第94話 通り雨

 歩けど歩けど同じような風景が続く耕作地帯を貫く街道。

 もはや人間の手が入ってない場所は無いと言って良いような土地ばかりで、障害になる物もなく、そのまま順調に次の街へと辿り着くかと思われていたのだが、ライカ達の隊商は、予定外の事態が起こって足止めを食うことになった。


「雨が降るぞ」


 サッズが唐突に言い出したのは、一行が出発してすぐのことだ。

 そしてライカはそれをゾイバックに伝えた。


「サックは天候を読むのが得意なんです。降ると言ったらきっと降ります」

「あー?」


 ゾイバックは天を仰いでほとんど雲がない青い空を顎で示す。


「降ります」


 ライカの強固な主張に処置無しと思ったのか、とりあえず伝えると言ってゾイバックは馬車隊のほうへと進んだ。

 それを見送りながらライカは空を仰ぐ。

 日差しは柔らかく、風は少し涼しいが十分に温かい。この後荒天が訪れるとは想像出来ないような天候だ。


「どのくらの雨?」

「荒れる」


 サッズの返答は短く、そっけない。

 彼にとってはわかり切った話なので、詳しく説明する必要を感じ無いのだ。

 それにライカとの間ならばイメージを共有出来るので説明のために言葉を飾る必要もない。

 天候の極端なあの西の街で一年を過ごしたライカにとって、この世界の嵐とは特定の季節に訪れるもののような感覚があったのだが、雷雲の気配をその意識の内に示されて驚いた。


「雷がこの時期に?」

「ここら辺とあの街は大気の動きが違う、同じように考えないほうがいいぞ」


 二人がそんな風にお互いの意見の交換をしていると、馬に乗った人物が馬車隊から下がって来た。

 商隊の長だ。


「おい!貴様サックと言ったか?天気が読めるそうだな?」

「ああ、雇い主には言ってあるはずだぞ」

「まあ、聞いてるが、俺は実際に見聞きしたことしか信じない質でな。だが、うちの呪い師も天候が崩れるかもしれないと言っていた。お前はどのくらいの崩れかはっきりわかるか?」

「範囲は狭い、歩いて半日で移動出来る距離だ。だが、雨の量は多いし、なにより雷雲が出る」

「ち、雷か」


 商隊長であるショソルは、その厳つい顔を顰めてしばし考えていたが、そのまま前の馬車の列に戻って行く。


「人間は挨拶を大事にしてるんじゃなかったのか?」

「話を了解したのかどうかぐらいは言って欲しかったね」


 ライカ達はあまりのそっけなさに不平を鳴らした。


 ややあって、戻ったゾイバックが二人に近づいて来る。


「よお、その話が嘘でも本当でもいいように街道を逸れて進むそうだ」

「嘘じゃないぞ」


 抗議をするサッズへ、ゾイバックはやれやれというように頭を振った。


「へっ、いいか、集団のリーダーってのは他人の言葉に容易く左右されちゃ駄目なんだぜ?色んな意見を考慮して、様々な局面に対応出来る最も良い方法を選ぶのがお仕事なのさ」


