第85話 農園一日目

「臭い!」


 その一言を残して、サッズは姿を消した。

 ライカは軽く笑ってそれを見送る。

 実際その場所には何か独特の匂いが薄く漂っていて、それが酷く嗅覚を刺激していた。

 なんとなくだが、それは動物の排泄物の匂いに似ているとライカは思ったが、それにしてもかなり独特な匂いである。


 隊商はこの農園に数日留まる事になったが、匂いに耐えられなかったらしいサッズはどこかに避難してしまい、残されたライカは、この初めての場所を前に少し困っていた。

 農園と呼ばれるその集団生活の場はかなり広く、柵に囲まれた建物の立ち並ぶ場所ですら既にライカの住んでいた街の半分近い広さがあるのではないか?と思えたし、外に広がる広大な畑を範囲に含めれば、下手をすると、いや、確実にあの街より広いのではないだろうかと思えた。

 辺りをざっと見回した感じでは、そこは正に小さな街のような感じで、さまざまな人が色々な役割を担って働いているようだ。

 彼等はみな忙しげで、訪れた商人に対しては総じて愛想が良かったが、ライカや他の下働きの人間に対してはあまり興味が無いようで、必要な会話以上のことは話し掛けて来たりはしなかったのである。

 結果として、ライカは手持無沙汰になっていた。


 他の下働きの者達は割り当てられた場所で酒を飲んだり、賭け事をしたりしていたが、そういう物に興味のないライカは外へと出たのだ。

 しかし、知識が無いというのは辛いものだ。

 不案内ながらもその『農園』という集落のような場所について知りたいとあちこちウロウロしていたライカは、邪魔にこそされても、特に構ってくれる相手も見い出せず、結果として迷子に近い状態になっていたのだ。


 しかしどこにでも物好きはいる。

 それが好奇心に満ちた若者となれば、むしろそれは当然の衝動だ。


「おい!お前!俺達の農園に世話になるんだからちゃんと挨拶をしろよ!」

(う~ん、レンガ地区の子達に雰囲気が似てるな)


 結局一人浮いた行動を取っていたライカは、仕事が無いのか、もしくはさぼっていたらしい数人の少年達の集団に目を付けられ、すっかり囲まれてしまった。


「返事はどうしたよ」


 とはいっても、彼等の様子はレンガ地区の子ども達とは違い、言葉の愛想の無さとは別にさほど暴力的なものではない。単なるよそ者に対する威嚇のようなものだとライカは判断した。

 縄張りを荒らされた獣ならもう少し激しい敵意をぶつけて来るものである。という、ライカなりの経験に基づいた判断ではあったが。


「こんにちは、俺は隊商の一員でライカって言います。よろしくお願いします」


 人が人と攻撃的にならずに初めての接触をするにはいくつかの方法があるが、一番肝心な部分は竜も人も同じで、それは、知らない存在だから不安に思うのだから知らない存在で無くしてしまえば良いという、いささか短絡的にも思えるやり方だ。

 とは言え、遠い古代から生き物はそうやって互いの無害を証明して来たのである。

 自分を無害と示す。つまり、挨拶によって自分と相手の情報を交換することが、まずは平和的な最初の一歩だ。


 ライカの丁寧な挨拶に拍子抜けしたのか、相手はちょっと戸惑ったようだったが、すぐに顎を逸らしてその挨拶を受けると、自己紹介を返す。


「俺はウェン、こいつはナサレ、で、こっちがツエンだ」


 おそらくリーダー格なのか、一人が代表して全員の分の挨拶をした。

 少し礼を失する態度だが、この地は彼らの縄張りであり、外からやって来た侵入者であるライカから挨拶を受ける側なのだから、それはそれで当然なのかもしれない。

 ライカは経験の足りなさのせいで、人がどういう風に初めての接触をするのかということが今ひとつ理解し切れていない部分がある。その為、人付き合いはほぼ相手のペースで進めるしかなかった。


 尤も、ライカ自身は相手の礼を失する態度については別に気にしていなかったので、相手に対する不快感などはそもそも抱いたりはしなかったのではあるが。


「俺達がここらを案内してやろうと思ってわざわざ出向いてやったんだ、ありがたく思えよ」


 少年はニヤニヤと笑うと、そんな風に持ちかけた。


「それは助かります。ここって凄く広いし、何か独特の建物が多いし、細い道が多いしで、すっかり疲れてしまってたんです。ちょっと足がまだ痛いし。親切にありがとうございます」

「足が痛い?歩くのが仕事なんだろ?そんなことでちゃんと勤まるのかよ?」


 ライカの返事に、少年、ウェンはふん、と言うように鼻息を吹いて、そう揶揄してみせる。

 だがまあ、そんな嫌味がライカに通じるかというと、当然ながらほぼ伝わりはしなかった。


「うん、実は黒の荒野が思ったより大変で、足がすっかりボロボロになってしまって……」

「黒の荒野!」


 少年はギョッとしたようにそう言うと、もう一度つくづくとライカを眺め回す。


「あそこから西は獣と野人しかいない土地だって言うぞ!お前本当に人間か?」

「ちゃんと街がありますよ。ラケルド様っていう領主様もいるし」

「ラケルド様だって!竜騎士のか?」

「うん」


 ウェンといった少年と、他の二人も驚いたように顔を見合わせると、ライカに向かって、勢いよく問い掛けた。


「空翔る強き竜のアルファルスを見た事あるのか?」

「うん、会ったことはある。だけど、竜の名前を気軽に呼ばないほうがいいよ」


 ライカは相手の無防備さに顔を顰めながら忠告する。

 しかし、残念ながら相手はあまりその意味を吟味した様子は無く、すぐに興奮した様子の他の少年が続けて話し始めた。


「竜騎士は人竜一体で空を飛ぶって本当か?」

「ラケルド様って、二広(大人が両手を広げて二人並んだ長さ)を越える大男で手から稲妻を飛ばすって本当か?」

「ええっと、」


 慎重に真偽を選り分けて返事を返そうと言葉を捜すライカに、少年達は更に間断なく問い掛ける。


「果ての森には化物が棲んでるんだろ?それを退治しに行ったのか?」

「翼竜って本当に空を飛ぶの?」


 ライカはそれらに応える隙が無い。


「えーと」


 そうやって返事をどうするか考える間にも問いはそのまま続いて、ライカは結局の所、自分は答えを求められて無いんじゃないか?という疑問を抱えたまま、その猛攻に晒されたのだった。


 ― ◇ ◇ ◇ ―


「あー、さっきは悪かったな。まさか語りの英雄が実際に治めてる街があるなんて思ってもいなかったからさ」

「いいよ。語りってあの楽器に合わせて詠う人のことだよね」

「ああ、そうだけど、語りが語った物語の事も語りって呼ぶんだぜ」

「なるほど」


 少年達の興奮が納まった所で、ライカが実際の領主の話を少しずつ話してみせることで事態は収まった。

 ついでに少年達のどこか隔意のあった態度はやや砕けたものになり、約束通りライカは農園の中を案内してもらっていた。


「ほら、ここが獣囲いだ、凄いだろ!」


 ウェンが示した場所には広い野原を彼等の腰ぐらいの柵で囲った場所があった。

 そこには毛の短い山豚に似た生き物がすぐには数え切れない程群れている。

 黒白茶を基本にした様々な柄を背に負い、のんびり餌を探している姿はどこかおっとりとしていて、山に棲む山豚とは顔つきが違った。

 ライカはじっとそれらを眺め、その違和感の正体を探ろうとする。


「牙が短いね」

「ああ、家畜だからな。山のやつとは違う。大人しい種類と肉の厚いのを掛けて家畜の豚に作り上げてるんだ」

「作った?」

「おおよ、人間様は賢いからな。種類の違う豚同士の子を育てて、良い個体を選んでまたそれを上手い事混ぜて良い種類に育て上げるんだ」

「凄いね!」


 ライカは心から驚いて声を上げる。

 違う種の生き物同士が結ばれることがあるのはライカとて知っていたし、そのこと自体に抵抗は無かったが、まさかそれを意図的に行って自分達の為に都合のいい種族を作り出す技術があるとは思わなかったのだ。

 しかしよくよく考えれば、ライカは野菜に関してはそういう技術があると隣家の主婦であるリエラから聞いたことがあるような覚えもある。

 ライカはそのまま視線を動かして、その豚の群れと分けてある柵囲いに一頭ずつ囲っている特別に大きい豚が何頭がいるのに気付いた。


「あれはなんで分けてるの?」

「あれは特別なんだ、来て見ろよ」


 ウェン達は慣れた足取りで色々と積まれている物を避けると、囲いの横の小屋に入る。

 ライカは積まれた藁を避けたはずのその先に図ったように転がってる桶を慌てて避けたり、いきなり現れた水溜りに突っ込みそうになりながらその後に続いた。


「こっちこっち」


 招かれた先には小屋の脇に積まれた口を縛った袋が見える。

 ライカが追い付くと、彼等はそれを開いてみせた。


「あいつらにはこれを混ぜた餌を食わせて肉に香りが付くようにしてあるんだ」


 そこにあったのは乾いた植物を切り混ぜた物で、プンと強い香りが鼻に飛び込んで来る。


(これは?)


 ライカはその香りに覚えがあった。

 確かニデシスと呼ばれるあの西の街の更に奥の森で採れるキノコの一種である。

 香りが強いので香りキノコと呼ばれていて、料理に香り付けしたり、煎じてお茶にしたりして使われる、あの街では一般的なキノコだった。


「なんでも特別な木の根元にしか生えないキノコを混ぜてるんだそうだ。ちょっと高く付くけど、肉の良い奴にこれを食わせて貴族の特別な料理用に売るのさ。これが聞いたらびっくりするような値段になるんだぜ?おおよそあの群れでいる豚の十頭分にもなるってことだ」

「へぇ」


 なんだかよくわからないながら、ライカは感心した。

 つまりは餌を工夫することで、山豚が高く売れるようになるのだろうと、単純に考える。


「こういうこの辺じゃ手に入らない物を売りに来るから商人の隊商は歓迎されるのさ。それに余った肉と交換で色々な物を提供してくれるしな」

「なるほど、あの歓迎はそういうことなんだ」

「そうそう、本当はあんまり余所者は歓迎されないんだけどな、盗人も多いし。だけど正式な組合証を持ってる商人は特別」

「凄い物知りだね」


 ライカは彼のその知識に素直に感心した。


「そりゃそうさ、作物や家畜を育てるのは頭を使う仕事だ。天候やちょっとした条件で出来ががらっと変わるんだぜ?」


 ウェンと二人の少年は再び示し合わせるようにニヤっとした。


「とっておきを見せてやるよ」


 そう言って、ウェン達はライカを促してまたどこかへと歩き出す。

 この農園の中は色々な物が所狭しと置いてあって、大きな建物の脇を曲がると全く違う風景が現れたりという具合に、予想が付かない配置になっていた。

 何かが必要になったからそれを作ったという風に、気まぐれや成り行きで建物や畑や畜舎を配置してあるようにすら見える。

 案外と、実際にそれぞれの建物の成り立ちはそんな成り行き任せなものなのかもしれない。


 ライカが少年達の後を追うと、やっと慣れ始めていた匂いがどんどん酷くなり出した。


「うっ」


 思わず鼻を手で覆う。

 しかし、そんな行動が大して役に立つ訳もなく、その強烈な匂いは目にまで染みて涙が浮かん来た。

 そのライカの様子に、少年達のニヤニヤは大きくなる。


「おいおい、大丈夫か?せっかく出来のいい野菜を作る秘密を教えてやろうとしてるのに」

「秘密?」


 口を開くとそこから匂いが入り込み、普通の人間より匂いに敏感な分、ライカは酷くダメージを食らった。


「そうさ、ここがその秘密、大事な土の畑だ」


 彼等の示す所には何も生えてない黒い土だけの広い場所がある。

 強烈な匂いは明らかにそこが発生地だった。


「土の畑?」


 畑はみんな土だろうという突っ込みすら言うことさえ出来ず、ライカはそこを眺めやる。

 色々と混ざってはいるが、ベースになっている匂いはやはり糞尿だ。

 しかも、一種類の生き物の物ではなさそうである。


「糞尿の廃棄場所の間違いじゃないか?」


 ライカの言葉に、正にまっていましたという感じでウェンは食い付く。


「これだから土を知らない奴はダメなんだ。街の連中は臭いとか言って俺等を馬鹿にしやがるし、てめえらの食ってる野菜が何で育ってるか知りもしないんだからな」

「ここは堆肥畑だよ」


 ウェンの横にいたひょろっとした少年が言った。

 確かツエンという少年である。


「堆肥畑?」

「そう、家畜や俺等の糞尿を撒いて毒を抜いて栄養だけ取り出す為の畑だ。野菜を育てるには土に栄養がなきゃダメなんだけど、野菜は大食らいだからすぐ土の栄養は無くなるんだ、栄養の無い土で育った野菜は病気になったりちゃんと育たなかったりする。だからこうやって栄養を足した土を作ってやる訳さ。そうやって鼻を抓んで馬鹿にしてる物から美味い食い物が出来るんだぜ?面白いだろ?」

「そうなんだ」


 どうやら彼等はいつも余所の人間に臭いと馬鹿にされているらしかった。

 それでこの堆肥畑を見せてその有用性を見せ付けたかったのだろう。


「本当に色々考えて作っているんだな。俺の街ではここの農園にあるような大きな野菜は育たないんだ。こういう野菜が育てられたらみんな助かるだろうな」

「うちから買えば良いだろ?」

「あはは、遠すぎるよ、辿り着く頃には葉物や土から上に生る実とかはダメになってしまうさ」

「まぁ黒の荒野の先じゃあな。商人どもも途中で捨てるハメになれば大損害だし、持ってかないだろうな。でもニンジンやカブとか玉ねぎはいけるんじゃないか?」


 ライカは少し考えてみた。

 黒の荒野とあの断裂の谷。

 野菜の値段ならライカも食堂の手伝いで知っている。

 安くは無いが、他の貴重品と比べてみれば決して高い物ではなかった。

 少しでは儲からないからといって量を運べば、その嵩張った分、難所を抜けるのが辛いだろうし、その大変さに見合う十分な稼ぎになるかというと難しいだろう。

 だからといって少なく運んでは商人の儲けが無い上に街にとって何の足しにもならない量しか来ないことになる。


「難しいだろうな」

(堆肥畑か)


 城で育てていた野菜はみんなどこか痩せて元気が無かった。

 一方でお隣が庭で育てていた野菜は、大きさも味わいも城の物よりずっと良かった。

 庭というのは、あの街の家庭ならどこもたいがいそうだが排泄場でもある。

 それが自然に毒性を無くして野菜を育てていたとしたら、その効果は歴然だった。


「うん、でもありがとう、確かにいい物を見せて貰ったよ。臭いってだけで敬遠しちゃ駄目だよな」

「おう!そうだろうそうだろう。じゃあ、今度はお前の話を聞かせろよ、その英雄の活躍の話とか恐ろしい森の化物の話とか」

「いやさっきも話したよね?それに化物は居ないから。熊やオオカミはいるけど、それはどこでもそうなんだよね?うんと、そうだ、あの街で有名といえば、森の奥の方に開けた斜面があってそこに凄く綺麗な花が咲くんだけど、それが喜びの野みたいだって言われてて、それをわざわざ遠くから見に来る人がいるんだよ」

「花を見に?そりゃまたいいご身分な連中だな」

「領主様がそういう風に人が来るようにしてるんだって」

「そうか、竜騎士様のやることならなんか分からないが凄いんだろうな」


 単純なのか、それだけ尊敬しているのか、彼等の言葉にライカも笑った。

 話の間も歩く足を止めずにちょくちょく場所の案内を入れてくれ、最初こそ偉そうにしていたが、元々はそういう律儀な性格なのだろう。


「お、やってるやってる。商人との駆け引きは勝負事だってコルネリオさんがいつも言ってるんだよな。勝ちすぎても負けてもいけないってな」


 彼等の進行方向には今まさに野菜等の現物を見せながら何か交渉しているらしい農園主と隊商の商人が見えた。

 ライカが見ていると、交渉している商人と、その隣でただ頷いてる風の商人とが片手をだらりと下げて伸ばした袖の影で指を動かしている。


(あれは指言葉だ)


 つまり一対一で交渉していると見せ掛けておいて、彼等は二人掛かりで交渉を相談しながら勧めているのだ。

 指言葉という物を知ってはいるが、理解出来るのは挨拶ぐらいのライカにはその内容はわからないが、なるほどそういう様子を見れば、それは確かに勝負事だと言えるだろう。


 勝負といえば力であり、それこそが強さだという世界から帰還したライカから見れば、知恵による戦いは不思議で、そして素晴らしいことに思えた。


「サッズにも話してやらないと」


 この悪臭こそがこの地に住む者達の誇りであると話したらサッズはどんな顔をするだろう?

 ライカは笑みを口元に乗せると、少年達の案内を頼りにのんびりと農園の探索を続けるのだった。

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