなく逃げられては到底彼らに追い付けないのだろう。

 そして、その相手はそのまま自然な動作で反転すると、弓の置き場へと目を向けた。

 そこには先程弓の置き引き、つまり盗みをしようとして釘を刺された少年がまるで石像と化したかのように立ちすくんでいる。

 振り向いた王国兵だという相手と目が合った途端、その少年は見えない何者かに体を揺さぶられているかのようにガタガタと震え出した。

 恐怖のあまりか、顔色も酷い。


「ご苦労だったな坊や。約束の駄賃だ」


 その兵士は、ガチャリという金属音を響かせ、鎧の胸当てと腰当ての間を覆う幅広の革ベルトの間から銀色の棒状の銀貨を取り出し、少年に投げ与えた。

 少年はそれが危険な毒蛇ででもあるかのようにのけ反ったが、地面に落ちてキラリと輝いた銀貨を見ると、獣もかくやという素早さでそれを拾い、そのままそれを投げた相手とは反対方向に一目散に逃げ出した。

 先程の男たちといい、それがこのような場所にたむろする者達の特技でもあるのだろうと思わざるを得ない逃げ足だ。

 当然、与えられた金銭に対する礼も無かったが、与えたほうは別段気にした風でもない。

 どうやらその相手の注意は、今はライカに向いているようだった。


「ふん、随分やられていたように見えたが無傷か、それなりに『出来る』と言うことか?」


 言ってニィと笑う。


「あ、助けていただいてありがとうございます」


 ライカはぼうっと見ていた視線を戻すと慌てて礼を言った。


「ふん、私は単に害虫を駆除しようとしたにすぎん。別にお前が身ぐるみはがされようとそれは構わんが、王都は害虫だらけの都市などと吹聴されては腹が立つのでな」


 弓を肩に掛けるとそのまま去ろうとする背へ、ライカは呼び掛けた。


「でもさすがは王都ですね。俺、女の兵士の人を初めて見ました。それにとても強いみたいだし」


 ぴたりと足を止めた『彼女』は、兜の面覆いを上げた。


「どうしてわかった?」


 獰猛な笑みを浮かべながら、その女性はライカを食い殺さんとするような目付きでそう言ったのだった。

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