 そのあからさまなからかい口調に、苛立ったように更に眉を吊り上げるサッズの意識を自分に向けるために、ライカはサッズの肩を軽く叩いた。

 ふと意識がそれた隙を突いてそのままサッズを押しのけたライカは、ゾイバックに気になることを問いかける。


「それで、どっちへ進むんですか?」

「畑の農道を通ると、途中にベイの木立が所々にあるからな、それを使うってこった」

「ベイ?」

「ほれ、あの肉に使うハーブのベイリーフってのがあるだろ?それの木だ」

「あ、それなら乾燥した葉っぱは一度見ましたけど、本体の木はまだ見たことないんです。それで、その木が荒天とどういう関係があるんですか?」


 ライカがそう尋ねると、ゾイバックは呆れたようにその顔を見る。


「ベイといや、雷除けの木だろうが」

「そうなんですか」

「常識だろうが」


 ライカは感心したように話を聞いていたが、その言いように我慢がならなかった者が他にいた。

 サッズが先ほどのムカつきを残したまま突っかかったのである。


「知るか!そんな常識!お前たちの狭い世界の話を誰でもが知ってると思うなよ」


 それへゾイバックも大人気無く応戦した。


「はっ!お前らの辺境の村のほうが狭いだろうが。そういうのを物知らずって言うんだよ」

「ゾイバックさん、領主館があるからあそこは村じゃないですよ。街です」


 ライカは思い切り論点からズレた部分を指摘して訂正する。


「お前こそが物知らずじゃないか!」


 だがサッズがその尻馬に乗り、それみたことかとゾイバックに勝ち誇った。

 しかし、この手の言葉による争いで、サッズがこの男に敵う訳がない。


「ったく、皮肉もわからないようなお子様とは話してられんぜ」


 思いっきりニヤニヤと馬鹿にした笑いを貼り付けて、ゾイバックは余裕げに彼らに背を向けて歩み去ったのだった。


「あのやろう!」

「サッズほら、落ち着いて」


 ライカは道々集めていた花を乾燥させて作ったポプリを詰めた袋を、サッズの顔に押し付けた。

 サッズはムッとしながらも、ほとんど本能のような誘惑に負けて、その袋をフンフンと嗅いでいる。

 その様子につい竜の時の姿を思い浮かべて、ライカは思わず笑いを零した。


「何だ?」


 まだ少し不機嫌にサッズは顔を上げる。


「ん、サッズも大分人間慣れしてきたなと思ってさ」

「人間慣れなんかしてないぞ」

「楽しそうだし」

「楽しくは無いだろ!イライラしてんだよ!」

「ほらほら、せっかくの香りが散っちゃうよ」

「おおう」


 香りに目を細める姿にまた笑いを誘われながら、ライカは空を見上げた。

 心なしかもう雲が増えている。


「雷にはベイの木か、まだまだ知らないことが一杯あるなぁ」


 商隊は街道を逸れて並行するやや細い道へと移動した。

 馬車一台でギリギリの道だが、それなりに使われているようで、足元は意外と安定している。

 この道の周囲には茶の木があちこちに植えてあり、強い緑の匂いを放っていた。


 雨が降りだしたのは日が最も高くなる直前ぐらいだった。おそらく七刻ぐらいだろう。

 降りだした雨を生み出す雲は、たちまち空を真っ黒に染め上げ、天上で不気味な鳴動を響かせる。

 一番近い木立の木は一様に背が低く生え方もまばらだったが、一も二もなく馬車隊も徒歩組も全員がそこに駆け込んだ。


「荷を濡らすな!撥水布を使え!」


 長が荷負いの集団に大きな布を投げ渡す。

 ライカ達は、かなり大きいその布の下に皆が負っていた荷を押し込んだ。


「あ、この布」

「ん?何だ?」

「ほら、あの心声を使う子の集落の家と同じ布だ」

「ああ、あの布で出来た変な家か」

「撥水布っていうんだ」

「これはあの動物の毛で作ってあるって話じゃなかったか?」

「凄く目が細かいね、どうやって織ってるんだろうね」

「俺にわかる訳ないだろ」


 ザバザバと容赦なく降る雨が人の息を奪う程の激しさで襲い掛かり、周囲の音も雨音に遮られ遠くなる。

 しかし、その中で、ライカもサッズもあえて音声での会話をしていた。

 口に水が入り込んだり、音が聞き辛かったりするのが逆に面白かったのだ。


