第53話 遭遇

 旅というものは日常とは切り離された非日常が常識となる場所だ。

 ライカがそれを思ったのは、この集団が頻繁に休憩を取ることと、日が沈むかなり前にその日の野営地を決めて、野営の準備を開始したのを見たからだ。

 街では基本的に明るさが行動の基準であり、暗くなるまで行動するし、纏まった休憩という概念は無く、疲れたら個々人が自身の判断で休憩を取る。

 しかし、人の居住地ではない場所において、そういう後に余力を残さない行動というのは、もう後が無い「命懸け」という条件下で始めて許されるものとのことだった。

 一日の終わりに必ず余力を残すこと。

 これは荷負い仲間の男達が口々に年若い新入りに教え込んだ教訓でもある。

 

 そんな訳で、まだ日は明るいものの、その位置が天頂より下り、照らされた木々の影が長く伸びて風の温度が少し下がった頃には、彼等はその日の分の道程の踏破を終え、早々に足を止めた。

 その場所は森が切れて草原地帯になっていて、お誂え向きに草の丈が短い、丁度良い広場だった。


「と言っても、ここは最初からこうだった訳じゃねぇんだ」


 馬車を四方の内の三方に停め、車止めを挟み、馬を外して最寄の木に繋ぎ、整備士達が馬車の各部位の点検をし、御者が馬の世話を見る。

 言葉を交わすまでも無く流れるように作業が進む中、二人だけ勝手がわからないライカとサッズは隊商の長に仕事を聞きに行き、一喝と共に他の荷負い人達に聞けと言われてしまった。

 そして、結局道中に馴染んだゾイバックに聞きに行くことになったのである。

 そこで、まずは薪拾いだということで乾いた木切れを拾うように指示された時に、都合のいい草原があるんだなと、洩らしたサッズの感想に応えて言われたのが先の言葉であった。

 ついでに、長の一喝は癖のようなものだから気にするなと彼は二人を慰めもしてくれた。厳つい顔に関わらず面倒見のいい男だ。


 ゾイバックはライカ達が促すまでもなく、その草原の由来を話し始める。


「あの街が正式に国に取り込まれてからそれなりに経つからな、その間に行き来した俺達のような隊商とかが、距離的に丁度良い場所を野営地にするために切り開く、そうすると次にそこらを通り掛った旅の連中が、そこなら楽に良い野営地が作れるから再びその場所を利用する。そうやって出来上がったのがこの場所ってことよ」

「鳥が他の鳥の巣を再利用したりするようなものか」

「そうそう、上手いこと言うじゃねぇか」


 そのサッズなりの理解に頷いて、ゾイバックはサッズの背を手のひらでどやしつけようとしたが、振り切った手には何もぶつからず、相手の少年も別段避けた風でもなかったために自身の手をしげしげと見る羽目になった。

 だが、肩を竦めただけですぐに気を取り直したようで、彼はそのまま話を続ける。


「街道がこの場所に沿って出来たもんでこの停泊地を利用する連中も増えたんだな。みんなが同じ道を通る訳だし当然と言えば当然だ。んで、これが結構助かるんだ」


 「へぇ」と、ライカは感心し、「街道って凄いですね」と頷いた。

 サッズの方はよくわからなかったのか首を捻ったが、特に何かを言うでもなく、そのままライカ達は彼とわかれて薪拾いを始めたのだった。

 薪になる木切れを拾うには森へと入る必要がある。

 ライカは一度平原と森の境に立って、野営地との距離を確認すると、薄暗い森へと分け入った。

 普通は薪探しという作業はバラけて探すものだが、保護者然としたサッズは当然のようにライカに同行する。


「他のやつが使った後をまた使うのがなんでいいんだ?気持ち悪いだけなんじゃないか?」


 結局の所、先ほどの話に納得していなかったらしいサッズは話をライカに振った。


「ん~、ほら、誰かが居心地良いようにある程度の範囲を草やじゃまな岩の無い空き地にして使うだろ?そうするとそこは時間が経っても周りより短い草の生えた、ある程度均された場所になる。そこを利用すれば草を刈ったり、岩をどけたりあんまりしなくても休むのに良い場所が確保出来るじゃないか。それでみんなが楽だからずっとそこを使うんだよ。手間が省けて時間に余裕が出来るから、ゆっくり休んだり、時間を掛けて美味しい料理を作ったりも出来るし。実際今も馬車を並べて軽く草を払うだけでそのまんまここの場所は使えただろ?もしそうじゃなかったら、今頃みんなで石を退けたり背の高い草を払ったり、下手したら木を伐ったりとかしなきゃならなかったし、そしたら食事の準備も遅くなって、乾燥した豆だけのご飯になったかもしれないよ。前に誰かが使った場所だからゾイバックさんの言ったようにみんなが余力を十分に残せるんだよ」

