第93話 穀倉街ストマクからの出立
「サッズ、どうかしたの?」
ライカはサッズの顔を見て、しばらく考えて声を掛ける。
宿で起きて、食事をして、集合場所に向かっているのだが、その間ずっとサッズの眉間に皺が寄っていたのだ。
「何か、昨夜寝ている所を見物されてた」
「ん?あ~、商隊の荷負い人に俺たちぐらいの年頃って少ないから珍しいんじゃないかな?今朝宿のおじさんが言ってただろ」
「珍しいからってわざわざ覗きに来るのか?ガキ、ガキうるさいし」
「雛なのは仕方ないよ、育ち切ってないんだから色々足りないのはわかってることだしね」
「雛なのはいいさ、事実だし、だが、ガキっていうのは何か別の意味が入ってる気がするぞ、主に見下す感じの」
二人が歩く早朝の街は昨日に比べれば人や乗り物は少なかったが、それでも多くの人が動いている。
大きな川を街の中心に持つせいか、朝霧が薄く立ち込めたひんやりとした空気が満ちていて、人々はその中をぼんやりとした影絵のように行き交っていた。
ガラガラという馬車の車輪の音がその霧を掻き分けて道を作り、分けられた霧が小さな渦を作って周囲を巡る。
愚痴を零すのに飽きたのか、サッズがその光景を物珍しそうに一眺めして、急に思い付いたようにライカに話を振った。
「ところで道は大丈夫なのか?こっちでいいんだろうな」
「方向は合ってるだろ?」
「方向はな」
昨日、さんざん道に迷ったのがこたえたのか、サッズはこの、人間が作った道による移動の正確性に懐疑的になりつつあった。
逆に言えば、方向だけ合っていても目的地には着かない場合があるということを学んだとも言えよう。
「じゃ、そこの兵士の人に聞こう」
「なんだと?おい?」
道の脇で黒灰色の大きな塊となっているモノへと近づく。
普段はその周囲に融け込まないいかつい見た目でやたら目立っている兵士達だが、こういう視界に制限がある時には、その目立つ外見のおかげで見付けやすくて助かるようだ。
実際、その辺りを念頭に置いて鎧の色合いが決まっているのかもしれない。
「すみません、眠り猫の馬車溜りはこっちで良かったでしょうか?」
兵士達はライカの問いに、一瞬二人の出で立ちを視線で撫でたが、特に何かを言うでもなく、そのまま返事をよこした。
「次の通りを左に折れて真っ直ぐ行けば辿り着く」
簡潔すぎてそっけない返答ではあるが、ライカは胸に手を当てて首をかしげる最大の感謝の礼をしてみせる。
そうこうしている内に霧も晴れ、やや濡れた石畳が陽に照らされてキラキラ光っている光景が見渡せるようになった。
「お前、自信たっぷりに歩いてたくせに、実ははっきり覚えてなかったんだな?」
「当たり前だろ、一度通っただけの道を覚える訳ないよ」
「なんで覚えてないことをそんなに堂々と言えるのか理解に苦しむ」
辿り着いた馬車溜りでは、今度は並んだ馬車の中から自分たちの商隊の物を探さなければならないということに思い至って、ややげんなりした二人だったが、その問題はすぐに解消された。
見覚えのあるふらふらとした幽鬼のような足取りの男達の集団と遭遇したからだ。
「もしかして寝てないんですか?」
彼らは同じ商隊の荷運び人の仲間だった。
しかし、全員げっそりとした顔と、目の下に出来たクマで、昨夜一晩の内実を当人達の口から出る前に暴露している。
「ああ、酒を飲んでたからな。久々にじっくり楽しめたぜ」
悲惨な様子とは裏腹に、まるで自慢でもするように語るのは例のごとくゾイバックだ。
一方で、若い二人組は疲れたような顔ではあるものの、苦笑いを浮かべる程度には精神的にゆとりがあるようだった。
「割符を換金したら有無をいわさず酒場で酒盛りに付き合わされてね、俺達は早い段階で潰れちゃったから寝てはいるんだよ」
エスコがそう説明する。
ライカには少々理解の難しい部分のある話だったが、酒の絡む話に理屈を求めても無駄だと割りきって、詳しく追求することは無かった。