「これ、いつか滝を登った時みたいだ」

「お前は登ったんじゃなくて落ちたんだろ?」

「サッズが途中で咥えてくれたから落ちなかったよ」

「いや、それは威張るとこじゃないから」


 その時、カカッと、切り裂くような輝きで世界が銀白に染まる。


「うひゃあ!」「ギャア!」


 悲鳴が遠く聞こえるが、雨が遮っているせいで遠く聞こえるだけで、本来は近くにいる仲間の誰かのものだと思われた。

 他の仲間と言えば大の大人である。情けないようだが、これは仕方の無いことだろう。

 野外での雷ほど恐ろしい物はないのだ。

 何の分け隔てもなく、ただ運だけが支配する運命という物を見せ付けるかのように、一瞬の閃きで容易く命を奪っていく無情の力そのものなのだから。

 ド、オオン、という少し遠い落雷の音が響く。

 それにまた悲鳴が重なった。


「雷鳴を聞くと、こう、胸の奥が熱くなる感じがするんだ」


 サッズがどこかしみじみそう言った。


「胸の奥が?」

「ああ、おそらく、記憶も届かない昔に、俺たちはあそこから来たんじゃないかな?そんな気がするんだ」

「雷から?」

「いや、ええっと、上手く言えないな」


 空を覆う暗雲、時折閃く銀の光、轟音と共に地を貫く稲妻。


『昔、世界は混沌にあった』


 ライカが心声で古い竜の唄を紡いだ。


『初めの唄だな?』

『うん、なんとなくね、覚えてる。俺がまだ小さい頃に歌ってくれた子守唄』

『セルヌイだろ、俺も聴いた。俺は母親の唄を知らないからな、知ってるのはアイツの唄だけだ』

『きっと、それだよ』


 ライカはまるで天も地も境を無くすような雨を透かし見てそう言った。


『ああ?』

『最初の竜は混沌を切り裂く光だった。だろ?』


 それはまるでこの銀色の光のようなものではなかったか。


『なるほど、そうか、そうかもな』


 サッズは思わずといった風にクスリと笑う。


「なに?っぷ!」


 ライカは口を開いた拍子にうっかり雨を飲み込んで咳き込んだ。


「いや、お前、馬鹿だろ?なんで口開けて息を吸うんだ?」


 笑うサッズの背後を地響きと閃光が同時に襲う。


「うお!近いぞ!」

「もう勘弁してくれええ!」


 先刻と同じ人間であろう悲鳴も、いっそうの真剣さを増して張り上げられたが、いかんせん、その時は全員が耳をやられていたので、その声は本人すら聞くことはなかった。

 もちろん、サッズ以外の全員ということである。

 サッズは薄笑いを浮かべると、立ち上がって雷に引き裂かれた大木を見た。

 その落ちた場所は、近いという程近くは無いが、人間でも視認出来るぐらいの距離であり、決して遠くはない。

 周囲にツンとした匂いが漂って鼻を刺激し、やがて焦げた匂いが流れて来た。


「もう上がるな」

「雨?」

「ああ、しかし、なんというか川に飛び込んだ時のほうが濡れてなかったような気がするな」

「あの時は服を脱いでたからだよ。でも、これは本当にずぶ濡れだね」


 べったりと何もかもが張り付いたお互いの顔を見交わして、二人は笑った。

 なぜかは知らないが、ずぶ濡れの姿という物はどこか哀れを含んでいる。

 ふと雨の圧力が消え、呼吸が楽になったのをその場の全員が感じた。

 雨が小降りになったのである。

 激しい水の覆いの向こうに隠れていた見えざる世界が、再び、今度は濡れそぼった全容を現していた。


「ふああ、やっと雨が止むか。近場に雷が落ちた時はどうなるかと思ったが、やぁれやれだな」


 ゾイバックがつぶやきながら服を脱ぐと水を絞った。


「ああ、はぁ」


 マウノが疲れ果てたようにへたり込んでいる。

 一番近くにいたのはこの二人だったようだ。


「悲鳴、二つだったよね」

「ああ」


 それが誰の物か理解した二人は思わず吹き出すと、笑いながら小さく背伸びをした。


 光が雲を分けて世界を照らす。

 ライカは、光に満たされた世界の中でようやく大きく息を吸い込めることを楽しんだのだった。

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