「手間を省いて時間を余らせる、か。面白い考え方だな」

「はは、故郷うちに居た時には時間とか考えたことなかったもんね。時間なんて勝手に過ぎていく物だったから」


 ライカは少し遠い目をして微笑んだ。

 子供の頃だからということもあるかもしれないが、昔はライカも時間の上手い使い方など考えたこともなかったのだ。


「人間のその時間に対する考え方が他の生き物と人間を分ける大きな部分なのかもしれないな。人間は時間という概念で空間を切り取って意識している。本来そこには一つの流れのみがあるはずなのに、人間にとっては区切られた部屋のような空間が連続して存在しているんだ。案外エイムと話が合うかもしれないぞ」

「エイムは自分の空間を意識してないんじゃないかな?前にあの空間のことを聞いたけど、エイム自身なんだか良くわかってなかったし」

「逆だな。あいつはあの空間を当たり前のものとして認識してるからこそ他のやつに説明出来ないんだ。お前、どうして火が熱いか、なんで水の中だと息が出来ないか説明出来るか?」


 言われて、ライカは眉を寄せる。


「サッズの説明わかりづらい。ん、まぁなんとなくは理解したけど。あ、野良茶の葉だ」


 話しながら薪を拾っていたライカは、その匂いに気付いて顔を上げた。

 ハーブティとは別に野良茶と呼ばれるお茶用に使う葉は、出る色は薄いが味はそう悪くない。

 ライカは新芽を採ると服の隠しに突っ込んだ。


「茶か、いいな」

「いいよね」


 二人とも香りに関係する物には目が無いので思わず笑顔を交わす。

 ふ、と。サッズの表情が曇った。


「どした?」

「アレが近くにいる。別に俺達を目指してる訳じゃないようだが、どうもこういう餓えを持った奴は神経を苛立たせるんで嫌だな」

「アレって?」

「ほら、昼間あの男が言っていただろう。なんだっけ?殺し屋?」

「ああ」


 そういわれて、意識を切り替えたライカは、ふいに空気が冷たくなったように感じた。

 これは皮膚の感覚ではなく、意識の拾う感覚がそういう風に体に感じさせているのだ。

 意識というものは普通は肉体よりも大きく広がっている物なので、離れた物を先んじて感じ取れるのである。

 相手はまだまだ近付いている訳ではないのだろうが、サッズの話で相手が近くにいることを意識した途端に、ライカ自身にも無自覚の、相手を探ろうとする意識が先走って相手の存在を捉えたのだ。

 しかし、サッズの言うように肉を食む獣のような相手なら、こちらがあまりに緊張しているとかえって獲物と勘違いされる可能性がある。

 ライカは強張った体を解すように、一つ背伸びをすると薪拾いを再開した。


 二人ともに(サッズにはライカが無理やり持たせた)両手一杯に薪を拾って、踵を返そうとした所で、ライカはその視線に気が付いた。

 サッズはとっくに気づいていたようだが、特にリアクションは無かったので、ライカはその時までそれを察することが出来なかったのである。

 というか、ライカが気づいたというよりも、相手が意思を持って接触を図って来たと取るべきだろう。

 事実、ライカが気づいたと見るや、その男は姿を現した。


「坊ちゃん達、ちゃんと戻れるのかい?手を引いていってあげようか?」


 言葉の内容とは裏腹に口元に浮かぶ笑みは何か冷ややかなものだ。

 痩身のその体はゆらゆらと微かに揺れていて、どこか頼りなげなようにも見えるが、その実、触れてはいけない毒を持った存在独特の強かさも感じさせる。


「あ、はい。ちゃんと目印から目線が切れないように歩いて来ましたから大丈夫です」

「へえ、そうか、それは残念だったな」


 何が残念なのかわからないが、ライカとしてはあえて詳しく聞きたいとも思えないでいた。だが、


「用が無ければ他の使用人には近付かないように飼い主に言われているのでね」


 相手の方から気軽に説明を始めた。

 要するに迷っていたのなら理由があるのだから近づくことが許された、と言いたいのだろうか。

 だが、なぜそれが残念なのかはわからないままだ。


「若く、未来を望む者程、命という物は硬いものだ。君たちはさぞ硬かっただろうに。……ああ、残念だ。また若い子の命を砕いてみたいなあ」


 ふわりと、優しげと言えるようなまなざしを向けられて、一瞬ライカは総毛立った。

 そこへサッズがそっと手に触れて来て、その恐怖は去ったが、思わず一歩を下がる。

 男はその様子を気にする風でもなく、「残念だ」と呟きながらそのまま去って行った。

 シンとした森の中をその呟きと落ち葉を踏む音のみが移動する。

 二人は暫くその場で息を詰め、気配が完全に去るまで動かずにいたのだった。

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