第101話 王都エルダシリニ

 エルデ国の王都エルダシリニ、その一番の特徴は街を囲む防壁を持たないことだろう。

 広大な街並みの大半は近年計画的に整えられたものだが、周辺に勝手に住み着いた者達が無計画に家を増築し、無軌道な木の根のようにその裾野を広げていた。

大陸中央部で唯一戦火を免れた国として、その豊かさに引き寄せられた人々が続々と訪れてしまい、国が管理しきれなかった結果である。


 そのような無防備な都ならば、どこからでも自由に出入り出来そうだと知らぬ者は思いがちだが、実はそうでもない。

 決して高くは無いが、人を寄せ付けない切り立った岩山に囲まれたその土地に入り込めるのは定まった方向からのみ、しかも一見開けた平原は、目眩ましの段差だらけであり、街道を使わなければ安全な通行は難しい。

 見晴らしは良いので、どこから近付こうとほぼ王都側から丸見えであり、しかも王都へと続く平原の街道の半ばには、立派な兵舎と関があった。


「道がこうやって大きく蛇行してるのも、いざ戦となった時に来襲する軍隊の規模を推し測りやすいようにってことらしいぞ」

「でも、ここが戦場になったことは無かったんでしょう?」

「まあ確かに結果的には無駄だったとも言えるな。おかげですぐそこに見えてるのに遠回りしなきゃならんしな。だが、偉いさんのやることに文句も付けられねぇだろ?」


 関での検問は時間が掛かる為、手続きに関係ない彼等下働きの人間は、荷物を提出した後はひたすら暇になる。

 他でもあったように、それを狙って飲み物売りとか小さい荷車での軽食売りとか(どうやら屋台等の大掛かりな出店は禁じられているらしい)が巡回していて、手軽に喉を潤せる一カラン(銅貨一枚)のお茶はかなり繁盛していた。


 自前の容器を持ってない者は容器代が別にいるので三カラン払わなければならないのだが、自分の器を持たずに旅をする者も滅多に居ないので、気にする者も無い。

 ただ、その時に付いてくる素焼き杯を欲しい人間もいるらしく、わざわざ手持ちがあるのに三カラン払って買っている者もいた。

 そんな、間近に王都を見ながらお預けをくらって居ても立っても居られないような空気の中で、ライカはゾイバックに捕まっていた。


 要するに、彼は王都に対する知識が白紙状態のライカに色々と吹き込みたいのだ。

 ここまでの旅程で、ゾイバックが極度の知りたがりであり、同時に教えたがりであることを学んだライカは、大人しくゾイバックの講義じみた話を聞いていた。

 一方で、ゾイバックがあまり好きではないサッズは、やや離れた場所でうろんな目付きで彼を窺っている。


「ここを過ぎれば後は王都の商組合の総合倉庫まで荷を運んでおしまいだ。埃っぽくて汗まみれでしんどい旅とはオサラバでお前らともそこでお別れ、メデタシメデタシだ。まあ、結構お前らは面白かったけどな」

