第84話 知恵と営み
「昨日の魚獲りは楽しかったね」
「あれってただの水遊びだろ?狩りじゃない」
柔らかい日射しが降り注ぎ、そっと触れて過ぎるような風が吹く。
この日は、生きとし生けるもの達が目覚めとまどろみの狭間で時を過ごすような日だった。
川の流れを付かず離れず追うような道筋は、土が柔らかく、生えている草もおおらかで柔らかい物が多い。
早めに開く花がポツポツと緑の単調な彩りを優しく飾っていた。
「ちゃんと魚は獲っただろ?大漁だったじゃないか?」
「だって、石を積んでバシャバシャ水浴びをしただけだったろ」
「あれは魚を浅瀬に誘導する仕掛けなんだって、浅瀬に追い込んだ魚を捕まえるのは簡単だからね」
「水浴びしたじゃないか」
「いや、水浴びはしたけどね、久しぶりで気持ち良かったろ?」
「まぁ、うん」
狩りについては一家言あるサッズにしてみれば、人間の追い込み漁は狩りには見えないのだろう。
サッズはどうやらそこの所を譲る気は無いようだった。
ついでに言えば、彼は綺麗好きなので、久々の水浴びの方が印象に強く残ったのかもしれない。
「人間はさ、どうやら狩りが苦手みたいなんだよね」
そしてライカはライカで自分なりの感想を持っていた。
「どういう事だ?」
「見てたんだけど、目の動きが魚の動きに追い付いてる人がほとんどいなかったし、しかも目で確認した位置に手が伸びるのに時間的なズレがあるんだ」
「そりゃ、酷いな」
「あのおっとりとしたマウノさんだけ目が追い付いてたけど、手の動きが致命的に遅かったから意味がなかったんだよね」
「それは訓練すればいけそうだな」
「そうだね、意外だね」
「そもそも人間はそんなに狩りがヘタなら草食だけで行けば良かったんじゃないか?なんで肉食うんだ?」
「さあ?そういうのって自分で決められるものなの?それに苦手だから工夫するんじゃないかな?他の生き物にはなかなか無いよ、その場その場で工夫を凝らして解決する能力って」
「知恵ってやつか、確かに人間の思考は特殊だよな」
「起こるかもしれないことを現実のように認識出来る能力だっけ?領主様が言ってたよ」
草を踏む大勢の足と馬や馬車のせいで、彼等の周囲は緑の濃い匂いが漂っていた。
それをサッズは思いっ切り吸い込む。
彼が一番好きなのは太陽の下で乾燥した枯れ草の匂いだが、こういう青い匂いもまた好んでいた。
小さく力の弱い生き物であるはずの人間がこうやって世界に道を作っていく。
未来のことなどあまり考えもしないサッズだが、ライカがこの道の続く先まで行けるのなら、この世界に来たのはあながち悪い事では無いのかもしれないと思えた。
彼自身には何の感慨も無いが、竜族にはもう未来は無い。それは変えられない事実なのだ。
「おい、ガキ共!」
ゾイバックが突然ニヤニヤしながら近寄って来た。
「なんですか?」
ライカはちょっとだけ用心して応える。
ライカはこの相手にはもう随分慣れたが、どうにも癖の強い人物で、その言動にはつい身構えてしまうのだ。
「ほれ、見ろ!」
そんなのライカの緊張など何処吹く風で、ゾイバックは先の方を指し示す。
緩やかな大地の先の方は少しだけ登りになっていて、そのさらに先には草の影が薄い地域が広がっていた。
示された方向の、目線のやや右寄りに何か自然物ではない物が見える。
なんだろう?とライカが注視しながら歩いて行くと、それは段々姿を現した。
建物だ。
どうやらそれは赤い屋根の背の高い建物のようだったが、それがはっきり見えて来るとライカはポカンと口を開けてしまった。
「どうだ、凄いだろう?」
なにやらゾイバックが自分の手柄のように得意げに肩を上げてニヤリと笑う。
「なんだあれは?城か?だが、街が無いな」
同じ物を透かし見たサッズがぽつりと呟いた。
赤い屋根に茶色のレンガか石で作られた背の高い、そしてやたら長い建物がいくつも並んでいる。
