第107話 王都名物

 ライカは窓板を開けたまま、そこから見える狭い街並みを眺める。

 細い路地とぎゅうぎゅう詰めの建物ぐらいしかそこには無いはずだが、それでも窓から漏れ出る人の住居の灯りや、暗い中を移動するカンテラらしき光がいくつか浮かび、月が隠れているその夜の風景を真の闇から遠ざけていた。


「王都か」


 そこは、ライカの住む街とは全く違う世界のようにすら見える。

 いや、旅の間に通った場所場所で人々の営みは全てどこか違っていた。

 ほんの僅かな距離でしかないのに、これ程の違いがあるのなら、世界の全てを巡ったらどれほどの未知を体験するのだろう?

 ライカはそう考えて、まだ見ぬ世界を夢想した。

 ライカの知識にはセルヌイが世界中から集めた書物があり、そこに描かれている人の世の多様性は、幼かったライカの、人間ならではの知識への貪欲さを目覚めさせたものだ。


「夜行性って訳でもないのに夜も活動する人間がいるんだから不思議なもんだよな」


 人間は夜にはほぼ視界を得られないと知っているサッズは、心底不思議そうに呟いた。

 油で火を灯し、その頼りない灯りの届く範囲しか認識出来ないのに、それでも人間はその先へと進もうとする。

 それは、生物としてのサイクルを持ち、基本的にはそこを逸脱しない他の生物とは全く違う行動だ。


「それはきっと、その人にとって必要だからなんだと思う。必要だからわざわざ夜に行動する為の灯りを作って、それを持ち運べるようにしたんだよ」

「必要か。それはどうかな?それは生き死にの問題じゃないんだろう?だとしたら必要なこととは言えないんじゃないか」

「う~ん」


 人の『必要』が必ずしも生死に直結しないことをライカは感覚として承知しているが、生物としては確かにサッズの言う通りで、人の思う『必要』は多くは生き物としての必要ではない。


「でも、きっとそれが人間なんだよ」


 ライカとてまだ人間としては経験の浅い若い個体に過ぎない。ましてや人として集団の中で生きはじめたのはほんのこの間の話だ。

 まだまだこれが正解と言える物を自分の中に持っている訳がない。

 実を言えば、ライカ自身にとってもまだまだ人間の行動は謎が多いのだ。

 だが、それを正直に言うのは悔しいので、ライカはお決まりの逃げ口上でうやむやにした。


「へえ?」


 サッズはうろんな表情でライカを見たが、それ以上追求することなく話を終え、その代わりといった訳でもないだろうが、窓板を閉める。

 ベッドの間にある小さなテーブルの上で灯火皿に灯された火が小さく揺らいで、ジジジという音と共にホヤに煤を吐いた。


「ともあれ、明日の行動は決まったな。俺は城へ、お前はこの街の市場へ、それぞれやるべきことをやるってわけだ」

「すごく不安だ」


 ライカは自分のベッドに腰掛けながら小さく言葉を吐く。


「何がだ?俺一人なら、お前のヘンテコな術とかじゃなくて、ちゃんと姿を隠して動き回れるし、そうやって人間に接触しなければ面倒も起きようが無いだろ?むしろ不安なのはお前の方だぞ」

「俺の方こそ領主様に頼まれたように市場でどんな物が人気があるか見て来るだけだから、何も起きようがないよ。サッズのほうはあの綺麗な女性竜と会うんだから姿を表さないと失礼だろ?その時、周りに人間が居ないとは限らないじゃないか?むしろきっと誰か世話をする人間が傍に居るような気がするんだけど」

「馬鹿馬鹿しい、俺がそんな連中に発見されるようなマヌケだと思ってるのか?うん、思ってるんだな」


 ライカの表情を見て判断したサッズは、抜く手も見せずにライカの頬を抓もうとして、間にあるテーブルの作り出す距離に阻まれた。


「ほら、目の前の物すら見えないんだもの。俺が心配するのは当然だよね」

「むっ」


 サッズは何の力加減も感じさせずに一気にテーブルを飛び越えると、中空に逆立ちをした形のままライカの頬を抓み上げる。


「ちょ、痛い!ぷっ、なにそのカッコウ、痛いって!」


 キリキリ抓み上げて満足したのか、サッズは先程の動きを巻き戻すかのように元の位置に戻った。


「テーブルなんか関係ないね」

「すごく格好悪いけどね」


 ライカが頬をさすりながら言うのを横目で見ながら、サッズはベッドに横になる。


「むう、このベッド、変な風に柔らかくて勝手が悪い」


 サッズの文句を受けて、ライカも同じように横たわった。

 土台のベッドの上に何か干し草のような物が敷き詰められ、その上に丈夫そうな布が掛かっている。

 そのきっちりと押し固められた干し草が、微妙な柔らかさをもたらしているので、サッズには何か落ち着かない、勝手の悪さを感じさせているのだろう。

 ライカはというと、地面に敷布を敷いて寝るよりこちらの方が全然良かったし、心地の良さでは祖父が自分のために丁寧に作ったベッドに敵うはずがないのは当たり前のことなので、特に不満も感慨も無かった。


「転がって固めたら?」


 そんなライカの軽い言葉に、サッズはなるほどと頷くと、盛大に転げまわり、干し草らしき物を圧し潰してしまう。

 その様子を見ていたライカは、どうやら失言だったらしいことに気づいたが、特に止めることもせず、好きにやらせておいた。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「おはようございます」


 日が昇ると同時に起き出した二人は、窓板を開けて風を通すと、井戸の場所を聞こうと下に降りた。

 下では女将のステンノが、やはり既に起き出して、何やら作業をしている。


「おはよう、どうだった?ベッドが変わって良く眠れたかい?」

「ぐっすりでした」


 にこやかにライカが言い、サッズも機嫌が決して悪くない様子で応えた。


「ああ、不満が無い訳じゃないが、快適に眠れるようにしたからな」


 具体的に何をしたのかを語ればそれなりに文句を言われたかもしれないが、相手は深くは追求せず、サッズは自分が何か悪いことをしたとは思ってないので堂々としていた為、そこで問題が発生することはなかった。

 女将はにこにこと二人を見ると、何か用事かを尋ねる。


「あの、井戸はどこでしょうか?軽く汗を流したいのですが」


 夜の分の桶と水は用意されていたが、普通は使わない朝の分は用意されていなかった。

 その分は頼むより、水場で済ませてしまったほうが早いので、ライカは直接井戸の場所を尋ねているのである。

 サッズは寝汗をかいたりはしないのだが、水に接するのは好きだし、実は竜は全体的に綺麗好きなので、その気があればいつでも水浴びをした。

 昔は、朝はよく二人して湖に突っ込んだものである。


「井戸だって?ふふ、この王都の名物を知らないなんて、下調べが足りないねぇ。ほら、こっちへおいで」


 どこか面白がっているような女将の言葉に首をひねりながら、ライカもサッズもその後を付いて行く。

 彼女の足は建物から出る前に止まり、石で出来た小さな囲い地へと二人を誘った。

 ライカはその周囲を見渡すが、井戸のような穴は見えず、何やら壁に突起物があるだけで、この場所が何なのかを示す物が見当たらない。

 いや、よく見ると、囲いの所に洗い桶があり、どうやらここが水を使う場であるのは間違いなさそうだった。

 しかし、肝心の水が無い。

 水瓶の類も見当たらなかった。


「えっと」


 ライカが疑問を口にしようとした時、女将が壁際に寄って突起物に嵌っていた物を外すと、そこから勢い良く水がほとばしる。


「え?」


 ライカもサッズも、流石にその様子に驚いて口を開けて固まった。


「あはは!驚いたろう!もう、田舎の子がこれを見てその顔をするのが堪らなくてねぇ。これが王都名物の上水路だよ。こういう個別の管は上水管って呼ぶことが多いんだけどね。流石に各家に一つずつって訳じゃないけど、うちみたいな宿とかには取り水口があるし、小区画に一つは大きな水場があるんだよ。おかげ様で王都の民は水に困ることが無いのさ」


 澄んだ水が桶に溜まっていくのを呆然と見ながら、二人は渡された手拭いを受け取った。


「人間って凄いな……」


 サッズの素直な感想に、ライカは黙って頷くしかなかったのである。

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