「今まで本当にありがとうございました」

「おいおい、別れまでまだもうちょっと残りがあるんだぜ?気が早いのは人生で損をするぞ」

「そうですね」


 買ったお茶は少し温かったが、驚く程香りが高かった。

 この辺りで採れるお茶は外に出す程の量が無いので、都の中だけで消費される物なのだそうである。


「茶受けにどうだ?」


 ゾイバックが差し出した物を見て、ライカは反射的にすっぱい顔になった。

 それはゾイバックが持ち歩いている二日酔いの薬でもある干しエンヌダである。

 疲れている時に頭がすっきりする効果はあるが、すっぱくて普段のお茶受けにしたい物ではない。


「いらないです」

「この酸っぱさが癖になるのに、わからん奴ばっかりだ」


 どうやら他の人間にも断られ続けているらしい。

 当然といえば当然だが、その様子にどこか子供っぽい彼らしさを垣間見て、ライカは笑みを零した。


 それからたっぷり半刻掛けて検問は終り、隊列は動き出す。


「さすがに商組合所属だから早く済んだな、前に故郷の商人と来た時なんか優に一刻半は掛かったよ。荷物はこの商隊の半分にもならない量だったのに」


 ライカに飽きたゾイバックが去った後、煎りクルミのお裾分けに来てくれたマウノが感心したようにそう言った。

 彼も実はこの商隊で働くのは今回の往復が初めてで、何かとライカ達に気遣っていたのも自分が一番下っ端だという立場から逃れられたからだと笑いながら話してくれたのだ。


「これ、凄く美味しいですね」


 ライカは初めて口にしたクルミの味に驚きを禁じ得ない。

 仕事の話より食べ物という、そのいささか子供らしい様子にマウノは笑った。


「ここより南部では結構一般的な食べ物だよ。油も摂れるし味も良いから料理の風味付けに入れることが多いんだ」

「へえ」


 小声で「クルミ、クルミ」と呟いて覚えているライカに笑って、マウノはふと傍らのサッズに目を移す。

 サッズの目はじっとマウノの手元を見ていた。


「あ、君も食べる?」


 マウノは少し苦手とする、このどこか超然とした整った造形の少年に思い切って声を掛ける。

 マウノがライカを通さずにサッズと話すのはこれまで無いことだったので少し緊張の色を隠せなかった。


「ありがとう」


 ぼそりと言われて、マウノはしばし固まった。

 そういえばこの少年が誰かに礼を言うのを聞いたことがあっただろうか?と、マウノはふと思い、しかし根の明るい性質のこの青年はすぐにいらぬ考えを捨てて、にこやかにサッズにどういたしましてと笑ってみせる。


「マウノさん、良い人だね、親切で」

「ああ、良い香りだな、これ」


  荷物を背負いに戻るマウノを見送って、二人はそれぞれの感想を口にした。

 マウノ青年が思い悩むような難しいことなどなにも考えてはいない二人なのである。


 関を越えても暫くは道の両側に畑が続き、その畑では人々が土ばかりのその土地を鋤で掘り起こしたり、緑に芽吹いた何かの草を抜いて集めたりしている。

 大きなカゴの中で寝ている赤ん坊が道のすぐ近くの土の上に置いてあったりして、ライカやサッズなどはぎょっとしてしまうが、幼年期の子供を傍らから離さない竜と違って、人間の子育ては案外とぞんざいなんだなと、世の人間の親が聞いたら怒るようなことを考えて納得したりもしていた。


 そんなのんびりとした思いも、王都へと近づくとすぐに消し飛んだ。


「うおっ!」


 サッズが思わず悲鳴じみた声を上げたのは、集中した人間の集団の意識をストレートに受け止めたせいだった。

 見渡す限りの街並みに少し呆然としていたライカは、そのサッズの様子に心配して心声を掛ける。


『大丈夫?』

『蜂の群れに突っ込んだ時の何倍も酷い。お前の街の比じゃないな、これは』

『閉じる?』


 サッズは現在も、馬や動物を怯えさせない為に、外に自らの気配を漏らさないように感覚の大部分を閉じていた(汚れないとおかしい靴などを除いて周囲を大気の膜で覆って気配を絶っている)が、意識まで閉じるとそのおおよその感覚は、ほぼ人間のそれと変わらなくなってしまう。

 それを承知しているライカは心配そうにそうサッズに聞いた。

 輪で繋がっているとはいえ、サッズが意識を閉じてしまうと目視出来る距離から離れれば、竜ではないライカでは心声さえ届かなくなる。


『こりゃあ仕方ないな。開けててもこれじゃあ聞こえやしないだろうし』


 近づいて更に全容がわからなくなってしまった王都の巨大さに、ライカも圧倒され、つい本能的な警戒心が沸き起こって低く唸る。


「お前、なんで威嚇してんの?」


 その様子に、サッズが呆れたように笑った。


「ちょっと混乱気味、かな?」


 ライカ自身も少し照れてみせる。

 それは、少し前の穀倉都市ストマクで感じた雑然とした圧迫感とはまた違っていた。

 あの街は行き交うそのほとんどを商人が占めていて、意識の方向性がかなりはっきりとしていたのだ。

 しかし、この王都はあまりにも多種多様な人間が桁違いの人口密度でもって空間を占めている。


「これが王都なんだ」

「ああ、こりゃあ一筋縄ではいかなそうだな」


 サッズの目は期待に輝き声は弾んでいた。

 自らの不自由さは、困難に対する期待によって気にならなくなる。それこそが竜であるし、またサッズという個性でもあった。


「うん、まあ、ほどほどにね」


 一方でライカは、サッズの期待に燃える様子に、むしろ自身は醒めてしまい。押し寄せる不安に遠い目になりかけた。


(そうだ、圧倒されてるだけじゃあ駄目だ)


 懐に差し込んでいる祖父から贈られたナイフと、帯飾りに偽装しているタルカスから貰ったナイフ。

 両方に触れると、スッと気持ちが軽くなる。

 レンガ造りの家々、敷石が隙間なく貼られた地面。彼の知る街とは何もかもが違う場所だが、そこが人の暮らす地であることに違いは無い。


「野郎ども!王都だ!素っ裸になるまで毟られに帰って来たぞ!」


 商隊の長であるショソルがニヤつきながらがなり声を上げて浮かれる男達を揶揄した。


「やわっこい娘っ子の前なら喜んで素っ裸になってやるさ」

「ちげぇねえ」


 応える声に賛同の言葉が続き、男達が大笑いする。

 ライカ達にとっては遠い場所でしかないこの都も、彼等のほとんどにとっては帰るべき家のある場所だ。

 一種の高揚感に包まれながら、一行は王都へと入ったのだった。

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