第95話 武装都市ウーロス
道の周りの畑が、小さな緑の揺れる育ち始めている何かが植えられている畑から、黒々とした土の目立つ、今から何かを植える畑へと様子が変わった。
その畑と周辺で作業をしている農夫達も多く見受けられるようになる。
「ほーい、商人さん、良い雨でしたな」
背の低い木の柵のような形の物を、小さなロバのような動物に曵かせて土を掘り返している男が、手を上げて機嫌良く挨拶をして来る。
どうやら、彼らにとっては先ほどの雨は恵みであったらしい。
「靴とズボンがドロドロだな」
だが、旅人である隊商の一行にはやはり突然の雨は災難だった。
足元の土と、農道に生え放題の草に残った雨の雫。それらが道を行く荷負い人達の足元を酷い状態に変えてしまっったのだ。
「すぐ乾くよ」
濡れている時の靴やズボンの不快感はなんとなく人を苛立たせる。
サッズは初めて経験するその感覚に戸惑っているようだった。
「我慢が出来ないようなら靴脱いじゃったら?」
ライカの助言に、サッズはなるほどと頷くと、軽く足を蹴上げて器用にも靴を上に飛ばし、それを荷の上に乗せる。
「確かにこっちの方が気持ちがいいな、ズボンも脱ぐか」
「いや、それは礼儀的に問題があるからやめた方がいいよ」
「礼儀というのは守らないと具体的にどういう問題があるんだ?」
ライカの言葉に、サッズは不思議そうに聞き返す。
言葉上の意味と、それが自身に及ぼす影響とがサッズには上手く認識出来なかったので、とりあえずライカに聞くことにしたのだ。
「そうだね、主に友達が減る?みたいな感じかな?」
「その友達ってのがよくわからないんだが、友達ってのは家族とは違うんだろう?どうして気にする必要があるんだ?」
正面から聞かれて、ライカは考え込んだ。
ライカとしても人の世に出てきてまだ一年程度でしかない。あまり複雑なことは実感が乏しいのだ。
「ええっとね、友達は世界を広げてくれるんだ。そういう相手が減るのはつまらないと思う」
家族である祖父以外でライカが今まで知り合った人達は、ライカの認識からすれば皆友人というくくりになる。
その彼ら、彼女らが、自身にとってどういう相手かと考えた結果、ライカはそう表現した。
出会った相手によって知り得たこと、感じたことは、書物によって得た知識とは違う意味合いを持って世界を見せてくれた。と、ライカはそう思ったのだ。
「世界なんぞ自分で見て触って知るもんだろ?他の奴が認識する世界なんか得られても自分には関係ないと思うんだがな」
「う~ん、関係あるとか無いとかじゃなくて、知ること自体が嬉しいんだよ。サッズだって必要は無くったって知ること自体は嫌じゃないだろ?」
サッズはライカの言わんとする内容を想定して眉を寄せたが、やがて肩を上げてみせた。
「よくはわからんが、人間と話をするのは面白いとは思う」
「だろ?それが遠巻きにされて近くに行こうとしたら逃げられるようになったりしたら嫌じゃないか?」
「それはなんとなく不快だな」
ふむ、と、サッズは理解して同意を返す。
「なるほど、礼儀というのは他人と話をするための決まり事のようなものか」
「そんな感じだと思う」
人間の常識の話をするにはやや頼りないお互いだったが、それでも、彼等は自分たちなりに人の世界を学んでいたのだった。
結局、その日は先の農園程ではないが、それなりに広い農地横の空き地に野営を組んで一夜を過ごし、無事次の街に辿り着いたのは翌日の午前中だった。
しかし、着いたといっても、そこは少し今までの場所とは勝手が違っていたのである。
「前の街の門前市に似てるけど、なんかもっと本格的に人が住んでるよね」
眼前にある街は高く頑丈そうな石造りの街壁に包まれていて、到底中を窺う事は出来そうもない。
街門もなぜか閉まっていて、二人の兵士がその前を守っていた。
それよりも、印象深いのはその門前の様子である。
そこにはずらりといびつに家が立ち並んでいるのだ。
それらの家の造りは、お世辞にも立派なものではなく、いかにも適当な素材を使っていて、ところどころはひしゃげている家さえある。
だが、そこに生きる人々の活気のほうはストマックの街にも負けてはいない。
家が占めてない空間は、露天やテントの侵食を受けて、ほとんど地面が見える箇所がない。
