第86話 未知との遭遇

 ライカには他の家族のように意識を捕まえて場所を特定するような能力は無いが、『なんとなく』家族のいる場所がわかるという特技がある。

 セルヌイ等は気配をわずかにでも感じ取っているのだろうと言っていたが、そんなにはっきりとしたものではないので、ライカ本人は勘の一種だろうと思っていた。

 彼の母の言うには長年戦いの中にいると、相手の殺気とかを見もせずに感じられるようになるとのことなので、そういう種類のものではないか?と思うのだ。


「サッズ!」


 ライカがその勘に従って川岸に行くと、案の定サッズがゴロゴロしているのを見つけた。

 文字通り日当りの良い場所で丸くなっていたらしく、ライカの気配に今起きた所といった感じで、ぼーっとした顔や、よれた服などは草まみれだ。

 周囲は黄色の小さな花の群生地らしく、その一面の黄色の中で一人銀紺を纏うサッズは、そんな有様でいてさえどこか人間らしさが剥落して造り物めいて見える。

 人間とは本来幻想から遠く、生々しい生き物だ。

 どうしてもそんなサッズは人間達の中で浮いてしまう。

 しかし、


「なんだ?飯か?」


 口にした言葉の日常感が、たちまち彼に血肉を纏わせた。


「まだ。もうちょっとみたい。それより荷物の積み下ろしがあるって」

「嫌だ、あそこは臭い」

「あれさ!聞いたんだけど、土を育てる畑の匂いなんだって」

「人間は何でも育てるな」

「まぁそうなんだけどね。そこで作った土が作物を元気で丈夫にするんだそうだよ」

「そうか、そりゃ良かったな。俺は近寄らないけどな」

「そういう仕事に誇りを持ってるんだよ。臭いとか文句を言うのはダメだろう」

「いいか、俺が近づきたく無いのとそいつらが頑張ってるのとは一切関係がない。俺はあそこには行かないと言ったら、い・か・な・い!」


 取り付く島もない返事だが、そこはライカとしても予想通りなので、近付いて、サッズに張り付いてる草を払ってやると手に持っていた数枚の葉を見せる。

 それは葉という言葉から思い描くような平べったい形ではなく、丸くて細長い小さな筒のような形をしていた。


「そこでこれだよ!」

「なんだ?」

「本来は肉の臭みを取るのに使う香草なんだけど、これを噛んでると周囲の匂いを感じなくなるんだ」

「へー」

「鼻に詰めても良いんだよ」


 にこにこと笑っているライカの顔をしばし眺めて、ふと、サッズは自分の両の手をぽんと合わせた。


「考えてみたら風の障壁を作ってしまえば匂いは感じないよな」

「あ!」


 割と簡単なことを思い付かなかった二人は、しばし無言で向い合ってしまう。

 サッズの顔をじいっと見詰め、手の中の香草を名残惜しそうに見詰めたライカは、とりあえずそれを一枚自分の口に放り込んだ。


「甘苦い」

「もの凄く微妙そうな味だな」

「匂いは甘い」

「いや、報告はいいから、俺は使わないからな」

「せっかく調理場からわけてもらったのに」

「お前どこの誰とでもすぐ馴染むよな。人間ってそういうもんなのか?」

「そうだと思う」


 しばし口を開けたり締めたりしていたが、とうとう耐えられなくなったのか、ライカは口の中の噛んだ香草を吐き出す。

 手の中に残った物は服の隠しに入れた。


「あ、でもさ。匂いを遮る為に完全に障壁を張ったら息が出来ないんじゃないか?」

「一日二日息が出来なくても別に問題は無いぞ」

「え?」


 ライカはびっくりした顔でサッズに向かって聞き返し、その事にサッズも驚いた顔を向ける。


「なんだ、知らなかったのか?」

「知らなかった」

「ほら、セルヌイやタルカスなんか時々鉱石の中に入り込むじゃないか?あれで呼吸してると思うか?」

「そういえば!」

「考えたことなかったのか?」

「うん、全然考えたこと無かった。そういうもんだとばっかり思ってたし」

「エイムのあの空間な」

「うん」

「あそこなんか大気は元より時間すらないんだぞ?あれは俺やセルヌイでもちょっと無茶な空間だけどな。通り抜けると意識が飛ぶんだ」

「それで俺が連れてってって言ったらセルヌイが必死の形相で止めたんだね」

「お前入ったら石化するぞ、おそらく」


 ライカはまたしばし考え込むと、何かを思いついたように顔を上げた。


「人間はどうして呼吸するの?」

「知らん、俺が知る訳ないだろ!お前得意の本でも読んで調べればいいだろ」

「サッズは普段は呼吸してるんだよね?」

「してる」

「なんで?」

「だから知らん」

「呼吸しない時はどんな感じ?」

「う~ん、少し薄くなった感じかな?」

「薄く?」

「ああ、そこにあるって感じが薄くなる」


 ライカはまた唸りながら頭を捻ったが、ふと、顔を上げて自分の影を見る。


「あ!荷物の積み下ろしに行かなきゃ、ちょっと予定より時間経っちゃったよ!」

「どうでもいいだろ」

「どうでもよくないだろ!俺達雇われてるんだよ?」

「ここの草の匂いがいい感じなんだよな」

「ご飯食べさせてくれなくなるよ!」


 尚もブツブツ言うサッズをライカは半ば引き摺るように連れ戻った。


「仕事が半人前のくせにさぼるとはいい態度だな!ああ?」


 やっと二人が戻った時には既に仕事は終わり掛けで、怒鳴られた上に延々と嫌味を言われ続けながら作業することになってしまい、ライカはひたすら謝りながら荷を運ぶ。

 荷物はもう馬車に運び込む分だけで、内容は煙で燻されたらしい肉や腸詰と、草で編まれた袋に入れられた穀物だった。

 ここでの商談が成立した成果なのだろう。

 一抱えもあるような干し藁の束もいくつも積み込んだが、こちらは別の馬車に積むように指示があった。


 これを運ぶ際にサッズがやたら嬉しそうに匂いを嗅いでいたのが、ライカは気になる。

 そのままうっかり藁をくすねないか不安になったのだ。

 あんなにこの農園の匂いを嫌がってたのに、どうやらその藁の臭いを嗅ぐために匂いの遮断を解いたらしいこともその不安を更に煽る。

 干草はサッズにとっては最も好きな匂いなのだから仕方が無いとも言えたし、いくらなんでも他人の物とわかっているのに手を出したりはしないだろうとはライカも思うのだが、人の作ったルールなど、竜にとっては理解し難いものだと知っているライカからすればやはり不安は残るのだ。

 結局はサッズはその香りを堪能しただけで未練を残したりはしなかったようで、ライカもホッとして仕事を終えたのだった。


 そうやって、どこかのんびり二日を過ごし、この農園に滞在する最後の夜がやってきた。

 最後の夜は農園主が隊商の全員を招いて食事会を催してくれることとなり、まるでいつぞやの街で見た祭りのような雰囲気に、ライカは微笑む。

 サッズがこちらの世界へとやってきた夜を思い出したのだ。


 この農園の者は働き者が多く、しかも集団で何かを成すのに慣れていた。

 準備は短時間に進み、農園の建物と畜舎の間にある大きな広場に机をいくつも並べ、ライカから見るとあまりにも贅沢な事に、ただその机の表面を覆う為だけに布を敷いていく。

 周りには油を染み込ませた木材で作られたたいまつがいくつも灯され、心得のあるものが弦楽器のセタンと打楽器のディバクを演奏して、それに合わせて陽気な歌を皆が歌った。


 供された料理は、ライカがついぞ見たこともないような肉料理の数々と、深皿一杯の野菜に埋もれたスープ、平たく焼いたパンと甘い焼き菓子もあり、西の果てのあの街では滅多に、というか全く食べられない物ばかりだ。

 料理に紛れて、どうやらかなり強い酒もそれぞれの杯の中に収まっているようだった。

 ライカ達の街で普通に食べられている豆の優に三倍は大きいだろう豆が切り分けられた肉と一緒に盛られたが、これが柔らかくて少し甘く、肉のペーストを土台にしたらしい上掛けのソースの味を引き立てていた。


「凄い!」


 ライカはかつてない程の驚愕を覚えて思わず声を洩らす。

 あまりにも味わいが多彩すぎて、彼にとってはそれが食べ物とは思えない程だったのだ。

 それもそのはず、元々の故郷での食事といえば暖かい生肉のほんのりとした甘さと血の酸味、果物の甘さといった、その食べ物自体が本来持っている味のみであり、移り住んだ西の街では、凄く辛いか、ほんのり青っぽいか、せいぜいそれにハーブを使って香りを付けるか、そんなものが普通で、食べ物の味わいというものを楽しむという感覚はあまり無かった。

 甘く作る菓子はあるにはあったが、それは日々の食事とはまた別の、楽しみの為に口にする物という感覚があったのである。

 しかし、この場に惜しげもなく盛られている食べ物はあまりにも味わいがあった。

 独特の香りと味、その刺激が捉えきれない程の味覚を呼び覚ます。

 驚きの中で、ライカはそっとサッズを見た。

 やはりというか、わかりやすいというか、サッズの受けた衝撃はライカ以上であったらしい。

 どこか陶然とした様子で、ぱりっと焼けた豚の皮で野菜を巻いた物を掴み締めて食べていた。

 それと共に、ライカは気づく。

 サッズの手の中に杯があることに。


『サッズ!ちょっと、お酒に手を出してるようだけど大丈夫なの?』

『これか?なんか凄く良い匂いがするぞ』

「え?」


 言われて杯の中を嗅ぐと、ふわりとした柔らかい香りがする。

 いつも彼の祖父が飲んでいるような酒の匂いとは全然違っていた。


『これなに?』

『ちょっとだけ辛いがいい匂いだ』


 サッズから来る心声がどうもぼんやりしているので、ライカは段々不安になる。

 祖父が酔っ払うと、なまりの強い言葉で節を付けてがなり出し、ライカにどうでもいいような説教をした挙句、どこででもごろりと寝てしまうのだ。

 祖父は普段はそんな行動はしないのだが、酒が入るとどうもそんな風におかしくなる人が多いらしい。

 サッズとて先日酒を口にした時、明らかにおかしかった。


『サッズ、酔ってない?』

『酔うってなんだったっけ?』


 もうそこいら辺では酔っ払いが何人も出来上がり、肩を組んで踊ったり、祖父のように大声でがなったり、大泣きをしている者がいると思えば立ち木に話掛けている者もいる。


(竜が本格的に酔っ払ったらどうなるんだろう?)


 先日程度のぼーっとしているぐらいならいいが、彼らのように妙に行動的になったりしたらと考えると恐ろしい。

 そんな風に考えると、ライカは胸が異様にドキドキして、段々と口にする料理の味がわからなくなり出した。

 そんな時に、


「ねえ」


 いきなり声を掛けられ、ライカはびっくりして文字通り飛び上がった。

 立ち上がって振り向いた先にはライカより少々背が高い女性が立っている。


「あの、何か?」

「踊りましょう」

(踊り!)


 ライカはそれを知識としては知っていたし、祭りで見たこともあったが、実際に自分で体験した事は無かった。

 見ると、机をどかして広くなった場所で男女が1組ずつ競うように体を振っている。

 若い者達が円陣を組んで、そこの真ん中で一組ずつが踊ってみせるという流れのようだ。


「いや、俺、サッズが」


 言い掛けて、視線の先に本人が居ないことに気づく。

 またもや大きくなった鼓動を押さえて目でサッズを探すと、


「お友達ならもう私のねぇさんが連れてったわよ」


 と、女性が物知り顔で教えてくれた。

 よくよく見ると、少しぽっちゃりとした感じの女性がぴったりと体を密着させてサッズを伴ってその円陣に加わろうとしている。

 サッズはというと、その女性に何かを囁いて笑顔を振り撒いていた。

 ぼんやりしていたライカは、気が付くと同じように体を密着させた女性にひっぱられてその場へと向かっていたのだった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「俺さ、自分の最初の狩りの時よりも緊張したよ」


 水をぐいぐい相手の口に押し付けながら、ライカはぼやいた。


「ちょ、やめろ、自分で飲む、それに昨夜の記憶はあるぞ」

「意識がはっきりしてるのに女の子を抱えて飛ぼうとしたの?」

「いや、なんか気持ち良かったし、女の子はふわふわしてたし、張り切って」

「どう張り切ったらああなるのか詳細に説明してね。俺、まさかあんなことで『命』めいを使う羽目になるとは思わなかった」

「お前、『命』めいを使ったこと無かったっけ、そういや『使命』もこっちに来てから初めて使ったよな」

「ごまかそうとしてもダメだからね。命じるのって俺、なんか好きじゃないんだから」

「女の子には宙に浮いてるような心地だったって好評だったんだけどな」


 ばしゃりと音がして水がサッズの頭に浴びせられる。


「周囲にどれだけ人がいたと思ってるんだ!一瞬浮いただけだからなんとかごまかせたけど、俺、心臓が飛び出すかと思ったよ」


 濡れた頭をぶるると振って同時に風で乾かしながら、サッズはちらりとライカを見た。


「でもさ、俺、意識はっきりしてたから覚えてるけど」

「ん?」

「ライカ、むちゃくちゃクルクル回って女の子をフラフラにしてたよな」

「う、別にそんなつもりじゃ」


 ライカはちょっと体を引く。


「なんか音楽?ってののリズムにも合ってなかったし」

「そこの所は、ほら、踊りってのがよくわからなかったから。でもなんか友達になった男の子にはウケがよかったんだけどね」

「女の子がふらふらして、たいまつに突っ込みかけてひと騒ぎになったよな」

「気づいた女友達が慌てて止めて大事に至らなかったよ」

「なんでお前が相手してたのに止めたのが女友達なんだよ、おかしいだろ。そもそもどうして回った勢いのまま手を離すんだ?あれは故意に投げたのか?勢いをつけて」

「そんな訳ないだろ?」

「明らかに女の子達には疑われてたぞ」

「えっ!本当に?」

「本当だ」


 ライカはショックを受けたように固まっていたが、後ろから他の仲間に急かされて歩きを再開した。


「おまえら、ホント元気だな」


 いつもの闊達さはどこへやらゾイバックがぐったりした様子で言う。


「ゾイバックさんも水いります?」

「自分のがある、話し掛けるな、頭が痛いんだ」


 そうまくし立てて、その自分の声が響いたのか頭を押さえた。

 半死人のような様子だが、どうやら酒を呑みすぎたのだろう、隊商の半分以上がこの調子である。


「うん、やっぱりお酒は怖い」

「確かに酒はヤバイな」


 ライカとサッズがそれぞれに得心したように言うのに、ゾイバックは鼻を鳴らしてみせた。


「ガキにゃわかんねぇよ」


 農園を後にした彼等は、街道として整備されてはいないが人が多く行き来することで既に道としての体は成している川沿いを辿り、さらに北東へと向かったのだった。

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