第103話 宿「我が家」

 王都の街並みはライカの知る中では、レンガ地区に一番似ているようだった。

 殆どの建物がレンガ造りだというだけでなく、古い建物に依存するように次々と新しい建物が増築され、家と家の間隔が二頭立ての馬車が通れる程の広さがあったかと思うと、突然人がやっと入れる程狭くなったり、いきなり行き止まりになったりと、まるで不慣れな者を迷わせる為にそうなっているかのように思える所が、規模こそ違えどとても似ていると思ったのである。

 しかし、


「元々ね、迷路のような街並みに造りはしたらしいんだよ。敵が攻めて来た時の為とか言って。でもさ、王都の豊かさに惹かれて流れ込んだ新規の住人がとにかくデタラメに家を建てたもんだから、それが更に面倒なことになっちゃってね。今じゃあ住人でさえ自分ちの近所から遠出すると迷ったりするのが当たり前になっちまったのさ」


 とのライカ達を宿に案内する女性の説明からすると、ある程度は意識してそう造られているらしかった。


 入り組んだ小さな路地に進み、そこから更に階段を登ったり、どこかの屋根らしき所を渡ったりと、案内されている間、何か言い訳でもするかのように彼女はライカ達に説明した。

 ライカは当初、女性のあまりにも見事な太りっぷりに意識を取られて、街並みを眺めるどころでは無かったので、その説明を受けてようやく周囲を見回し、ふとあの懐かしいレンガ地区を連想した、という訳だ。


「それは良いが、あんたはどうして俺たちをどっかに連れて行こうとしてるんだ?」


 意識があちこちに向いて気もそぞろなライカを置いて、サッズが至極まともな疑問を提示した。

 それにしても、その問いは遅きに失した感はある。

 基本的に女性に丁寧な態度のサッズだが、その有無を言わさない強引さに腹を立てたのか、その口調は少し冷たい。

 その問いに、二人を荷物のように両腕に掴んで進んでいたふくよか過ぎる女性はふと立ち止まった。


「ん?私は言ってなかったかい?うちは宿屋をやってるんだよ」

「いや、聞いたけど、宿ってのは客が決めるもんじゃないのか?」


 すっかり人間社会の常識に通じてきたサッズは、さすがに今の事態が異常であると判断した。

 勢いに流されかけていた感のあるライカも、反対側でその言葉に頷いて肯定してみせる。


「はん、本当に田舎もんだね。あんた達、頼りになる保護者もなしにこの王都に来たんだろう?そうだろ?」


 はなから相手の答えを想定していない物言いで、ほぼ決め付けるようにそう言って、彼女は言葉を続ける。


「そんな子供等だけでうろついてたら獲物を狙うケダモノ共の格好の餌食なんだよ。実際ね、この王都じゃあ、他所から来た若い連中が突然消えるのは当たり前なんだ。いいかい、時々あるんじゃなくて、当たり前なんだよ?」


 二人の手を離して腰に手を当てて胸を張る。

 全身の肉が大きく波打つその姿には、ある種独特の迫力があった。


「うちはね、元々は王都に働きに出る若い子の為の下宿だったのさ。でもね、王都見物に来た子達が身ぐるみ剥がされて狭い路地のゴミ溜めの中に突っ込まれてる事件が続いたことがあってね。ああいうのは駄目だと思ったんだよ。それからはちょっとおせっかいに思われようと、危なっかしい子を見付けたら保護することにしてね。それを機に宿としても登録したんだ」


 彼女の話を聞いたサッズとライカは顔を見合わせた。

 感覚を閉じているサッズだが、直接の接触があったので彼女が本気であることはなんとなくわかる。

 一方のライカは、そもそもが彼女を疑うべき理由を持っていなかった。


「あんたらが自分達で宿を探して回ったって足元を見られてボラれるのがせいぜいさ、悪くするとそのまま人狩りの檻にご招待だよ。別に疑ってもらってもいいけど、いや、むしろ疑うべきなんだけどね。まずはうちに来てお茶でも飲んでから決めちゃどうだい?」

「わかった、とりあえず案内してくれ、その宿に」


 サッズがそう答え、ライカも頷く。

 そんな二人を眺めると、彼女は分厚い頬を緩ませてにっこりと笑った。


 その後、建物の中を移動したと思えばまた外の大通りに出て歩いたりと、複雑な道順を経て辿り着いたのは、少し黒ずんだ古いレンガ造りの三階立ての建物だった。

 ライカの住んでいた街には三階以上の建物と言えば城しかなかったので、一般の住居であるはずのその建物の高さに少し驚いたが、周りを見ればそのぐらいの高さの建物はそこかしこにあるので、いや、ここはさすがは王都だと、そっちに感心するべき場面なのかもしれないと思い直した。