その間を動き回る人間となればそれ以上の数だった。
ストマックの街でライカ達が辟易した人混みだらけの市場が、大規模に、しかも無秩序になったらこうなるのではないか?という状態だ。
「これはどういった居住地なんですか?」
ライカはマウノの所へと行くと、尋ねた。
一見すると街の前に別の集落があるようにすら見えるのだ。
「えっとね、この街はウーロスっていうんだけど、その、ええっと、砦ってわかるかな?軍隊が駐留してる駐屯地みたいな物なんだけど。ここはそんな感じの街でね。中は兵隊ばっかりで一般の人は入れないんだ」
「入れないんですか?」
「そうなんだ。でも、ここは西側の王都へと続くルートの最終休憩地点でもあって、しかも壁一枚向こうにはこの国最強といわれる軍隊がいる。そうなると場所的にはすごく魅力的だろ?」
「つまり人がいっぱい集まるってことですよね」
「簡単に言えばそういうことなんだけどね。そういう場所には商売的に価値が生じる。つまり商人にとっては狙い目の場所という訳で、そこで商売をしたい人間が沢山集まって市のような物が自然に出来るし、遠くから通うのは面倒だからってそこに住んでしまう人間もいる。何しろ街の中じゃないから住居や店に対する上納金がいらないし。それでこうやってちょっとした城下町、いや砦下町かな?そういう風になっちゃったんだけど、これはウーロスの街からしてみればお荷物以外のなにものでもないんだよ。それで時々軍の演習代わりに掃討されるんだ」
ライカは驚いた。
掃討とは全てを取り除くということだ。
つまり、消し去られるということである。
「えっ!殺されるんですか?」
「いや、さすがにそこまではしないんだが、建物とかを強制的に撤去させられて、商品を没収される」
「それはそれで酷いですね」
「そもそものルールを守ってないのは外に住み着いた人間だから文句は言えないんだよね」
「そう言われればそうですね。でもどうせなら外縁都市として認めて上納金を確保したほうが賢いんじゃないんでしょうか?」
話を聞くと何か互いに良くない状態に陥っているように思えて、ライカはそう言ってみる。
マウノは少し笑った。
「ライカは時々いっぱしの大人のようなことを言うな。でもね、俺達がどう思っても決めるのは偉い人だからね。どうにもならないよ」
「そうですね」
ライカはちょっと肩を落とす。
しかし、それにしてもその違法な町の活気は凄いし、門を守る兵隊は別にそれを気にした風もなく立っている。
それはこうして事情を聞いてみれば不思議な光景に見えた。
「その掃討が行われる日は決まっているんですか?」
「いや、ある日突然行われるらしい。だから商人連中は建物を簡単な作りで建てるし、高価な商品を置いたりはしないんだって」
「なんか、逞しいって言ってしまっていいのかな?驚きです」
「それでね、その独特の性質もあって、ここは物凄く治安が悪いんだ。何かあっても砦の兵が介入することは無いし、ようするに領主様が守ってくれるってことがないからさ」
「え?さっき聞いたらここで一泊するみたいですけど、大丈夫なんですか?」
治安の悪い理由に納得はいったが、それならそこを利用するのは危険なはずだ。
通り過ぎるだけなのにそういう場所の危険を見過ごすのは、利に聡い商人達にしてはおかしい気がして、ライカは尋ねる。
「商組合の商隊に手を出そうなんて愚か者は居ないさ。無法地帯に法を持ち込める唯一の存在がついてるんだからね」
ライカは数度瞬きをして、何かを思い出そうとするような顔をした。
「あいつらだろ」
横合いから声を掛けたのはサッズだった。
面倒臭そうにしながらも、一応話は聞いていたらしい。
「えっと、あ、そうか、用心棒の人達」
「そう、連中は国内の統治者の居ない場所で、自分自身の判断で罪を裁く権利を王様から授かってるんだ」
マウノは顔を顰めると、吐き出すように言った。
自分たちの安全を保障する話なのにそんな風なのは、彼らが余程嫌いなのだろう。
そう考えれば、実際に怖い目に遭ったライカならば尚更彼等に好意を持つことは難しい話のはずだ。
何しろ仲間を守ったその返す刃で味方を殺しかねない相手なのだ。
しかし、
