第83話 穏やかな日和
すでに出発時が夕刻だったこともあって、黒の荒野を越えてすぐに陽は落ち、彼等は二日ぶりに夜に寝るために、柔らかい土の上で野営の準備を整えた。
夕刻に振舞われた肉や酒のおかげで、狂った時間を引き摺っていたにせよ、酔いと満腹感で、男達も無事に夜の暗さの中で眠りに就く。
だが、どこにでも多少なりと例外はいるものだ。
「流石に眠れないなぁ」
「お前は酒を飲んでないからな」
「病気でもないのにあんな辛い物飲もうと思うほうが理解出来ないよ」
「でもあれってエールの濃度が高いからいい感じに活力が沸いて旨いぞ、ちょっとフラフラするけど」
「それってエール酔いなの?それとも普通にお酒に酔ってるの?」
「どっちでもいいだろ?それに俺は酔ってないし」
「フラフラするって言ってたくせに」
「ちょっとぼうっとして体が暖かいだけだ」
「じいちゃんも酒に酔ってる時同じようなことを言うよ。なんで酔ってる人って酔ってないって主張するんだろう?」
「酔ってないからだろ?それよりお前もちゃんと寝ておけよ。明日は普通に明るい内に歩くんだろ?寝ないとへばるぞ」
「うん、わかってるよ、それよりサッズのほうが早く寝るべきだと思う」
「俺達が寝るのは記憶を一族と混ぜて血族のリングを作るためなんだっていう話だから、一人で寝てもあんまり意味が無いんだよな~って、これ言ってたのはセルヌイだろ?何でも知ってるって顔しやがって、ばぁか」
明らかに言っていることがおかしい。やはり酔っているのだ。
ライカは呆れたように世界で最も偉大な種族であるはずの兄を見た。
「はいはい、寝るからね~」
仕方なくそのまま敷布で巻いて放り出す。
なにやら布の塊と化したそれは、「ん~?なんか起きれない?ああ、寝るのか」等とゴロゴロ動きながらブツブツ言っているが、ライカは思いっきりそれを無視した。
ちょっといい運動したからもう眠れるかな?と、何となく前向きに考えながら、ライカはなんとはなしに頭上に目をやる。
端がいびつな形に歪んだ月が、それを眺めながら歩いた前夜より細い。
満ち欠けを繰り返す月は、今は少しずつ欠けて行く時期なのだ。
おかげで星が常より多く自己を主張していて、びっしりと頭上の半分の世界を埋め尽くしている。
「セルヌイ、か」
多くの時間を人の姿で過ごすあの竜王は、竜族の記憶と人の伝承、そのどちら共を膨大な知識として持ち合わせていた。
彼はいつだったか幼いライカに星を指し示して言ったものである。
『あれは全て遠い太陽のようなものなんですよ。遠すぎて誰もそれらとの繋がりを考えたりはしないでしょうけれど、あの命も、目前に燃える太陽や私達や、この足元の草までも、全ては連なって大きな輪を描いているのです。螺旋に伸び続ける未来へと続く輪を』
ライカはあの狭間の古く輝かしい世界から、ずっと遠くへ来たつもりだったが、あの星の遠さに比べればきっとそれは無いに等しい距離なのかもしれないと思った。
「螺旋に描くリングの先に未来を乗せて、我等は世界と共に命を描く。か」
それは寝物語のような竜の子守詩。
声ではなく心声でもなく、輪の零す記憶のカケラ。
サッズなどは「ようするに寝言だ」と言っていたけれど、それでもそれは意味のある、伝えるためのものなのだ。
末子を長とし命の輪を形作る彼等の在り方は、ひたすら伸びる蔓草に似ているのかもしれない。
やがて根が力尽きる前に未来は芽吹き巣立って行く。
『世界は我等の在り方ではもはや限界を感じたのでしょう。それもまた一つの終わりであり始まりなのです。新しい輪の描く未来があの星の連なりのように美しいものだと良いですね』
それでも彼等はまだ過去ではない。
「俺には遠いみんなと輪を繋ぐことは出来ないけど、サッズはきっとどんなに離れていてもちょっとだけ繋がってるんだよね」
夜ごとに満たされる暖かさを、心のどこかが感じていた。
サッズと描く輪が、きっと遠い地の家族のそれと触れている。
輪は重なり共鳴し、水に広がる波紋のように合わさって一つになればいい。
きっとそれは耳には聴こえない、澄んだ綺麗な音を響かせるだろう。
― ◇ ◇ ◇ ―
「おはよう、ちゃんと寝れたみたいだな」
「あ、サッズおはよう」
ライカは何時の間にか寝入っていたらしい体を起こし、目を擦った。
「ところで、俺はなんで布の中から出られないんだ?」
「力入れれば出れるだろ?布は破れるけど」
「破ったら怒るだろうが!」
「そりゃあそうだよ」
「だからとっととこれをほどけ!」
ライカはサッズをじっと見るとにこりと笑う。
「そういえば知ってる?葉っぱをこう、体に巻きつけて家にしてる虫がいるんだよね」
「ほ・ど・け!」
爽やかな朝の始まりだった。
先日までの道のりが嘘のように、穏やかな勾配の大地を進むと、やがて遠くに川が見えた。
地面に勾配が少ないので結構遠くまで見渡せるのだ。
水場が近く豊かなせいか、それ程鬱蒼としていないながらもまばらに生えている草を踏み分けながら馬車が進むと、時折ウサギや小太りの鳥が慌てて飛び出す。
幾人かは物欲しそうにそれを目で追いながらも、さすがにそれを狩るために荷を放り出す訳にもいかず、残念そうにしているのが、なんとなく微笑ましかった。
「くそう、川で魚を獲ってやる!」
その一人であるゾイバックが茶色いウサギの姿を見送りながら罵り言葉と共に言い捨てる。
「川で休むんですか?」
「ああ、水を汲んでおかなきゃならんし、それならついでに休憩して飯を食ったほうがいいだろ?商人連中ってのは無駄を嫌うからな。出来ることはいっぺんに済ましちまうのさ」
「なるほど、ちょっと早い休憩ですけど、確かにそれならいっぺんに終わらせられますね」
ライカは周辺を見回した。
周りはほとんどが草原で木はあまり生えてない。
「薪が無いですね」
「前に集めてたのがあるだろ、あの荒野じゃあ火もまともに焚けなかったし、まだまだ残ってるさ」
「あ、そうか。じゃあ俺達もなんか獲って良いのかな?」
「おうよ、魚獲り手伝うか?」
「手伝いがいるんですか?」
「ああ、追い込み役が必要だからな」
「へぇ」
西の街で仲が良かったサルトーの影響で、人間は釣り竿を使って魚を獲るのが当たり前だと思っていたライカは、興味を持って彼の話に耳を傾けた。
以前ライカとサッズがやったような追い込み漁は少し特殊すぎて普通の人間が好んでやるようなやり方とは思えない。
魚をどこに追い込んでどうやって捕まえるのだろうか?と、ライカは色々と思いを巡らせて、その時を待ち望んだのだった。
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