第109話 謁見

 空の上にいると地上の煩わしさが届かない。

 サッズは久々にすっきりした気分で深く息を吸った。

 その昔、大気の中には濃密なエールが巡り、飛竜種族は息を吸い込むだけで体内に力を漲らせたという。

 しかし、今の時代にはそんな恩恵は無く、ただ動植物が世界に放つ息吹が風と共に巡るだけだ。


 それでも、空には特別な物がある。

 サッズは母の歌という伝承こそ記憶に刻めなかったものの、深く受け継いだ飛竜の血統の囁きをその身に宿しているのだ。

 空の王者の、恐らく最後の血統である彼のみが知る、それは感覚でもあった。


「さてと、ライカにはくれぐれも失礼のないように、きちんと手順を踏むようにと念を押されてたな」


 本来、竜が求愛をする場合は、相手の女性の居する場所の周囲で求愛の歌を歌うものなのだが、現在のサッズの中にその歌は無い。

 未だ成体ではないその身には愛の歌は宿らないし、恋の季節の焼けつくような希求の魂も生じないからだ。

 欲求自体を持たないはずのサッズが女性に対して常に積極的なのは、人間に例えてみれば子供のおままごとに近いのかもしれない。

 つまりは無意識に仮想訓練を行うことでいざ本番の成功率を上げようとする本能の誘導なのだろう。

 しかし、それでも、サッズが抱く欲求は、彼自身にとってはどこまでも真剣な想いであって、そのような理屈こそがどうでもいいことではあるのかもしれない。


「ん~、しかし、地上種ってのは気配がほとんど獣と変わらないな。むしろ竜というより人間に近いぐらいだ。さて、外からご挨拶は出来るかな?」


 サッズの意識視野が広がり、王城を覆う。

 細かく個々の竜の意識を追跡するのが面倒だったので、一遍に見て取って選別することにしたのだ。


「っ、ちっ、またこれか」


 人間の複雑に絡み合った意識がまるで刺のある低木の茂みのように一面を覆い、サッズは鬱陶しい思いに駆られた。

 だが、とりあえず関係ないそれらを纏めて意識的透過状態にし、竜だけを視る。

 人間のように他者と繋がることで複雑な集合意識を創りだす種族と違い、竜の意識は単純でほぐれているので、その中から『色』の違う物を選り分けて、女性竜を探した。

 そこに居るほとんどの竜は早駆け竜とも呼ばれる草原竜で、その種の女性も僅かばかりいたが、それは家族持ちと子供ばかりである。

 辿り着いた目的の女性は巨大な地竜であり、他の種族より思考が深く、他の竜からはほぼ失われた、輪に接続する意識野を持ち、女王に相応しく岩山を深く抉った特別な住居に、退屈という意識の雲を纏い付かせてゆったりと存在していた。