「そっか。怖い人達だけど、俺たちはあの人達に守られているんですね」
それもまた紛れもない真実なのである。
それに対してのマウノの返事は、軽く肩を竦めるのみだった。
商隊が泊まれる程の宿がある訳でもないので、彼等は熱気溢れる無法の町の近くの空き地に普段通りの野営をすることになった。
但し、燃料や食料等はその市から仕入れることが出来るので、普段より食事は贅沢だ。
「こっちにも支給で野菜と肉が来たぞ。あと、小麦粉も」
「おいおい、肝心のものはどうしたよ!」
「へっ、俺を見くびるなよ?ほれ、酒だ」
「おお、本当に豪勢だな」
年長者達が機嫌良く支給品を受け取って来てそれをお披露目した。
しかし野菜や小麦粉が来たということは、ある程度手の込んだ料理をする必要があるということでもある。
「ガキ共!おめえらが食事当番な」
リーダー格のカッリオがそう宣言して材料を渡して来たのは、もはや嫌がらせを通り越して当然の流れと言ってもいい。
そうライカ達にお鉢が回ってきたのだ。
「えっと、サッズ、この野菜の皮剥ける?」
「皮?なんで剥く必要があるんだ?」
ライカは自分の発した愚問を悟った。
自分だけの問題ならともかく、荷負い人達全員の分の食事である。危険を承知でサッズに挑戦させる訳にはいかない。
「ああ、いや、皮は良いや。サッズ、カマドの組み方は覚えたよね?鍋を乗せる大きめのやつを二つ作ってくれないかな?」
「おう、任せておけ!」
そう言うと、サッズは元気良く適当な石を集めに駆け出す。
サッズは、そういう力仕事の部分はすっかり馴染んで、案外器用な面を見せていた。おそらく本来は学習能力が高いのだろう。
しかし、いかんせん、サッズは料理というものを今一理解してないのである。
出されたら食べるが、調理をするというその必要性がよくわからないらしいのだ。
おそらく素材をそのまま食べてもいいんじゃないか?と思っている。それは間違いないだろう。
そんなサッズが料理を作れるかといえば物凄く適当な真似事にしかならないだろうこともまた確かなことだ。
ライカは溜め息を吐くと、まずは小麦粉を練るための水を貰いに行くのだった。
パンを焼く下ごしらえを済ませて野菜の下ごしらえに移ったライカは、知らない野菜に悪戦苦闘していた。
そのどの部分を食べるのかがわからなかったのである。
こればかりはどうにもしようが無いので、近場にいたエスコに声を掛けた。
「すみません、この野菜はどうやって食べるのが一般的なんですか?」
「ん?ああ、玉ねぎを知らないのか?人参も?」
「あ、はい、すみません」
ライカは自分の知識の足りなさに、少し申し訳なくて頭を下げる。
「いや、謝るようなことじゃないよ。俺も人参は故郷では見たこと無かったし。どっちも一番外側の皮を剥いて、適当に切ったらスープの具にするのが楽だよ」
「助かりました、ありがとうございます」
「しかし、その量を一人で大丈夫?間に合う?」
「ええっと」
ライカは頭の中で手順を考えてみた。普段より多いといっても支給された量は人数割にすればそう多い量ではない。
「大丈夫だと思います。ありがとう」
「そうか、手がいるようだったら言ってくれていいよ」
「あ、それならカマドのほうを見てやってくれませんか?ちゃんと出来てるかだけでいいので」
「わかった。美味い飯を期待してるよ」
「はい、頑張ります」
ライカは食堂で働いていた経験の中で見て来た料理の手順を思い浮かべながら、今の食材に相応しい調理法を考えて、自分でやっても失敗しなさそうな料理を選んだ。
「パンの焼き方を教わっていて良かったな」
ふと、ライカは初めて食べたパンの味を思い出す。
同時にミリアムや彼女の両親との思い出も蘇った。
そうなるともう止まらない、あの街での様々な出会いを次から次へと思い出してしまう。
ほんの僅かな間いただけの場所なのに、そこがすでに懐かしいのはとても不思議な感覚だった。
そんなこんなで、苦労しながらもなんとなく温かい気持ちになりながらライカが作った食事は、酒にしか興味がない気難しい年長者二人にも好評を博したのだった。
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