馬車には用心棒達が陣取っていたので、あまりそちらに顔を向けないように点呼を済ませると、馬車で囲まれた空間にきっちりと置かれていた自分達の荷物を点検して背負う。
商人達はそれぞれ手に何か薄い板のような物を持って目を通しながら馬車のほうで作業を始め、しばし待たされた後に、出発になった。
一行は、すぐに街を出るのではなく、まずは川沿いに大きな倉が立ち並ぶ区画に入り、それ程多くは無いものの、荷の積み下ろしを行った。
今回はライカ達が手伝う必要はなく、荷を運んだ者たちがテキパキと処理していく。
いかにも手馴れてるその作業はすぐに終わりそうだった。
ライカはそこで、農園で積んだ穀物類が下ろされているのを確認する。
「穀物は一度全部ここに集められるんだ。ここの検査を通らない穀物は流通に乗せられない。だから農家は商人に命を握られてるのも同然なのさ」
エスコは少し怒ったような口調でそう説明すると、じっとその作業を見ている。
「農民に商売が出来るはずがねぇんだから仕方ねぇだろ、目端の効く商人連中が管理してるおかげで不作の時だってなんとかなってんだ、上っ面だけ見て文句を言うのはお門違いだろ」
「ゾイバックさんは、よくそんなに割り切れますね、俺と同じ農家の出でしょう?」
「農家の出だからこそだろ、無計画にガキこさえて養えないガキは働きに出すとかいう名目で売っ払うような連中が、物を売ったり値段の釣り合いを取ったりとか考えられるわきゃあねぇだろうがよ」
ゾイバックのいつものような、しかし、いつもより毒のある口調で吐かれた言葉に、エスコは反論しなかった。
ただ僅かに顔を顰める。
ライカは、彼らを少しだけ見つめていたが、やがて視線を幅の広い川へと向けた。
川には何艘もの大きな船が浮かび、川へと張り出した作りかけの橋のような板が岸を埋めている。
「大きな船がいっぱいあるな。俺、船の実物を見るのって初めてだよ」
「俺は船という物があること自体知らなかったぞ。あれは水の上を渡る馬車みたいな物か?」
「そう、馬は曵かないけどね。確か櫂っていう平たい板みたいなのを使って動かすんだよ」
「板?」
「うん、ほら、魚のヒレの代わりなんじゃないかな?」
「ああ、なるほど」
「馬は曳かんが、竜船ならあるぞ」
二人の会話にゾイバックが口を挟んだ。
「竜船?」
「ああ、水竜ってのがいて、こいつは陸の竜より大人しくて慣らしやすいらしい。そいつに曵かせるんだな。尤も使ってるのは水軍とかぐらいらしいが」
「へぇ、ゾイバックさん物知りですね」
「知りたがりだからな、何にでも首を突っ込まなきゃ気が済まないのさ。なあ、坊主」
ゾイバックはサッズへと目を向けるとニヤリとして見せる。
以前に忠告されたことへの含みも込めた言葉に、さすがのサッズも怒るよりも呆れてしまった。
「それで死しても後悔しないってことか」
「人の性根ってのはな、治らない病なのさ、坊主」
そう言って笑いながら離れる姿に、サッズとしてはもう苦笑を浮かべるしかない。
『人間ってのは、驚きだな』
『なにかあったの?』
二人の会話を耳にしていなかったライカは不思議そうにサッズに問い掛けた。
サッズとしては肩をすくめてみせるしかない。
やがて商隊は出発した。
入った門とは逆側から街道に出る。
その道筋の周囲には人の手で整備された畑が広がっていた。
「夏の終わりには一面が金色に輝いて、そりゃあ綺麗なんだよ」
マウノが目をすがめてそう言った。
「俺は険しい山ん中から出てきたからさ、初めてあれを見た時は感動したなぁ」
どこかぼうっとしたような彼の目にはその光景が蘇っているのかもしれない。
そんなマウノの顔を見たライカは、いつか彼の見た景色を見てみたいと思ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます