第102話 別れと始まり

 商組合の共同倉庫は、一行が通った街の入り口から向かって右の道沿いに立ち並んでいた。

 この界隈は倉庫街であり、行き交う荷馬車も長距離仕立ての物が多い。

 ライカ達西端周りの商隊の一行は、倉庫前の広場に荷を集め、持ち出しが無いように荷運び人達の身体や私物を調べた後に、到着の喜びや歓迎等がある訳でもなく、そのまま流れ作業的に賃金の支払いが始まった。

 これが終わればこの仕事は終りということになる。


「荷負い人足は脱落者無し、違反事項も無し、契約通り一人二十リアン(二十銀貨)だ。お疲れだった」


 商隊の長であるショソルの宣言に、特にリアクションがある訳でもなく、全員が支払い係の前に詰め掛け、名前を呼ばれるのを待った。

 一人一人の木札が取り出され、支払いが終わると同時にそれが割られる。

 ゾイバックやカッリオ、エスコやマウノが次々と呼ばれ賃金が支払われる中、ライカとサッズは最後まで残された。


「じゃあな、まあ、風が吹き寄せりゃあまた会う事もあるかもな」

「それじゃあな、王都では慎重に行動するんだぞ、見知らぬ人の親切には注意するんだ。頑張れよ」


 それぞれが言葉を掛けたり、軽く手を振ったり、同じ道程を共にした気安さをそこに乗せて別れを告げていく。

 ライカは一人一人ににこやかに笑顔を向けて挨拶をし、サッズはいつもの通り視線を向けただけ、まるで近所の友人が少し出掛けるという際に向けるような、それは軽々とした別れだった。


「さて、お前たちだが。実は契約書にこう書かれている。『賃金は監査者の裁量に任す』とな」

「あ、はい」


 残されて告げられた言葉に、ライカは頷いた。

 元々一人前として雇われた訳ではなく、王都への旅程の為に無理を押して入れてもらった立場でもある。

 大体、ライカとサッズには金銭に対する意識が薄い部分があった。

 どちらも賃金の交渉など、この瞬間まで全く意識などしても居なかったのである。

 ライカ自身は祖父に比べて金銭管理はしっかりとしているつもりがあるが、根源的な欲が金銭に対して働かないのだから、はなっから取り分を増やしたいとか思ったりするはずもない。

 彼等にしてみれば食物や装備品や住居には価値を見出すことが出来ても、その引換として使用する貨幣になんらの魅力を感じ無いのだ。

 それらが直接的に取引手段として物品と結びついた物であることを頭では理解していても、知識と気持ちは同じには働かない。

 つまりは二人にとって、お金を貰うということは今現在隊商長に言われるまで意識にすら昇ってなかったことなのだ。


 しかし、雇い主である側は商人であり、彼等にとっては金銭は一種神聖ともいえる物である。

 ショソルは重々しく言葉を紡いだ。


「本来俺はお前たちの加入に賛成ではなかった。商隊において不安要素はそこにあるだけで全体を危険に晒す。だが、一方でお前達は最低限の仕事はしてのけた。一人前ではないが、評価はする。ということで、お前達の賃金は二人で一人前。一人十リアンずつだ。異論があれば聞こう」

「いえ、むしろ賃金がいただけるだけでもありがたいぐらいです。俺たちは王都まで来る為にどうしても雇っていただきたかっただけなんです。本当に助かりました」


 ライカは普段の軽く首を傾げる礼ではなく、商人達が契約成立の時に行う、独特の礼を取った。

 胸の前で両手を上下に軽く合わせ、深く腰を折り両膝を軽く曲げる。

 一方でサッズも流石にここで礼をしないのは気持ち的にすっきりしないので、せめてもと、目線を下げる目礼で彼なりの礼を示してみせた。


「ふ、はは、色々話は聞いていたが面白いな。お前達のその性質が厄介ごとを呼び寄せないようにせいぜい気を付けることだ。おそらくお前達が思う以上に王都という場所は底が深い。闇も光もそこらにいくらでも顔を隠して転がっているだろう。だからこれは一度だけでも同じ道を歩んだ相手への俺からの餞別だ」


 ショソルはライカにくるりと巻いた皮紙を投げて寄越した。

 ライカが紐を解いて広げてみると、それは王都の地図だった。


「ありがとうございます!」


 ライカは半ば叫ぶように心から礼を言うと、満面の笑顔でそれを見つめる。

 それがどれほど彼等にとって貴重かは、少し前にストマクの街で迷ったことからもはっきりしていた。金銭など比べ物にならない程の贈り物である。


「ははは!そうか、それの価値がわかるか。まあいい、一度俺の下にいたんだ、ぶざまに野垂れ死にだけはしてくれるなよ」


 割れ鐘のような声が少年たちの背を叩き、支払い係の男が二人に革袋に入った銀貨を渡す。

 ライカはもう一度礼を告げると、王都の喧騒の中へと歩き出した。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「う~、何もかも閉じてるのにやっぱり煩い」


 サッズのぼやきを撒き散らしながら、二人は馬車は通らないが、それなりに幅の広い道を歩いた。

 本人達は気づいてもいないが、彼等はあまりにもあからさまに地方からの物慣れぬお上りさん然としていて、このまだ王都の端に近い界隈ではどこからどう見ても格好の鴨でしかない。

 若すぎる程若く、しかも片方は見てくれだけで金が取れるぐらい造形が飛び抜けている。


 彼らの周辺の影の中では、ヒソヒソと潜められた囁きが交わされていた。


 ―…どうやら保護者は居ないようだぞ。さて、誰が仕掛けるか?


 そんな声のない駆け引きと下心に満ちた者達の牽制しあう視線の真っ只中に二人はいるのだ。

 普段のサッズならばそんな悪意には手間もなく気づいただろう。

 しかし今は人々の意識の奔流を防ぐために外部への警戒を全て切った状態だった。

 ある意味、ライカはサッズへの、サッズは己への過信が過ぎたのだ。

 そう、二人は全くの無防備だった。


「坊主達、王都は初めてか?どうだ、土産とかは?このセムニー織りの帽子なんかたったの五リアンだぜ?」

「いえ、俺たち着いたばっかりだからそういうのはまだいいです」

「そうなのか、宿はもう決めてるのかい?」

「まだ全然」


 たったそれだけの受け答えで、漏れ出した情報が罠を編みあげる欠片となる。

 顔を隠した男達や、腕に覚えのあるスリの少年が影からその一歩を踏み出そうとしたその時、がらりと場の空気を変える声がライカとサッズに届いた。


「まぁまぁ、あんたら子供たちだけでここまで来たのかい?親御さんは?どっかに家があるのかい?」


 その声の主は、王都の住人達が一様に着込んでいる、長い一重の衣と、その上から体に巻き付けている長布が、その体の圧力に負けて、まるで裁断された切り替えのある服のように見える、ふくよかといえば通りが良いが、少しそれが行き過ぎた体型の女性だった。


「こんにちは」


 むぎゅっという感じで押し退けられた土産売りの商人を見やりながら、ライカはやや後ずさり気味に挨拶をする。

 あまりの迫力に、さすがのサッズもなんとなくライカの後方に回りこんでしまった。

 サッズは女性に対して強く出られない性質なので、情けないながらも対応をライカに押し付けたのである。


「まぁ、礼儀正しいこと。良いお家の子なのかしら?今小耳に挟んだんだけど、あんた達宿がまだ決まってないんだって?良かったらあたしんとこに来ないかい?うちは本来下宿なんだけど一時宿の許可も持ってるんだよ。部屋は余ってるし、下宿割の値段だから他の宿よりずうっとお得だよ。うちにしなよ、うん、そうしな!」


 ほとんど有無を言う間も無い勢いで、引き摺られるようにライカ達はその女性に連れて行かれた。

 巨大な腕と胸の間にぎゅっと挟み込まれて身動きも出来ない有様で、脱出とか断るとかの事柄を考えるどころでは無かったのである。


「ち、おふくろさんか。しゃーねぇな、相変わらず耳がはええや」


 影がぼそりと呟いたのを最後に、王都のとある通りの一角は、またいつもの平和な賑わいを取り戻したのだった。

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