 ふ、と、その彼女が意識上で振り向くのを感じて、サッズは失礼にならないぐらい柔らかな接触を試みる。


『地上に生まれし聡明なる女王よ、我が言葉を受けていただけますか?』


 驚きと、同時にそれを凌駕する好奇心が相手から届いた。


『これはまた、古き尊き御方の訪れであるな。いかなるご用か存ぜぬが挨拶を受けぬ謂れは無いであろうな』


 相手が天上種族であると感じ取った上でのその返答は、流石に怯むを知らずと言われる女性竜らしいものである。

 要するに歓迎はしないが挨拶は許すということだ。

 サッズはその返答にむかつくどころか、強く気持ちが高揚するのを感じた。

 この辺りは雛とはいえ竜族の男らしいと言えるだろう。

 竜族は女性の美をその強さに感じる。

 ぶっちゃけて言えば最初は手厳しい拒絶であるほうが燃えるのだ。


『許しをいただいて挨拶をお受けいただきます。我、古き三柱の竜王の身の内なる者。空を駆る翼、混沌の輪に連なりし者。サッズ(昏き蒼穹)と名乗りし者です』

『ほう、その名乗り、竜王三柱を親とする者に覚えがあるわ。そなた人の子の坊やの身内かの?』

『以前ご挨拶をさせていただいたライカの兄です』


 元より名乗りが面倒なサッズは、色々と省略してそう答える。

 そしてどうやら相手は手抜きを感じ取ったらしい。


『ふむ、残念じゃの、そなたが目前におったなら、今噛んでいたところであった。まぁよい、どうやらそなたもまだ雛たる身、雛に敬意を押し付けたりはせぬよ。我はフィゼ、人の手により育ちし地の竜じゃ』

『積極的なお誘い感謝いたします。それじゃあお言葉に甘えてお伺いさせていただきます』


 サッズは悪びれずにそう言うと、空の上から一気に駆け下りた。

 甲高い音で鳴る風を体に巻いて、そのままの勢いで竜房の扉真正面に突っ込む。

 降り立つと同時に開放された風は四方に散って、当たるを幸い色々な物をなぎ倒し、地表の砂を巻き上げ、作業を行っていた人間に悲鳴を上げさせた。

 悪態と駆け回る足音の響く中、不可視の鎧を纏ったサッズは、その慌ただしさの真っ只中に堂々と進み入り、麦藁の玉座に横たわる白き女王の御元へと赴く。


『ふむ、人間共の右往左往する姿は滑稽で胸がすくわ。我の中でそなたの評価が上がったと知るが良い』


 サッズは思わぬことで評価を上げた。

 どうやら人に育てられながらも、人間に対して愛情が薄いらしいフィゼは、その様子を面白がって眺める。

 寝そべっていた身を起こし、サッズの姿を探した。


『気配はすれど姿は見えず、隠れオニという遊びかの?』

『まぁそのようなものですね』


 何もない空間を脱ぐようにサッズが姿を現すと同時に、入り口の重く大きな扉がバタンという激しい音と共に閉まる。

 騒ぎに飛び出した人間は締め出しを食う形となり、竜房にはフィゼとサッズのみとなった。


『やることが派手じゃの』

「この程度、優しく撫でたようなものですよ。さて、白き女王よ、改めて申し上げますが、お会い出来て我が身の幸いです」

『おや、竜と思うたが、人の身なりや?』

「今は弟と共にいますから」

『古き方々は伝承通りの御技を使われるか、偉大なりしことよの。して、此度はなに用かの?』 


 明かり取り窓から降る光が、彼女の白き滑らかな鱗を浮かび上がらせる。

 挨拶によって、多少はサッズの接近による苛立ちが和らげられたのか、最初の皮肉っぽい物言いは落ち着いていた。

 事、竜に於いては、名乗りによる挨拶は人間のそれより重要な意味を持つ。

 縄張り意識が強く、争いを好む彼等がむやみに互いを傷付けないように設けられた仕組みであり、それは攻撃衝動を和らげる効果があった。


「まずは女王に献上を」


 サッズは、小さい木製の物入れを取り出すと、それを開けて中の物を恭しく掲げてみせる。

 ふわりと、甘い香りが漂い出した。

 そこに在ったのは少し大きめの、しかし巨大な地竜の前ではほんの小さな飴だった。

 外回りを繊細な篭編みのような飴細工で囲み、その中央には小さな濃いオレンジの花が閉じ込められている。

 以前プレゼントを失念していたライカが、この時の為に特別に工夫して作った飴だった。

 自分たちの為に作った肉桂の香りのする飴と異なり、その飴は花の香を纏っている。

 それをひと呑みで口に入れ、フィゼは笑った。


『なるほど坊やは学習しているようだ。このような香りの元なれば、我も心穏やかに話を出来るというものよ』


 サッズは初めて目にする女性竜の肢体の滑らかさにしばし目を奪われたものの、悠然と自分を見据える巨大な白竜、フィゼに対して、いっそ傲慢な程の笑みを見せて対峙したのだった。

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