中には飛びぬけて背が高い、城の物見の塔のような建物もあり、サッズの言った通り、城の作りに似ていた。
ただ、城に比べればずっと背は低いだろう。
更に視野を広げると、その建物の周辺には黒い土に緑の若葉のみが育ち、極端に他の種類の植物が少ない地面が、その建物の敷地の何倍もの広さで続いているようだった。
所所には背の低い木々の茂みがあり、ライカがその樹木の外見から推測した所、全部食べられる実が生る木のようである。
今まで通って来た場所に共通する雑然さがここには無かった。
このように特定の目的が感じられる風景にはライカにも思い当たる物がある。
城の裏手にある畑、あれがこんな風な感じだったのだ。
もちろん規模は全く違って、こちらのほうがはるかに広大だった。
何しろ、目の届く範囲全てがそんな風に整然と同じような様相をしていたのである。
にわかには信じ難いことに、おそらくこの一面に広がる整然とした場所は、人に管理された土地なのだとライカは気づいた。
あの、小さな城のような場所に住む人々がおそらくそれを管理をしているのだろうとライカは思い、強く興味を惹かれたのだった。
「ようし!お前達!今日はこの農園に宿を頼むぞ!全員にベッドは無理だが、屋根のある場所で眠れるぞ!」
隊商長がダミ声で宣言して、馬車と人の速度が上がる。
相手方もこちらを発見したのか、カーン、カーンと、街で聞いた鐘の音より高く澄んだ音が彼等を迎えた。
― ◇ ◇ ◇ ―
「おお、ようこそ!長旅お疲れさまです。良い日和でなによりですな」
柵の間にある、大門の前に立つ男が、良く通る声を張り上げて挨拶をした。
裾の長いスボンに革のブーツ、シャツの編み目は細かく、ライカが祭りで初めて目にしたようなチョッキと、その上に裾の長い外套を羽織っている。
顔や手から覗く、日に焼けて黒光りするような肌、顎を覆う顎鬚は灰色で、褐色の髪との妙なアンバランスさを感じさせた。
がっちりとした体格と、皺が寄った顔もまた、相手の年齢を計りにくくするような多少の違和感がある。
「お久しぶりです、コルネリオ殿。良い日和で何よりです。この時期の雨はいけませんからな」
「全くです。ごらんの通りまだまだ収穫には遠いですが、冬の間にたっぷり肥えた豚は揃っていますよ」
「いやいや、私はしがないやとわれただけの隊商の管理人にすぎませんよ。私に商売を仕掛けても意味がありません」
「はっは、いや、お気を使わせて申し訳ない。して、どのくらい滞在予定ですかな?」
「そうですね、二日といった所でしょうか?その間に商人の方達と心ゆくまで騙しあいをお楽しみください」
「またまた、私のような農夫が商人の方に敵うべくもありませんよ。損をしないように青くなりながら二日を過ごすと致しましょう。その代わり、食事は質素ながらも味は保証いたしますぞ」
「ほうほう、それは楽しみにさせていただきます」
「ご期待ください。それでは改めまして、ようこそ、我がバテスタ農園へ」
柵の隙間から老若男女、様々な人々の好奇の眼差しが注がれていた。
いや、好奇というよりは期待というべきだろう。
彼等にとっては旅人の訪れは小さな催事のようなものであるし、ましてそれが商人なら、珍しい品物が手に入るかもしれないのだ。
だが一方で、この不思議な共同体に対する知識が無いライカには相手の思惑などわかろうはずもなく、押し寄せるような人の好奇の意識に、軽く酔いそうになっていた。
ふと気づいて傍らを見ると、サッズは既にすっかり意識を閉じて防御を固めている。
「まるで攻撃されてるような感じがするぞ」
「いや、それは違うから。きっと、ね」
ライカの言葉は自信無げに風に紛れた。
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