第106話 組合酒場

 夕暮れ時に改めて階下に降りたライカは、目を丸くして賑やかな周囲のテーブルを眺めた。

 この店のテーブルは個々に独立しているのではなく、壁から直接突き出した形で並んでいて、椅子もまた、同じ石作りの長椅子タイプで、壁から生えているかのように作られている。

 そのせいか、客と客との間が近く、テーブル毎に会話が分断されずに、グループを越えた会話等もあり、場合が場合なら和気あいあいと言っていい雰囲気であったろう。ただ、客が良い年をしたむくつけき男ばっかりで無かったら、だが。


 店のテーブルと椅子は、驚くべきことに、ライカとサッズが食事に降りてから僅かな時間でほぼ全てが埋まってしまった。

 流石に王都と言うべきか、ミリアムの食堂で最も忙しい時期である花祭りの頃の客の入りよりも確実に盛況だ。

 それをここの女主人はたった一人で切り盛りしているのだから、とんでもない女傑と言うべきだろう。

 と言っても、詰めかけた客の殆どは酒がメインで、食べ物は適当につまんでいるだけといった感じなので、料理に時間を割かれることは意外と少ない感じだった。


「ここって実は酒場なのかな?」


 ライカはぽつりと言って、夕食として出してくれた穀物粥のような物を口に運んだ。

 その粥には肉といえばもはや定番の塩漬け肉が入ってはいるが、塩味は薄めで、名前を知らない数種類の野菜も入っていて、その野菜の甘味もあり、ライカの感覚からするとかなり豪華な粥だった。

 カップに注いでくれたのはお茶というよりもハーブの香りのするお湯という感じだったが、ライカとサッズの好みからすると、下手に淹れたお茶よりは飲み易い。

 ライカが驚いたのは金属のスプーンがセットで付いて来たことだ。そんなこと一つですら、あの西端の街のお城の食堂よりもサービスが良いと感じる。

 もちろん、場所柄というものもあるだろうし、ライカとしてはどうしても心情的にお城の食堂のほうを贔屓したい気持ちがあるので、そこまでこちら風のやり方に傾倒したりはしないが、流石に大きな都だなと思えてしまうのだ。


 だが、せっかくのスプーンだったが、少し使ってみてなんとなく使い勝手が悪かったので、結局はいつもの、持ち歩いている祖父の作ったスプーンに切り替えてしまった。


「みんな酒を飲んでるようだからそうなんじゃないか?」


 見てわかる通りのサッズの答えに、ライカは少し唸る。

 酒呑みに対するこれまでのライカの印象は最悪と言って良いぐらいだが、周囲の客達はまだ酔っ払いという救いようの無い状態には陥っておらず、店に入る時にも、二人を見ると気易く声を掛けて来る者も多かったので、さしものライカも現時点ではその男達に悪印象は持っていなかった。

 だが、酒が進めばろくなことにはならないのは火を見るよりも明らかなので、ライカは食事を早々に済ませると、女将に声を掛けて部屋へ引っ込むことにする。


「ごちそうさまでした。食器はそのままで良いですか?」

「あらあら」


 宿兼食堂(酒場?)の女将であるステンノは、カウンターで仕切られただけの調理場から顔を出すと、立ち上がり掛けていた二人を制する。


「お待ちよ、今、焼き菓子をこさえてるんだからさ。このおっさん連中なら気にすること無いって、その日暮しのろくでなし共だけど、うちで騒ぎを起こしたりする馬鹿はいやしないよ。何しろこんな客層だろ?女子供なんて寄っ付かなくって腕の振るいようが無いから普段寂しいんだよ。昔は子供等に色々作って喜んでくれるのを見るのが何よりの楽しみだったんだけどね」


 先ほどから漂っていた嗅ぎ慣れない香りが、実は二人して気にはなっていたのだが、どうやらそれが彼女が二人の為に作る菓子の匂いだったと判明して、ライカとサッズは顔を見合わせた。