 ちなみに使われているレンガは、レンガ地区で使われていたような日干しレンガではなく、堅い窯焼きレンガである。

 入口の大きな扉は表面に色を塗った上から焼いている一枚板で、何かの意匠を描いた彫りがあった。

 看板は鉄製で壁面から突き出していて、大きな木とその枝に1個の花を描いている。


 ギッという小さな軋みを上げて押し開けられた扉の向こうは薄暗く、ちょっとした食堂程度のテーブルと椅子が並んでいる空間が見て取れた。

 その大きな体に似合わない素早さで、女性は中に入ると下ろされていた窓板を開いていき、そうして室内に光が入り、明るい光の射し込んだそこは案外と清潔で、所々に綺麗に織り込んだ壁掛けなどが飾ってあるのが見て取れる。

 テーブルや椅子は石を切り出して作られたもののようで、椅子の上にはクッションが設えられていた。


「ささ、さっさと入って。好きな所に座って頂戴」

「おじゃまします」


 そう挨拶をしてライカが入り、その後から無言でサッズが続く。

 二人は一番近いテーブルの前の椅子に座ったが、足が床に届かずに宙に浮く状態に、どこか居心地の悪さを感じていた。

 女性は奥に入ってなにやら作業をすると、すぐに二人の前へと戻って来る。


「さて、お湯が沸くまで自己紹介でもしようかね。王都の名物宿屋、『我が家』にようこそお二人さん。私はこの宿の女主人でステンノっていうんだよ、よろしくね」

「あ、ライカです。こっちはサック、よろしくお願いします」

「うんうん、挨拶がきちんと出来る躾の良い子は大好きだよ。そっちの坊やはだんまりのようだけど、まあ仕方ないだろうね」


 肩を竦めて鷹揚に笑って見せる。


「さて、じゃあこっから商売の話だ。うちは本来下宿だから宿賃は基本が小バクス(六日)単位なんだ。一小バクスが一リアン(銀貨)、どうしても一日泊まりの場合は十カラン(銅貨)貰ってる。ちなみに宿の相場は大体普通は一晩二十カラン前後のはずだよ」


 ライカは指を折って計算をした。

 一リアンはその時その時で微妙に変わるが、大体三十六カランに相当する。つまり六日単位の価格は普通に考えたらかなりお得だ。


『おい、金の話は俺はわからんから任せるぞ』

『うん、大丈夫、あてにしてないから』


 応えた途端隣から頬を摘まれてライカも無言で応戦した。


「こらこら、大事な話なんだから真面目にやっとくれよ」

「あ、ごめんなさい」


 ライカが謝り、サッズが憮然として腕を組んでみせる。


「ええっと、確かミリアムの所が一食付きで一泊二十カランって言ってたっけ。うん、安いよね、確かに」


『ね、サッズ』

『なんだ?』

『六日ここにいて大丈夫?』


 サッズにとってこの王都の人の多さは厳しい。

 竜独特の感覚器官のほとんどを封じてしまっているし、かなり不自由なはずだった。

 しかし、サッズはあっさりと肯定した。


『女を口説くのに時間制限を設けるのは失礼な話だろ?日数は余裕をもたせておけよ』


 女とは王家の竜である白い女性竜のことである。

 王都に来た目的がサッズが彼女に会いたいという話から始まったものなのだからこれは当然の返事だが、ライカは一瞬酷い脱力状態に襲われた。


「あー、そうですね。うん、それじゃあとりあえず一小バクス(六日)お願いします」

「うん、決まったのかい?ちゃんと話し合った?」

「はい、問題ありません」


 ライカは懐から賃金として貰った袋をそのまま取り出すと、中から銀貨を一枚抜き出す。

 サッズも無言でそこへ自分の銀貨を加えた。


「これでお願いします」

「はい、確かにね。へえ、王都銀じゃないか、じゃあちょっとサービスを付けといてあげようかな」


 彼女、ステンノは厨房とおぼしき方向を振り向くとそちらに引っ込む。

 やがていい香りと共に陶器のトレイにお茶の入ったカップと何やら小皿に盛った物を運んで来た。

 お茶はびっくりするほど綺麗な琥珀の色をしていて、小皿には干し果を練りこんだらしい小さいパンのような物が二枚乗っている。


「良い色だな」


 サッズがそういって香りの高いお茶に口を付ける。

 ライカも同じように口を付けて、その香りにも驚いたが、カップ自体にも驚いた。

 今までライカが普通に使っていた素焼きのカップと違って、それはきめが細かく口当たりがとても滑らかだったのである。


「それじゃあ、ゆっくりしていな。その間に部屋の準備をしておくからね」


 ステンノはそう二人に言い置いて階段を上がって行った。

 どうやら客室は二階らしい。


「それにしても」


 ライカは思わず呟いた。

 彼女程太った人をライカは初めて見た気がする。

 肉体のふくよかさはすなわち豊かさだ。

 王都はきっととても豊かなんだろうな、と、そう思ったのだった。

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