第110話 敗北宣言

『それで、偉大なる坊や。我に何か用かえ?』


 巨大な地竜の女性、フィゼは、人の姿をした偉大なる古き竜の少年に尊大に尋ねた。


「ああ、実は俺は同族の女性を見たことが無いんだ。だからお会いしてみたかった。それから、出来れば触れてみたいんだが、許していただけませんか?」


 サッズの、言葉を飾るのが苦手なゆえの率直な物言いに、フィゼは獰猛な笑みを浮かべてみせる。


『さすがに神がごとき偉大なる御身、なかなか豪胆に見ゆる。雛にはわからぬかもしれぬが、男が女に触れたいということは、食い殺されても構わないという覚悟を示す口説き文句。覚悟はお有りかの?』


 スルリと長い首を伸ばし、サッズの鼻先に誘いのように顔を寄せる。


「覚悟か、さすがにまだ番えぬ身で触れる為だけに我が身を掛けるのもつまらない感じもするな。しかし、だ。失礼だとは思いますが、貴女に俺を食い殺すことなど出来るのでしょうか?」

『ほう、ならばお試しめさるか?血の湧く戦いなど遠い、人の庇護下のこの身。我は自身の力の限りを知りたくもある』


 既にその目に戦いへの期待を乗せ、フィゼがサッズの意識の底に囁いた。


「本来」


 サッズは薄く笑って首を傾げると、恐れ気もなく手を伸ばし彼女に触れる。

 フィゼはぴくりと瞬間身を震わせた後、凍りついたように動きを止めた。


「女性にこういうことをやるのは、男として恥ずべき行いなんだろうが、俺はまだ恋を出来る身では無いんで、つい普通に戦いを申し込まれたつもりになってしまうんだよな」


 サッズは挑まれるまま、フィゼが抗う間もなくその全ての動きを封じ込んでしまったのだ。


『我を縛りしか!このような恥辱を我に与えるとは、雛と言えども容赦はせぬぞ!』


 元々青いフィゼの目が赤く色を変えてゆく。完全な戦闘態勢に入りつつあるのだ。


「いや、申し訳ないとは思うのですが、挑戦されるとつい相手を負かしたくなるのです。そうやって挑戦して来られたのは貴女なのだし、そんなに怒ることはないでしょう?」


 飄々とした、いや、いっそ優しげなサッズの『ことば』に、フィゼはその凶暴な歯を噛み締めるが、やはり身体自体はぴくりとも動かなかった。


『おのれ、雛と言えども天の者ということか、口惜しや』


 フィゼは己の力では全く手も足も出ないことを悟ると、喉の奥から悲哀に満ちた、悲鳴のような声を上げる。

 高く響く細い声は哀切を乗せていて、その声を受けたサッズの身の内に何とも言えない苦悩を湧き起こした。

 人間的に言うと、罪悪感を引き起こしたのだ。


「つっ、おい、やめろ!悪かったから、俺が悪かったって」


 サッズは先程までの丁寧なつもりの言葉遣いも忘れて懇願した。

 空高く響き渡る鳥の声のようなそれは、問答無用で男の保護意識を掻き立て、それが己の成したことの結果であるのなら身を焼くような懊悩を覚えさせる。

 それは女性と子供に絶対の主権を持たせる竜独特の性質だ。

 今まで母親を含め、女性という存在と触れ合ったことのないサッズにとって、まるで未知の領域の感情であった。


 フィゼの鳴き声は扉によって分かたれた外の飼育者達にも当然届き、そちらはそちらで大騒ぎになっていた。


「お嬢!どうした!」

「おおい!おめぇら!いつも傲然となさってるうちの女王様の悲鳴だぞ!気張って扉を開けろ!面倒だ!壊しちまえ!」


 まるで一人娘を心配する父親の集団のようだが、実際、これだけ巨大で、しかも雌の竜となればほとんど生きた国宝のようなものだ。

 何かあれば彼等の首が飛ぶ程度では済まないのである。

 そっちを見やったサッズは、ダメージを受けて力が抜けた身体をふらつかせながら後退った。


「結構人間に大事にされてるんじゃないか?あー、いや、悪かったから、ホント勘弁してくれ」


『愚か者が、男は女に仕えるのが本道よ。礼儀を知って出直してこよ!そなたの弟の方がよほど竜らしかったわ!』 

「泣き止んだと思ったら早速罵りか、いや、なんでもないです。わかりました。うん、そうそう、うちの弟礼儀正しくて賢いんだよね。うん。……っと、そんなに怒らなくてもいいじゃないか」


 サッズは彼本来の性質からすれば驚愕することに、ひたすら謝り倒した。

 本能が耳元でがなり立てるような勢いでそうしろと告げているのである。

 何かを強制されると反発したくなるという若者特有の精神がついついこの居丈高な女王様に反抗的な態度を選びそうになるが、流石のサッズも、自身の本能の叫びは無視出来なかった。

 外からはバキッ!だのドコッ!だのという確実に何かを破壊する音が響いている。


「あー、本当に悪かった、次にはもっといい土産を持って来ることを約束するから許していただけるかな?」


 フィゼは顔を上げて一度全身を震わせると、サッズを見下ろして鼻を鳴らした。


『勝手に約束でもなんでもするがよい、どうせ力ではかなわぬのだからの。だが、一つだけはっきり言っておく。そなたは決して女にモテないであろうよ』

「うぐっ」


 あまりの言われように、呻いてサッズは顔を顰める。


「わかった、もう来ない。すまなかった」


 それは、地上種族に対して絶対の強者であるはずの天上種族の竜が敗れ去った記念すべき瞬間ではあった。


 サッズは再び姿を隠し、なだれ込む人間の間をすり抜けると、空へと駆け昇る。


「女って難しいな」


 そして、空の高みで一人しみじみと呟いたのだった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


 そんな出来事から遡ること半刻程、ライカはやっと目当ての市場に到着していた。


「まぁ想像はしてたけど、やっぱり実際に目にすると驚くよね」


 そこは、今までライカが見て来た市場とはかなり趣きが違っていた。

 まず、全体を覆う屋根があった。

 壁は無く、柱のみでその屋根を支える建物で、一方からざっと見て、全体が見渡せない程広い。

 ライカは知らないが、この大陸ではこの様式は大勢の人間に場所を提供する建築物として一般的な物である。

 元々は有りし頃の聖王国が巡礼者(患者)に提供した治療所兼宿泊施設の様式を、各国がこぞって真似をした結果なのだ。


「でもここって一日の内の昼だけの場所なんだよね?ってことはまだ二箇所はこういう場所があるってことか」


 呆れに近い感想を抱いて、ともあれライカは通路を進んでみた。

 一番に目に付くのは野菜だ。

 元々ライカ達の街には野菜が少なかったこともあり、ずらりと並べられた新鮮な土付きの野菜は、ライカには驚きだった。

 野菜が新鮮ということは、これらの野菜は全てが近隣で栽培されている物という意味なのである。


「野菜ってこんなに種類があったんだ」


 ストマクの市場と違って、通路はそんなに混雑していないのでゆっくりと物を眺めて移動することが出来た。

 あちらは夕方だったので、混み具合には時間も関係しているのかもしれない。


 白くて丸いカブは以前農場に寄った時に食べたのでライカも知っていたが、赤い物があるのに驚き、しわしわのゴロリとした岩の塊のような赤い野菜の南瓜(飾り用)とか、色々な種類の葉物野菜、長瓜という水々しい太く長い緑色の野菜等、あまりにも種類が多く、一度に全部を覚えるのは無理と思われる程だ。


「坊主お使いか?どうだこの赤茎は?おやつに焼き菓子でも焼いて貰えや!」

「え?これ野菜じゃないんですか?お菓子に使うのですか?」

「なんだ、坊主赤茎を見るのは初めてか?最近こっちに来たのか?」

「はい、昨日到着したばかりです」

「ならこれは食っとかないとな、春の赤茎といえば子供の楽しみっていうぐらいうめぇんだぞ、ほれほれ、一束でたったの五カランだぞ?買っとけって」


 純粋な好意と商売としての押し、それらに対抗出来る程ライカは駆け引きに揉まれていない。

 たちまちその赤茎という赤い棒のような植物の茎と、なぜか赤い実の果物も押し付けられてしまった。

 しめて七カランの出費である。

 おまけにそれらを入れるカゴが必要だと言われて、更に二カランでツル編みのカゴを買わされていた。


(何かこのまま先に進むと、持っているお金を全部使ってしまうような、凄くマズイ予感がする)


 ライカは先行きの不安を感じながら、奥深い市場の通路を見渡したのだった。

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