 それは悪い香りでは全くなく、少し甘くて、なんとなく好奇心と味覚を刺激するものだったのである。


「まぁくれるってもんなら良いんじゃないか?」

「そうだね、せっかくだし。それじゃあいただきます」

「そうそう、ガキが遠慮するもんじゃないぜ」

「おふくろさんの料理の腕は確かだからなぁ」


 客の内、陽気な者達なのだろう、見れば入店時にライカ達に挨拶を寄越した男達が口々にそう言い、どこかからかい含みの表情を向けて来た。

 その軽口を封じるように、ステンノは鋭く彼等を睨む。


「その子達にちょっかい掛けるようなら叩き出すよ、うちの宿で預かった以上は万一のことは起こさせないからね」

「おおう、怖い」


 そんなやり取りに慣れているのか、客は首を竦める仕草をするものの、ライカ達を見て「どうよ?」とでも言うようにニヤリと笑ってみせた。


「おふくろさんは見ての通り大物だからな、逆らっちゃ怖いぞ」

「全く口の減らないったら!」


 口調はともかく表情はにこやかに、客の軽口を軽く流すと、ステンノは大きめの皿に何かをたっぷりと盛って二人のテーブルにやって来た。

 それは柔らかそうな黄色い物体で、ライカはその色から、なんとなく子供の頃に食べた花粉の団子を思い出していた。

 花粉団子はパサパサで少し食べにくかったが、独特の甘苦いその味は、長くライカのお気に入りになっていたのである。

 皿に盛られたそれは、そんな自然のままの野性的なおやつと違い、今正に焼き上げられたばかりといった熱を纏い、どこか甘い香りを漂わせていた。

 よく見ると、黄色い生地の中に何かの果物が薄く切り取られて入っているようである。


「新鮮な卵とミルクと小麦粉を使ったこの辺では馴染みの焼き菓子さ、甘味に干しナツメを使ってるからとろけるように甘いんだよ」

「卵とミルク」


 思わず不思議そうに呟いてしまったライカだったが、それは仕方ない話だった。

 時たま野生の鳥の巣から見付かるごちそうである卵はともかく、ほとんど家畜を養っていないライカ達の街では、ミルクはまず見ることの出来ない物だ。

 そもそも商人がやっと入り込んで来たばかりであるあの街には、極端に外の物が少なく、穀物の栽培が出来ないので小麦粉なども中々手に入らない。

 そんな貴重品だらけのこんな食べ物が、気楽に菓子として出て来ることに、ライカは驚いたのだった。


「これで手を拭きながら食べると良いよ」


 濡れた手拭いをそれぞれ貰い、まだ熱いそれを手に取って食べる。


「柔らかくて甘いな」


 感情の篭らない、ひどく簡潔な感想だったが、別にサッズは気に入らなかった訳ではない。

 嫌いなら嫌い、嫌なら嫌とはっきり言うのがサッズなのだ。

 彼は特に入っているナツメに興味があるようでほぼ動物じみた動作で時折匂いを嗅いでいる。


「これ、美味しいです」


 一方のライカの反応はごく単純だった。

 女将にニコリと笑ってそう言うと、そのまま一心不乱に味を堪能したのである。


「気に入ってくれたんなら良かったよ。この干しナツメは最近流行りのおやつでね、それでちょいと使ってみようと思ったのさ。うん、評判良いみたいだね。生のが手に入ればジャムでも作ってみるんだけど、中々生のは入らないんだよね、さすがに採れる所がちょっと遠いからだろうね」


 そう言いながら、彼女はまるで実の母親であるかのように、二人がおやつを夢中で食べる姿を優しげに微笑みを浮かべて、じっと見守っていたのだった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「十二枚だ、順当なとこだろ?」

「馬鹿お言いでないよ、片方には金貨だって払う客がいるだろ」

「ありゃあ駄目だ、わかって言ってるだろ?どう見ても高位貴族だぞ、俺の首が飛ぶぐらいじゃ済まん」

「うちはああいう観賞用は女以外取引先がねぇや、今回は見送りだな」

「女の子ならまた良いのが入るさ、最近は出稼ぎに来たものの働き口が無くて下に零れて来るのが多いからね」

「こないだのは中々良かったよ、また出物があったら声を掛けてくれ」


 二人連れの男がテーブルに銀貨を置いて席を立つ。

 それを見送りながら別の客が女将に商談を持ち掛けた。


「今回はうちに回してくれ、ああいうのが丁度必要だったんだ。片方だけで良い。二十枚出すぞ」

「おや、気前が良いね。あんたんとこは良い客を持ってるから私としても安心出来るよ。ここんとこずっと上品な出物を探してたようじゃないか?」

「知ってて呼んだんだろうが、全く。大体よ、客は気楽に注文をくれるが、探すほうは苦労するよな。だがまぁ、おかげで上手い具合に良いのが見付かって良かったよ。それにあの子だって、普通に暮らすよりもむしろ幸せになれるだろうからな。誰も彼もが満足でめでたいことさ。しかしまぁ、さすがにおふくろさんは鼻が良いさね」

「商品の価値をちゃんとわかって、より相応しい買い手に届ける。それがみんながみんな幸せになれる方法なんだよ。だからね、せっかくの価値のある品物をボロボロにしてそこらに放り出すようなチンピラ共には虫唾が走るのさ。あんな連中に先を越させる私じゃないよ」


 ステンノは自らの手腕を誇るように弛んだ顎を突き出した。

 実際彼女は奪って殺せば良いという頭の悪い連中に我慢がならない性質なのである。

 人間は誰しも美点を持っているものだ。

 それをきちんと理解してふさわしい場所に提供すれば、誰もが満足し、幸福になれるのだと、心から思ってもいる。


「まったくだ、誰もが順当に満足出来る。それが商売ってもんだからな。しかしアンタも上手いこと考えたもんだよな」

「育ちってのはまず食事に出るもんさ、というより生活の中の一挙手一投足がそのままその人間の品性を表すもんなんだ。だから商品の価値を正確に選別するには、まずは安心して生活出来る場を提供するのが肝心なんだよ」


 酒の席の戯れのように楽しげな笑い声が響き、笑顔と気の利いた会話が交わされる。

 王都の外れの一画にあるその酒場は、同じような仕事仲間の集まる、ここ王都にはよくある組合酒場という物だった。

 他所ではあまり聞かない仕組みだが、商売人が隆盛を誇るこの国では、同業者のみが集う貸切制の酒場は何かと都合が良く、段々と一般的になっていったのである。

 そしてその組合酒場、『我が家』を経営する、おふくろさんと呼ばれている女将のその名は、自らを『業者』と呼ぶ、一部の者達の間ではとみに有名ではあった。


 他のどこよりも、需要に相応しい良質の、人間という商品を提供する良心的な仲介者として。

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